学位論文要旨



No 213309
著者(漢字) 八村,敏志
著者(英字)
著者(カナ) ハチムラ,サトシ
標題(和) 抗原構造と経口免疫寛容に関する研究
標題(洋)
報告番号 213309
報告番号 乙13309
学位授与日 1997.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13309号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 タンパク質抗原の経口投与により、その抗原に対して全身免疫系の不応答が誘導されることが知られており、経口免疫寛容(oral tolerance;OT)と呼ばれている。OTは、生体において食品抗原等、消化管内に常在する抗原にに対し過剰な応答が誘導されないための免疫調節機構であると考えられている。OTは、食品アレルギーの抑制機構の一つと考えられ、さらに最近、アレルギーや自己免疫疾患の新しい予防・治療法としても期待されている。

 タンパク質抗原はT細胞・B細胞の抗原レセプターにより特異的に認識される。抗原上にはこれらのT・B細胞により認識されうる領域が存在し、抗原決定基と呼ばれる。OT誘導において経口摂取された抗原の抗原決定基がT・B細胞により認識されると考えられる。したがって、抗原の構造とOT誘導に深い関係があるはずである。しかしながら、抗原構造とOT誘導を検討した例はほとんどない。そこで、本研究では、牛乳中のタンパク質、この中でも特に主要アレルゲンでもあるs1-カゼイン、-ラクトグロブリンに注目し、抗原構造とOTの関係を解析した。

 まず、抗原の高次構造とOT誘導の関係について検討した。次に、抗原タンパク質由来ペプチドフラグメントによりOTが誘導されることを示した。最後に、抗原タンパク質上の特定の抗原決定基を認識するT・B細胞がOTを免れることを示した。

1.抗原タンパク質の高次構造とOTの誘導

 ウシホエータンパク質(WPI)およびWPIを90℃10分間加熱することにより熱処理したWPI(hWPI)を含む飼料をBALB/cマウスに経口摂取させ、OTを誘導を試みることにより抗原の構造変化とOT誘導の関係を検討した。まず、WPIを20%を含む飼料を調製し(WPI飼料)、これをマウスに一定期間自由摂取させた後、WPIで免疫し、WPIに対するT細胞増殖反応、血中の特異抗体産生量を測定し、対照群と比較した。その結果、7日間の投与で、WPIに対するT細胞増殖反応、抗体産生応答ともにほぼ完全に抑制され、OTが誘導されることが示された。また、同様にhWPI飼料を7日間投与することにより、hWPIに対するOTがT細胞応答、抗体産生応答いずれについても誘導されることが示された。これらの結果より高次構造を破壊された変性タンパク質によりOTが誘導されることが示唆された。そこでWPIの主要構成タンパク質の一つである-LGの構造変化とOTの関係を詳細に検討した。まずWPI、hWPI中の-LGの構造変化を抗-LGMcAbとの反応性を指標にして調べた。その結果、hWPI中の-LGは高次構造が変化していることが示された。次にWPI(未変性-LGを含む)、hWPI(変性-LGを含む)を経口投与した場合それぞれについて変性、未変性-LGに対するOTの誘導を調べた。その結果、WPI飼料摂取マウスにおいて抗-LG抗体、抗変性-LG抗体いずれの産生いずれも強く抑制され、一方、hWPI飼料摂取マウスにおいても抗-LG抗体、抗変性-LG抗体いずれの産生も抑制された。また、T細胞増殖反応についても、WPI、hWPI飼料いずれを摂取させた場合も、未変性-LG、変性-LG両方に対するOTが誘導された。本研究により未変性、変性-LGはOT誘導に関しほぼ完全に交差反応性を示し、-LGの高次構造の変化は、OTにほとんど影響しないことが示された。このことは抗原構造とOT誘導の解析から、OTの誘導においてはT細胞の抗原認識が重要であることを示している。

 一方で、WPI飼料摂取により誘導される抗体産生応答には、抗原の高次構造の変化が大きく影響した。BALB/cマウスにWPI飼料を45日以上経口摂取させた場合に血中に特異抗体産生が惹起された。これに対し、hWPI飼料を経口摂取させた場合全く抗体産生が認められなかった。すなわち、本研究ではタンパク質の熱変性により経口免疫原性は低下したのに対し、OT誘導能は低下しないことを初めて示した。食品アレルギーは、食品アレルゲンに対する過剰な、あるいは異常な免疫応答が原因と考えられ、OTはそのような反応の抑制機構と考えられる。これらの結果は、食品アレルゲンタンパク質の熱変性が予防的な観点からアレルゲン性低下に有効であることを示唆するものである。

2.ペプチドフラグメントによるOT誘導

 抗原タンパク質をタンパク質分解酵素で分解して生じたペプチドフラグメントによりOTが誘導されるかどうか検討した。ウシ全カゼイン(wCN)をトリプシンで分解し、このトリプシン分解CNによりOTが誘導できるかどうか検討した。トリプシン分解CN中の未分解CNはほとんど消失し、主に分子量6000以下のフラグメントにより構成されていた。このトリプシン分解CNを2%含む飼料を(2%CN飼料)をC3H/Heマウスに4週間摂取させ、wCNで免疫した。その結果、血中に産生された特異抗体量がコントロールの1/10以下となっており、トリプシン分解CNによりOTが誘導されたことが示された。またwCNに対するT細胞増殖応答も低下しており、T細胞レベルにおいてもOTが誘導されたことが示された。一方、トリプシン分解CNの特異抗体産生能は大きく低下していた。これらの結果は、ペプチドフラグメントを用いることにより、OTを誘導しつつ、特異抗体産生を抑制することが可能であることを示している。食品アレルゲンの酵素分解処理は、抗原性が低下することから低アレルゲン食品開発に利用されているが、これらの結果はその新たな根拠となる。

 次に、単一のフラグメントによりOTを誘導することを試みた。C3Hマウスにおいてs1・カゼイン(s1-CN)の最も優勢な抗原決定基を含む合成ぺプチドf91-110及び中程度の増殖応答を誘起する抗原決定基を含むペプチドf151-170についてOT誘導能を検討した。f91-110、f151-170それぞれを0.5molずつ4回経口投与後、s1-CN/CFAで免疫し、リンパ節細胞のs1-CNに対する増殖反応を測定した。その結果、f91-110を経口投与すると、f91-110に対するリンパ節細胞の増殖反応が大きく低下し、OTが誘導されることが示された。さらにs1-CN全体に対するリンパ節細胞の増殖応答が50-70%減少し、s1-CN全体に対する寛容誘導能力があることが明らかとなった。一方、f151-170の投与ではs1-CNに対するOTの誘導は認められなかった。T細胞抗原決定基によってOT誘導能が異なることが示され、優勢なT細胞抗原決定基が有効であることが示唆された。

 OTはアレルギー自己免疫疾患の予防・治療法として期待される。これらの結果より、OTを効果的に誘導する部位のみをペプチドとして投与すれば、安全かつ効果的に免疫寛容を誘導できる可能性が示された。

3.OTの抗原決定基特異性-OTを免れるT・B細胞の存在

 タンパク質抗原に対する特異的免疫応答は実際は異なる抗原決定基を認識するT細胞応答あるいは抗体応答からなる。したがって、OTが誘導された状態において、特定の抗原決定基を認識するT・B細胞の反応性が残存する可能性がある。そこで、s1-CNの部分合成ペプチドのパネルを用い、このタンパク質に対してOTが誘導された状態で抗原を認識するT・B細胞の反応性がすべて一様に低下している、あるいは特定の抗原決定基を認識するT・B細胞の応答性に対するトレランス誘導が弱いかどうか検討した。

 まず、s1-CNの部分合成ペプチドを用いて、20%CN飼料を1週間摂取したにおいて反応性が残存するT細胞の特異性を検討した。その結果、s1-CNに対するOTを誘導した場合、s1-CNの91-110領域を認識するT細胞の反応性は低下するのに対し、f16-35,f136-155を認識するT細胞の反応性は低下しないことが示された。これらの結果から、OT状態において特定の部位を認識するT細胞の反応性が抑制されないことが示された。また、抗原提示されやすい領域を認識するT細胞に対してはトレランスが誘導されたのに対し、抗原提示されにくい領域を認識するT細胞の応答性は低下しなかったことから、OT誘導にT細胞への抗原提示が重要であることが示唆された。

 次に、抗体産生応答についても検討した。CN飼料を2週間摂取したマウスをsl-CNで免疫し、血中抗体の部分合成ペプチドに対する結合性をELISAで測定した。その結果、CN飼料摂取マウスにおいてはf46-65、f181-199領域に対する抗体の産生が抑制されていなかった。これらの結果から、OT状態で、特定の部位に対する抗体産生が抑制されないことが示された。本研究により免疫寛容誘導においてB細胞抗原決定基により免疫寛容の程度が異なることを初めて示した。

 OT以外にも抗原の静脈投与により免疫寛容が誘導されることが明らかとなっている。そこでs1-CNの静脈投与により免疫寛容を誘導し、抗原決定基特異性をOTの場合と比較した。その結果、CN飼料の場合と異なり、f136-155に対する応答が低下していた。次に抗体産生応答については、CN飼料を投与したマウス同様f46-65に対する抗体産生が抑制されていなかったが、CN飼料摂食マウスで抗体産生が認められた181-199領域に対する抗体は、静脈投与マウスでは完全に抑制されていた。すなわちOTと経口投与以外のルートによる免疫寛容において抗原決定基特異性が異なることが示された。さらにs1-CNに対するOTと静脈投与によるトレランスの抗原決定基特異性の違いは、抗原の消化によることを示唆する結果を得た。すなわちOTにおいて特徴的に、消化管内で抗原が消化酵素により分解されることによりT細胞抗原決定基が破壊され、この抗原決定基を認識するT細胞がトレランスを免れる可能性が示された。OTは健常人の食品アレルギー抑制機構と考えられている。患者においてはOTを免れたT・B細胞が何らかの要因、例えば、抗原提示の異常により活性化され、アレルギーの発症に関与している可能性が示された。以上、本研究においてはOT誘導について抗原構造に注目して詳細に解析した。本研究によって、OTの誘導機構、食品アレルギーの発症機構の解明、さらに低アレルゲン化食品開発やOTを利用したアレルギー・自己免疫疾患の予防・治療法の開発に有用な知見が得られた。

審査要旨

 タンパク質抗原の経口投与により、その抗原に対して全身免疫系の不応答が誘導されることが知られており、経口免疫寛容と呼ばれている。経口免疫寛容は、生体において食品抗原等、消化管内に常在する抗原に対し過剰な応答を防ぐ、食品アレルギーの抑制機構の一つと考えられる。さらに最近、アレルギーや自己免疫疾患の新しい予防・治療法としても期待されている。

 T細胞・B細胞はその抗原レセプターによりタンパク質抗原の特定の部位(抗原決定基)を認識する。経口免疫寛容誘導において経口摂取された抗原の抗原決定基がT・B細胞により認識されると考えられる。したがって、抗原の構造と経口免疫寛容誘導に深い関係があるはずである。しかしながら、これまで抗原構造と経口免疫寛容誘導を検討した例はほとんどなかった。これに対し本論文は、牛乳中のタンパク質、この中でも特に主要アレルゲンでもあるS1-カゼイン、-ラクトグロブリンに注目し、抗原構造と経口免疫寛容の関係を解析したもので、5章よりなる。

 研究の背景を述べた第1章に続き、第2章ではまず、未変性-ラクトグロブリンと熱変性により高次構造が破壊された変性-ラクトグロブリンに対する応答を比較し、抗原タンパク質の高次構造の変化と経口免疫寛容誘導の関係について検討している。未変性、熱変性-ラクトグロブリンいずれによってもT細胞応答、抗体産生応答において経口免疫寛容が誘導され、さらに未変性、変性-ラクトグロブリンは経口免疫寛容誘導に関しほぼ完全に交差反応性を示した。すなわち、-ラクトグロブリンの高次構造の変化は、経口免疫寛容にほとんど影響しないことが示された。-ラクトグロブリンの高次構造の変化はB細胞(抗体)の抗原認識に影響し、T細胞の抗原認識には影響しないと考えられ、このことは抗原構造と経口免疫寛容誘導の解析から、経口免疫寛容の誘導においてはT細胞の抗原認識が重要であることを示している。一方で、-ラクトグロブリンの熱変性により経口投与による抗体産生誘導能は大きく低下した。これらの結果は、食品アレルゲンタンパク質の熱変性が予防的な観点からアレルゲン性低下に有効であることを示唆するものである。

 続く第3章では抗原タンパク質由来ペプチドフラグメントにより経口免疫寛容が誘導されることを示した。まず第1節で主に分子量6000以下のフラグメントにより構成されるトリプシン分解カゼインにより経口免疫寛容が誘導されることを示した。さらに第2節では、単一のフラグメントにより経口免疫寛容を誘導することを試みた。S1-カゼインの最も優勢なT細胞抗原決定基を含む合成ペプチドf91-110を経口投与することにより、S1-カゼイン全体に対する経口免疫寛容を誘導することに成功した。これより、経口免疫寛容をアレルギー、自己免疫疾患の予防・治療法として利用する場合、経口免疫寛容誘導能が強い部位のみをペプチドとして投与すれば、安全かつ効果的に免疫寛容を誘導できる可能性が示された。

 タンパク質抗原に対する特異的免疫応答は実際は異なる抗原決定基を認識するT細胞応答あるいは抗体応答からなる。そこで、第4章では、s1-カゼインの部分合成ペプチドのパネルを用い、このタンパク質に対して経口免疫寛容が誘導された状態で異なる抗原決定基を認識するT・B細胞の反応性がすべて一様に低下しているかどうか検討した。その結果、特定の抗原決定基を認識するT・B細胞が経口免疫寛容を免れることを示した。また、抗原提示されやすい領域を認識するT細胞に対しては免疫寛容が誘導されたのに対し、抗原提示されにくい領域を認識するT細胞の応答性は低下しなかったことから、経口免疫寛容誘導にT細胞への抗原提示が重要であることが示唆された。また、経口免疫寛容と経口投与以外のルートによる免疫寛容において抗原決定基特異性が異なることが示された。この抗原決定基特異性の違いは、抗原の消化の有無によることが示唆された。第4章の結果から、食品アレルギー患者においては経口免疫寛容を免れたT・B細胞が何らかの要因、例えば、抗原提示の異常により活性化され、アレルギーの発症に関与している可能性が示された。

 最後に第5章においてはこれらの結果をまとめ、タンパク質の抗原構造と経口免疫寛容に誘導について総合的に議論している。

 以上、本研究においては経口免疫寛容誘導について抗原構造に注目して詳細に解析した。本研究によって、経口免疫寛容の誘導機構、食品アレルギーの発症機構の解明、さらに低アレルゲン化食品開発や経口免疫寛容を利用したアレルギー・自己免疫疾患の予防・治療法の開発に有用な知見が得られ、学術上、応用上寄与することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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