近年の生理学的研究の進展に伴なって、周期振動やカオスといった非線形現象と脳の情報処理との関係が重要な研究テーマとなってきている。このような脳の情報処理上の非線形メカニズムを明らかにするためには、脳を高次元の非線形力学系として捉え、力学系の手法を用いて解析することが重要である。他方で、非線形力学系研究は最近大きく進んできているが、その工学的応用については研究すべき課題が多く残されている。本論文は、このような背景のもとで、二つの主題を扱っている。第一部(第2章から第4章)では、カオス素子からなる大域結合ネットワークモデルを提案し、その情報処理、特に連想記憶の応用に関して述べている。第二部(第5章から第9章)は、全結合型リカレントニューラルネットワークモデルの組合わせ最適化問題への工学的応用について、非線形力学系の分岐現象を中心に考察し、さらにその考察を踏まえて、新しいモデルの提案を行なっている。本論文は、"Nonlinear dynamical systems for information processing"(和文題目「非線形力学系による情報処理」)と題し、10章よりなる。 第1章は序論で、第一部への序論については、脳を非線形力学系として捉える本研究の背景と研究現状をまとめている。また第二部への序論については、非線形力学系を用いた最適化手法についての研究現状をまとめ、また第二部で用いる平均場近似モデルの理論的導出を行なっている。 第2章は"GCM model for information processing"と題する。大域結合写像モデル(GCM)とは、カオス素子が大域的結合によって相互作用するネットワークモデルである。本章では、対称な3次関数の非線形写像を基本素子とする大域結合写像モデルS-GCMを提案している。また提案モデルの基本的性質を調べ、その性質が3、4章において情報処理への応用について論じる際に、如何に関わるかについて論じている。 第3章は"Information-processing applications of S-GCM"と題し、第2章で提案されたモデルS-GCMの連想記憶への応用について論じている。S-GCMにおいて、ユニットごとにカオスの強さに関わるパラメータを制御することによって連想記憶が実現でき、またその性能は従来のHopfieldモデルよりも優れていることを実験的に示している。また、基本モデルが柔軟性に富むため、部分連想記憶や階層連想記憶といった新しい連想記憶に応用できることを示している。 第4章は"Parametrically coupled chaotic elements"と題し、望ましくない安定平衡点を除去し、結果として第3章で提案されたモデルよりも優れた連想記憶能力を示す修正モデルを提案している。また、従来の非単調素子を用いた連想記憶モデルとの比較を行い、それよりも大きな記憶容量を持つ理由について考察を行なっている。 第5章は"Bifurcations in mean-field-theory annealing"と題し、最適化問題に応用されたBoltzmannマシンの平均場近似モデル(連続Hopfieldモデルと等価になる)において、アニーリングの際に生じる解の分岐現象について理論的に考察している。その結果、問題のもつ対称性に応じた対称性破壊分岐が起きることを示している。例えば、巡回セールスマン問題の場合は、回転対称性破壊分岐および反転対称性破壊分岐が起きることが示される。 第6章は"Bifurcations and optimization problems"と題し、第5章での理論的考察を用いて、実際に平均場近似モデルを用いて最適化問題を解く際のアルゴリズム上の性質、およびその性質を踏まえたアルゴリズムの改良に関して論じている。 第7章は"Chaotic Potts spin"と題し、従来のポッツスピンモデルを差分化することによってカオス的挙動を示すモデルの提案を行なっている。また、カオス的挙動を時間とともに制御するカオスアニーリングを組合わせたモデルについても論じている。提案されたモデルによる解は、従来強力とされてきたポッツ平均場近似アニーリングモデルよりも大幅に良いことを巡回セールスマン問題を例として実験的に確認している。 第8章は"Doubly constrained network"と題し、Lagrange法に基づき、ポッツスピンモデルよりもさらに解空間を小さくするモデルについて論じている。本モデルによる解もポッツ平均場近似アニーリングモデルよりも大幅に良いことが実験的に確認されている。 第9章は"Applications to quadratic assignment problems"と題し、第二部で論じてきた非線形力学系を、巡回セールスマン問題よりも実質的に難しいとされる二次割り当て問題に適用し、その工学的有効性を検証している。 第10章は結論であり、以上の研究成果をまとめている。 以上を要するに、本論文はまず非線形力学系を連想記憶や組み合わせ最適化などの情報処理に適用する際に問題となる基本的性質について考察すると共に、これらの応用の工学的有効性を確認したものである。これは数理工学上貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |