本論文はインド西部に存在する石窟寺院を研究の対象とするものである。 インドの石窟寺院に関する既往の研究のほとんどはアーケオロジー的性格が強かった。近年、石窟寺院の形態的側面に着目する研究も出て来てはいるが、それらの特徴として、柱頭などの形態要素を石窟寺院の造営年代を特定するための手段としていることが挙げられる。石窟寺院における空間形態と物体形態を全体形として捉え、その生成から終焉までを貫く形態展開の論理を追求したものはなかった。 本論文は石窟寺院の建築形態に注目し、その生成から終焉に至る過程において、石窟寺院に独自の建築形態の展開を見出したものである。 * 第1章においては、インドの石窟寺院に関する既往の文献を整理した。 第2章においては、石窟寺院がどのようなものとして受け止められているかを大辞典および学術用語辞典においてみた。学術用語辞典においてもなお、不精確かつ不十分な記述が多くみられることを指摘し、石窟寺院に関する認識の水準が現在においても十分とはいえないことが認められた。 第3章においては、石窟寺院の存在する場所とその環境について整理し考察を加えた。そこでは、地形のもつ意味が石窟寺院のあり方と深く関わっていることが認められた。 第4章においては、石窟という建築としては特異な方法について考察した。その造営のプロセスおよび力の流れ方が構築的方法による建築と著しい対照をなすことを指摘した。また、石窟という方法においては、物体と空間の相互に否定しつつ相互に依存する関係がきわめて直接的であることを指摘した。 第5章においては、仏教チャイティア窟の形態生成のプロセスをKondivte、Bhajaなどの作例から推定した。 第6章においては、石窟寺院の形態と木造建築の関係をBhaja第12・13・19窟、Bedsa、Karle、Nasik第18窟、Ajanta第9・10窟などの初期仏教窟の諸例において具体的にみた。 第7章においては、ストゥーパ/チャイティアに関する諸説を総括したうえで、野外におけるストゥーパ/チャイティアと石窟寺院の中にあるストゥーパ/チャイティアの異同を比較検討した。石窟寺院の中に削り出されたストゥーパ/チャイティアには内部空間の構成により入口から奥へ向かう強い軸性が付与され、回転性は弱まり、それは静的な礼拝対象に変わったことをBhaja、Bedsa、Karle、Nasik第18窟、Kanheri第3窟、Ajanta第10・19・26窟の諸例において指摘した。 第8章においては、仏教チャイティア窟のファサードにおける著しい造形上の特徴として、同一モティーフの縮小と拡大-すなわち形態相互の相似ないし類似-が挙げられることを第6章に基づいて述べた。またその内部においてはストゥーパ/チャイティアとチャイティア窟の内部空間の断面形に類似の関係が見出せることを指摘し、それを実体的に跡づけるものとして、ストゥーパ/チャイティアの<増広>という行為があることを示した。 第9章においては、仏教ヴィハーラ窟の内部空間について考察している。Bhaja、Ajanta第12窟、Nasik第3・10・20窟など、その初期の諸例においては中央の広間は無柱の空間であったが、Ajanta第1・2・6・7・11・16・17窟、Aurangabad第3窟など、後期の諸例においては正方形の平面をもつ広間に正方形パターンに配された柱群が現われる。広間における柱の出現は、従来、構造的な役割において説明されることもあったが、特殊な場合を除き一般にはそれは事実と異なることを指摘した。そして二重の正方形という平面構成の中にマンダラの思考法を見出した。 第10章以降においては、石窟寺院における内部と外部の問題を中心に追っている。それは終章において提示された次の図式によって要約される。 (1)石窟寺院におけるファサードの荘厳-閉ざされた内部空間の外部(外界)への意識。 (2)-aヴェスティビュール(前室)あるいはヴェランダの出現-内部と外部の中間領域の形成。 (2)-bファサード前面における前庭の形成-外部空間の把捉の開始。 (2)-cヴェランダに対するポーティコの付加-ヴェランダから外部への突出。 (2)-d前庭における台座の出現-内部と外部を結ぶ軸線の明確化。 (3)-a正面壁の消失-閉ざされていた内部空間の開放。 (3)-b十字形の空間構造の形成-2軸直交による内部と外部の緊密な組織化。 (4)-a壁により閉じられた前庭の出現-明確な形態をもつ外部空間の把捉。 (4)-b前庭の中央に削り出された独立の建築形態-石窟寺院における外部形態(外形)の出現。 (5)外部形態の自立-外部形態の優位と内部空間の虚弱化。 第10章においては、上記図式における段階(1)から段階(4)までを初期仏教窟(Bedsa、Karle、Ajanta第9窟、Nasik第3・10・20窟)および後期仏教窟(Ajanta第1・7・11・19・26窟、Aurangabad第1窟、Ellora第10窟)、初期ヒンドゥー教窟(Ellora第21窟)、最後期仏教窟(Ellora第11・12窟)そして後期ヒンドゥー教窟(Ellora第15窟)の諸例において具体的にみた。 第11章においては、Elephanta主窟を論じている。この窟は十字形平面をもつ初期のヒンドゥー教窟であるが、同様の平面構成をもつEllora第29窟と比較しつつ、直交する2軸のあり方およびその意味を具体的に分析した。 第12章においては、Ellora第16窟(Kailasa寺院)の形態構成を分析し、その出現-上記図式の段階(5)に該当-は、第10章および第11章にみた石窟寺院の形態展開の延長上にあると位置づけた。 第13章においては、従来、Kailasa寺院は石窟寺院の展開において突然変異的に単に石造による構築寺院の形態を導入した結果とのみ位置づけられていたが、それは石窟寺院の建築形態の展開における必然的な帰結とみなされることを示した。 * 以上の分析に基づき、一面のファサードと内部空間-段階(1)-から始まった石窟寺院が中間の三段階-段階(2)(3)(4)-を経て最終的に外部形態の自立-段階(5)-に至り、実質的に石窟寺院としての終焉を迎えたこと、そしてその建築形態の展開の全過程には(i)内部志向から外部志向へ(ii)空間形態から物体形態へという相互に関連する方向性が作用していたことが明らかになった。 |