学位論文要旨



No 213340
著者(漢字) 大橋,欣治
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,キンジ
標題(和) 農村総合整備事業制度の計画・事業実施の手法とその評価
標題(洋)
報告番号 213340
報告番号 乙13340
学位授与日 1997.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13340号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 助教授 山路,永司
内容要旨 1.背景と目的

 戦後の農政は、農業政策を主体として出発し、土地改良事業は農業の生産基盤整備として展開され、それを支える技術は農業土木工学であった。1970年代に、総合農政政策への転換の中で、土地改良事業の立場から農業の生産基盤整備と農村の生活環境整備を一体とした農村総合整備事業制度が確立され、それを支える技術は農村地域工学へと発展した。そして、1990年代に入り、新しい食料・農業・農村政策の展開の中で、農政の一つの柱として農村政策が確立され、土地改良事業も農業・農村の総合整備事業として展開されるとともに、農村総合整備事業制度も農村環境整備をも含むようになり、それを支える技術も農村環境工学へと展開してきている。

 本研究は、この戦後の農政及び土地改良事業の展開、並びに農業土木技術の歩みの中で、大きなターニングポイントとなった1970年代に確立された農村総合整備事業制度について、その歴史的背景、計画・事業実施の手法、及びその評価を分析、検証するとともに、今後の課題と展望を考察するものである。

2.構成と概要

 第I章では、農村総合整備事業制度の歴史的展開を論じるに当って、まず農業・農村整備の歴史的展開について概観している。

 第II章では、農村総合整備事業制度発足の歴史的背景とその基本的な考え方について考察している。特に、戦後の復興から高度経済成長の過程において、土地改良事業が食糧増産から農業の生産性向上のための農業基盤整備へと展開されていく中で、1970年代に農村総合整備事業制度が確立された背景について分析している。

 第III章では、1970年代に確立された農村総合整備事業制度の計画・事業実施の手法とその特色、及びその果たした役割について考察している。まず、農村総合整備事業制度の出発点となった農業基盤総合整備パイロット事業調査(総パ調査)とその事業実施制度となった農村基盤総合整備パイロット事業(総パ事業)、次いで、引き続いて制度化された農村総合整備計画と農村総合整備モデル事業(農村モデル事業)、さらに、総パ事業の代替として制度化された農村基盤総合整備事業(ミニ総パ事業)について取り上げている。

 第IV章では、農村総合整備事業の実施地区のケーススタディとして、総パ事業(3地区)、農村モデル事業(5地区)、ミニ総パ事業(2地区)について、それぞれの地区における計画樹立の背景、計画・事業実施の内容とその特色、事業の評価と問題点を具体的に分析、検証を行っている。併せて、これらのケーススタディを通じて、3つの事業制度を横断した3つのタイプの事業の性格分け(農村基盤総合整備型、生活環境総合整備型、生活環境集落排水型)とこれらの共通的な特色について考察している。さらに、これらの農村総合整備事業の展開と土地基盤整備、農業生産・所得額との関連について考察している。

 第V章では、新たな農村総合整備事業の評価手法として、整備状況を「農村整備指数」(安全性、保健性、利便性、快適性に対応する代表的な指標)という一元的な数値で表し、各市町村整備状況のランクづけを行っている。併せて、特に、農村モデル事業の効果を市町村ランクづけデータなどを用いて分析している。その上で、この評価結果に関する考察を行うとともに、現地調査による検証、とりわけ住民アンケート調査に基づく指標項目の重みづけを勘案した農村整備指数の提案を行っている。

 第VI章では、農村整備水準、地域類型別の農村整備ビジョン、農村計画制度の考え方、並びに中山間地域の農業・農村活性化対策について分析、検証している。そして、最近の農村整備を巡る動向をも勘案しながら、これからの農村総合整備事業の展開の視点を考察している。併せて、農村総合整備事業制度の課題と展開方向を論じている。

 終章では、結論として本研究の考察の結果の要旨を述べている。さらに、補論として、わが国の農村総合整備事業制度の確立に当って、参考とした西欧(西ドイツ、オランダ、フランス)の農地整備を母体とした農村整備制度について、その展開と背景を考察している。

3.特徴的な成果

 本研究において、特に、注目した視点からの考察の結果は、以下の通りである。

 第1は、農村総合整備事業制度の計画・事業実施の手法について、次のような特色を明らかにした。(1)従来の土地改良事業が農業の生産基盤整備を目的としていたのに対して、1970年代に確立された総パ事業、農村モデル事業、ミニ総パ事業という農村総合整備事業制度は、それぞれ対象地区の拡がり、補助対象の事業工種及びその構成、事業費の規模等が異なるものの、農業の生産基盤整備及びこれと一体的な農村の生活環境整備を総合的に実施するいう共通点があった。(2)農村総合整備事業、特に、総パ事業にあっては、農地の集団化に留まらず非農地を含む地域の総合的な土地利用計画を実現するため、圃場整備等に伴う非農地を取り込んだ換地手法を用いることによって土地利用秩序の形成に資するように運営された。(3)農村の生活環境整備の実施に当っては、その対象事業工種についてメニュー方式とし地域住民による選択制度が導入された。特に、農村モデル事業の場合には、集落住民参加による集落診断手法が導入された。これは、従来の農業生産基盤整備の場合、事業の経済性、受益農家の負担能力の妥当性等の検討が必要であるのに対して、農村生活環境整備の場合は、地域住民のニーズを優先することが最も妥当であることによったものであった。

 第2は、農村総合整備事業と土地基盤整備の展開過程等との関連を明らかにした。土地基盤整備の展開過程としては、第1ステージは土地生産性の向上(灌漑排水等による単位面積当りの農業生産量の増大・安定)、第2ステージは労働生産性の向上(圃場整備等による農家当りの農業生産額の増大)、第3ステージは集落居住環境の向上(第1、2ステージの結果農家の農業所得ないし農家所得の増大による生活環境整備へのニーズの高まり)、第4ステージは農業集落排水施設(農村下水道)の整備(農家の農業所得ないし農家所得の高水準の確保による農村下水道へのニーズの高まり)、第5ステージは農村の地域環境(親水、水質、景観、生態系等)の保全整備である。これに対して、農村総合整備事業の展開としては、第1ステージの整備はほぼ完了した上で、農村基盤総合整備型は第2から第3ステージに、生活環境総合整備型は第3ステージに、生活環境集落排水型は第4ステージに対応するものであり、第5ステージへの対応はこれからの課題である。つまり、地区毎の農村総合整備事業のタイプ分けの選択は、土地基盤整備の展開過程いわば土地改良投資の段階、及びそれに伴う農業生産・所得額という農家経済の水準との関連によっているということである。

 第3は、新たな農村総合整備事業の評価手法として、整備状況を「農村整備指数」(農村における暮らしやすさ指数)という一元的な数値で表わしたことである。つまり、指数として、農村モデル事業の目的である安全性、保健性、利便性、快適性の向上を代表する指標を選択している。この指標データとしては、国土庁の「農村地域整備状況調査」の昭和50、57、63年調査結果を用いている。データ項目としては、データ分析の偏在が極端な項目は対象外とすることで、最終的に4指標-(1)集落道舗装率(利便性、快適性)、(2)し尿水洗処理率(保健性、快適性)、(3)飲用水施設普及率(保健性)、(4)夜間加療30分未満集落率(安全性、利便性)に絞っている。これに基づく個別指標の総合得点化を、「農村整備指数」とするものである。この場合、個別指標には偏差値得点を用いるとともに、住民アンケート調査結果による各項目に重みづけを行っている。これによる農村整備指数の各市町村のランクづけを行った結果、全国ベースでの各指標は確実に整備率が向上しており、特に、昭和50〜57年にかけて顕著である。農村整備指数は、昭和50年時点では農村モデル事業未実施グループ、農村モデル事業II期以降グループ(昭和52〜58年度農村総合整備計画樹立市町村)、農村モデル事業I期グループ(昭和49〜51年度農村総合整備計画樹立市町村)の順であったものが、昭和57年及び63年時点ではI期グループ、未実施グループ、II期以降グループの順となっており、特に、I期グループの伸びが顕著である。さらに、地域類型でみると、農村モデル事業の効果は、都市的地域を除く平地地域、中山間地域で大きく、特に、中山間地域では顕著である。このことから、農村モデル事業は、農村における暮らしやすさの向上に寄与していることが明らかになった。

4.まとめ

 以上の結果から、農村総合整備事業制度は、土地利用秩序の形成や住民参加型等の特色ある手法を有し、土地改良投資の段階や農家経済の水準に応じた事業体系を持ち、農村の生活環境整備水準の向上に大きく寄与してきたと結論づけられる。今後の展開に当っては、単なるルーラル・ミニマムではなくアメニティ・ミニマムという概念の確立、農村計画制度の充実、中山間地域の活性化への貢献等が必要である。

審査要旨

 1960年代以降の高度経済成長による急激な社会経済の変化の中で、農村地域においても土地・水利用の変化、混住社会化の進行、生活様式の都市化などによって、都市に比べ立ち遅れている生活環境整備へのニーズが高まっていた。また、1969年の新全総計画や1970年の総合農政の推進の決定などによって、新しい農村社会の建設が指向されていた。さらに、土地改良事業においても、増産メカニズムの一環としての農業基盤整備から農村空間開発の一環としての農業・農村基盤整備への転換が求められていた。このような歴史的背景の中で、1970年代に農業の生産基盤と農村の生活環境を一体的・総合的に整備する農村総合整備事業制度すなわち、総パ事業、農村モデル事業、ミニ総パ事業の3つの制度が確立された。

 本論文は、この農村総合整備事業制度について、その歴史的背景、計画・事業実施の手法、及びその評価を分析、検証するとともに、今後の課題と展望を考察したものである。

 本論文の成果は次のように要約される。

 (1)農村総合整備事業制度の計画・事業実施の手法の主な特色を、次のように整理した。すなわち、第1に、農業の生産基盤整備と一体的な農村の生活環境整備(集落道、営農飲雑用水施設、集落排水施設、農村公園・緑地等)を総合的に実施するものであったこと、第2に、農地の集団化に留まらず非農地を含む地域の総合的な土地利用計画を実現するため、圃場整備等に伴う非農地を取り込んだ換地手法を用いることによって土地利用秩序の形成に資するように運営されたこと、第3に、農村の生活環境整備の実施に当って、その対象事業工種をメニュー方式とし、地域住民による選択制度-特に農村モデル事業においては集落住民参加による集落診断手法-が導入されたこと、である。

 (2)農村総合整備事業地区のケーススタディを通じて、3つの事業制度を横断した3つの事業タイプに性格分けができた。すなわち、農村基盤総合整備型(農業基盤を主とし、生活環境を従とするもの)、生活環境総合整備型(農業基盤を従とし、生活環境を主とするもの)、生活環境集落排水型(生活環境の中でも特に集落排水を主とするもの)である。これらの事業タイプの選択は、地区毎の土地基盤整備の展開過程いわば土地改良投資の段階、及びそれに伴う農業生産・所得額という農家経済の水準との関連によっていることを明らかにした。このことは、地域のニーズに対応した適格な農村総合整備事業制度が用意されてきたということでもある。

 (3)新たな農村総合整備事業の評価手法として、特に農村モデル事業の目的である安全性、保健性、利便性、快適性の向上を代表する4指標-集落道舗装率、し尿水洗処理率、飲用水施設普及率、夜間加療30分未満集落率-を選択し、この個別指標の総合得点化を「農村整備指数」とすることを提案した。この場合個別指標には偏差値得点を用いるとともに、住民アンケート調査結果による各項目に重みづけを行っている。これは客観的でかつ一元的な指標である。これにより、農村整備指数の伸びは、農村モデル事業を早期に実施したI期グループが顕著であること、地域類型毎の差が顕著であり、都市的地域を除く平地地域、中山間地域で大きく、特に中山間地域で顕著であることを明らかにした。このことによって、農村総合整備事業が、農村地域住民の生活環境整備に対するニーズに応えてきたことも併せて立証している。

 (4)これまでの成果を踏まえて、今後の農村総合整備事業制度の展開に当っては、単なるルーラル・ミニマムではなくアメニティ・ミニマムという概念の確立、地域類型別の農村整備のビジョンの検討、農村計画制度の充実、中山間地域の活性化への貢献等が必要であることを示した。

 以上要するに、本論文は、(1)農村総合整備事業制度の確立の歴史的背景、計画・事業実施の手法について、分析・考察し、体系的に取り纏めたこと、(2)土地改良投資の段階や農家経済の水準と農村総合整備事業との関係の検証したこと、(3)農村総合整備事業の新たな評価手法を開発し、その評価分析を行ったものである。その手法は大いに独創性があり、またその成果はきわめて具体的であり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク