内容要旨 | | 最近の日本においては、河川における生物の生息域環境を保全することが社会的な要請として益々強くなっている. 本研究では、諸外国で魚類の生息域評価手法として用いられている流量増分式生息域評価法(Instream Flow Incremental Methodology:IFIM)の全体像を整理し,河川の生態環境を評価する体系の全体像を示す(図1参照). 第1の段階である「分析の戦略」の中には目的を何処におくかの検討や,法制度の分析,ある機関の技術者集団の能力評価,目標とすべき分析の水準などが含まれる.分析の対象は魚だけとは限らないし,他の方法を採ることも可能であるので,「解析手法の選択」の段階を経て魚の生息域評価法としてIFIMが選択されることになる. IFIMは多段階に重なった二次的な各部分の評価法(sub-models)から構成されており,全体的な目標は意思決定をする際に必要な合理的な代替案を作り上げることである.「水文量評価法」は河川の代表地点における河川の流況,流量時系列の分析,推定を行う部分であり,「水理量評価法」は水文量から水深、流速などを算出するために必要である.「微視的生息域評価法」は,流速や水深などの局所的な生息域変数と魚の生息尾数との関係から,生息数曲線を求め,これを基に魚の定量的な推定値を示すWUAを求めるものである. 「巨視的生息域評価法」は,主として河川の縦断方向に変化する水温や水質などの巨視的な生息域変数と魚の生息尾数との関係を論ずるものである.「全生息域評価法」はこれらの微視的,巨視的な評価法を対象区間全域に適用するものである. 図1 河川の生態環境を評価する体系 IFIMは流量を段階的に変化(増加)させたときに,生息域変数がどのように変化するか,それに従って生息域の評価がどう変化するかを知るものである.これが流量増分式評価法と言われる由縁である.これは水理量・水文量評価法と魚の生息情報を組み合わせることにより可能となったものであり,流量の段階的な変化に対する挙動を知ることにより,代替案を見いだすことが可能となるのである. 河川の流量は静止した量ではなく,動的に変化している.河川の自然特性を組み込んだ生息域評価とするためには,年間を通じた流量時系列に対して分析を行う必要があり、これを示したものが「時系列生息域評価法」である.さらに生物の成長段階に応じた生息数曲線の変化を知ることが出来れば,生物の生活過程を反映した生息域の評価が可能であり,これを行うのが「生活過程生息域評価法」である.この段階に至れば,河川流量の動的変化が変化したときに生息域の流況・水理量の生起過程がどう変化し,それが生物にどのような変化を与えるかを定量的に示した代替案を知ることが出来,「意思決定過程」に提示できる. 意思決定のための合意形成過程で、考慮していた範囲を超えるような大きな変更が行われたときは,新しい前提条件の下で再度評価を行えばよい.IFIMは意思決定過程との相互のやりとりを含む代替案を提案出来る機能を持つものであり,個々の二次的な細部の評価法を指すのではないことを強調しておきたい. このIFIMを用いれば,河川改修が魚に及ぼす影響を予測したり,魚の生息域の観点から代替案の良否を比較・検討することが出来ると考えられる. 本研究では,このような評価法を用いて魚の生息域評価を行うため,対象地域として,愛知県岡崎市を東西に流れている乙川を選択する.上流の男川との合流点から下流の矢作川との合流点までの約11km区間の中で,淵と瀬を組み合わせ10箇所の観測地域を選定して,魚の生息域評価を行う. 指標生物選定の場合,河川改修による流路内の地形の改変やそれに伴う微視的な生息域変数の変化は,まず第一義的に水生生物に影響すると考えられる.水生生物の中で何に着目するかについては,食物連鎖の上位にある種で、生息のために広い面積が必要な種として,魚種を対象とする.魚については漁業や余暇活動からも関心が高く,社会的な関心が高く,象徴性の高い種の性質も持っている.乙川には29種の様々な魚種が生息しているが,本研究では,春,夏,及び秋に,多い観測地域で確認されたオイカワ(Zacco platypus),カワムツ(Zacco temminckii),及びカワヨシノボリ(Rhinogobius flumineus)の3種を指標魚種として選定して検討を行う.いわば,定在的な優先者を対象としている. 微視的生息域評価法を用いて魚の生息域評価を行うためには,流れの数値解析が必要である.本研究で開発した1次元微視的生息域評価法による乙川の夏,オイカワに対する最適流量は,ほぼ直線と見なすことができる区間では4m3/secから7m3/secであるが,激しい蛇行区間では合理的な値が求められなかった.強いわん曲を含む区間では,一次元微視的生息域評価法では不十分であることが分かった. 複雑な地形を有する区間や蛇行区間における流速と水深をより正確に予測するため,一般座標系による二次元の流れの数値解析法を開発し,これに基づいて二次元微視的生息域評価法を開発した.これを用いて乙川における魚の生息域評価を行う. 魚の生息域の空間的分析によると,乙川の夏,オイカワに対する最適流量は4m3/secから7m3/secの値であるし,図2には観測地域9と10におけるWUAの分布を示している.このような結果を用いれば,改修案の中で対象魚の住みやすい断面形を決めるとき,有用な情報を与えることができる 図2 乙川の夏,観測地域9と10におけるWUAの分布 魚の生息域の時系列分析を行うため,乙川の茅原沢地点における水位記録から流量時系列を再現する.この流量時系列と関連した魚の生息域の時系列分析を行う時,流域の開発による水文量の変化が魚の生息域に及ぼす影響を予測することが可能であるので,流域開発の代替案も比較・検討することができると考えられる. これにより、対象河川の開発に関して、魚の生息域の面から代替案を定量的に比較検討することを可能である. 本論文での効果を他の河川に適用するときの留意点について触れておきたい.本論文に示されている生息数曲線は,乙川において間接調査方法により得られた資料に基づいている.河川は個性を持っているので,基本的には個々の河川での生物調査に基づいて考えることになるが,地質や気候などによる河川の類型区分を参考にすれば,ある程度類似性が高い河川同土があるものと考えられる. 次に,ここでの単位の観測地域は淵と瀬を含む地域であることは本文中に触れた通りである.このように基本的な河川の自然特徴を備えた河川であることが前提である.一様な断面形状に改変され,平瀬ばかりとなった河道区間では,生息数曲線は別のものとなる. また,本論文では他の魚種が生息数曲線に与える影響,いわば生態的圧力が与える効果については分析できていない.これは今後の課題であるが,定在的に多数生息する種を対象にしたのは,この点での影響が小さくなることを期待したためである. このように河川の情況が異なると生息数曲線は異なることが予測されるが,河川生態評価の体系としては本論文で扱われたものが一般的に適用できる.流量増分式生息域評価法はこのように高い潜在能力を有していると考えられる. |