学位論文要旨



No 213264
著者(漢字) 岸田,省吾
著者(英字)
著者(カナ) キシダ,ショウゴ
標題(和) 東京大学本郷キャンパスの形成と変容に関する研究
標題(洋)
報告番号 213264
報告番号 乙13264
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13264号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 香山,壽夫
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨 1背景と目的

 大学はおよそ900年にわたり持続してきた社会制度である。その空間も長い歴史の中で形成され、変容を遂げ、独自の特徴を作り上げてきた。大学の空間は変化を許容し、成長を遂げながら同時に一定の特質を失うことなく持続する環境である。大学空間のこうした持続的な特徴を理解するには、時間をかけた形成の過程を見ることが必要である。本論は、東京大学本郷キャンパスと主要な欧米の大学を取り上げ、その形成と変容の過程を通し現れる空間編成の特徴を明らかにしようとするものである。具体的には、1)東京大学本郷キャンパスの形成と変容の過程を規定してきた空間の編成形式を明らかにする、2)対照例として欧米の7大学の形成と変容の過程を規定した空間の編成形式を明らかにする、3)両者を比較し、本郷キャンパスの変容の特徴を明らかにする、4)近代大学特有の空間形成と変容を規定するものとして、上記1)、2)の考察の過程で明らかになる編成形式-宮殿形式が果たした役割を明らかにする、5)上記1)の前提として、本郷キャンパスの形成過程を明らかにする、という以上五点を目的とする。

2方法

 大学空間の特徴は、オープンスペースの形態に最もよく現れる。大学は成員の共同性に基づいた組織であり、オープンスペースは大学の共同性に対応する空間である。本論においても大学空間におけるオープンスペースに注目し、その変容の過程を分析する。オープンスペースとは特化した用途を持たない公共的な空間のことであり、ここでは主に人間が使用し、知覚し得る範囲の外部空間に限る。

 オープンスペースは、空間形態と特性を持つ。特性は表、裏、庭園的、都市的などその場の全般的な性格であり、オープンスペースの境界を形成する「物」のあり方を通して現れる。オープンスペースを規定する要素として、全体配置の形式、周辺環境と地形、建物のスタイル、建築型、道路と植栽、アクセスパターン、建物の機能などの諸特徴を整理しておく。

 編成形式は、オープンスペースのまとまりを関係づけ、さらにそれらと大学外部との関係を規定する。編成形式によって編成領域が形成される。大学の空間では、統合と分節の関係にある様々なスケールの編成領域が階層的な体系を作っている。

 分析は以下のような三段階で進められる。第一に、分析対象とした期間の中に変化の諸段階を区別する。そのおのおのにつきオープンスペースの基本単位とその編成形式を抜き出す。第二に、その期間を通して上記の編成形式に繰り返し現れる特徴を判断し、一定の編成形式に整理する。第三に、大学空間の代表的な編成形式の一つである宮殿形式を仮説的に導入し、分析対象に見た編成形式と比較することにより、宮殿形式が適用される形態の違いとして変容の特徴を明らかにする。

3三つの編成形式

 歴史的に見ると、大学空間の代表的な編成形式として、クワドラングル、宮殿形式、キャンパスという三つの形式が存在する。クワドラングルは矩形の中庭を建物が囲む形式のことであり、構内全体は境界を区切られた複数の独立的なオープンスペースが接合されできあがっている。

 宮殿形式はベルリン大学を大学における原型とする。その特徴をまとめると、構内全体領域の一体性、都市と自然という二領域性、軸による統合性、前庭の囲繞性と都市性、一貫性のある建築形態などである。宮殿形式には単純化、断片化、拡大などの変形を受けた変形形態が見られる。本郷キャンパスでも見ることになる「大形式」、「T字形式」は複合的な変形形態である。キャンパスは田園的なオープンスペースが構内に連続的に広がり、一体のオープンスペースをなす形式を言う。なお本郷キャンパスは通称を用いただけであり、ここで言うキャンパスには当たらない。

4本郷キャンパスの形成過程

 本郷キャンパスの形成過程は、草創期、明治期、内田期、高度成長期、作家期の5つに区分できる。草創期(M10年〜M27年)には、自律的な諸領域が広大なオープンスペースの中に散開してゆく。正門地区では大前庭が形成される。明治期(M28年頃〜T12年)は明治36、7年を境に前半と後半に分けられる。前半には裏の拡大があるものの、正門地区の一体性は失われない。後半は大学の急激な成長と共に施設の拡大が続き、広場と街路網、街区が形成され、膨大な裏の領域が集積されてゆく。内田期(T12年〜S30年代)は正門地区の計画に着手した震災前に始まる。震災後は震災前の編成システムに則り、一挙に全体計画が立てられ、骨格となる主要なオープンスペースが優先して作られてゆく。

 大学の組織面から見ると、草創期は専門学校の連合体として出発した東大に、漸次一つの大学としての自覚が生じた時期であった。明治期には近代的な大学としての整備が進み、専門を異にする分科大学の割拠性が強まっていった。内田期には再び総合大学としての統合化が図られる。

5本郷キャンパスの分析

 分析は、本郷キャンパスの空間的な骨格が形成された草創期から内田期までの三つの時期について行う。結果、本郷キャンパスの形成・変容の過程は、仮説的に導入した宮殿形式とその変形形態によって規定されていること、また、宮殿形式の適用形態と大学組織の変化を比較し、宮殿形式が大学の組織形態に対応し変化してきたことが明らかとなる。図はこうした宮殿形式に規定された本郷キャンパスの変容モデルである。

 三つの時期は宮殿形式の三つの適用形態によって規定されてきたことがわかる。草創期には宮殿形式の変形形態である「大形式」に従って建物が配置された。曖昧さは残るものの、宮殿形式の原型的な適用である。明治期は、前半、正門地区の「大形式」を維持する宮殿形式の原型的な適用が見られたが、開発の進む後半は「小宮殿」を機械的に繰り返す反復的な適用形態に変化する。末期には宮殿形式を大学内部に向かって開く「T字形式」の萌芽が見られる。内田期には宮殿形式の変形形態であるこの「T字形式」を基本に、部分から全体に至るまで宮殿形式で編成する体系的な適用形態に規定されることになる。

 宮殿形式の適用形態は、空間編成と大学組織との齟齬を調整する必要が高まった時に変化した。草創期から明治期に見た宮殿形式の明確化は大学組織の一体性の自覚と対応する。明治期の半ばに見られた反復的な適用への変化も、分科大学の専門分化に対応していた。そして明治期末から内田期にかけての体系的適用への変化は総合大学への転換に一致する。

図表
6対照例の分析

 本郷キャンパスの対照例として欧米の枢要な大学を選び、自然科学系の諸施設が展開した地区の同時期の変容を分析する。選択された大学・地区はベルリン大、ボローニャ大ヴィオラ地区、ケンブリッジ大ダウニング地区、ソルボンヌ大、ローマ大、テキサス大オースチン、ハーバード大ホルムズ地区の7例で、参考にベルリン工大、ストラスブール大、ボローニャ大獣医学、マドリード大を加える。

 分析の結果、ハーバード大を除き対照例のいずれにおいても、変容が宮殿形式に規定されていることが明らかになった。そこで見られた宮殿形式の適用は、A)原型的、B)反復的、C)体系的の三つにまとめられる。

 大学組織から見ると19世紀後半から20世紀前半にかけてのこの時期は、大学の近代化が進み、さらにその変容が見られた時期である。大学の近代化は旧弊の打破、広範な専門的職業教育への対応と大学の市民化、近代科学の導入として現れた。その結果、第一に、科学研究の導入は専門分野ごとの深刻な分化を招いた。それに対し大学の一体性を回復しようとする様々の試みがなされた。第二に、大学の市民化、科学研究の高度化は大学と社会・国家との距離を縮めた。反面、大学の近代化の理念に含まれていた大学の自律性と対立することになる。

 スケールの比較では、参考例を含めると、A,B,Cの適用形態は地区面積の拡大に対応していることがわかる。オープンスペースのスケールについてはBに小さいものが多い。長さや巾にはCで見る程度の限度(長さ230m前後幅70m前後)があると思われる。

7本郷キャンパスの変容に見る特徴

 本郷キャンパスと対照例の適用形態を比較した結果、両者は基本的に同一のものであることが明らかとなる。従って、東大本郷キャンパスの変容の過程は、大学としての原初的な一体性が規模の拡大や専門分化により失われ、再び総合性、一体性を回復しようとした欧米の近代大学の変容の過程と平行するものであった。こうした過程は、大学における共同性のための空間を大学内部に向かって展開してゆき、同時にそれを外部に連続させてゆくことに他ならない。

 対照例の欧米大学では個別に展開した適用形態が、東大では同一の敷地で展開した。そのため、前時代に形成されつつあった空間の編成が次の時代でも意識され、宮殿形式が規定する空間の変容が限界まで押し進められた。内田期に見た街区型建築と体系的な軸による編成としてその具体的な形が結実する。本郷キャンパスには1世紀に及ぶその変容が辿った時間が凝縮されている。

 最後に、近代大学と宮殿形式の関係を見る。近代大学はその変容を通し、急速な成長、変化への対応、専門分化に対する一体性の回復、社会=外部世界とのつながりの重視、都市空間の形成、などの空間に関する条件を示した。宮殿形式は、こうした条件に応えるものであった。それは庭園という形で空間の展開が可能な空地を備えていた。また、その前庭は建物で囲まれ、大学内部の中心、一体性を具体化する空間となりえた。同時にこの前庭は、都市空間に直結し、開かれていた。そして、都市に開く壮麗な形態によって、都市空間を形成する大学にふさわしい形式であった。

審査要旨

 本研究は、変化を許容し、成長を遂げながら同時に一定の特質を失うことなく持続する環境の例として、東京大学本郷キャンパスを取り上げ、その形成と変容の過程を通し現れる空間編成の特徴を明らかにしたものである。大学についての建築意匠的あるいは建築史的研究はいくつかあるが、本研究はこのような視点対象設定において先ず第一に評価される。

 本研究は、大学空間の特徴が最もよくあらわれるものとして、オープンスペースの形態に着目して分析する方法をとっている。オープンスペースとは特化した用途を持たない公共的な空間のことである。分析は第1に、分析対象とした期間の中に変化の諸段階を区別し、そのおのおのにつきその基本単位と編成形式を取り出し、続いてその期間を通して上記の編成形式に繰り返し現れる編成形式を整理し、その上で大学空間の代表的な編成形式の一つである宮殿形式という概念を仮説的に導入して、その変容の特徴を明らかにしている。

 本論文は6章よりなる。第1章で、研究の背景,目的、対象,方法が述べられた後、第2章では、大学の三つの空間類型が論ぜられる。すなわち、クワドラングル、宮殿形式、キャンパスという三つの形式である。クワドラングルは矩形の中庭を建物が囲む形式のことであり、構内全体は境界を区切られた複数の独立的なオープンスペースが接合されできがっている。宮殿形式は、構内全体領域の一体性、都市と自然という二領域性、軸による統合性、前庭の囲繞性と都市性、一貫性のある建築形態といった特徴を持つ。キャンパスは田園的なオープンスペースが構内に連続的に広がり、一体のオープンスペースをなす形式を言う。

 第3章では、本郷キャンパスの形成過程が資料に基づいて詳細に論ぜられる。ここで本郷キャンパスの形成過程は、草創期、明治期、内田期、高度成長期、作家期の5つに区分されている。草創期(M10年〜M27年)には、自律的な諸領域が広大なオープンスペースの中に散開してゆく時期で、正門地区では大前庭が形成される。明治期(M28年頃〜T12年)は明治36.7年を境に前半と後半に分けられ、前半には裏の拡大があるものの、正門地区の一体性は失われないが、後半は大学の急激な成長と共に施設の拡大が続き、広場と街路網、街区が形成され、膨大な裏の領域が集積されてゆく時期である。内田期(T12年〜S30年代)は正門地区の計画に着手した震災前に始まる。震災後は震災前の編成システムに則り、一挙に全体計画が立てられ、骨格となる主要なオープンスペースが優先して作られてゆく時期である。

 第4章では本郷キャンパスの分析として、本郷キャンパスの空間的な骨格が形成された草創期から内田期までの三つの時期について論ぜられる。そして、本郷キャンパスの形成・変容の過程は、仮説的に導入した宮殿形式とその変形形態によって規定されていること、また、宮殿形式の適用形態と大学組織の変化を比較し、宮殿形式が大学の組織形態に対応し変化してきたことが明らかにされる。

 第5章では、対照例の分析として、欧米の枢要な大学を選び、自然科学系の諸施設が展開した地区の同時期の変容が分析される。選択された大学・地区はベルリン大、ボローニャ大ヴィオラ地区、ケンブリッジ大ダウニング地区、ソルボンヌ大、ローマ大、テキサス大オースチン、ハーバード大ホルムズ地区の7例で、その他参考としてベルリン工大、ストラスプール大、ボローニャ大獣医学、マドリード大の4例である。分析の結果、ハーバード大を除き対照例のいずれにおいても、変容が宮殿形式に規定されていることが明らかにされている。

 第6章は、本郷キャンパスの変容に見る特徴について論ずる章で、本郷キャンパスと対照例の適用形態を比較した結果、両者は基本的に同一のものであることが明らかにされる。従って、東大本郷キャンパスの変容の過程は、大学としての原初的な一体性が規模の拡大や専門分化により失われ、再び総合性、一体性を回復しようとした欧米の近代大学の変容の過程と平行するものであった。こうした過程は、大学における共同性のための空間を大学内部に向かって展開してゆき、同時にそれを外部に連続させてゆくことに他ならない。対照例の欧米大学では個別に展開した適用形態が、東大では同一の敷地で展開した。そのため、前時代に形成されつつあった空間の編成が次の時代でも意識され、宮殿形式が規定する空間の変容が限界まで押し進められていることが明らかにされる。

 最後に近代大学と宮殿形式の関係が明らかにされる。すなわち近代大学はその変容を通し、急速な成長、変化への対応、専門分化に対する一体性の回復、社会=外部世界とのつながりの重視、都市空間の形成、などの空間に関する条件を示したものであって、宮殿形式は、こうした条件に応えるものであったこと、そして又それは、庭園という形で空間の展開が可能な空地を備えており、またその前庭は建物で囲まれ、大学内部の中心、一体性を具体化する空間となりえたと共に、この前庭は、都市空間に直結し、開かれており、その都市に開く壮麗な形態によって、都市空間を形成する大学にふさわしい形式であったことが説明される。

 以上のように本論文は、東京大学本郷キャンパスの生成について、資料を詳細に検討し、その成立過程を明らかにしたすぐれた研究であると共に、近代の大学と、その空間の対応について新たな視点を与えた新しい意匠学的研究である。

 よって本研究は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51036