学位論文要旨



No 213301
著者(漢字) 山本,定博
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,サダヒロ
標題(和) 黒ボク土腐植を特徴付ける新しい判定指標に関する研究
標題(洋)
報告番号 213301
報告番号 乙13301
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13301号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨 研究の背景及び目的

 火山国であるわが国には火山噴出物を母材とする土壌(火山灰土壌)が,国土の約1/6を占める面積で分布している.それらの多くは表層に厚い黒色A層を持ち,「黒くてボクボクしている」という形態的・物理的な特性から「黒ボク土」という名称で分類されている.黒ボク土の最大の特徴は多量の腐植が集積した厚い腐植層を有することと,黒色味の非常に強い(=腐植化度の高い)腐植酸を主体としていることである.しかし,火山灰土壌は母材,生成環境,また土壌としての発達程度が多様であり,すべてが黒ボク土としての特徴を備えているわけではない.わが国の黒ボク土の分類には腐植層の色と厚さが識別基準に適用されていたが,その判定は腐植含量のみでは困難である.黒ボク土に含まれる黒色化の著しい腐植酸は,他の土壌の腐植にはみられない非常に特異な化学的特性を有し,熊田によって「A型腐植酸」として分類され,黒ボク土を特徴付ける有力な識別基準となることが示されている.すなわち,黒ボク土を明確に特徴付けるためには腐植酸の質的評価が極めて重要である.

 また近年,火山灰土壌の特異性,重要性が世界的に認識され,諸外国で火山灰土壌の研究が進んだ結果,わが国の黒ボク土は湿潤温帯下の火山灰土壌の中でかなり特殊な存在であることが明らかになった.海外の火山灰土壌はA層が薄くその黒色味も弱く,A型腐植酸を含まず,黒ボク土としての特徴を示さない土壌が大勢を占め,火山灰土壌の鉱物学的特性を重視した諸外国の土壌分類法では,これらの土壌と黒ボク土とを区別して分類できないという問題が顕在化してきた.

 黒ボク土分類上の問題点は,腐植の特性(A型腐植酸を含むか否か)を評価すれば容易に解決できる.土壌分類のための分析法には簡便性が求められるが,既存の腐植形態分析法は土壌分類へ適用するには分析操作があまりにも煩雑であった.大羽・本名は既存の分析法を改良し,水酸化ナトリウム(以下NaOH)加熱抽出腐植溶液の光学性で黒ボク土腐植を判定する簡易な方法を提唱した.黒ボク土判定におけるこの方法の有効性は認められたが,加熱抽出法は分析のルーチン化を妨げることが指摘された.また,NaOH加熱抽出法は腐植を大きく変性させることが危惧されていた.

 本研究は,黒ボク土の分類にかかる腐植分析法の問題点(煩雑な操作,腐植の熱変性)を受け,日本の黒ボク土の腐植の特異性を国際的な対比の中で実態に即して正当に評価・分類できるようにする判別基準を提示することを目的としておこなった.本研究の手法には大きく2点の特徴がある.1点目は,これまでわが国で広く適用されてきたNaOH加熱抽出法(100℃,30分間)に代わり腐植をより穏やかに抽出するNaOH室温振とう抽出(室温抽出:30℃,1時間振とう)を適用したこと,2点目は,分析操作を簡便化するために抽出腐植を細かく分画せず,溶液全体としての光学特性を評価したことである.

 検討内容を要約すると次のとおりである.

 1.NaOH室温抽出腐植の特性ならびに抽出腐植全体の光学性を評価することの意義.

 2.NaOH室温抽出法によるA型腐植酸の簡易かつ明瞭な判定法.

 3.NaOH室温抽出腐植の光学性,特にColor Density(CD)による黒ボク土腐植の特性評価.

結果の概要

 (1)黒ボク土の抽出腐植溶液を,最も黒く評価できる室温抽出条件を検討し,次のように決定した.抽出温度=30℃,抽出時間=1時間,NaOH濃度=0.5%.

 (2)熱NaOHは,腐植酸の紫外部に吸収を持つ成分(可視光に対して無色な成分;FT-IR,1H-NMRスペクトルから糖残基と推定)を分解・離脱させ,その結果,腐植酸中の可視領域の吸収に寄与する構造の密度が上昇し,腐植酸の黒色度を強めた.この影響はA型腐植酸よりも腐植化度の低いB型,P型,Rp型腐植酸で顕著であった.

 NaOHで室温抽出された腐植は芳香族成分,カルボキシル基に富む黒色度の強いものであったが,室温抽出残さから加熱抽出された腐植(逐次加熱抽出腐植:加熱してはじめて抽出された腐植)は脂肪族成分(長い脂肪族直鎖)に富む黒色度の弱い腐植であり,加熱の有無によってNaOHへ溶解する腐植の特性が大きく異なっていた.この二つの腐植量の和は加熱抽出腐植量とほぼ一致した.加熱抽出腐植と室温抽出腐植の特性の差異は室温抽出腐植の熱変性の程度と逐次加熱抽出腐植の特性によって説明された.黒ボク土では逐次加熱抽出腐植の付加よる黒色度低下の影響が大きく現れ,加熱抽出腐植の方が黒色度が弱く評価された.他の土壌では熱変性による黒色度上昇の影響が大きく現れ,加熱抽出の方が黒色度がやや強く評価された.室温抽出法では加熱に伴うこれらの影響がないため,腐植の黒色度を土壌の実態にあわせて評価できた.

 (3)火山灰土壌ではNaOHの腐植抽出特性に腐植と結合している非晶質無機成分の形態が大きく影響し,アロフェンが少ない土壌ほど室温抽出腐植量が多かった.土壌へのカルシウム添加しによって腐植,非晶質無機成分に及んだ影響から,NaOHで室温抽出される腐植は,カルボキシル基に富む腐植化度の高い画分であり,そのカルボキシル基にヒドロキシAlイオンが結合している形態(すなわちAl-腐植複合体)であると推定された.一方,抽出に加熱を要する腐植は非晶質粘土(アロフェン等)と結合した形態と考えられ,NaOHは抽出温度条件によって非晶質成分の溶解特性が異なることが示唆された.

 (4)NaOH室温抽出腐植溶液全体の光学性をCD(抽出腐植の原液換算した600nm吸光係数),ElogK{log(400nm吸光度÷600nm吸光度)}で評価することによって腐植の特性を総合的に特徴付けられることが明らかになった.CDは腐植溶液中の腐植酸の量的,質的特性を反映し,腐植抽出割合,抽出腐植中の腐植酸の割合(PQ),腐植酸の光学性(RF)によって定量的に説明され,腐植が多量に抽出され,その抽出腐植中に占める腐植酸割合が高いほど,そしてその腐植酸の黒色度が強いほど高い値を示した.つまり,CDは腐植溶液の黒味の濃さを定量的に評価した指標であり,腐植酸の光吸収と抽出特性に関連した化学的特性と腐植抽出特性に関連した非晶質無機成分との結合状態が総合的に反映されていた.ElogKは腐植酸の光吸収に関与する構造的な特性に加えて腐植組成(フルボ酸と腐植酸の量比)も反映していており,土壌種間の腐植の差異をより明瞭に表すことができた.

 (5)A型腐植酸を含む腐植はCD≧2かつElogK<0.650の条件で明瞭に判別され,黒ボク土はこの判定基準によって他の土壌と明瞭に区別された.CD,ElogKは抽出腐植溶液を適度に希釈して測定した吸光度から求めるため,従来の方法よりもはるかに簡便であり,再現性にもすぐれ,高い熟練性を要さない.そのため1日30点程度(従来法の5倍以上の分析効率)の分析が可能である.CDは黒ボク土腐植の判定指標に限定されず,黒ボク土のA型腐植酸の多様性とともに,腐植の種々の特性を腐植集積環境としての土壌の特性とも関連付けて総合的に評価できた.

 CDと黒ボク土腐植の諸性質との関係を詳細に検討し,CD2以上のA型腐植酸を含む黒ボク土腐植を次のように特性の類似したA1〜A5の5つのグループに区分した.A1(CD2以上4未満:低腐植抽出率,低腐植化度),A2(CD4以上6未満:低腐植抽出率,中腐植化度),A3(CD6以上8未満:中腐植抽出率,中腐植化度),A4(CD8以上11未満:中腐植抽出率,高腐植化度),A5(CD11以上:高腐植抽出率,高腐植化度).A1→A5の順に,脂肪族成分が減少し芳香族成分が増加する腐植酸の構造的変化が認められた.A1の試料は腐植が少なく,A2→A5の順に腐植含量が増加した.A4は埋没腐植層で特徴付けられた.A1→A5の順にアロフェンが少ない非晶質A1組成に変化し,A1のほとんどはアロフェン質黒ボク土,A5はすべて非アロフェン質黒ボク土として特徴づけられた.

 (6)CDには試料の秤取,抽出溶液の希釈に厳密性が求められ,A型腐植酸判定のみの目的で使用するには多少の煩雑さがある.そこで,より簡易にA型腐植酸を判定する方法を検討し,Melanic index(MI=450nm吸光度÷520nm吸光度)を提唱した.MIはCD,ElogKのように腐植の黒色度を直接評価するものではなく,Pg(緑色腐植酸)特有の光学特性を利用してA型とその他の型の腐植酸を区別する指標である.MIによってA型腐植酸を含む腐植は MI<1.70の条件でほぼ100%判定できた.二波長の比であるMIは,試料の秤取量,溶液の希釈に厳密性が求められないため,分析効率(1日100点以上の試料の分析が可能),結果の再現性に非常に優れる.MIは黒ボク土の黒色腐植層に相当するMelanic表層を特徴付ける指標として1990年にUSDAのSoil Taxonomyに採用された.これは腐植の特性が土壌分類に正式に適用された最初の事例である.

 MIとPg index(PI=610nm吸光度÷600nm吸光度)を組み合わせて判定すると,A型以外の腐植酸型も推定でき,黒ボク土以外の土壌の腐植の特徴付けにも適用できる可能性が示唆された(A型:PI≦0.98かつMI<1.70,B型あるいはPo型:PI≦0.98かつ1.70≦MI<2.00,P++〜P+++型:PI>0.98,P±型あるいはRp(2)型:0.92<PI≦0.98かつMI≧2.00,Rp(2)型:PI<0.92かつMI≧2.00).

 以上,本研究で提唱したNaOH室温振とう抽出腐植全体の光学性を評価する手法によって,A型腐植酸を明瞭かつ簡易に判別し,腐植の特性面から黒ボク土を判定する指標を提示することができた.さらに,CDによって黒ボク土腐植の諸特性を総合的に評価し,その特性の多様性を明らかにすることができた.本研究の成果は,黒ボク土分類上のこれまでの問題を解決し,わが国のみならず世界の火山灰土壌分類に対して大きく貢献した.

審査要旨

 火山噴出物を母材とする土壌(火山灰土壌)は世界の各地に点在しているが、火山国であるわが国においては国土の約1/6を占める重要な土壌種である。火山灰土壌の表層は厚い黒色A層を有し、その形態的・物理的特性から従来「黒ボク土」という名称で分類されてきた。黒ボク土の最大の特徴は多量の腐植が集積した厚い腐植層を有することと、黒色味の非常に強い(腐植化度の高い)腐植酸を主体とし、他の土壌には見られない特異な化学的特性を有する「A型腐植酸」で構成されていることである。しかし、世界の火山灰土壌はそのすべてが黒ボク土としての特徴を備えているわけではなく、火山灰土壌の鉱物学的特性を重視してきた諸外国の土壌分類法では、黒ボク土としての特徴を示さない火山灰土壌と黒ボク土は区別して分類されていないという問題が顕在化してきた。本論文は黒ボク土の分類に係る腐植分析法の従来の問題点であった煩雑な操作と加熱による腐植の熱変性がもたらす問題を解決し、わが国の黒ボク土の腐植の特異性を国際的に対比する際、実態に即した判別基準を提示することを目的に行った研究をまとめたもので、序論と要約を含め10章よりなる。論文は1.NaOH室温抽出腐植の特性および抽出腐植酸全体の光学活性を評価することの意義、2.NaOH室温抽出法によるA型腐植酸の簡易かつ明瞭な判定法、3.NaOH室温抽出腐植の光学性、とくにColor Density(CD)による黒ボク土腐植の特性評価、4.Melanic Index(MI)によるA型腐植酸の新しい判定基準法の提案の4つの主要な検討課題から構成されている。まず。1.では黒ボク土の抽出腐植溶液を、もっとも黒く安定に測定できる室温抽出条件として、抽出温度=30℃、抽出時間=1時間、NaOH濃度=0.5%と決定した。ついで、従来の加熱NaOH抽出で起こる問題、すなわち、腐植化度の低いB型、P型、Rp型腐植酸でも黒色度の強い溶液が抽出される原因が加熱によって腐植酸の紫外部に吸収をもつ成分が分解・離脱し、腐植酸中の可視領域の吸収に寄与する構造の密度を上昇させることにあることをFT-IR、1H-NMRおよび13C-NMRを用いて明らかにした。一方、NaOH室温抽出腐植は芳香族成分、カルボキシル基に富む黒色度の強いものが安定的に抽出され、加熱抽出に見られるような影響が認められないため、腐植の黒色度を土壌の実態に合わせて評価できた。2.では、腐植と結合している非晶質無機成分を検討した。まず、室温抽出腐植量はアロフェンが少ない土壌ほど多い事実を見い出した。ついで、土壌にカルシウムを添加すると、その影響が腐植、非晶質無機成分に及んだことから、NaOH室温抽出腐植はカルボキシル基に富む腐植化度の高い画分であり、そのカルボキシル基にヒドロキシアルミニウムイオンが結合している形態(アルミニウム-腐植複合体)であると推定した。一方、抽出に加熱を要する腐植は非晶質粘土と結合した形態が抽出され、その量は抽出温度によって著しく異なることから、非晶質成分の溶解が加熱温度に敏感であり、加熱抽出では安定した量と形態は得られ難いことを明らかにした。3.では、NaOH室温抽出腐植溶液全体の光学性をCD(抽出腐植を原液換算した600nm吸光係数)、ElogK{log(400nm吸光度÷600nm吸光度}で評価することによって、腐植の特性を総合的に特徴づけることを明らかにした。すなわち、CDは腐植抽出割合、抽出腐植中の腐植酸の割合(PQ)、腐植酸の光学性(RF)によって定量的に説明され、その抽出腐植中に占める腐植酸割合が高いほど、そしてその腐植酸の黒色度が強いほど高い値を示した。また、ElogKは腐植酸の光吸収に関与する構造的な特性に加えて腐植組成も反映しており、土壌種間の腐植の差異をより明瞭に表すことができた。この方法により、A型腐植酸を含む腐植はCD≧2かつElogK<0.65の条件で明瞭に判別され、黒ボク土はこの判定基準により他の土壌と明瞭に区別された。本法は抽出腐植溶液を適度に希釈して測定される吸光度から求めるというきわめて簡便な方法であるため、従来法に比べ約6倍の分析効率を与えた。4.では3.の分析方法をさらに改良し、より簡便にA型腐植酸を判定する方法として、Melanic Index(MI=450nm吸光度÷520nm吸光度)を提唱している。MIはPg(緑色腐植酸)特有の光学特性を利用して、その他の型の腐植酸と区別する指標である。MIによってA型腐植酸を含む腐植はMI<1.70の条件でほぼ100%判定できた。この判定基準は1990年にUSDAのsoil Taxonomyに採用された。これは腐植の特性が土壌分類に正式に採用された最初の事例である。

 以上本論文は黒ボク土のA型腐植酸の特性を明らかにし、明確な判定指標を提示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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