学位論文要旨



No 213313
著者(漢字) 大野,瑞男
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ミズオ
標題(和) 江戸幕府財政史論
標題(洋)
報告番号 213313
報告番号 乙13313
学位授与日 1997.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13313号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 助教授 宮崎,勝美
 東京大学 助教授 山本,博文
内容要旨

 本書は、序説・総説・各論9章・補論および付表から成る.序説において江戸幕府財政史料論を叙述したことに特色の一つがあり、総説江戸幕府財政史では、豊臣政権の財政から幕末期までの幕府財政史を通じて各論所収論文の位置付けを行うとともに、通史的理解に資するよう記述した.最後に補論において財政構造や幕藩関係の理論的整理を試みた.

序説一

 江戸幕府財政史研究の現状と課題では、江戸幕府財政史研究は必ずしも十分な展開をみせておらないその理由を、財政史料の堙滅による制約と、方法的に窮乏論に陥る欠陥によるとした.しかしながら、財政史研究は国家や社会・経済、領主から民衆に至る各層の再生産に関わる重要な課題であり、領主経済のもつ比重は大きい.財政政策は政治と密接に関わり、経済のあり方を規定し、財政史は政治と経済の接点に成立するとともに、広く諸分野の研究とも関連し、その成果をも取り入れなければならない.

 江戸幕府の財政は、徳川氏私財政が国家支配のための公儀の財政として成立することが条件である.石高制・兵農分離制を成立させて社会的分業を編成し、卓越した領土=幕領を保持し、全国の土地知行権を所有して改易・転封権を手中にし、国家君主として他の領主とは質的差違を表している.幕府が都市・港湾・貿易・鉱山・山林・原野・宿駅・街道牧場などを直轄し、度量衡を統一し、交通運輪体系を整備して幕藩制的市場を編成し、貨幣鋳造権を独占したことは、幕府財政が国家財政としての特質を保持する基盤であり、幕府が大名に普請役のちには手伝金を賦課し、都市商工業者や貿易業者から運上・冥加や御用金を徴発し、貨幣改鋳益金をもって財政補填にあて、原野を開発して幕領に編入したりしたことなどの源泉であった.しかし、私領には年貢を賦課しないのが原則であるのに、一方では、全領主階級の再生産のための拝借金・貸付金などの出金、軍事・外交・海防のための軍役の発動と財政支出、河川の治水・利水や災害復旧・飢饉救済のための支出、皇室や公家を維持するための支出、城郭・役所や廟所・寺社の造営普請修復、全国的な交通運輸体系整備のための財政負担を強いられるなど矛盾を孕んでいた.

 さて個別の江戸幕府財政史研究についてみると、戦前においては萩野由之・本庄栄次郎 土屋喬雄・竹越与三郎の諸氏の業績が主なものであるが、戦後においては古島敏雄氏の論文「幕府財政収入の動向と農民収奪の画期」を契機に研究が進展し、筆者や藤田覚・飯島千秋両氏らの幕府財政史料の発見・紹介もあって、大口勇次郎・大山敷太郎・飯島千秋の諸氏それに筆者などの論文に結実するまでの研究史を整理・叙述したのである.

序説二

 江戸幕府財政史料論において、江戸幕府財政史料の所在では、主要な史料を明治期から現在まで発表の年代順にあげて解説した.財政史料の体系では、各種の財政史料を年貢決定の史料、年貢皆済・決算の史料、幕府総収支決算の史料に分類整理して解説し、幕府財政史料の成立では、現在知られている財政史料をその時代順に並べて、財政改革ないし財政上問題が生じたときに、基礎的資料として作成されたものとした.勘定所文書と代官所・預所文書においては、代官所ら勘定所へ提出される諸帳面類、そして勘定所において最終的に作成される帳面と文書をその相互関係から体系的に位置付けた.

総説

 江戸幕府財政史は、前提としての豊臣政権の財政の特質を整理し、ついで江戸幕府初期の財政状態、幕領総石高と取箇の推移を概観した.享保改革の財政では新田開発を中心に述べ、田沼期から寛政〜文化期、天保期、幕末期の財政では、大口・飯島・大山の諸氏の成果をもとに、財政改革とその失敗そして貨幣改鋳益金に依存する結果を叙述した.

第一章

 江戸幕府財政の成立では、幕府勘定頭と勘定所機構の成立を追究し、ついで慶安〜承応期の浅草米蔵御勘定帳の収支分析を行った.納勘定は代官年貢勘定が主で中勘定の可能性が強く、渡勘定は切米渡が主であることを明らかにし、浅草米蔵を中核とする幕府直轄蔵体制は寛文末期の東西海運成立による廻米体制の整備により成立し、大名・旗本・給人の財政は幕府財政に従属し、国家的流通編成に組み込まれ幕藩制国家財政が確立するとした.

第二章

 江戸幕府勘定頭制の成立では、江戸幕府勘定頭(勘定奉行)の起源につき同時代的史料を用いて検討した.最初大久保長安が家康のもとで勘定頭的職務を遂行し、慶長期に松平正綱が駿府で、伊丹康勝が江戸で勘定頭に就任、駿府政権の解消後二人が秀忠のもと勘定頭の職務を継続し、年寄(老中)並の権限をもっていたが、家光政権のもと幕府職制が整備され、留守居と勘定頭に分化していた農政部門と財政経理部門が寛永19年合一勘定頭制の成立をみたことを明らかにした.

第三章

 年貢勘定目録からみた江戸幕府勘定所-勘定頭・勘定所役人の成立過程の再検討-では、慶長期から寛永末期までの年寄(老中)・勘定頭連署状、および元和期から慶安期までの代官提出の年貢勘定目録裏判を収集し整理分析した.その結果、勘定頭松平正綱・伊丹康勝は幕府成立時にほぼ成立し、寛永19年の4人の勘定頭制成立に至るまでの過程を勘定所役人成立の詳細をも再検討して従来の説を修正した.また年貢勘定目録の御金奉行記載からそれが全国を一元的に支配しており、御蔵奉行記載からそれが江戸と大坂ほかとに二分していることを解明した.

第四章

 江戸幕府直轄領の性格-遠州初期幕領を中心に-では、遠州中泉代官秋鹿家文書中の元和5年〜寛永20年の13通の年貢勘定目録を数量的に分析を加えた.幕領は幕府の物質的基礎としての量的優越性だけでなく、公儀の役との関連でその扶持米等の供給地としての公儀御料として存在する.具体的に秋鹿家支配の遠州初期幕領においては、城詰米・堤川除圦橋修理人足扶持・伝馬宿人足継飛脚給米・新居番所入用・朝鮮人賄入用などの支出に宛てられていることを述べた.

第五章

 元禄期における幕府財政では、東京大学史料編纂所所蔵の元禄期幕府財政の新史料を用いて貞享3年の支出、貞享期と元禄初年との歳出比較を行い、元禄期の支出が寺社等を中心とする普請修復および将軍家政費の増加を原因として収支不足となったこと、またその他の史料を用いて元禄期の遠国と寺社修復、寺社領寄進の実態を明らかにし、既述「元禄末期における幕府財政の一端」と総合して元禄期の幕府財政を総括した.

第六章

 元禄末期における幕府財政の一端では、元禄16・宝永元年「大坂御金蔵金銀納方御勘定帳」を分析して、金銀納方を納人および項目ごとに、すなわち年貢・物成・小物成等、米売払代、古味噌売払代、長崎運上・上納、淀川過書運上、大坂諸川船運上、堀江上荷船運上、地代金などに整理、数量的分析と歴史的検討の結果、大坂金蔵が幕領銀建て年貢諸国の収納を行っていることと、勘定奉行荻原重秀らの収入増大を目指す財政補填策が一応の成果をみたとした.

第七章

 享保以降の幕府勘定所機構改革において明らかにしたことは、享保改革によって幕府勘定所機構が公事方と勝手方に分課し、本丸御殿内の御殿詰と勝手方、大手門内の下勘定所の取箇方・伺方・帳面方に分かれ、それまで地域的な支配の御殿・上方・関東方という分課が統一される.以後幕末までこの5つの分課は基本的に継承され大きな変化はなかったことを諸史料を厳密に分析し、従来の通説を批判・修正した.

第八章

 江戸幕府貯蓄金銀について-安永期大坂金蔵史料の紹介を兼ねて-では、大河内記録・酒井家記録・誠斎雑記などを用いて、江戸城奥金蔵・蓮池金蔵、大坂など地方の金蔵の初期から幕末までの貯蓄金銀の推移を述べ、ついで新発見の常陸笠間牧野家文書の大坂金蔵の史料によって、安永期大坂金蔵のもつ意義を検討し、特に田沼時代の貨幣政策すなわち南鐐二朱判発行の意義を中心に、他の経済政策をも追究した.

第九章

 大坂城米について-その政治・財政上の意義-では、城米は非常時の城付兵糧米の意味をもち、幕府直轄城・街道宿駅・譜代大名の城に置かれ、公儀のものという性格を付与されたこと、ついで全国の城詰米高を概観したのち、大坂城米について「大坂御勘定方記録」により初期から幕末期まで納方と渡方勘定を詳細に分析した.その性格は終始兵糧米備蓄という軍事的色彩が強く、飢饉対策としての支出のほか、大坂諸役人の俸給、在番加番合力、大坂・大和代官経費、城修復などに支出されたことを解明した.

補論一

 幕藩制的市場構造論は、一定度の商品・貨幣経済を前提として成立する幕藩制社会の市場の編成とその特質を整理したもの.石高制と兵農分離制にもとづく身分制のもとでの社会的分業の特質、幕府・藩の財政機構および幕府財政の成立、藩財政と領域市場の形成、中央市場三都の成立と交通・運輸体系の成立、通貨・度量衡の統一という過程を経て、幕藩制的市場の成立する経過を理論的に叙述し、中後期への展望を行った.

補論二

 幕藩財政は、中世(世界史的意味における)の国家財政としての江戸幕府財政について、その財政的基盤の特質、勘定頭制と勘定所機構の成立、近世前期江戸幕府財政状態の変遷、藩財政の成立と幕藩関係、幕藩財政の成立に分けて叙述.従来の自説を整理しつつ、とくに大名に対する普請役の発動を時代別・対象別に整理して藩財政の構造の特質を述べ、藩財政が幕府財政に従属して幕藩制国家財政が成立するとした.

 最後に付表として、最近発見の大河内家記録の数値も入れ、慶安4年から天保12年までの「御取箇辻書付」と、享保7年から天保7年までの「御年貢米其外諸向納渡書付」「御年貢金其外諸向納渡書付」を数表化して掲載した.今後の研究にとって利用に耐える基礎史料としての意義をもつ.

審査要旨

 本論文『江戸幕府財政史論』は、近世前期・中期における幕府財政に関する著者の長年の実証研究を集大成したものである.内容は、研究の現状と課題や財政関係史料について論ずる2つの序説を始めとして、総説、9章からなる個別研究、2つの補論と、合計14の章によって構成されている.これらは、いずれも幕府財政関係史料の博捜にもとづいた緻密な基礎研究であって、本書に掲載されている40点余りの表とともに、その内容の多くは近世史研究全体にとって非常に重要な成果として既に共有されている.本論文の内容を概括し主要な論点等をみると、ほぼ以下の六つにまとめられる.

 1.江戸幕府財政の確立の指標は、徳川氏の私財政が国家支配のための「公儀の財政」と分離するところにあると見て、直轄地支配、度量衡の統一、交通運輸体系の掌握、貨幣鋳造権の独占などをめぐって、徳川氏が他の大名らとはことなり、国家君主としていかなる質的差異を有したかが、国家財政としての幕府財政を検証するためのポイントであると主張する.

 2.江戸幕府の直轄領を支配し、貢租の徴収にあたる行政機構は勘定所である.この勘定所は少なくとも18世紀以降、御殿勘定所(江戸城本丸にある)と下勘定所(大手門内にある)の二箇所に分かれ、勘定奉行(元禄までは勘定頭)を長官とする官僚機構を有した.1721年以降、財政の実務は勘定所勝手方が管掌し、全国の代官支配所や預所からの膨大な文書記録類を収蔵・管理し、独自の文書を作成した.しかし現在、そのほとんどは失われ、幕閣の枢要をつとめた大名家文書などから復元的に検討するほかない.こうした視点から、幕府財政関係文書の全体像を追究し、それから窺える財政史料の体系を詳細に明らかにする.

 3.幕府財政を担う行政機構を包括的に掌握したのは勘定奉行(勘定頭)である.ここではその性格を中心に、勘定所諸役人の成立を検討する.慶長十年代(1605〜1615)に、駿府と江戸の勘定所で勘定頭-勘定という単純な構成が成立し、家康の死による二元政治の終焉によって将軍のもとに勘定所が統一したこと、またその後の過程で地方支配機構と財政経理機構が合一され、勘定頭-勘定組頭-勘定-支配勘定という精緻な組織が1660年代にはほぼ確立したこと、などを主張する.

 4.前期の幕政改革の時期として知られる慶安期を中心に、浅草御蔵の収支構造を分析して、同蔵の最大の機能が幕臣団への俸給支給(切米・扶持米)にあること、享保期までに浅草米蔵を中核とする幕府直轄蔵体制が確立すること、などを主張する.

 5.一方、勘定所の業務をみると、その対象地域は上方と関東方と二分され、それぞれが類似のシステムを持つが、その成立は前者が早く、両者が一元化されるのはようやく享保改革の時期においてであることを論じている.

 6.元禄期の大坂御金蔵勘定記録を分析し、幕府直轄領の銀建て年貢地域の収納銀を統括する同蔵の機能を明らかにするとともに、大坂からの為替金銀などの収納を担う江戸御金蔵の「中央金庫」的役割に注目し、幕府財政経済における江戸と大坂の相互関係について論ずる.

 以上の諸論点をふまえて叙述される幕府財政機構論は、財政史の側面から日本近世における国家機構の実証的解明を試みたものとして多くの成果をあげており、併せて国家史研究にとってきわめて有意義な基礎データを豊富に提供するものと評価できよう.本論文では、近世後期以降の幕府財政の動向や国家財政をめぐる理論的な問題についてはまだ課題を残している.しかし本審査委員会は上述のような顕著な成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分に値するものとの結論を得た.

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