学位論文要旨



No 213257
著者(漢字) 中島,秀典
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ヒデノリ
標題(和) 転写調節活性を有する新規抗癌物質 : 微生物産物からの探索及び哺乳動物クロマチン機能調節
標題(洋)
報告番号 213257
報告番号 乙13257
学位授与日 1997.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13257号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 橋本,祐一
 東京大学 助教授 辻,勉
内容要旨 【序論】

 微生物産物は、非常にdiversityに富んだchemical libraryとして魅力的なものである。実際、現在医薬品として用いられている物質には、微生物産物が数多く存在し、抗生物質以外にも、免疫抑制剤、脂質代謝調節剤及び抗癌剤等、高等動物の複雑な生物現象を巧妙に調節する物質を微生物が産生している事実は驚くべきことである。また、微生物は、この様な有用な医薬品を提供するだけでなく、生物学の進歩に貢献する特異的な薬理活性物質も提供している。放線菌の産生するFK506やカビの産生するcyclosporinAが、有用な免疫抑制剤として、移植成功率の向上をもたらしただけでなく、不明であったT細胞の活性化機構を明らかにすることに大きく貢献したことは記憶に新しい。

 著者は、抗癌剤の開発に従事してきたが、近年、特に有効性および安全性に優れた新規抗癌剤の開発が切望されていると考えている。この医療ニーズに応え、既存薬の副作用を軽減し、薬効を増強した新規抗癌剤を開発するためには、既存薬とは作用メカニズムを全く異にする抗癌剤の探索が必須であると著者は考えた。この目的のために、ターゲットとして転写調節を選択した。転写調節は、各種シグナルの終着点に位置し、それらシグナルに応答するトランス作用性の転写調節因子とシス作用性のクロマチン機能調節とによって細胞核内で制御されている。また、転写調節機構は、その後の細胞周期監視・調節、各種増殖因子産生及び細胞死等を直接的或いは間接的にコントロールしており、細胞の増殖において非常に重要な機構である。癌細胞は、遺伝子変異により核内癌遺伝子及び癌抑制遺伝子等による転写制御機構に異常を有しているので、癌細胞の転写制御物質は、新しい作用機作を有する抗癌剤となる可能性が大きいと考えたのである。

 この様に転写調節は、抗癌剤探索のターゲットとして魅力的である一方、高等動物の転写調節機構には、未だ不明な点が多い。従って、微生物産物の有用性・多様性に期待し、微生物産物より、転写調節活性を有する新規抗癌物質の探索を行うことは、臨床的に有用な新規抗癌剤の発見つながるだけでなく、これら取得した物質を用いて、高等動物の転写調節機構の一端の解明に貢献できると考え本研究を実施した。

【結果及び考察】新規抗癌物質FR90146の発見とその性状

 FR901464は、癌細胞の転写活性をウイルスプロモーター/CATリポーター遺伝子を用いて総括として測定するという転写調節物質を探索するための新しい概念に基づいたスクリーング系を確立し用いることにより、約10、000検体の微生物培養産物の中から発見された。後に明らかとなるが、ウイルスプロモーターとしてSV40プロモーターを用いたことが、転写調節物質の探索に大きな意味を持つこととなった。FR901464は、その関連物質と共に、Pseudomonas sp.No.2663株と同定したバクテリアにより産生された。大量培養、単離・精製の後、各種機器分析により、FR901464及び関連物質は、微生物産物を予想させる極めてユニークな構造を有していることが明らかとなった。

 FR901464は、SV40プロモーターに対する細胞転写活性促進作用に加え、内因性遺伝子及びMMTVプロモーターに対する転写活性抑制作用、さらに、細胞周期G1及びG2/M期停止作用及びアポトーシス様のクロマチン断片化誘導作用等の特異な生物活性を有しており、これらの活性が強力な癌細胞傷害活性につながると考えられた。また、これらの生物活性は、互いに同じキネティクスで関連して誘導されることより、FR901464は、これらの活性を共通に誘導し得るクロマチン機能調節にその作用点を有すると推定された。また、このことは、スクリーニングの過程でヒストンデアセチレースの阻害剤として知られているtrichostatin Aが、FR901464とほぼ同様の活性を有する物質として再発見された事実からも支持された。

 FR901464は、in vivoにおいても、汎用評価系において各種癌細胞に対して抗腫瘍効果を示したが、特に既存抗癌剤が有用性を示せない評価モデルにおいて、顕著な抗腫瘍効果を示した。その薬効発現の特徴は、より臨床病態に近い状態にある腫瘍に対して有効であるというユニークなものであった。この結果は、FR901464が、既存抗癌剤に対して、臨床有用性を発揮し得ることを示唆すると共に、新規作用機作抗癌剤の開発評価においては、臨床病態を反映する新規評価系の作製が急務であることを示すものであった。

 以上、転写調節活性を有する新規抗癌物質を微生物生産物より探索することにより、クロマチン機能調節により転写調節活性を発現すると考えられる新規抗癌物質FR901464を得た。また、スクリーニングに用いた指示細胞M-8が、これまで適当な実験系のなかったクロマチン側における転写調節及びそれに関連する種々の生物活性を的確に評価できる細胞系であることが明らかとなった。

新規作用機作転写調節物質を用いた哺乳動物のクロマチン機能調節機構の解析

 転写調節物質探索の過程でSV40プロモーターの転写活性促進物質として発見及び再発見された、FR901464、FR901228及びTSAと転写調節機構の解析に有用性の示されたM-8細胞評価系を用いて、哺乳動物の転写調節機構、特に不明な点の多いクロマチン機能調節による転写調節機構について解析を試みた。FR901464、FR901228及びTSAは、SV40プロモーター依存性細胞転写活性促進作用、細胞周期G1及びG2/M期停止作用、内因性誘導遺伝子発現抑制作用及びアポトーシス様のクロマチン断片化誘導作用等、クロマチン機能調節により誘導されると考えられる各種生物活性においてほぼ同様の活性を示した。しかしながら、内因性誘導遺伝子のp21waf-1/cip-1の発現に関しては、FR901228及びTSAは促進作用を、FR901464は抑制作用を示し、作用の解離が観察された。TSAは、ヒストンデアセチレースの特異的阻害剤であることが明らかとなっているので、FR901464及びFR901228のアセチル化ヒストンの代謝回転に対する作用を解析し、FR901228が、TSAと同様、ヒストンデアセチレースの阻害活性を有していること及びFR901464は、アセチル化ヒストンの代謝回転には、無作用であることを明らかにした。さらに、SV40プロモーター依存性細胞転写活性促進作用におけるFR901228及びTSAとの相乗作用及びp21waf-1/cip-1遺伝子の発現におけるFR901228及びTSAの作用に対する優位性より、FR901464の作用点は、、アセチル化ヒストン代謝回転の下流に位置する有力なクロマチン機能調節機構であることが示された。

 以上、FR901228とTSAを用いて、ヒストンのアセチル化が転写調節において重要な機能を果たしていることを生物学的に明らかにした。FR901228は、米国で臨床試験中の抗癌剤であるので、本研究において、クロマチンの機能調節が有用な新規抗癌剤開発の新しいターゲットとなり得る可能性が示された。また、FR901464の作用点が、アセチル化ヒストン代謝回転の下流にあり、しかも、これと密接に関係する新規調節機構であることを明らかにした。これらをまとめて、哺乳動物のクロマチン機能調節機構は、転写調節において、多段階の平衡関係よりなる制御を受けている可能性が示され、従来主要な調節機構と考えられていたアセチル化ヒストンの代謝回転は、クロマチン構造変化の一段階に過ぎないことが推定された。

【総括】

 1)新しい概念に基づくスクリーニングを実施し、転写調節活性を有する新規抗癌物質FR901464を取得した。

 2)FR901464は、SV40プロモーターに対する細胞転写活性促進作用、内因性遺伝子及びMMTVプロモーターに対する転写活性抑制作用、細胞周期G1及びG2/M期停止作用及びアポトーシス様のクロマチン断片化誘導作用等のクロマチン機能調節にその作用点を有すると推定される特異な生物活性を有しており、これらの活性が強力な癌細胞傷害活性につながると考えられた。

 3)FR901464は、既存抗癌剤が有用性を示せない評価モデルにおいて、顕著な抗腫瘍効果を示した。

 4)抗癌剤として開発中のFR901228をFR901464と同様の転写調節物質として再発見し、それがヒストンデアセチレース阻害剤であることを明らかにすることにより、アセチル化ヒストンの代謝回転がクロマチン機能調節において重要な役割を果たしていることを生物学的に明らかにすると共に、抗癌剤の新規ターゲットとしての可能性を示した。

 5)FR901464の作用点が、アセチル化ヒストンの代謝回転の下流にあり、これと密接に関係する有力なクロマチン機能調節機構であることを明らかにし、哺乳動物のクロマチン機能調節機構が、多段階の平衡関係よりなる制御を受けている可能性を示した。

 

審査要旨

 本論文は、高等動物の転写調節機構をターゲットとして新規の抗癌剤を探索し、発見した物質の構造を決定する一方、作用機作を解析し、この分子が転写調節の基幹をなすクロマチンの構造変化を誘導することを明らかにした結果を述べている。今までに知られていなかった作用機作を持つ抗癌剤を開発した、という意義のほかに、高等動物細胞の転写調節に転写因子とは異なるメカニズムが関与することを明白に示した点から、基礎科学への貢献も大きい。これまで抗癌剤の開発に従事してきた学位申請者は、有効性および安全性に優れた新規抗癌剤を目標として、既存薬とは作用メカニズムを全く異にする抗癌剤の探索系を開発した。微生物産物の有用性・多様性に期待し、微生物産物より、転写調節活性を有する新規抗癌物質の探索を行った。

 本論文は大きく二つの部分に分れている。第一部は、新規抗腫瘍物質の検索と性状や作用機作の解析が主題であり、第二部はこれらの物質を用いた動物細胞に於ける転写調節機構の解析が主題である。

 第一部ではFR901464という物質を中心に、次のような点が述べられている。

 第1章では、転写調節を修飾する活性、という新しい概念に基づくスクリーニングを実施するため、SV40プロモーターの上流配列をクロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ(CAT)遺伝子を持つベクターに組み込み、この遺伝子の安定発現細胞を作製したことが述べられている。さらに、作製した細胞を用いて、細菌培養上清中の転写活性化物質をスクリーニングした結果が述べられている。

 第2章では、発見された活性物質FR901464を産生する菌の性質の検定が行われ、Pseudomonas sp.No.2663と同定された。

 第3章では、FR901464及びその類縁化合物を産生させるための培養条件の至適化が述べられている。

 第4章では、NMR、FAB-MSなどによって、これらの物質の構造が決定されたことが述べられている。

 第5章では、FR901464が、SV40プロモーターに対する細胞転写活性促進作用、内因性遺伝子及びMMTVプロモーターに対する転写活性抑制作用、細胞周期G1及びG2/M期停止作用及びアポトーシス様のクロマチン断片化誘導作用等のクロマチン機能調節にその作用点を有すると推定される特異な生物活性を有していたことが述べられている。これらの活性が癌細胞傷害活性のもとになると考えられた。

 第6章では、既存抗癌剤が有用性を示せないin vivoの抗腫瘍効果評価モデルにおいて、FR901464が顕著な抗腫瘍効果を示したことが述べられている。薬効発現の特徴として、より臨床病態に近い状態にある腫瘍に対して有効であるというユニークなものであった。この結果は、FR901464が、既存抗癌剤に対して、臨床的に有用性を発揮し得ることを示唆する。

 第二部の内容は以下の様にまとめられる。

 第1章では、FR901464を、やはり新規抗癌剤として開発中であるFR901228やトリコスタチンと比較した結果、これらがいずれもクロマチンの側から転写制御に関与し、転写活性化機能を持つことを見いだした。作用機作は、p21waf-1/cip-1の転写に見られるように、後二者が非常に良く似ているのに対し、FR901464の作用はユニークであることを見いだした。

 第2章では、FR901228が、トリコスタチンと同様のヒストンデアセチラーゼ阻害活性を持つが、FR901464にはそのような活性がないことを明らかにした経緯が述べられている。結果として、アセチル化ヒストン代謝回転がクロマチン機能調節において重要な役割を果たしていることを明らかにした。さらに、抗癌物質として臨床治験中であるFR901228がこの様な作用メカニズムを持つことが判明したため、クロマチンを介する転写制御が、新規の抗癌剤開発のターゲットとなりうるという可能性をさらに強く示した。

 第3章では、転写活性化のシグナルという意味ではFR901464の作用は、ヒストンの代謝回転の下流にあり、これと密接に関係する有力なクロマチン機能調節機構であることを強く示唆する結果を得て、この点を強調して述べている。哺乳動物のクロマチン機能調節機構が、多段階の平衡関係よりなる未知の制御を受けている可能性が示されている。

 以上のように、学位申請者は、クロマチンを介する転写制御という新規の作用点を持つ抗癌物質を、スクリーニングによって発見し、その構造を決定し、作用機作を解明した。この過程が、科学的な考察を含めて述べられている本論文の内容は、癌の化学療法及び細胞の遺伝子発現制御に関する学問の進歩に多大に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に充分であると判断した。

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