学位論文要旨



No 213323
著者(漢字) 中山,博明
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ,ヒロアキ
標題(和) 蛋白質の電気化学における電気化学不活性な陽イオンプロモーターの役割および関連研究
標題(洋)
報告番号 213323
報告番号 乙13323
学位授与日 1997.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13323号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 田隅,三生
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 助教授 菅原,正雄
内容要旨

 本論文では酸化還元活性中心を負に帯電したサブユニットに有する蛋白質の電気化学において、静電的相互作用によりそのサブユニットと結合し、電極表面との相互作用を調節して、活性中心と電極表面との電子移行を容易にする電気化学不活性な陽イオンプロモーターの果たす役割を定量的に評価考察することを主たる目的とした。

 第1章序論では、まず小さな分子の電気化学、特にサイクリック・ボルタンメトリー(CV)を説明し、ついで大きな分子である酸化還元中心を備えた蛋白質の電気化学にはそれと異なるどんな困難があり、それが歴史的にどのように解決されてきたか、を述べた。すなわち、蛋白質分子と電極表面との間の電子移行を容易にするために機能を果たす小さな分子の役割を3種に大別した。第一のものはメディエーターとよばれ、電子の運び手の役割を果たす。第二のタイプは電極表面に結合してその疎水性および親水性を調節し、蛋白質分子の変性を避けつつ電極表面との間の電子移行を容易にする、表面修飾試薬(モディファイヤー)である。第三のタイプは、たとえば共に負に帯電している電極表面と蛋白質分子との間に介在して、両者の静電的相互作用を調節し、両者間の電子移行を容易にする陽イオンで、「プロモーター」とよばれている。

 第2章では電極表面にイソチオシアナトペンタアンミンクロム(III)錯体陽イオンを固定した金電極におけるプラストシアニン(分子量10,000程度の小さな蛋白質分子)の電極反応の測定結果について述べた。錯体陽イオンを固定して正に帯電させたた金電極に、低い電位(-200mV vs SCE)をかけてほうれん草プラストシアニンの溶液中に浸し、プラストシアニンを還元させて電極表面に吸着させた。錯体陽イオンはプロモーターの機能を持つ大きなイオンであり、それが電極表面へ固定され、負電荷を持つプラストシアニンに静電的相互作用を及ぼして蛋白質分子を吸着した。吸着された蛋白質分子は酸化と還元のピーク電位が大きく分離したCVを与えた。これは吸着された小分子のピーク分離がゼロであるのと大きく異なっている。

 第3章では、この大きなピーク分離に対して、プラストシアニン分子の向きに「電気化学活性な向き」と「電気化学不活性な向き」とがある、そして酸化された活性種の一部が脱着する、という単純なモデルでシミュレーションを行なった。吸着分子間のフルムキン反発も考慮に入れると、吸着されたプラストシアニン分子のCVの特徴を、ピーク分離のpH依存性も含めて説明することができた。

 第4章では、同じくMW=10,000程度の負に帯電している蛋白質分子、フェレドキシンが、負に帯電しているエッジ面グラファイト電極(EPG電極)において、種々の陽イオン(Na+,Mg2+,[Fe(o-phen)3]2+,[Cr(NH3)6]3+等)プロモーターの共存する時に生じる電気化学応答について解析した。すなわち、まず溶液中での蛋白質と陽イオンとの1:1の会合平衡を仮定して、会合体の溶液中平衡濃度を蛋白質と陽イオンの濃度から見積った。そして会合体がEPG電極表面に静電的に可逆吸着され、ピーク電流値は会合体の表面吸着量に比例している、と考えると、会合体の溶液中平衡濃度と表面吸着量との間にフルムキン吸着等温式が成り立つことを見出した。吸着分子間相互作用は引力が働いていた。また、陽イオンの電荷が大きいほど会合平衡定数が大きい;陽イオンの半径が大きいほど吸着に伴なう自由エネルギーの減少が大きいことを見出して、これらの条件を備えた陽イオンプロモーターはより有効であり、より少ない添加量でもピーク電流値が十分増加する、と種々の陽イオンを比較説明できた。

 第5章では、このような系のシミュレーションを、電子移行の速度過程に加えて、1:1会合体の生成と解離、会合体及び非会合蛋白質分子の拡散、会合体の吸着と脱着、及び吸着した会合体の向きが変わることによる電気化学活性化と電気化学不活性化、のすべてを速度パラメーターとして取り入れて行なった。4章の解析が会合と吸着の二つの前期平衡を仮定し電子移行を律速の速度過程としたのに対し、このシミュレーションではすべてを速度過程として扱ったが、「有限差分法」を用いて容易に行なえた。プロモーターの濃度が低い場合に特に大きなピーク分離が見られることについては、吸着した会合体が電気化学活性な向きと電気化学不活性な向きとの間で相互変換していること、および吸着した会合体間にフルムキン引力が働いていること、の二点に原因があるとして説明できた。また、イオン半径の小さいMg2+と大きい[Fe(o-phen)3]2+という著しく大きさの異なる陽イオンをそれぞれプロモーターとした場合のCVについて、前者にくらべて後者とのフェレドキシン会合体が、脱着が遅い;フルムキン引力が小さい;および電気化学活性な向きを取りやすいことに対応してパラメーター値が異なる、として、両陽イオンの濃度変化に伴なうCVピーク分離の変化する様相をシミュレーションできた。そして大きな後者が小さな前者よりプロモーターとして有効である理由を、陽イオンとの会合体が脱着しにくいこと(吸着自由エネルギーが大きい)に加えて、吸着された会合体が電気化学活性な向きを取りやすいことにもある、と結論できた。

 第6章では、もっと大きな分子として酵素MADH(W3A1由来)の実験を行なった。MADHは全体として121kDaで、45kDaの-サブ・ユニット2個と15.5kDaの-サブ・ユニット2個とからなっている。電気化学活性中心、トリプトファン・トリプトフィルキノン(TQQ)を持つ-サブ・ユニットは生理的pHで負に帯電しているが、-サブ・ユニットおよび酵素全体は正に帯電している。まず直接電気化学応答については、表面が負に帯電しているEPG電極やジチオグリコール酸修飾金電極において、プロモーターがなくても電気化学応答を与えた。これは、-サブ・ユニットが自前のプロモーターとして働いているためと思われる。これに陰イオン(トリスオクサラトクロム(III)[Cr(ox)3]3-等)を加えると、応答が減少し、ヘキサアンミンクロム(III)陽イオン([Cr(NH3)6]3+)を加えると応答が増加した。ただしこの陽イオンも高濃度になると応答を減少させた。陰イオンは自前のプロモーターである-サブ・ユニットに結合してその電極との結合を妨げ、陽イオンは-サブ・ユニットとは別途に-サブ・ユニットを電極に結びつけるためであろう。陽イオンが高濃度になると、電極表面に結合して-サブ・ユニットと反発するため、応答を減少させるのであろう。CV法で速度論的に得られた中点電位と、バルク電気分解を伴なう分光電気化学法による平衡測定から得られた中点電位はそれぞれ-140mV,-148mV vs SCEで、よく一致した。また、基質であるメチルアミンによって酵素の活性中心が還元されるので、触媒的応答とよばれる大きな非可逆な酸化応答が観測された。ピーク電流値は基質濃度に対して直線的に飽和値付近まで増加した。この触媒的応答に対しても、ヘキサアンミンクロム(III)陽イオンを加えると電気化学応答の増加が見られた。MADHが基質に対する生化学的活性は残しているが直接の電気化学応答を与えないように変性したことがあった。これに対してフェロセン誘導体をメディエーターに使って電気化学応答を観測でき、メディエーターは活性中心と接近できることがわかった。

 以上、要するに陽イオンプロモーターはまず蛋白質分子の負電荷を持つ部分と会合体をつくり、その後陽イオンが負に帯電した電極表面に結合して、蛋白質分子の酸化還元活性中心を電極表面に接近させ、蛋白質-電極間の電子移行を行わせる。これが陽イオンプロモーターの役割であることを明らかにした。

審査要旨

 本論文は6章から成り,第1章は序論,第2章及び3章では金電極表面に吸着した負電荷を持つ蛋白質分子,プラストシアニンの電気化学測定とそのシミュレーション,第4章及び5章では負電荷を持つ蛋白質分子,フェレドキシンの溶液中に負に帯電したエッジ面グラファイト電極(分子面=基板面に垂直な断面を露出したグラファイト電極:EPG電極)を挿入した電気化学の解析とそのシミュレーション,第6章では正負の電荷を帯びたサブユニットをあわせ持つメチルアミン脱水素酵素(MADH)の直接電気化学測定等について述べている.

 第1章では,まず小さな分子の電気化学,特にサイクリック・ボルタンメトリー(CV)を説明し,ついで大きな分子で酸化還元中心を備えた蛋白質の電気化学にはそれとは異なるどんな困難があるのかを述べ,そしてそれが歴史的にどのように解決されてきたか,又,それがどのように本研究の目的につながるのかを述べている.すなわち,蛋白質分子と電極表面との間の電子移行を容易にするために機能を果たしている「小分子・イオン」を,電子の運び手であるメディエーター,電極表面に結合してその疎水性および親水性の調節をする試剤であるモディファイアー,および蛋白質-電極間に入り両者の静電的相互作用を調節する試剤であるプロモーターの3種に分類し,その化学的機能を論じている.それに基づき,本研究がプロモーターの果たす役割を定量的に評価考察することとしている.

 第2章では,電極表面にイソチオシアナトペンタアンミンクロム(III)錯体陽イオン[Cr(NCS)(NH3)5]2+を固定した金電極におけるプラストシアニンの電極反応について述べている.錯体陽イオンを固定した金電極に低い電位をかけてほうれん草プラストシアニンの溶液中に浸し,プラストシアニンを還元させて電極表面に吸着させている.この研究で錯体陽イオンはプロモーターの機能を持つ大きな陽イオンであり,それが電極表面に固定され,負電荷を持つ蛋白質分子,プラストシアニンに静電的相互作用を及ぼして蛋白質分子を吸着すると説明している.吸着された蛋白質分子は酸化と還元のピーク電位が大きく分離したサイクリックボルタモグラム(CV)を与えることを見い出している.これは一般に吸着された小分子の理想的CVのピーク分離がゼロであるのと大きく異なっている.第3章では,このような大きなピーク分離に対して,プラストシアニン分子の向きに「電気化学活性な向き」と「電気化学不活性な向き」とがある,そして酸化された活性種の一部が脱着する,という単純なモデルで,シミュレーションを行ない,吸着蛋白質分子間のフルムキン反発も考慮に入れて,ピーク分離のpH依存性も含めて吸着されたプラストシアニン分子のCVの特徴を説明している.

 第4章では負に帯電している蛋白質分子,フェレドキシンに関し,負に帯電しているEPG電極における種々の陽イオンプロモーター(Mg2+,[Fe(o-phen)3]2+,[Cr(NH3)6]3+等)によって生起する同蛋白質の電気化学応答について,溶液中での蛋白質と陽イオンとの1:1会合平衡を仮定して解析している.すなわち,会合体の溶液中平衡濃度を蛋白質と陽イオンの濃度から見積り,「会合体はEPG電極表面に静電的に可逆吸着され,その際ピーク電流値が会合体の表面吸着量に比例している」と考えた時,会合体の表面吸着量とその溶液中平衡濃度との間に吸着会合体間に静電引力が作用するタイプのフルムキン吸着等温式が成り立つことを見い出している.種々の陽イオンプロモーターを比較し,それらの陽イオンの電荷が大きいほど会合平衡定数が大きく,会合体の溶液中平衡濃度が高い;また,陽イオンの半径が大きいほど吸着自由エネルギーの絶対値が大きいということを見い出し,これらの条件を備えた陽イオンプロモーターはより有効であり,より少ない添加量でもピーク電流値が十分増加する,と説明している.

 第5章では,電子移行過程に加えて1:1会合体の生成と解離,会合体及び非会合蛋白質分子の拡散,吸着と脱着,及び吸着種の向きが変わることによる電子移行の活性化と不活性化を速度パラメーターとして取り入れ,有限差分法によりシミュレーションを行っている.それによりピーク電流値の陽イオン濃度依存性を説明している.特にプロモーターの濃度が低い場合に大きなピーク分離を見い出しているが,その点についても,吸着したフェレドキシン分子に電気化学活性な向きと電気化学不活性な向きとがあること,及び吸着したフェレドキシンと陽イオンとの1:1会合体間においてはフルムキン引力が働いていることとに帰着させている.また,Mg2+と[Fe(o-phen)3]2+という,イオン半径の著しく異なる2価陽イオンをそれぞれプロモーターとした場合について,前者に比べて後者が脱着が遅い;フルムキシン引力が小さい;及び電子移行活性化しやすいことに対応してパラメーター値が異なっているとして,それぞれのプロモーター濃度変化に対応したCVピーク分離の変化をシミュレーションにより解析している.これよりイオン半径の大きな後者が小さな前者よりプロモーターとして有効である理由が,4章で述べた会合体が脱着しにくいこと,及び吸着された会合体が電子移行活性な向きを取りやすいことである,と結論している.

 第6章ではメチルアミン脱水素酵素(MADH)の実験結果を述べている.MADHの電気化学活性中心を持つ-サブユニットは負に帯電しているが,負に帯電している電極に対して,プロモーターがなくても電気化学応答を与えることを見出している.これは,正に帯電している-サブユニットが自前のプロモーターとして働くためと説明している.これに[Cr(ox)3]3-錯陰イオン(ox:シュウ酸イオン)を加えると電気化学応答を抑制し,ヘキサアンミンクロム(III)陽イオン([Cr(NH3)6]3+)を加えると電気化学応答を促進することを見い出している.これは,前者は自前のプロモーターである-サブユニットに結合してその電極との結合を妨げ、後者は-サブユニットとは別途に-サブユニットを電極に結びつけるためと説明している.更にCV法で速度論的に得た中点電位と,バルク電気分解を伴う分光電気化学法による平衡測定から得られた中点電位とが一致することを見い出している.またこのMADH-酵素に対して基質メチルアミンを添加して,その添加量に対して直線的に飽和値付近まで増加する大きな触媒的酸化応答を観測している.そして,この触媒的応答に対しても,[Cr(NH3)6]3+陽イオンを加えると電気化学応答を促進することを見い出している.

 以上要するに,本研究は3種類の蛋白質を例に,陽イオンプロモーターがまず蛋白質分子の負電荷を持つ部分と会合体をつくり,その後陽イオンが負に帯電した電極表面に結合して,蛋白質分子の酸化還元活性中心を電極表面に接近させ,蛋白質-電極間の電子移行を行わせるとする陽イオンプロモーターの役割を明らかにした.

 なお,主論文の内容はほとんどは印刷公表され,または投稿中であり,いずれも共著論文であるが,本論文提出者の寄与が大部分であると判断した.

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