学位論文要旨



No 213260
著者(漢字) 若吉,浩二
著者(英字)
著者(カナ) ワカヨシ,コウジ
標題(和) 水泳の競技力の評価とその指導への応用
標題(洋)
報告番号 213260
報告番号 乙13260
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第13260号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 教授 佐伯,胖
 東京大学 助教授 佐藤,学
内容要旨

 本研究は、高水準にある水泳競技のレースおよび水泳の基本運動であるストローク、そして、水泳の持久力についてそれぞれ観察し、客観的に評価を行い、その結果を用いて競技力の向上を目指した水泳の指導に応用するための方法論の確立を目的に行われたものである。

第1章水泳競技のレースの評価とその指導への応用

 水泳競技のレースは、ストローク、スタート、ターン、フィニッシュの4動作局面に分類でき、競技力向上ためにはこれらの各局面の要素を抽出し客観的に評価していく必要がある。そこで、レースを科学的に分析し、それらを行うための方法論を確立し、また、その分析結果を指導者や選手に、即時フィードバックできるシステムの開発を行った。

 実験システムは、撮影、分析、データ提供の3ステーションで構成されている。撮影ステーションでは、5〜6台のカメラを観客席最上段に設置し撮影を行った。各々の映像は、ビデオタイマーを通してVTRに録画された。ビデオタイマーは公式計時と同期されており、録画された映像からスタート合図後の時間を正確に読み取ることができた。分析ステーションでは、画像をパーソナルコンピュータに取り込み、各選手毎に各局面の通過時間を計時した。それぞれの通過時間から各局面に要する時間と速度を算出した。併せて泳速度を構成するストローク頻度(SR;stroke/min)とストローク長(SL;m/stroke)を求めた。本システムにより、予選のレース分析結果を午後の決勝レースまでに、そして決勝でのレース分析結果をその日の内に提供することが可能となった。これらの結果は、データ提供ステーションにおいて配布された。

 日本選手権での決勝進出者と予選失格者とのレース中におけるSLおよびSRの比較において、決勝進出者は、予選失格者に比べて長いSLを保持することで高い泳速度を維持しており、SLが水泳の競技力の向上に大きく関与することを示唆する結果が得られた。また、決勝進出者は、レースを展開する上で、泳速度の低下を防ぐ手段として、レース後半に、SRの著しい増加がみられ、SRがレース中における泳速度の変化パターンに影響を与える因子であると考えられる。また、競技レベルの高い選手は、スタートおよびターン動作局面速度においても顕著に高い傾向にあった。特に、国際大会において、日本のトップスイマーは、世界のそれと比較してストローク動作局面速度においては同等の値であったが、スタートやターン動作局面速度に劣る傾向がみられ、その差が勝敗に直接影響を及ぼしていた。これらの結果は、泳運動とは異なるスタートやターンの能力が競技力に影響を及ぼす重要な要素であることを示唆するものである。

 泳速度は、SLとSRを乗じたものであり、泳速度を高めるためには、これらのどちらか、または双方を向上させなければならない。そこで、これらの関係をSLR理論と名付けて展開した。ある選手の現在の泳速度をV0、そのV0のSRとSLをX0とY0とする(X0,Y0)。そしてその選手が泳速度をV0からV1に高めるためには、1)SLの延長によってのみ達成される場合、2)SRの増加によってのみ達成される場合、3)SLとSRの双方の向上によって達成される場合の三つパターンがある。1)は、(Xa,Ya):Xa×Ya=V1,Ya≧V1/X0,0<Xa≦X0、2)は、(Xb,Yb):Xb×Yb=V1,Xb≧V1/Y0.0<Yb≦Y0、そして3)は、(Xc,Yc):Xc×Yc=V1,Xc>X0,Yc>Y0となる。また、現在点V0(X0,Y0)からV1の速度双曲線上の最短距離の点、つまり接線と垂直に交差する点(X1,Y1)は、X14-X0・X13+Y0・V1・X1-V12=0の多次元多項式から求めることができる。実際にSLR理論を選手のデータに当てはめて、それぞれの点を計算すると興味深い結果を得ることができる。

 現在では、即時にフィードバックされたデータは、決勝のレース戦略を立てるための、また長期展望にたった競技力向上のための資料として役立てられている。このような研究が指導者や選手と密接な関係で展開されることは、競技力の向上に大いに貢献できるものである。

第2章水泳のストロークの評価とその指導への応用

 水泳の競技力向上は泳速度の増加に大きく依存し、前章で述べたごとく、泳速度はSLとSRを乗じたものである。この泳速度の増加を図るためには、SLとSRの双方を、またはどちらか一方を高めなければならない。そこで、SLとSRの変化と生理的なメカニズムとの関係を研究した。

 有酸素性エネルギー供給による運動強度の泳速度では、水泳中、SRおよびSLは変化を示さなかったが、無酸素性レベルでは、酸素摂取量の増加傾向と併せてSRが増加し、SLは低下した。この結果は、1ストローク当たりに発揮される推進力が低下したが、単位時間当たりのストローク数の増加によって、泳速度が維持されたことを示している。レース分析に関する第1章の結果においても同様に、疲労が生じるレース後半にSRの増加により泳速度が維持されている。この疲労に伴って生じる1ストローク当たりの推進力の低下は、小筋群の筋疲労現象に起因されるものと推測される。また、有酸素性から無酸素性レベルの泳速度の変化に伴い、SLとSRに変換点が存在し、それは無酸素性作業閾値や乳酸性作業閾値のエネルギー代謝に関するパラメーターの変曲点とほぼ一致することが見出された。

 さらに、長期の有酸素性トレーニングの効果に伴うパフォーマンスの向上とSRおよびSLの変化との関係について検証した。その結果、400m最大泳速度(V400)はトレーニング後に有意に増加し、運動後の血中乳酸値は有意に低下した。V400が増加したにも関わらず、血中乳酸値の低下は、有酸素的なトレーニングが筋の酸化能力を高めるだけでなく、乳酸の酸化的除去能力の向上にも役立つことを示すものである。また、最大努力泳中の平均SLは、長期トレーニング後に有意に増加した。このSLの延長は、6ヵ月間のトレーニングがストローク技術の熟達を高めた可能性を示唆するものであり、技術の向上がトレーニング前に比べて水泳の効率を引き上げ、最大下レベルの泳速度での乳酸値の低下に寄与したという可能性も推察される。

 また、有酸素性レベルの水泳運動中、SRは泳速度の3乗(v3)と顕著な相関関係にあった。泳動作のプロペリング効率の向上やストローク技術の向上は、同スピード上においてSRの低下とSLの延長を導くことから、SRとv3の回帰直線の傾き(SlopeVO2-v3)を下げることになる。したがって、SlopeVO2・v3は技術の向上を評価する指標として利用できるものと考える。

 SLおよびSRの変化と泳速度の関係から、生理学的な指標が推定でき、加えて技術向上の評価も可能であることが判明した。これらは、トレーニング処方を考える上で、泳速度と泳距離のみを設定するのではなく、技術的要素と体力的要素を結び付けた効率の高いトレーニングを実施するためにはSLとSRも加える必要性があることを示唆するものであり、注目に値する。

第3章水泳の持久力の評価とその指導への応用

 MonodとScherrer(1965)は、局部筋運動中での各仕事率における最大仕事量とその時の持続時間との間に直線の関係があることを発見し、その直線の傾きをcritical power(Pcri)と定義した。それは、理論的に疲労することなく運動の継続が可能な最大レベルの運動強度を意味する。そこで、Pcriの概念がcritical swimming velocity(Vcri)として、水泳に応用されることができるか、またそれが持久的な運動能力を示す指標として有効であるか検討を行った。Vcriは、理論的に疲労せずに泳ぎ続けることのできる最大レベルの泳速度であると定義した。

 Vcriを決定するために、被検者に一定の水泳の運動負荷を与えることのできる回流水槽を用いた。被検者に6段階の各一定の流速において、疲労困憊に至るまで泳ぎ続けるように指導し、各泳速度での持続時間を測定した。その結果、泳距離(Dlim)とその持続時間(Tlim)は、全被検者において相関係数0.999以上となり、0.1%水準で有意な相関関係にあることが判明した。これは、水泳競技にPcriの概念を応用することが可能であるということを示唆している。

 回流水槽は、大変高価な実験機材であり、指導者や選手が日常的に使用できるものではないため、一般プールでのVcriの概念が応用できるか検討を行った。被検者に対し、最大努力をもって50m,100m,200mおよび400mの距離を泳ぐことを指示し、それぞれの距離の泳時間を計時した。その結果、泳距離と泳時間の関係は、全被検者においてほぼ直線の関係を示した。よって、Vcriは、回流水槽だけでなく一般プールにおいても泳距離、泳速度および時間の関係から決定されることが判明した。

 加えて、Vcriと最大乳酸定常レベルの運動強度との関係について検討した。各被検者は、Vcriの98%、100%、そして102%の3段階の泳速度(V98%cri,V100%cri,V102%cri)において、1600m泳を行った。V98%criでは血中乳酸濃度は有意な低下を、V102%criでは有意な増加を示した。V100%criでは、平均血中乳酸濃度はほぼ定常レベルを示した。これらは、Vcriが最大乳酸定常レベルを維持する最大泳速度とほぼ等しい関係にあることを示し、その泳速度では乳酸の産生と除去および利用による動的な平衡状態が保持されているものと考える。

 また、VcriおよびOBLAレベル以上での泳速度において、水泳中の各主動筋群の筋疲労動態を表面筋電図を用いて評価した。200m最大努力泳に相当する速度(V200)において、橈側手根屈筋と三角筋では、等尺性筋収縮時での筋放電様相に近い現象が認められ、限定された局部筋の疲労を招く可能性を示唆するものと考える。100m最大速度(V100)において、橈側手根屈筋と三角筋の筋電図積分値は顕著な低下傾向を示し、筋の等尺性随意最大張力での筋疲労時における運動単位の活動様式に類似しており、筋興奮電位の伝達減損に起因しているものと推察する。

 実際のトレーニング現場では、選手の持久力を測定・評価することは、トレーニング効果の確認やトレーニング処方の作成などに重要な役目をなす。生理学的に意義のあるパラメーターとしてのcritical swimming velocityは、高価な実験機材を必要とせず、非観血的に、また簡便的に決定することができ、実際のトレーニング現場に役立てられることができるものと考える。

第4章総括

 これまでの体育学・スポーツ科学における研究の積み重ねは、運動能力・競技力の評価に関する研究方法の大いなる発展をもたらした。しかしながらそれらを用いて得られた結果は、教育・指導に十分活かされてはおらず、運動能力・競技力の発達や向上に役立つ橋渡し的な研究が、必ずしも充実しているとは言いがたい。客観的評価によって得られた科学的データがそのままのかたちで教育やトレーニングの現場にフィードバックされたのであれば、教育者や指導者にあまり理解されることなく、それが誤った方向に教育・指導を導く可能性も生まれてくる。今後は、体育学・スポーツ科学に携わる研究者には、常に現場から的確な情報を収集し理解した上で、科学的データが教育・指導に応用されるための研究が求められるものと考える。

審査要旨

 本論文は、水泳の競技力の細部にわたった評価法を確立し、より合理的な水泳指導に利用することを目的としたものである。

 その第一歩として、数台のビデオカメラを設置し、全日本水泳選手権大会における競泳の全レースを連続的にビデオテープに記録し、選手それぞれのパフォーマンスを分析した。分析された結果は直ちに選手、コーチに通知され、その後のレースあるいはトレーニングに役立たせることを意図した。このような実際の競技会での詳細かつ迅速なレース分析は、他のスポーツ競技種目では部分的に行われているに過ぎず、スポーツ科学の分野においては画期的な試みであるといえる。

 このようにして得られた結果は、横断的にみれば競技成績の高位にある選手の方が、1回の腕のかきで進む距離が長いこと、日本の代表選手が世界の一流選手に劣るのはスタートとターンの所要時間が長いことなどを明らかにした。そして、数年にわたって同一選手のレースを分析した縦断的な結果は、1回の腕のかきで進む距離が延びた選手、1回の腕のかきに要する時間が短縮した選手、スタートやターンに要する時間が短縮した選手、など個人の特徴を指摘している。

 さらに、1回の腕のかきで進む距離の重要性を、酸素摂取水準と血中乳酸濃度という観点から検討を加え、トレーニングにともなって1回の腕のかきで進む距離が延び水泳速度が向上したにも関わらず、400m水泳後の血中乳酸濃度が低下することを認めた。これは、トレーニングが水泳中に活動する筋肉の酸化能力の向上をもたらすだけでなく、生成された乳酸の除去能力の向上ももたらしたか、あるいは、水泳動作の効率が改善し酸素消費量が減少したからだと推論している。

 そして、回流水槽を用いて泳ぐ速度と泳ぎ続けられる時間との間に有意な双曲線関係があることを確かめた上で、容易に利用できる通常のプールで泳ぐ距離と所要時間との間に直線関係があることを明らかにした。この関係から、疲労することなく泳ぎ続けられる臨界速度を求める方法を提案している。そして、この速度で1600mを泳ぐときは血中乳酸濃度は一定に保たれ、2%速い場合は上昇し、2%遅い場合は減少することを証明した。この臨界速度はトレーニングプログラム作成上、運動強度を決定する上で有力な基準となるものである。

 以上述べたように、本論文は水泳の競技力向上に直接役立つ科学的資料を呈示することを目的として、実際のレースを分析し、その結果を基盤に実験を積み重ね、新しい知見を報告している。これまで、体育学・スポーツ科学の研究成果は、必ずしも体育やコーチングに直ちに応用され得るものではなかった。本論文は、研究と現場との橋渡し的な研究のあり方を実証したものであり、体育科学に大きく貢献することが期待され、博士(教育学)に十分価するものと判断された。

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