学位論文要旨



No 213326
著者(漢字) 金,亨烈
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヒェンリェリ
標題(和) 流量増分式生息域評価法の改善に関する研究と乙川への適用
標題(洋)
報告番号 213326
報告番号 乙13326
学位授与日 1997.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13326号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 河原,能久
 東京大学 助教授 加藤,和弘
内容要旨

 最近の日本においては、河川における生物の生息域環境を保全することが社会的な要請として益々強くなっている.

 本研究では、諸外国で魚類の生息域評価手法として用いられている流量増分式生息域評価法(Instream Flow Incremental Methodology:IFIM)の全体像を整理し,河川の生態環境を評価する体系の全体像を示す(図1参照).

 第1の段階である「分析の戦略」の中には目的を何処におくかの検討や,法制度の分析,ある機関の技術者集団の能力評価,目標とすべき分析の水準などが含まれる.分析の対象は魚だけとは限らないし,他の方法を採ることも可能であるので,「解析手法の選択」の段階を経て魚の生息域評価法としてIFIMが選択されることになる.

 IFIMは多段階に重なった二次的な各部分の評価法(sub-models)から構成されており,全体的な目標は意思決定をする際に必要な合理的な代替案を作り上げることである.「水文量評価法」は河川の代表地点における河川の流況,流量時系列の分析,推定を行う部分であり,「水理量評価法」は水文量から水深、流速などを算出するために必要である.「微視的生息域評価法」は,流速や水深などの局所的な生息域変数と魚の生息尾数との関係から,生息数曲線を求め,これを基に魚の定量的な推定値を示すWUAを求めるものである.

 「巨視的生息域評価法」は,主として河川の縦断方向に変化する水温や水質などの巨視的な生息域変数と魚の生息尾数との関係を論ずるものである.「全生息域評価法」はこれらの微視的,巨視的な評価法を対象区間全域に適用するものである.

図1 河川の生態環境を評価する体系

 IFIMは流量を段階的に変化(増加)させたときに,生息域変数がどのように変化するか,それに従って生息域の評価がどう変化するかを知るものである.これが流量増分式評価法と言われる由縁である.これは水理量・水文量評価法と魚の生息情報を組み合わせることにより可能となったものであり,流量の段階的な変化に対する挙動を知ることにより,代替案を見いだすことが可能となるのである.

 河川の流量は静止した量ではなく,動的に変化している.河川の自然特性を組み込んだ生息域評価とするためには,年間を通じた流量時系列に対して分析を行う必要があり、これを示したものが「時系列生息域評価法」である.さらに生物の成長段階に応じた生息数曲線の変化を知ることが出来れば,生物の生活過程を反映した生息域の評価が可能であり,これを行うのが「生活過程生息域評価法」である.この段階に至れば,河川流量の動的変化が変化したときに生息域の流況・水理量の生起過程がどう変化し,それが生物にどのような変化を与えるかを定量的に示した代替案を知ることが出来,「意思決定過程」に提示できる.

 意思決定のための合意形成過程で、考慮していた範囲を超えるような大きな変更が行われたときは,新しい前提条件の下で再度評価を行えばよい.IFIMは意思決定過程との相互のやりとりを含む代替案を提案出来る機能を持つものであり,個々の二次的な細部の評価法を指すのではないことを強調しておきたい.

 このIFIMを用いれば,河川改修が魚に及ぼす影響を予測したり,魚の生息域の観点から代替案の良否を比較・検討することが出来ると考えられる.

 本研究では,このような評価法を用いて魚の生息域評価を行うため,対象地域として,愛知県岡崎市を東西に流れている乙川を選択する.上流の男川との合流点から下流の矢作川との合流点までの約11km区間の中で,淵と瀬を組み合わせ10箇所の観測地域を選定して,魚の生息域評価を行う.

 指標生物選定の場合,河川改修による流路内の地形の改変やそれに伴う微視的な生息域変数の変化は,まず第一義的に水生生物に影響すると考えられる.水生生物の中で何に着目するかについては,食物連鎖の上位にある種で、生息のために広い面積が必要な種として,魚種を対象とする.魚については漁業や余暇活動からも関心が高く,社会的な関心が高く,象徴性の高い種の性質も持っている.乙川には29種の様々な魚種が生息しているが,本研究では,春,夏,及び秋に,多い観測地域で確認されたオイカワ(Zacco platypus),カワムツ(Zacco temminckii),及びカワヨシノボリ(Rhinogobius flumineus)の3種を指標魚種として選定して検討を行う.いわば,定在的な優先者を対象としている.

 微視的生息域評価法を用いて魚の生息域評価を行うためには,流れの数値解析が必要である.本研究で開発した1次元微視的生息域評価法による乙川の夏,オイカワに対する最適流量は,ほぼ直線と見なすことができる区間では4m3/secから7m3/secであるが,激しい蛇行区間では合理的な値が求められなかった.強いわん曲を含む区間では,一次元微視的生息域評価法では不十分であることが分かった.

 複雑な地形を有する区間や蛇行区間における流速と水深をより正確に予測するため,一般座標系による二次元の流れの数値解析法を開発し,これに基づいて二次元微視的生息域評価法を開発した.これを用いて乙川における魚の生息域評価を行う.

 魚の生息域の空間的分析によると,乙川の夏,オイカワに対する最適流量は4m3/secから7m3/secの値であるし,図2には観測地域9と10におけるWUAの分布を示している.このような結果を用いれば,改修案の中で対象魚の住みやすい断面形を決めるとき,有用な情報を与えることができる

図2 乙川の夏,観測地域9と10におけるWUAの分布

 魚の生息域の時系列分析を行うため,乙川の茅原沢地点における水位記録から流量時系列を再現する.この流量時系列と関連した魚の生息域の時系列分析を行う時,流域の開発による水文量の変化が魚の生息域に及ぼす影響を予測することが可能であるので,流域開発の代替案も比較・検討することができると考えられる.

 これにより、対象河川の開発に関して、魚の生息域の面から代替案を定量的に比較検討することを可能である.

 本論文での効果を他の河川に適用するときの留意点について触れておきたい.本論文に示されている生息数曲線は,乙川において間接調査方法により得られた資料に基づいている.河川は個性を持っているので,基本的には個々の河川での生物調査に基づいて考えることになるが,地質や気候などによる河川の類型区分を参考にすれば,ある程度類似性が高い河川同土があるものと考えられる.

 次に,ここでの単位の観測地域は淵と瀬を含む地域であることは本文中に触れた通りである.このように基本的な河川の自然特徴を備えた河川であることが前提である.一様な断面形状に改変され,平瀬ばかりとなった河道区間では,生息数曲線は別のものとなる.

 また,本論文では他の魚種が生息数曲線に与える影響,いわば生態的圧力が与える効果については分析できていない.これは今後の課題であるが,定在的に多数生息する種を対象にしたのは,この点での影響が小さくなることを期待したためである.

 このように河川の情況が異なると生息数曲線は異なることが予測されるが,河川生態評価の体系としては本論文で扱われたものが一般的に適用できる.流量増分式生息域評価法はこのように高い潜在能力を有していると考えられる.

審査要旨

 本論文は「流量増分式生息域評価法の改善に関する研究と乙川への適用」と題し、流量増分式生息域評価法の中心を成す微視的生息域評価法および二次元の水理量評価法の一般性を高めると共に、これを乙川に適用し年間を通じての生息域評価を示したものである。最近の日本の河川事業における最も重要な社会的要請は、生物の生息域の保全である。水理・水文量と魚の生息量とを結合させて、生態的に見た水域の評価を定量的に行う流量増分式生息域評価法は、こうした要請に応えることが出来るものである。この手法は代替案の相対的な評価に本質的に適合しており、合意形成段階ではこのような手法の確立が強く求められている。

 論文は8章より構成されており、第1章では過去30年間の河川事業の位置付けを行うことにより、河川における生態環境の概念が如何に形成されてきたかを取りまとめた。また、既存の河川生態環境評価法の特徴を比較検討し、流量増分式生息域評価法は多段階に重なった評価法から構成されているので、必要な部分を選択して適用したり、必要な部分に改善を行うことが出来るので、代替案の比較に当たり最も発展性に富む手法であるとの結論を得た。

 第2章では流量増分式生息域評価法に含まれる二次的な各部分の評価法の位置付けを明確に行い、流量増分式生息域評価法の体系化を行った。流量増分式生息域評価法は代替案の比較を定量的に行えるので、意思決定過程に有効に用いることが出来、多くの関係者の合意形成に本質的に貢献できることが重要である。又ここでは、流量増分式生息域評価法における現在の課題を指摘し、本研究の目的を明らかにしている。

 第3章では調査の対象とした矢作川水系乙川の水理・水文特性の分析、および愛知県によって行われた約11kmに及ぶ区間の中での10カ所の観測地域における魚類調査の取りまとめを行なった。すべての調査地域は瀬と淵を含む区間が選定されており、現在の自然度はかなり高い。先ず、調査地点最上流部での水位記録より、1994年1年間の日流量を計算によって定めた。次いで、指標生物の選定についての原則的な考えを整理し、魚類調査に対する考察より春、夏、秋の全ての季節において多くの観測地域で頻度高く確認されたオイカワ、カワムツ、カワヨシノボリの3種を指標魚種に選定した。

 第4章では微視的生息域評価法に用いられる生息数曲線を作成する段階での客観性を高めることを考察した。頻度分布法、寛容度法、一変数多項式近似法、二変数指数型多項式近似法の4種類を比較検討した。生息数指数と魚の出現頻度との間の相関係数が大きなものが最適であると考え、生息数曲線を定める最適な方法を選定した。流速に対しては一変数多項式近似法、水深に対しては二変数指数型多項式近似法、底質に対しては頻度分布法となった。

 第5章では一次元微視的生息域評価法を用いた魚類の生息域評価が行われた。河川では伝統的に一次元数値解析による水理量の計算が行われ、計画に用いられてきた。ここではそれを踏襲して、乙川の平水時の流況を対象として、断面平均量としての流速と水深を一次元計算から求めた。断面形状、河床勾配、底質の粒度分布などは50mおきの細密測量結果を用いた。平水時に6箇所で同時に観測された流量の平均値を用いて検証計算を行なった。粗度係数は当初は底質の粒径から推定される値を用い、試行錯誤を数回行い、再現された水位が観測結果に一致するような粗度係数を定めた。選定された平水時の粗度係数は、計画洪水に対して想定されている数値よりかなり大きくなった。計画洪水の計算は幾何学的な直線的な断面を対象としており、現実の河道形状に対する計算とは差異が現れることが多いので、この点については観測された水面形状に一致するような粗度係数を選定することでよいと考えられる。

 このようにして一次元解析により得られる水理量は、断面の平均流速と、最深河床部での水深である。断面内の水深の分布は、断面形状が既知であるので定められる。流速の分布は、水深平均流速が水深に比例するという仮定に基づき定められた。この結果と生息数曲線とを組み合わせて、オイカワに対する重み付き利用可能面積を算出し、その曲線の変化から最適流量を求めた。しかしながら、大きな蛇行区間を含む観測値域においては妥当な結果とならず、これは水理計算が単純で、近似度が十分でないことに原因があると判断される。

 第6章では二次元の数値解析法を一般座標系に対して開発した。計算結果は、固定床および移動床に対する蛇行流路の実験結果と比較し、十分な精度があることが検証された。この結果を用いて観測地域内の重み付き利用可能面積の分布、観測地域における最適流量の縦断的変化などの空間的分布を算出し、河川計画の代替案を比較する際に有用な情報を与えることが出来ることを示した。さらに、週単位の流量時系列を年間を通して求め、年間を通じての重み付き利用可能面積の変化を算出した。現在の魚の資料では、稚魚・成魚の区別を体長で判別することしかできず、またその資料数も十分ではないが、利用可能面積の時系列よりオイカワの生活過程の特徴の片鱗を知ることが出来た。成長過程に応じた生物の資料が充実すれば、本論文で得られた評価手法の体系は魚の全生活史を含めて河川計画を生態的に、また、総合的に評価することが出来ることを示した。

 第7章では主として流下方向に変化して行く水温と植生による覆いと魚の密度との関係を論じた。この二つの因子は巨視的生息域変数に分類されるが、微視的な生息域変数の効果を分離することが出来なかったので、現段階では定性的な結果に留まっている。しかし、陸上性昆虫を餌とするカワムツやカワヨシノボリの生息と植生による覆いは関連が高いことが示された。

 第8章においては得られた成果を取りまとめると共に、将来の課題を整理している。

 以上要するに、本論文は流量増分式生息域評価法の改善を行うと共に、乙川への適用を通じて現実の河川計画の意思決定過程に生態環境面での定量的な情報を与えることが出来ることを示した。本論文で得られた成果は、今後の河川計画の中心課題に有力な解決手法を与えるものであり、河川工学に寄与するところが大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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