学位論文要旨



No 213332
著者(漢字) 中村,伊知郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,イチロウ
標題(和) プロダクトモデルの多重表現の形式仕様に関する研究
標題(洋)
報告番号 213332
報告番号 乙13332
学位授与日 1997.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13332号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,文彦
 東京大学 教授 鯉渕,興二
 東京大学 教授 新井,民夫
 東京大学 助教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 桐山,孝司
内容要旨

 製造業における計算機支援は,プロダクトのライフサイクルの設計フェーズや生産準備フェーズに限定した支援を行うCAD/CAM(Computer Aided Design/Manufacturing)システムから,ライフサイクルの全般を支援するCIM(Computer Integrated Manufacturing)システムへと発展してきている.このような情報システムの構築には,プロダクトの内容や構造に関する諸情報をデータベースの論理構造として定義することが必要であり,これを「プロダクトモデル」と呼ぶ.

 現時点では,プロダクトモデルは情報システムごとに独自に開発され,標準化が遅れている.したがって,異なる情報システム間での情報の共有は,意味的にはオーバラップを持つがその具体的な表現形式が異なるプロダクトモデル間で頻繁なデータ変換を行うことによって実現されている.このようなデータ変換を行うソフトウェアを開発するには,異なるデータベース管理システム間でデータの型,構造や意味を変換しなければならないため,多くの費用と時間を要する.また,高い品質を実現することも難しい.

 本研究では,異なるプロダクトモデル間での情報共有に関するデータ変換作業の負荷を大きく軽減することを目的として,データ変換ソフトウェアを効率よくかつ正確に実現する技術を提案した.そして,実際にデータ変換ソフトウェアを構築して実験を行うことにより,提案した技術の有用性を検証した.

 研究の内容を,論文の構成に沿って説明する.

 第2章では,現在のプロダクトモデルが抱える問題点の一つとして,同一の対象を表す目的で用意されたプロダクトモデルが複数あり,かつその具体的な表現形式が大きく異なっているという「プロダクトモデルの多様性」を抽出する.この多様性のため,プロダクトデータの利用者は,意味的なオーバラップのあるプロダクトモデル間でデータの表現形式を頻繁に変換する必要がある.この変換作業の負荷を大きく軽減するために,「プロダクトに関する情報を,要求に応じて複数のプロダクトモデルで多重に表現する技術を確立すること」を,本研究の目的に設定する.

 第3章では,本研究の目的を達成する観点から,関連する従来研究を評価する.プロダクトモデルの定義言語と,応用分野や問題ごとのプロダクトモデルに関しては,ISO10303(STEP)の活動の成果を標準として利用できる.しかし,肝心なデータ変換ソフトウェアの設計・製造技術の改善に関しては実用に耐える研究例はなく,依然として一品料理的な開発が続けられている.そこで,言語やモデルはSTEPの成果を利用し,データ変換ソフトウェアの設計・製造技術の改善に中心を置いて研究を進めることにする.

 第4章では,研究方針を議論する.意味的なオーバラップを持つ複数のプロダクトモデルの統合を考えるにあたって個々のモデル間でばらばらに意味的な対応関係を設計したとしたら,複数のプロダクトモデルの全体から見た場合,意味的な統合が行われているとは言えない.そこで本研究では,まず意味的なオーバラップを共通のモデルで表現し,つぎにこの共通モデルに基づいて個々のモデル間での対応関係を設計することにする.仮に,対象となる複数のプロダクトモデルからこれらの基底にある共通な設計思想を表すようなモデルを帰納的に導けるとしたら,これを共通モデルに使うことができるが,このような仮定を置くことは現実には無理がある.そこで,共通モデルを「複数のプロダクトモデルに共通に適用できるモジュール化の仕様」として実現することにし,これを「インタフェースモデル」と呼ぶ.インタフェースモデルは,対象となるプロダクトモデル群において共通にモジュール化可能な部分モデルをエンティティ(データ要素)で,部分モデル間の関係を参照関係でそれぞれ表現する.

 インタフェースモデルは,対象となるプロダクトモデル群の類似性に依存した便宜上のモデルであり,プロダクトモデルの設計者が考えるような論理的で均整のとれたモデルではないが,複数のプロダクトモデル間の意味的なオーバラップを共通に表現するモデルとして利用することができる.

 第5章では,個々のプロダクトモデル間で対応関係の詳細を設計する技術について議論する.各プロダクトモデルにおいて「インタフェースモデル」のエンティティに対応して設計したエンティティの集合を,「写像単位」と呼ぶ.基本的には,個々のプロダクトモデル間で「インタフェースモデル」の同一エンティティに対応する「写像単位」を意味的に同値なものとして対応づければよい.実用的には対応関係をより細分化したい方が扱いやすいので,写像単位を各モデルに依存してさらに分解する.

 「写像単位」のようなプロダクトモデルの部分集合を設計することは,従来の研究においても論じられている.しかし,現実のプロダクトモデルは3桁から5桁個のエンティティとそれらの関係から構成され,LSIの回路図のように複雑である.このようなプロダクトモデルからいかにして「写像単位」を切り出すかという肝心な点は不明確なままにされているため,従来の研究は実用に至っていない.本研究では,写像単位を設計するためにプロダクトモデルを分析する際のプロダクトモデルの見え方を形式表現するという方法で,写像単位の設計方法を曖昧性なく伝えることを考える.また,プロダクトモデルの中で「写像単位」が満たしていなければならない拘束条件も形式表現して示す.これにより,「プロダクトモデル間の対応関係をモジュール化するために,各プロダクトモデル内に部分集合を設計する」という手法が,実用に耐えるものとなる.

 第6章では,写像元のモデルにおける表現形式を写像先のモデルの表現形式に変換する仕様を,モデル間で設計した写像単位の対応関係ごとに,形式言語で定義する技術について議論する.従来のデータ変換ソフトウェアの仕様は,「写像元のデータベースからエンティティインスタンスを検索し,これを写像先のモデルの表現形式に変換し,変換したエンティティインスタンスを写像先のデータベースに保存する」という計算機上の手続きを記述したものであった.一方で,写像仕様の設計者にとっての本質的な作業は,「写像元のモデルの表現形式を写像先のモデルの表現形式にいかに変換するか」を設計することである.本研究では,従来の写像仕様からデータベースに関する記述を切り離し,写像仕様に応じて動作する汎用的なドライバプログラムとして実現することにする.これにより,写像仕様の設計者は,データベース固有の手続きに煩わされることなく本質的な作業に専念できる.

 従来の写像仕様の持つもう一つの問題点として,プロダクトモデルに変更が生じた場合に,これに対応した変更作業が大変複雑なものとなることがある.この主な原因は,プロダクトモデルの仕様と写像仕様を定義する言語が異なるため言語間の翻訳が必要であり,かつ両者の仕様を結びつけるものはエンティティ名や属性名といったラベルしかないという点である.本研究においては,写像仕様を,従来のような手続き的なプログラムではなく,異なるプロダクトモデルが意味的に同値な関係にある状態を表現する一種のプロダクトモデルとして定義し,このモデルを「統合モデル」と呼ぶ.本方式では,両者の定義言語は統一され,また両者の関係はエンティティ間の直接的な同値関係によって表現できる.これにより,プロダクトモデルの変更に対応して写像仕様を変更する作業の負荷が,大きく軽減される.

 また,このように写像仕様の設計方法を従来の方法から大きく変えると,写像仕様の設計者が新しい設計方法になかなか順応できないという問題点がある.そこで,統合モデルの設計において現れる典型的な記述パターンを網羅した写像定義パターン集を整備する.このパターン集の提供により,写像の設計者が新しい設計方法に早期に順応できるとともに,設計作業そのものも定型化できる.

 第7章では,統合モデルの形式仕様に応じて動作するドライバプログラムの仕組みを議論する.従来のデータ変換ソフトウェアは,写像元の全データを写像先に変換することを前提とした.しかし,情報システムの高機能化や集約化によって,PDM(Product Data Management)システムのように従来のCAD,CAMやCAE(Computer Aided Engineering)システムの持つデータを包含するような情報システムが現れるようになった.PDMシステムとのデータ交換はそのプロダクトモデルの部分集合との間で考える必要があるが,これを交換相手ごとに開発したのでは効率が悪い.そこで本研究では,あるプロダクトモデル全体に対する写像仕様を用意したとしても,その写像仕様の任意の部分集合のみを適用することが可能な仕組みを用意する.これにより,ある情報システムに関するデータ交換において,相手となる情報システムに応じて交換の範囲を変えることができる.

 第8章では,以上の提案した方式を実際の情報システム間のデータ交換に適用して,有効性を確認する.まず,本研究に基づいてデータ変換を実現する実験システムを構築する.つぎに,CADベンダー5社に,本研究の提案した方式にしたがってCADシステムを実験システムに組み込むことを依頼し,製図データを共有する実験を行う.また,評価を客観的なものとするために,別の1社にCADユーザの代わりとなる作業を依頼する.実験の結果から,本研究の提案した「プロダクトモデルを多重に表現する技術」が十分実用に耐えるものであり,特に写像の形式仕様の生産性において従来方式を大きく改善するものであることが確認できた.

審査要旨

 本論文は、「プロダクトモデルの多重表現の形式仕様に関する研究」と題して、設計生産の計算機支援において、対象製品を表現するプロダクトモデルがシステム毎に異なっているという問題を克服するために、プロダクトモデルデータの交換ソフトウェアを効率良くかつ正確に実現する技術を提案し、実際にソフトウェアを構築して実験を行うことにより、その有効性を検証したものである。

 製造業における技術活動の計算機支援においては,対象製品の属性や構造に関する諸情報をデータベースの論理構造として定義することが必要であり,これをプロダクトモデルと呼ぶ。現在は,プロダクトモデルは情報システムごとに独自に開発され,標準化が遅れており、異なる情報システム間での情報の共有は,意味的には共通部分を持つがその具体的な表現形式が異なるプロダクトモデル間で頻繁なデータ変換を行うことによって実現されている。このようなデータ変換を行うソフトウェアを開発するには,異なるデータベース管理システム間でデータの型,構造や意味を変換しなければならないため,多くの費用と時間を要し、また、高い品質を実現することも難しい。本研究では,異なるプロダクトモデル間での情報共有に関するデータ変換作業の負荷を軽減することを目的として,データ変換ソフトウェアを効率よくかつ正確に実現する技術を提案し、実際にデータ変換ソフトウェアを構築して実験を行うことにより,提案した技術の有用性を検証した。

 本論文は9章よりなり、その概要は以下のようである。

 第1章は序論であり、上記のような研究の背景と目的を論じている。

 第2章では,同一対象を表すプロダクトモデルが複数あり、その具体的な表現形式が大きく異なっているというプロダクトモデルの多様性の問題を抽出し、プロダクトに関する情報を要求に応じて複数のプロダクトモデルで多重に表現する技術を確立することにより問題を解決しようとする本研究の基本方針を述べている。

 第3章では,本研究の目的を達成する観点から,関連する従来研究を評価し、表現のための言語やモデルは国際規格であるSTEPの成果を利用し,データ変換ソフトウェアの設計・製造技術の改善に中心を置いて研究を進めることを述べている。

 第4章では,複数のプロダクトモデルの統合を考えるために、まず意味的な重なりを共通のモデルで表現し,つぎにこの共通モデルに基づいて個々のモデル間での対応関係を設計する、という方法を提案している。共通モデルを、複数のプロダクトモデルに共通に適用できるモジュール化の仕様、として実現することにし,これをインタフェースモデルと呼ぶことにした。インタフェースモデルは,対象となるプロダクトモデル群において共通にモジュール化可能な部分モデルをエンティティ(データ要素)で,部分モデル間の関係を参照関係でそれぞれ表現するものである。

 第5章では,個々のプロダクトモデル間で対応関係の詳細を設計する技術について議論している。各プロダクトモデルにおいてインタフェースモデルのエンティティに対応して設計したエンティティの集合を写像単位と呼ぶ。基本的には個々のプロダクトモデル間でインタフェースモデルの同一エンティティに対応する写像単位を意味的に同値なものとして対応づければよい。本研究では,写像単位を設計するためにプロダクトモデルを分析する際のプロダクトモデルの見え方を形式表現するという方法で,写像単位の設計方法の曖昧性を無くすことを考えた。

 第6章では,写像元のモデルにおける表現形式を写像先のモデルの表現形式に変換する仕様を,モデル間で設計した写像単位の対応関係ごとに,形式言語で定義する技術について述べている。定義の繁雑さを回避するために、統合モデルの設計において現れる典型的な記述パターンを網羅した写像定義パターン集を整備する。このパターン集の提供により,写像の設計者が新しい設計方法に早期に順応できるとともに,設計作業そのものも定型化できる。

 第7章では,統合モデルの形式仕様に応じて動作するドライバプログラムの仕組みを述べている。あるプロダクトモデル全体に対する写像仕様に対して、その写像仕様の任意の部分集合のみを適用することが可能な仕組みを用意して、ある情報システムに関するデータ交換において,相手となる情報システムに応じて交換の範囲を変えることができるようにしている。

 第8章は,提案した方式を実際の情報システム間のデータ交換に適用して有効性を確認したものである。本研究に基づいてデータ変換を実現する実験システムを構築して実験を行った結果から,本研究で提案した、プロダクトモデルを多重に表現する技術が十分実用に耐えるものであり,特に写像の形式仕様の生産性において従来方式を大きく改善するものであることが確認できた。

 第9章は、本研究で得られた成果をまとめている。

 以上を要するに、本論文は、異なるプロダクトモデル間の共通部分の対応関係を形式的に厳密に設計する手法を開発し、実用的に重要なプロダクトモデルデータの変換ソフトウェアを効率良く正確に実現することを可能としたもので、精密機械工学の今後の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク