アジアを中心とした開発途上国では巨大都市の成長が環境にさまざまな深刻なインパクトをもたらしている。特に下水処理施設が不十分なことに起因する水質の汚濁は飲料水の汚染を通じて健康被害を引き起こすなど、きわめて深刻な問題となっている。基本的な対策は下水処理施設などの整備であるが、実効性の高い政策を立案し、効果的に実施するために必要な情報、特に水質汚濁情報が不足している点も非常に重要である。水質データの収集は(開発途上国政府にとって)大きな費用を必要とし、十分な数の水質データが収集されない大きな要因になっている。また、広大な河川空間を対象とした場合、限られた数のサンプルではその代表性がきわめて限られる。そのため、水質分布の状況を地図のようなわかりやすい形で示すことは非常に困難であった。同様の問題点は水質汚濁の拡散分析に不可欠な河川の流況情報にもあてはまる。こうした制約を緩和し、政策決定に資する水質情報を迅速に収集する方法として衛星からのリモートセンシング画像の利用が考えられる。リモートセンシング画像を利用した水質の推定に関する研究は少なくない。しかし、これまで開発途上国の巨大都市域における大河川を対象として行われた研究はほとんどなく、特に時系列の衛星画像を駆使して都市域の経年的な拡大や水質汚濁の進展との関連を明らかにし、さらに将来の汚染状況や政策に関する示唆を得ようとした研究は少ない。また、こうした研究は今後アジアを中心とした開発途上国で巨大都市が急速に成長することを考えると、巨大都市圏周辺における水質汚濁のモニタリング手法の開発には大きな意義があると考えられる。 本論文「リモートセンシングデータを用いたチャオプラヤ川における水質評価に関する研究」は6章からなっている。 第1章「序章」は序論であり、バンコク周辺のチャオプラヤ川流域における水質汚濁問題を整理し、研究の必要性と目的を述べている。また、関連する研究について整理している。 第2章「研究の手順」は研究の方法論及び手順を述べている。すなわち、衛星画像データの幾何補正、大気補正などの処理、水質データとの相関分析の方法、水質状況の将来予測のための手法などである。 第3章「研究対象地域」は実際に利用される現地観測データに関する記述であり、対象地域(チャオプラヤ川のバンコク市周辺区域)におけるスペクトル情報や水質情報の地上検証データについて、サンプリングの方法や計測方法などを整理している。 第4章「衛星データの処理方法」は衛星画像データと上記データの前処理方法について記載している。 第5章「衛星データと水質データの分析・評価」はデータの分析結果を述べている。すなわち、補正された衛星画像データと水質データとの相関分析を行い、チャオプラヤ川の汚染状況を面的に明らかにしている。さらに、時系列画像を利用することで、バンコクにおける都市域の経年的な拡大状況を明らかにし、水質データとの関連を分析している。そこで得られた知見から将来のチャオプラヤ川の水質汚染状況に関する試算を行っている。 第6章「結論と今後の課題」は、上記の成果をまとめるとともに、水質汚濁の進行状況や分布状況データから得られるチャオプラヤ川の水質改善方策に関する示唆を整理している。 論文の成果は、衛星画像からの水質汚濁の面的なモニタリング手法の開発途上国における有効性を実証した点にある。すなわち、ランドサットTM画像からSS(Suspended Solid Particle:浮遊微粒子)濃度値の分布推定マップを作成し、さらに時系列に分布図を比較することで、恒常的に水質汚濁が深刻な箇所を抽出することができた。そうした箇所は、いくつかの大規模工場・事業場からの排水口付近やバンコク市内からの排水路がチャオプラヤ川に流入する箇所であり、こうした大規模施設などでの汚水処理の改善が今後の水質改善の有効な方策となり得ることが明らかになった。 また、SS濃度と他の水質項目(鉛など)の相関関係も比較的高い(相関係数:0.7から0.9)ことが示され、リモートセンシングデータから得られるSS濃度値分布からその他の水質項目についても概略推定できる可能性が示された。 さらに以上のような知見をもとに、バンコク市周辺のチャオプラヤ川流域における水質汚濁対策として以下のような方策を提言している。 1)衛星画像データを利用した水質モニタリングシステムの構築 水質汚濁の悪化する乾期の衛星画像を利用して、水質の大まかな分布を迅速に把握できる水質モニタリングシステムを構築する。その際GISを利用して測定点ごとに得られる水質測定データと重ね合わせることにより衛星画像からの推計値のキャリブレーションを行う。同時に衛星画像より市街化の進展状況も把握し、汚濁負荷の発生量分布の変化として利用する。 2)大規模工場などでの汚水処理の推進と運河での汚水処理システムの実施 水質汚染マップからは特定の施設の排水口や市街地からの排水路(運河)周辺で特に深刻な汚濁が観測されている。したがってこうした大規模施設での汚水処理の高度化を推進することと、運河に集められた汚水の運河内での処理システムを実現することが有効であると考えられる。 開発途上国における巨大都市地域周辺のように汚濁が非常に進んでいるにもかかわらず、かつ必要な情報を収集し、対策を立案・実施するためのリソースが限られている場合には、衛星画像から効率的に得られる面的、かつ時系列的な水質汚濁分布データが対策立案に際してきわめて有効な情報となり得ることが実証された。 このように本論文は都市環境工学の進展に対して大きな寄与をしていると考えられ、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |