内容要旨 | | 本研究の目的は,アンビギュアスだといわれている集落の屋外空間についてその性質を明らかにし,その空間に関する概念を探究することにある. 集落の屋外領域は,通常,道路や路地,広場といった公共的な場所を表わす言葉で説明されるが,実際にはこのような分類の困難な領域が存在し,機能的な領域区分を旨とする近代都市の公共領域との隔たりを見せている.本論文ではそうした領域を持つ集落の中から,わが国の斜面に位置する密集型漁村集落の例を取り上げ,その調査分析を通して,このような機能分化されていない集落の屋外領域のしくみを明らかにしようとする. 集落の特徴のひとつはその秩序の形成過程にある.われわれが集落を研究する理由は,現存する集落の多くが長期的な変遷を経た後の姿として存在し,人々の長期にわたる諸生存活動の結果として現在に至っていることにある. このような累積効果による秩序形成は,進化による生命体の秩序形成の形式と類似する.人体という精緻な構造を前に,19世紀の反ダーウィン主義者は連続的な進化という概念を非現実的であると否定し,神により選択された秩序という予定調和説を強く主張した.だが現代の進化論は,自然淘汰を基本とするダーウィニズムのほぼ延長線上にある.集落の屋外領域の性質を考察するにあたり,進化論は,短期的・局所的な目標達成の積み重ねという事物の変化について,これを司る概念について示唆を与えてくれるのである. 集落,あるいは人間がつくり出した制度といった,尺度の異なる対象に向かって計画的視野に立つ場合,その目標に適した時間尺度や計画密度が存在する.決定に要する時間や情報量は,しばしば一人の人間の寿命や能力を超えるばかりでなく,ある集団の思考限度をも凌駕する.必要に応じて決定は留保され,また留保そのものを決定とせざるを得ないこともあるはずである. 本研究では,少なくとも一定期間存続した集落においては,思考と決定又は留保の繰り返しが経験され,人間の求める生存環境条件と現実の集落環境との間に,何らかの成熟した関係が存在することに着目する. 集落の屋外空間を対象とする本調査研究は,集落が優れているかどうかを論点とはしていない.研究はあくまで対象集落を調べ,特徴的な性質を分析し,そこに,新たな空間に関する概念を見い出そうとしているのである. 本論文は,論文の目的等を第I章で,日本の漁村集落を対象とした事例調査について第II章と第III章で述べ,これらを受けた結論を第IV章とする,4章構成となっている. 第I章では,研究全体の目的と位置付け,論文構成,既往研究との関係について記述し,集落を対象とした調査の姿勢を示す. 第II章は集落の変化に重点をおいた調査分析を主とする.まず,II・III章の調査分析の方法・目的を整理し,続いて最終的な5つの詳細調査地の選定に先立つ下調査の集落の中から,80地域について概要一覧を示す.後半が5つの集落の調査分析で,集落の現況形態,簡単な歴史を示すと同時に,集落内の各住戸・建築物の建替え・増改築の起きた年代,形状変化の調査結果を述べる.この結果からは,まず集落の変化速度が確認され,つづいて,集落内の通行機能とこれに必要な領域形態の変化との関係について示されて,その関係の特徴は近代都市と異なる相互の柔軟性・独立性であることが実証される. 第III章は主に集落の部分領域の相互関係についての調査分析である.はじめに,ひとつの指標にもとづく公的な領域を調べ,つづいて公的な経路の例を取り上げ,さらに集落の屋外領域で起きているいくつかの生活現象についてその活動領域の場所を特定する.結果として各領域相互の重なり関係が明らかとなり,特にその領域の交差関係によって屋外領域のあいまいな性質を実証している. 第IV章では,前2章の調査分析結果を受け,集落の屋外領域が持つ性質について,これの基礎となる物理的地表面および構築物と集落における人間社会の集団的諸活動との関係に焦点を絞って論理的に考察を進める.歴史的な連続性を保つ相互の関係について,進化論における「適応」の概念を参照しながら分析を進め,調査集落の屋外空間の特徴的な性質が,「機能の充実」「機能の変更」 「機能の生成」という拡張された「適応」の概念を支える3つの視点で説明できることを明らかにする. 研究対象とした密集型の漁村集落は,限られた空間を居住環境としてきた.ここでは,物的境界のような制御機構の構築を極力留保し,制限された広さと形態を,生存のための空間として生き抜いてきたのである.この空間は用途や管理といった様々な規制関係から解放されて,それら相互の指標に対して柔軟な関係を結べるように仕組まれている. 集落は過去を前提とし,それぞれの時代において,その既存条件の上に新たな部分を付け加えてきた.場合によっては変更を加え,時には放置した状態で,既存空間と新しい空間が共存してきた.根本的な廃棄は行なっておらず,また行うことはできなった.だが,この大きな廃棄をしないという前提が,空間の多様な活用方法を集落空間に求め続けてきたといえる.廃棄,すなわち既存の白紙化を前提とする近代都市計画との理念的な隔たりもここにある. 住居と擁壁のすき間が道になる,空き地が菜園になり一部通路としても利用される,道が時間によって物干し場にもなる,階段が腰掛けとなり会話の場となるといったささいな機能の変更・生成が,結果的な現象としてではなく,居住環境を司る計画理念に含まれていることが望ましいのではなかろうか.集落の屋外空間の説明 には,その部分が人々の生存環境として都合よくできている,あるいは都合よく変化するといった性質ばかりでなく,無用な部分やある時期無用である部分を含めた性質が必要である.そうでなければ,過去の空間のしくみを排除した近代都市とその性質において大差なく,周辺環境・既存環境の存在を前提とした新たな空間概念とはならない. 地球環境と人工環境の関係が大きく変貌した20世紀,都市計画における持続可能な空間に関する概念の研究と実践は極めて不足していると言える.従来漠然と捉えられてきた日本の集落屋外空間の探究により得られた「適応」の概念は,その一助となろう. |