学位論文要旨



No 213329
著者(漢字) 長坂,大
著者(英字)
著者(カナ) ナガサカ,ダイ
標題(和) 漁村集落における屋外空間の研究 : 空間に関する適応の概念について
標題(洋)
報告番号 213329
報告番号 乙13329
学位授与日 1997.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13329号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,廣司
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨

 本研究の目的は,アンビギュアスだといわれている集落の屋外空間についてその性質を明らかにし,その空間に関する概念を探究することにある.

 集落の屋外領域は,通常,道路や路地,広場といった公共的な場所を表わす言葉で説明されるが,実際にはこのような分類の困難な領域が存在し,機能的な領域区分を旨とする近代都市の公共領域との隔たりを見せている.本論文ではそうした領域を持つ集落の中から,わが国の斜面に位置する密集型漁村集落の例を取り上げ,その調査分析を通して,このような機能分化されていない集落の屋外領域のしくみを明らかにしようとする.

 集落の特徴のひとつはその秩序の形成過程にある.われわれが集落を研究する理由は,現存する集落の多くが長期的な変遷を経た後の姿として存在し,人々の長期にわたる諸生存活動の結果として現在に至っていることにある.

 このような累積効果による秩序形成は,進化による生命体の秩序形成の形式と類似する.人体という精緻な構造を前に,19世紀の反ダーウィン主義者は連続的な進化という概念を非現実的であると否定し,神により選択された秩序という予定調和説を強く主張した.だが現代の進化論は,自然淘汰を基本とするダーウィニズムのほぼ延長線上にある.集落の屋外領域の性質を考察するにあたり,進化論は,短期的・局所的な目標達成の積み重ねという事物の変化について,これを司る概念について示唆を与えてくれるのである.

 集落,あるいは人間がつくり出した制度といった,尺度の異なる対象に向かって計画的視野に立つ場合,その目標に適した時間尺度や計画密度が存在する.決定に要する時間や情報量は,しばしば一人の人間の寿命や能力を超えるばかりでなく,ある集団の思考限度をも凌駕する.必要に応じて決定は留保され,また留保そのものを決定とせざるを得ないこともあるはずである.

 本研究では,少なくとも一定期間存続した集落においては,思考と決定又は留保の繰り返しが経験され,人間の求める生存環境条件と現実の集落環境との間に,何らかの成熟した関係が存在することに着目する.

 集落の屋外空間を対象とする本調査研究は,集落が優れているかどうかを論点とはしていない.研究はあくまで対象集落を調べ,特徴的な性質を分析し,そこに,新たな空間に関する概念を見い出そうとしているのである.

 本論文は,論文の目的等を第I章で,日本の漁村集落を対象とした事例調査について第II章と第III章で述べ,これらを受けた結論を第IV章とする,4章構成となっている.

 第I章では,研究全体の目的と位置付け,論文構成,既往研究との関係について記述し,集落を対象とした調査の姿勢を示す.

 第II章は集落の変化に重点をおいた調査分析を主とする.まず,II・III章の調査分析の方法・目的を整理し,続いて最終的な5つの詳細調査地の選定に先立つ下調査の集落の中から,80地域について概要一覧を示す.後半が5つの集落の調査分析で,集落の現況形態,簡単な歴史を示すと同時に,集落内の各住戸・建築物の建替え・増改築の起きた年代,形状変化の調査結果を述べる.この結果からは,まず集落の変化速度が確認され,つづいて,集落内の通行機能とこれに必要な領域形態の変化との関係について示されて,その関係の特徴は近代都市と異なる相互の柔軟性・独立性であることが実証される.

 第III章は主に集落の部分領域の相互関係についての調査分析である.はじめに,ひとつの指標にもとづく公的な領域を調べ,つづいて公的な経路の例を取り上げ,さらに集落の屋外領域で起きているいくつかの生活現象についてその活動領域の場所を特定する.結果として各領域相互の重なり関係が明らかとなり,特にその領域の交差関係によって屋外領域のあいまいな性質を実証している.

 第IV章では,前2章の調査分析結果を受け,集落の屋外領域が持つ性質について,これの基礎となる物理的地表面および構築物と集落における人間社会の集団的諸活動との関係に焦点を絞って論理的に考察を進める.歴史的な連続性を保つ相互の関係について,進化論における「適応」の概念を参照しながら分析を進め,調査集落の屋外空間の特徴的な性質が,「機能の充実」「機能の変更」 「機能の生成」という拡張された「適応」の概念を支える3つの視点で説明できることを明らかにする.

 研究対象とした密集型の漁村集落は,限られた空間を居住環境としてきた.ここでは,物的境界のような制御機構の構築を極力留保し,制限された広さと形態を,生存のための空間として生き抜いてきたのである.この空間は用途や管理といった様々な規制関係から解放されて,それら相互の指標に対して柔軟な関係を結べるように仕組まれている.

 集落は過去を前提とし,それぞれの時代において,その既存条件の上に新たな部分を付け加えてきた.場合によっては変更を加え,時には放置した状態で,既存空間と新しい空間が共存してきた.根本的な廃棄は行なっておらず,また行うことはできなった.だが,この大きな廃棄をしないという前提が,空間の多様な活用方法を集落空間に求め続けてきたといえる.廃棄,すなわち既存の白紙化を前提とする近代都市計画との理念的な隔たりもここにある.

 住居と擁壁のすき間が道になる,空き地が菜園になり一部通路としても利用される,道が時間によって物干し場にもなる,階段が腰掛けとなり会話の場となるといったささいな機能の変更・生成が,結果的な現象としてではなく,居住環境を司る計画理念に含まれていることが望ましいのではなかろうか.集落の屋外空間の説明 には,その部分が人々の生存環境として都合よくできている,あるいは都合よく変化するといった性質ばかりでなく,無用な部分やある時期無用である部分を含めた性質が必要である.そうでなければ,過去の空間のしくみを排除した近代都市とその性質において大差なく,周辺環境・既存環境の存在を前提とした新たな空間概念とはならない.

 地球環境と人工環境の関係が大きく変貌した20世紀,都市計画における持続可能な空間に関する概念の研究と実践は極めて不足していると言える.従来漠然と捉えられてきた日本の集落屋外空間の探究により得られた「適応」の概念は,その一助となろう.

審査要旨

 本論文は、近畿圏に分布する漁村集落のうち5つの事例について、集落内の住居がそれまでとは異なった平面形状をもって建替えられる場合に生じる、屋外領域の時間的変化を現地調査によって把握し、従来漠然と指摘されてきた日本の伝統的集落のもつ外部空間の可変性と順応性を実証すると同時に、その意味を「適応」の概念によって論理的に説明したものである。

 論文は、4章と附加された調査資料からなる。

 第1章は、序文に相当し、本論文にまとめられた研究の目的と、既往研究の中での位置づけを要約している。日本の集落の外部空間がもつ順応性を実証的に把握するためには、集落形態の時間的変化を記述する必要があること、そのために比較的集落形態が保存されている漁村集落を対象とし、方法を新たに考案しつつ調査をすすめる態度が要請されていることが述べられている。

 第2章は、まず、主として近畿圏に分布する80ヶ所の漁村集落を対象として、それぞれに下調査を行った内容がまとめられている。筆者は、これらの集落を、地形特性のうえから7つのタイプに分類できるとし、さらに住戸数等などの観点を合わせて検討して、5ヶ所の集落を詳細に調査する対象に据えている。この5ヶ所の集落に関して、ヒアリングにより、それぞれの住居の最も近い過去で発生した建替えの日付を調査し、明らかに人々の記憶に残っている以前の住居と、建替えられた住居との平面形態上の差異を、限定された事例として調査している。建替えの日付の調査結果は、「建替え年度表」にまとめられている。この調査結果によれば、集落によって差異はあるが、集落を構成する住居の50%ほどが、この30年間に建替えられていることがわかる。調査結果はまた、「建替え年度分布図」および「建替え年度部分図」に表記されている。前者は、全住居に関して建替えられた年度を表記した集落配置図であり、後者は、建替えによって集落の屋外領域が局所的に微妙に変化した内容を表記した配置図である。集落の屋外空間の時間的な変化は、もはや全体的には把握することは不可能であるが、局所的な事例の集合として記述することができ、これらの事例は、いずれの集落においても発生しうる変化として想定される。事例の集合は、資料の上では限定されているが、「みち」として漠然として境界づけられている領域が、継続的に変化していることを実証しているとされている。

 第3章は、第2章で明らかになった屋外領域のあいまいな境界をもつ性格を、より深く調査し、浮上させている内容をもっている。筆者はまず、集落の屋外領域のうちで、明らかに私的とみなせる領域を除いた領域を「日常領域」と定義して、この領域に対して公共的に通行に供する「みち」の存在を、「公共経路」として表記している。筆者の提案する「公共経路」の表記方法は、郵便配達のために通行する経路であり、それに関する具体的な調査を行って、集落配置図上にプロットした「公共経路」図を作成している。こうした集落の「日常領域」図は、「公共経路」図によって構造づけられるが、調査結果は、両者が領域的に交差関係にあることを示しており、集落屋外領域の境界のあいまいさは、ここでも明らかになっている。さらに、通行の機能の外に発生している、日常的な諸機能を充足するための場所が、この「日常領域」内の所々に設定されている状態を、物干し場、海産物干し場、会話の場等について調査した結果として図示されている。集落の屋外領域の多様な機能は、こうした図の重ね合わせによって示される。しかし、調査によれば、物干し場等が設定される場所も、季節によって移動し、不確定である。こうした調査結果は、いずれも、屋外領域のアンビギュアスな性格を実証するものであると、筆者は述べている。

 第4章は、以上の調査と分析において、実証的に表示された集落の屋外領域のアンビギュアスな性格を、論理的に説明しようと試みた章である。筆者は、集落の屋外領域が時間的に変化する状態を、S.J.GouldとE.S.Vrbaによって提唱されたaptationの概念を参照しつつ、「機能の充実」 「機能の変更」 「機能の生成」の3つの視点から説明されるとしている。これらの機能によって、集落の屋外領域は時間的に変化するが、それらを統合する概念が「適応」であり、かく一般化された動的な領域は、空間と呼ぶことができ、これまで研究対象としてきた「集落屋外領域」は、「集落屋外空間」とすることができるのではないかと述べている。

 以上要するに、本論文は、これまでに困難とされてきた集落の時間的変化を調査することを意図し、限られた範囲ではあるが、その実証的な資料を作成すると同時に、将来の研究の可能性を示し得た。この調査方法の開発と資料作成は、建築計画学及び都市計画学に貢献するところが大きく、また日本の集落空間の文化的意味の解明にも寄与している。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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