学位論文要旨



No 213308
著者(漢字) 山本,洋司
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヨウジ
標題(和) 安定同位体比法による地下水及び河川水の窒素汚染に関する研究
標題(洋)
報告番号 213308
報告番号 乙13308
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13308号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨

 近年、人間活動の影響に伴う窒素化合物による地下水及び河川水の水質汚染が問題になっている。これまでの研究では窒素化合物による水質汚染、特に硝酸態窒素汚染に対する、浄化技術や有効な対策の確立のための窒素の汚染源を特定する研究は必ずしも十分とは言えない状況にある。しかし近年における質量分析計の発達は窒素安定同位体比(15N)測定法を用いて、地下水及び河川水等の窒素汚染源の推定を行うことを可能にした。

 本研究の目的は、自然環境における窒素の動態の調査研究に有効な手段と見られる15Nの測定により、土壌から地下水及び河川水等への窒素の移行過程を研究しようとしたものである。

 本研究の実験地として、地下水については、サトウキビ栽培が主農作物で、化学肥料による地下水汚染が深刻な沖縄県宮古島を選んだ。河川水については、東京近郊を流れる都市河川で、都市と農業が混在している人間活動の活発な地域で、都民にも親しまれている多摩川水系を選んだ。

1.宮古島の地下水の窒素汚染について

 沖縄県宮古島の地下水について、各種溶存イオン濃度及び硝酸態窒素中の15N値を測定し、窒素汚染源や汚染機構についての知見を得ようと試みた。

 1)宮古島の地下水について硝酸態窒素濃度と15N値により、その汚染源を推定した。宮古島の地形、農業形態、集落の存在を考慮して、代表的な10地点を選定し、地下水を毎月一回採水した。(1)地下水の硝酸態窒素濃度は、1992年6月から1993年2月までの平均で1.4〜11.5mgL-115N値は平均で+4.3〜+6.7‰であった。(2)調査地点での地下水は、硝酸態窒素濃度と15N値の分布より5群に分類された。地下水の硝酸態窒素の起源が「堆厩肥等畜産廃棄物」、「屎尿等生活排水」、「化学肥料」及び「土壌有機物」に由来する複合的寄与であることを推定した。(3)サトウキビ用の化学肥料中の窒素の15N値は、-3.9〜-1.4‰の値を示した。(4)化学肥料の硝化過程において、一部はアンモニアとして揮散する可能性のあることを指摘した。

 2)宮古島東南部の断層で仕切られた地下水流域内の地下水を測定した。流域内の地理、地下水の流れ及び地上の土地利用形態と状況等を調査し、地下水に及ぼす硝酸態窒素の起源の推定を試みた。(1)地下水の硝酸態窒素濃度は地上部の土地利用形態を良く反映し、サトウキビ畑へ施肥されている化学肥料の影響により、硝酸態窒素濃度は4.7〜7.6mgL-1であり、人畜廃棄物や工場廃棄物の影響が推定される地点では8.8〜9.8mgL-1を示した。(2)15N値はサトウキビ畑から溶脱する硝酸態窒素が量的に優越する地域では、15N値は+2.6〜+5.3‰であり、人家の存在、家畜の飼育条件等と密接に関係していることが推定された。(3)15N値が+5.8〜+9.0‰を示した地点の地下水は、サトウキビ畑へ施肥した化学肥料等の農業に由来する硝酸態窒素に加えて、密集集落、工場等の有機性廃棄物の土壌処理に由来する硝酸態窒素の影響が大きかった。(4)15N値が最高値の+9.0‰を示した地点の地下水については、明らかに牛豚等の家畜多頭飼育の影響が認められた。

2.多摩川水系の窒素汚染について

 15N法を用いて、多摩川水系の河川水等の窒素汚染源を明らかにし、多摩川の窒素汚染源の浄化と除去対策の確立を目指した。

 1)多摩川本流は、1994年4月に源流近くの沢水から日原川下流の5地点、1994年8月に都発電所から是政橋までの10地点及び1994年12月に、多摩川原橋から中下流の丸子橋までの8地点の合計23地点で採水調査した。(1)源流近くの沢水は0.02mgL-1程度であるが、上流部では水道水源の奥多摩湖に至る間に、0.10〜0.35mgL-1に増加した。15N値も+1.05〜+1.14‰に微増したが、東京都の水道水源林になっていることから、水質は良好に保たれていた。(2)中流部では、硝酸態窒素濃度は0.44〜1.61mgL-1を示した。15N値は、大部分が+5.2〜+9.2‰を示し、家庭排水、浄化槽排水等の影響を推定した。(3)下流部でも流入する支流の窒素汚染度は大きく、硝酸態窒素濃度は3.42〜6.64mgL-115N値は+10.1〜+12.7‰の高い値を示した。(4)多摩川本流は奥多摩湖や、平井川の合流以前の多摩川橋までは、比較的窒素汚染が少なく、水質は良好であった。しかし、玉川取水堰より下流では、水質は徐々に浄化槽処理排水、下水処理排水の影響を強く反映し、硝酸態窒素濃度は7mgL-1程度で東京湾へ流入している。

 2)日原川は多摩川の支流中で人為的汚染の最も少ない河川の一つと考えられる。1995年10月に上流から下流の氷川までの7地点8カ所で採水調査した。日原川上流部では、森林の有機物分解によると考えられる窒素が低濃度ではあるが検出された。渓流水の硝酸態窒素は主に雨水に由来すると考えられ、日原川のような人為的汚染の少ない渓流水の15N値は-1〜+2‰程度の値を示していた。

 3)野川の採水は、湧水源である武蔵国分寺近くの「真姿の池」から「新多摩川大橋」までの15地点で湧水、河川水を採取し分析検討した。採水は1995年6月に行った。(1)野川は国分寺崖線の「はけ」からの湧水を主要な水源としているが、硝酸態窒素濃度は4.50〜6.48mgL-1で、15N値は+4.67〜+5.34‰であった。この流域が長年に渡り化学肥料等の影響を受けて集積してきた土壌表層の有機物の分解に由来する窒素であると推定される。(2)一部の湧水は硝酸態窒素濃度が高く15N値も高くなっていたが、家庭排水の影響ではないかと推定された。(3)野川はゆっくり流下するに従い、次第に河川自体の浄化作用や、脱窒作用により硝酸態窒素濃度を減少させた。(4)仙川下流の汚染は著しく、合流により野川の水質は悪化した。(5)「野川浄化施設」は「礫間接触浄化方式」の浄化施設で、脱窒作用等が起きていて、水質が改善されたことが認められた。

 4)仙川流域には、下流の勝渕神社周辺に豊富な湧水源がある。調査は1996年2月に採水可能な野川宿橋より下流の5カ所で行った。玉川用水は、喜平橋と欅橋の2カ所で採水した。(1)中流部は、硝酸態窒素濃度が7.30〜9.42mgL-1と高く、途中で三鷹市の下水処理排水が流入し、アンモニア態及び亜硝酸態窒素も検出された。(2)15N値の結果から、中流部へ供給されている「人工湧水」は家庭排水の浸透処理の影響を受けている湧水と推定され、下流部ではアンモニアの硝酸化成作用を伴いながら下水処理水由来の窒素が流下していた。(3)玉川用水は、下水処理水の性質をそのまま反映しており、流下中での脱窒作用による窒素浄化作用は10%程度の僅かな量であった。

 5)秋川・平井川流域は、1996年5月秋川源流近くの渓流の数馬から南北秋川及び秋留台地の湧水のうち二宮・八雲神社境内からの湧水を含めて、多摩川へ流入するまでの12カ所で採水調査した。平井川は、中流の鹿の湯橋から草花公園を経て、下流の多西橋までの4カ所で採水調査をした。(1)秋川は、アンモニア態・亜硝酸態窒素及びリン酸イオンは検出されなかった。硝酸態窒素濃度は源流近くから武蔵五日市駅近くの秋川渓谷では0.61〜1.19mgL-1であったが、市街地を流下するに従って微増した。(2)秋留台地の2カ所の湧水の硝酸態窒素濃度は9.28、8.98mgL-1と高い値を示し、この台地での人間活動の影響を窺わせた。(3)平井川もアンモニア態・亜硝酸態窒素及びリン酸イオンは検出されなかったが、この河川も秋留台地の影響を受けていることが明らかで、南小宮橋では近くにある草花公園からの排水が流入しているため硝酸態窒素濃度は10.3mgL-115N値は10.7‰と著しく高くなった。

 6)浅川は、1996年11月、源流近くの和田峠下の山水から北浅川の松枝橋、浅川の睦橋までと、その支流及び南浅川下流の水無瀬橋の12カ所で採水調査をした。(1)源流近くの山水から北浅川の佐戸橋までの山村地帯での硝酸態室素濃度は1.16〜1.52mgL-1で水質は良好であった。(2)民家が多くなった元木橋では2.23mgL-1と増加し、アンモニア態窒素も検出された。(3)山入川、小津川の両支流が合流した後の松枝橋下流では2.89mgL-1と増加し、他のイオンも増加した。(4)南浅川唯一の調査地点の水無瀬橋の硝酸態窒素濃度は49.3mgL-1、アンモニア態窒素濃度は72.6mgL-1であった。この南浅川は、1994年8月の多摩川本流の調査でも、浅川下流の高幡橋で硝酸態窒素濃度4.19mgL-115N値15.9‰の高い値を示し、多摩川本流の汚染に関与していることを指摘していた。(5)南浅川合流後の八王子市役所横の鶴巻橋下では亜硝酸態窒素も検出されたが、中下流の睦橋まで来ると、アンモニア態窒素濃度は減少した。

 以上記したように、本研究は窒素濃度と各種イオン濃度及び15N値を測定することにより、地下水、河川水等の窒素汚染機構を解明すると同時に、今までの研究では困難とされていた窒素汚染の起源について究明することを可能にした。これらの研究結果は、世界的に深刻な社会問題となっている、窒素による水質汚染の現状を正確に把握し、効果的な浄化及び除去対策を確立する上で有意義な知見を提供するものである。

審査要旨

 近年、地下水及び河川水の窒素汚染が問題になっている。本研究は、窒素安定同位体比法を用いて地下水及び河川水の窒素汚染の実態と汚染源を明らかにし、浄化技術や有効な対策の確立に役立てようとしたもので四章からなる。

 第一章では、試料水の15N値の測定法について述べている。

 第二章では沖縄県宮古島の地下水について、各種溶存イオン濃度、硝酸態窒素、その15N値を測定し、窒素汚染の状態や汚染源を明らかにしている。

 宮古島東南部の断層で仕切られた地域について、そこの地理、土地利用形態、地下水の流れとその硝酸態窒素濃度等を調べ、地下水の窒素汚染は土地利用形態を敏感に反映していることを示した。即ち、化学肥料を施用するサトウキビ畑の地下水は硝酸態窒素濃度は高く、15N値が低いこと、畜産廃棄物など有機物汚染の影響が推定される地点では硝酸態窒素濃度と15N値がともに高くなることを示した。実際、牛豚等の家畜多頭飼育をしている地点の地下水は15N値が最高値の+9.0‰となった。ついで、宮古島の地形や土地利用形態等を考慮して、10地点を選定し、9カ月間にわたり採取した地下水の硝酸態窒素濃度や15N値を測定した。その結果、これらの調査地点の地下水が硝酸態窒素濃度をX軸、15N値をY軸とした二次元グラフ上で5群に分類されることを示した。それぞれの地点の土地利用形態等を勘案すると各群の主要な汚染源として、堆厩肥等畜産廃棄物、屎尿等生活排水、化学肥料、土壌有機物があり、これらのいずれが主たる汚染源かで群別されることが推定された。

 第三章では多摩川水系の河川水の窒素汚染の状態と汚染源との関係を調査した。多摩川本流で23地点、多摩川支流の日原川で7地点、野川で15地点、仙川および玉川用水で計7地点、秋川および平井川で計16地点、浅川で12地点の河川水を採水し、硝酸態窒素濃度および15N値を測定した。その結果、多摩川本流の源流近くの硝酸態窒素濃度は0.02mgL-1程度であるが、上流部の水道水源の奥多摩湖に至る間に0.10〜0.35mgL-1に増加し、この過程で15N値も微増したが、全般に水質は良好に保たれていた。中流部では硝酸態窒素濃度は0.44〜1.61mgL-115N値は+5.2〜+9.2‰を示し、家庭排水、浄化槽排水混入の影響が認められた。下流部では流入する支流の窒素汚染が影響し、硝酸態窒素濃度、15N値ともにさらに高い値を示した。人為的汚染の最も少ない日原川上流の15N値は下流の値より高く、その理由として上流での森林からの有機物の混入が推定された。野川の水源である湧水の硝酸態窒素濃度と15N値は高く、湧水中の窒素には長年の農耕により土壌表層に集積した有機物の分解産物の浸透混入が推定された。野川の一部の湧水は硝酸態窒素濃度、15N値ともに高く、家庭排水の浸透混入が推定された。また、野川は、流下にともない硝酸態窒素濃度が減少し、15N値は増大したが、これは河川の自浄作用や脱窒作用によると思われた。仙川中流は、硝酸態窒素濃度が7.30〜9.42mgL-1と高く、下水処理排水由来と考えられるアンモニア態及び亜硝酸態窒素も検出された。15N値から、仙川中流部では家庭排水の浸透処理水の混入した湧水が流入していると推定され、下流部ではアンモニアの硝酸化成と下水処理水の混入が推定された。玉川用水は下水処理水と類似の15N値を示し、流下中に脱窒等の浄化はあまり生じていないと推定された。秋川および平井川の河川水は硝酸態窒素濃度、15N値とも高く、有機性廃棄物による汚染が推定された。浅川では源流付近は硝酸態窒素濃度は1.16〜1.52mgL-1で水質は良好であったが、民家の多い下流では硝酸態窒素濃度は2.23mgL-1と増加し、アンモニア態窒素も検出された。有機性廃棄物により高度に汚染された南浅川の硝酸態窒素濃度は49.3mgL-1、アンモニア態窒素濃度は72.6mgL-1であり、多摩川本流の汚染をさらに悪化していると思われた。

 以上、要するに、本研究は硝酸態窒素濃度と15N値の測定が水質の窒素汚染の状況把握と汚染源推定に資することを実際の河川水と地下水の調査から示したもので、水質の浄化法及び汚染対策を確立する上で有意義な知見を提供しており、学術上、応用上寄与するところ少なくない。よって、審査委員一同は本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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