本論文は、高等動物の転写調節機構をターゲットとして新規の抗癌剤を探索し、発見した物質の構造を決定する一方、作用機作を解析し、この分子が転写調節の基幹をなすクロマチンの構造変化を誘導することを明らかにした結果を述べている。今までに知られていなかった作用機作を持つ抗癌剤を開発した、という意義のほかに、高等動物細胞の転写調節に転写因子とは異なるメカニズムが関与することを明白に示した点から、基礎科学への貢献も大きい。これまで抗癌剤の開発に従事してきた学位申請者は、有効性および安全性に優れた新規抗癌剤を目標として、既存薬とは作用メカニズムを全く異にする抗癌剤の探索系を開発した。微生物産物の有用性・多様性に期待し、微生物産物より、転写調節活性を有する新規抗癌物質の探索を行った。 本論文は大きく二つの部分に分れている。第一部は、新規抗腫瘍物質の検索と性状や作用機作の解析が主題であり、第二部はこれらの物質を用いた動物細胞に於ける転写調節機構の解析が主題である。 第一部ではFR901464という物質を中心に、次のような点が述べられている。 第1章では、転写調節を修飾する活性、という新しい概念に基づくスクリーニングを実施するため、SV40プロモーターの上流配列をクロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ(CAT)遺伝子を持つベクターに組み込み、この遺伝子の安定発現細胞を作製したことが述べられている。さらに、作製した細胞を用いて、細菌培養上清中の転写活性化物質をスクリーニングした結果が述べられている。 第2章では、発見された活性物質FR901464を産生する菌の性質の検定が行われ、Pseudomonas sp.No.2663と同定された。 第3章では、FR901464及びその類縁化合物を産生させるための培養条件の至適化が述べられている。 第4章では、NMR、FAB-MSなどによって、これらの物質の構造が決定されたことが述べられている。 第5章では、FR901464が、SV40プロモーターに対する細胞転写活性促進作用、内因性遺伝子及びMMTVプロモーターに対する転写活性抑制作用、細胞周期G1及びG2/M期停止作用及びアポトーシス様のクロマチン断片化誘導作用等のクロマチン機能調節にその作用点を有すると推定される特異な生物活性を有していたことが述べられている。これらの活性が癌細胞傷害活性のもとになると考えられた。 第6章では、既存抗癌剤が有用性を示せないin vivoの抗腫瘍効果評価モデルにおいて、FR901464が顕著な抗腫瘍効果を示したことが述べられている。薬効発現の特徴として、より臨床病態に近い状態にある腫瘍に対して有効であるというユニークなものであった。この結果は、FR901464が、既存抗癌剤に対して、臨床的に有用性を発揮し得ることを示唆する。 第二部の内容は以下の様にまとめられる。 第1章では、FR901464を、やはり新規抗癌剤として開発中であるFR901228やトリコスタチンと比較した結果、これらがいずれもクロマチンの側から転写制御に関与し、転写活性化機能を持つことを見いだした。作用機作は、p21waf-1/cip-1の転写に見られるように、後二者が非常に良く似ているのに対し、FR901464の作用はユニークであることを見いだした。 第2章では、FR901228が、トリコスタチンと同様のヒストンデアセチラーゼ阻害活性を持つが、FR901464にはそのような活性がないことを明らかにした経緯が述べられている。結果として、アセチル化ヒストン代謝回転がクロマチン機能調節において重要な役割を果たしていることを明らかにした。さらに、抗癌物質として臨床治験中であるFR901228がこの様な作用メカニズムを持つことが判明したため、クロマチンを介する転写制御が、新規の抗癌剤開発のターゲットとなりうるという可能性をさらに強く示した。 第3章では、転写活性化のシグナルという意味ではFR901464の作用は、ヒストンの代謝回転の下流にあり、これと密接に関係する有力なクロマチン機能調節機構であることを強く示唆する結果を得て、この点を強調して述べている。哺乳動物のクロマチン機能調節機構が、多段階の平衡関係よりなる未知の制御を受けている可能性が示されている。 以上のように、学位申請者は、クロマチンを介する転写制御という新規の作用点を持つ抗癌物質を、スクリーニングによって発見し、その構造を決定し、作用機作を解明した。この過程が、科学的な考察を含めて述べられている本論文の内容は、癌の化学療法及び細胞の遺伝子発現制御に関する学問の進歩に多大に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に充分であると判断した。 |