学位論文要旨



No 213307
著者(漢字) 橋本,啓
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ケイ
標題(和) 腸管の物質透過性を調節する食品由来因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 213307
報告番号 乙13307
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13307号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 腸管での物質の取り込みに際し、水溶性低分子などにおいては、細胞間経路による取り込みが重要になると推定される。この細胞間経路の物質透過性はタイトジャンクション(TJ)と呼ばれる細胞間結合により制御されているが、その制御機構はあまり明らかとなっていない。腸管のTJ透過性は栄養素の能動的な取り込みに際して上昇することが見出され、また、経静脈栄養による腸管機能の低下が報告されるなど、腸管において食品由来因子が何らかの調節機能を果たしているものと考えられる。食品学の研究においては、アッセイ系の進歩に伴い、食品中から見出される生体調節機能(三次機能)を持った因子は増加の一途をたどってきたが、これまでにTJ機能を調節する食品成分についての研究はほとんどなされていない。そこで、本研究では、腸管上皮由来培養細胞株Caco-2を用いたシンプルな実験系を用い、食品成分がTJの物質透過性に及ぼす影響を解析することとした。

 まず、第1章において、Caco-2の増殖・機能分化特性を他の研究報告例と比較検討した。その結果、本研究に用いたCaco-2は他の株と比較し、増殖がはやく、また、刷子縁膜酵素活性、栄養素輸送活性などの分化機能が速やかに発現することが示された。更に、TJにおける物質透過性は電気生理学的な手法を用いて経上皮電気抵抗(TEER)を測定することにより評価できることが、透過性マーカーを用いた実験により確認された。

 次に、新たな実験系構築のための基礎情報を得るために、無血清培養したCaco-2(Caco-2-SF)の増殖・機能分化特性を調べ、Caco-2と比較検討した。その結果、Caco-2-SFはCaco-2とほぼ同様に増殖し、また、刷子縁膜酵素や栄養素輸送担体を発現していたが、そのTJは十分に機能していない不安定なものであることが示された。さらに、FCSの添加によってこのTJが安定化されることを見出した。

シシトウ中に含まれるTJ調節性因子の単離・同定とその作用機作の解析

 第2章では、各種食品の抽出物がCaco-2のTJの物質透過性に及ぼす影響を、それらの処理によるTEER値の変化を調べることにより検討した。68種の野菜・果物についてスクリーニングをした結果、シシトウ抽出物によりTEERが速やかに低下することを認めた。このTEER低下活性は、細胞毒性によるものではなく、また、細胞の形態的変化や剥離などが認められなかったことから、TJにおける物質透過性の上昇によるものと考えられた。そこでシシトウ抽出物を、透析、イオン交換クロマトグラフィー、C18逆相短カラム、ゲルろ過クロマトグラフィー、C18逆相HPLCにより分離して、活性画分を精製し、NMRとFABMSによりその活性物質の構造決定を行った。その結果、活性成分はジテルペングリコシドであるcapsianoside A〜Fと同定された。

 capsianosideは、粘膜側に添加すると急速にTEERを低下させ、Lucifer Yellowなどの低分子量マーカーの透過性を上昇させた。一方で、高分子量のマーカーの透過性には大きな変化が認められなかった。また、その活性は可逆的であり、培地から取り除くことによりTEERは回復した。

 Ca2+キレート剤はTJの物質透過性を上昇することが報告されており、一方、capsianoside Fにも弱いキレート能が認められた。しかし、培地にCa2+を添加しても、capsianosideの活性に変化はなく、この活性は単なるキレート作用によるものではないと考えられた。

 capsianoside A〜Fの活性間には差が認められ、Fが最も活性が強く、Cには有意な活性が認められなかった。そこでその細胞への取り込みを比較したところ、FはCの4倍以上取り込まれていた。各capsianosideの示す界面活性とその活性には相関が認められ、capsianosideの示す界面活性は細胞への取り込みに寄与しているものと考えられた。その立体構造を比較すると、capsianoside FはCと比べ、よりコンパクトな形を取っているものと推測された。また、capsianoside Fをアルカリ加水分解することにより得られる2種の単量体にはTEER低下活性は認められなかった。

 ホスフォリパーゼCの阻害剤であるcompound48/80、プロテインキナーゼC(PKC)阻害剤であるH-7、カルモジュリンアンタゴニストであるW-7を用いた解析では、このTEER低下活性への細胞内情報伝達系の関与は見出されなかった。一方で、短時間の処理ではPKCの活性化が報告されている12-O-tetradecanoyl-phorbol-13-acetateで前処理することによりcapsianoside Fの活性が抑制されたことから、活性へのPKCの関与が示唆された。

 また、capsianosideの透過性上昇作用への細胞骨格の関与を検討した。ローダミン標識したファロイジンにより細胞のアクチンフィラメントを染色するとcapsianoside処理によるフィラメントの変形が観察された。また、capsianoside処理によるF-アクチン量の増加、及び、G-アクチン量の減少も認められた。これらのアクチンフィラメントの変化がTJへ伝達されその透過性を上昇させているものと推測されたが、capsianosideが如何にしてアクチンフィラメントの形態を変化させているのかは明らかとすることができなかった。

 以上の結果から、capsianosideは細胞に取り込まれ、その細胞骨格構造に影響することにより、TJを介した物質透過性を上昇していると考えられた。capsianosideはピーマンを含めたトウガラシ類など、我々が日常的に摂取している食品に含まれており、食品中に見出されている様々な生理機能を持つ水溶性低分子などの腸管における吸収を促進するものと期待される。

食品タンパク質、ペプチドによるTJ安定化の機構解析

 無血清培養したCaco-2(Caco-2-SF)ではTJが不安定だが、FCSの添加によってそれが安定化されるという知見に基づき、第3章では、Caco-2-SFのTJを安定化するような食品成分を検索した。TJ安定化の指標として次式により定義されるSI値を用いた。

 

 まず、牛乳・鶏卵中に含まれるタンパク質のTJ安定化活性を検討した。その結果、-ラクトグロブリン、ウシ血清アルブミン(BSA)、-ラクトアルブミン、s1-カゼイン、-カゼイン(-CN)で細胞層を処理することにより有意にSI値が上昇した。また、卵白中の主要タンパク質であるオボアルブミン、リゾチームや、親水性高分子であるデキストランにはTJ安定化活性は認められなかった。そこで、FCSにも共通に含まれている成分であるBSAについてその活性の特性を検討した。

 透過性マーカーを用いた実験から、BSA処理によりCaco-2-SFのTJが安定化され、そのバリアー能が維持されることが示唆された。BSAの活性は濃度依存的に上昇し10Mで最大となり、また、15分以内にその活性が発現されていた。

 更に、BSAには、トリプシン処理した後でも有意な活性が残っていたが、引き続きペプシンにより処理した試料では、その活性は消失していた。従って、ある特性を持ったペプチドが活性を発現しているものと考えられた。そこで、各種食品タンパク質についてその分解ペプチドを調製しアッセイを行った。その結果、その強さに違いはあるものの、多くのペプチドにおいて活性が認められた。そこで、本研究では、活性が強く、また、限定分解によって生じるペプチドの解析が容易であると予想された-CNのトリプシン分解物を取り上げ検討を進めた。-CN分解物の活性発現は1分以内という極めて短時間の内に認められた。C18の逆相短カラムにより分離された画分の活性を検討した結果、30〜50%アセトニトリルにより溶出される画分に特に強い活性が認められた。また、細胞の低濃度のサイトカラシンD処理によりその活性は顕著に抑制され、活性にアクチンフィラメントが関与していることが示唆された。しかし、特定の活性ペプチドは見出すことができず、活性には特定のアミノ酸配列といった厳密な特性ではなく、もっと特異性の低い性質(酸性・塩基性アミノ酸含量、正味の陰電荷量、あるいは疎水性など)が重要であると考えられた。

まとめ

 (1)腸管上皮細胞Caco-2、あるいはその無血清培養株Caco-2-SFを用い、食品成分がTJの透過性に及ぼす影響を検討するためのアッセイ系を構築した。

 (2)シシトウ抽出物によりTJの物質透過性が上昇することを見出し、その活性成分をcapsianoside A〜Fと同定した。capsianoside Fに最も強い活性が認められた。capsianosideは細胞に取り込まれ、細胞骨格構造に影響を与えることによりTJの物質透過性を亢進しているものと考えられた。

 (3)各種タンパク質、ペプチドにより、Caco-2-SFの不安定なTJが安定化することを見出した。その活性には、ペプチドの、酸性・塩基性アミノ酸含量や、正味の陰電荷量、あるいは疎水性などが影響を及ぼすものと考えられた。

 本研究により、腸管における物質透過性が食品成分により直接に制御されている可能性が考えられるようになってきた。本研究で得られた成果は、将来的には、機能性因子の吸収を促進したり、感染症やアレルギーなどによりTJの機能が低下した腸管においてそのバリアー能を強化するといったような機能を持つ食品の開発に資するものと考えている。

審査要旨

 腸管上皮における水溶性低分子などの細胞間拡散輸送はタイトジャンクション(TJ)と呼ばれる細胞間結合によって制御されている。本研究は、ヒト腸管上皮由来培養細胞株Caco-2を用いてTJにおける物質透過性を解析し、食品成分が腸管上皮細胞におけるTJの機能を制御し得ることを示したもので、緒論および3章からなっている。

 緒論では、まず、様々な生体調節機能を持った食品由来因子の発見にもかかわらず腸管の機能をモジュレートするような因子があまり見出されていない現状に触れている。次に、腸管の機能としてTJによる物質透過性制御作用を取り上げ、それに関する従来の知見についてまとめている。その上で、本研究において腸管上皮細胞層のモデルとしてCaco-2の単層培養系を用いることの利点を述べている。

 第1章では、Caco-2の増殖・機能分化特性を他の研究報告例と比較検討した。その結果、本研究で用いたCaco-2は、他の株と比較して増殖が速く、また、刷子縁膜酵素活性、栄養素輸送活性など小腸の吸収細胞に見られる各種機能が速やかに発現することを示した。更に、TJにおける物質透過性が経上皮電気抵抗(TEER)を測定することにより評価できることを確認した。

 次に、新たな実験系構築のための基礎的情報を得るために、無血清条件下で培養したCaco-2(Caco-2-SF)の増殖・機能分化特性を調べ、Caco-2と比較検討した。その結果、Caco-2-SFはCaco-2とほぼ同様の増殖性を示し、また、刷子縁膜酵素や栄養素輸送担体を発現しているが、そのTJは十分に機能していない不安定なものであることを明らかにした。さらに、牛胎児血清(FCS)の添加によってこのTJが安定化されることを見出した。

 第2章では、TJにおける物質透過性に及ぼす各種食品抽出物の影響を、それらで処理したCaco-2細胞層のTEER値の変化を調べることにより検討している。68種類の野菜・果物についてスクリーニングを行った結果、シシトウの抽出物中にTEER値を速やかに低下させる成分が存在することを認めた。単離された活性成分は、NMR、FABMSによる構造解析の結果、ジテルペングリコシドであるcapsianoside A〜Fと同定された。capsianosideは、細胞層の粘膜側に添加すると急速にTEERを低下させ、Lucifer Yellowなどの低分子量マーカーの透過性を上昇させた。一方で、高分子量マーカーの透過性には大きな変化が認められなかった。また、その活性は可逆的であり、培地から取り除くことによりTEER値は回復した。

 capsianoside A〜Fの活性間には差が認められ、Fが最も活性が強く、Cには有意な活性が認められなかった。そこで細胞へのその取り込み量を比較したところ、よりコンパクトな立体構造を持つと考えられるFはCの4倍以上の取り込み量を示した。細胞に取り込まれたcapsianosideはアクチンフィラメントの構造を変化させ、その結果TJの状態を変化させるものと推定された。また、その作用過程へのプロテインキナーゼCの関与も示唆された。

 第3章においては、無血清培養したCaco-2(Caco-2-SF)ではTJが不安定だが、FCSの添加によってそれが安定化されるという第1章の知見に基づき、Caco-2-SFのTJを安定化するような食品成分を検索している。その結果、-ラクトグロプリン、ウシ血清アルブミン、-ラクトアルブミン、s1-カゼイン、-カゼインなどのタンパク質で細胞層を処理することによりTJが安定化すること、これらのタンパク質のトリプシン分解物(特に疎水性のペプチド画分)もTJ安定化活性を有することを示し、また、その作用発現にアクチンフィラメントが関与していることを明らかにした。更に、ペプチドが示すTJ安定化活性は、特定のアミノ酸配列に依存するものではなく、ペプチドの疎水性、酸性・塩基性アミノ酸含量、正味の陰電荷量などの構造的要因が重要であることを示した。

 以上要するに本論文は、ヒト腸管由来細胞Caco-2およびCaco-2-SFを用いてTJ透過性を制御する因子検索のための新しいアッセイ系を構築し、これを用いて腸管上皮細胞層の細胞間透過性をモジュレートする食品因子を探索するとともに、その作用機構について検討を加えたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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