学位論文要旨



No 213341
著者(漢字) 山本,玉雄
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,タマオ
標題(和) ジアゼパム注入睡眠療法の臨床効果と奏功機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 213341
報告番号 乙13341
学位授与日 1997.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13341号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 講師 井上,哲文
 東京大学 講師 斎藤,正彦
内容要旨

 不安を客観的定量的に測定するために,我々は高橋・奥瀬と共にジアゼパム鎮静閾値テストを開発した。これは不安を急速かつ強力に鎮静化するため,ジアゼパム注入睡眠療法(Diazepam Infusion Sleeping Therapy;DIST)として治療に応用している。研究1は,このDISTという新しい治療法の紹介のために臨床効果について検討し,研究2で,DISTの奏功機序の一端を探る目的で,DIST前後の自律神経機能およびManifest Anxiety Scale(MAS)について基礎的検討を行った。

 DISTの方法は,ジアゼパムを0.05mg/kg/minの割合にて持続的に静注する。注入につれて応答がなくなり「軽い寝息」をたてる。この時点を睡眠点と定め注入を終了する。

 研究1では,まず,DISTの臨床効果を調べた。対象は,心身症,神経症およびその関連疾患を有する患者(以下「患者」と略す)122名である。次に,症状別効果を調べるために「患者」310名を対象に,その臨床効果を調べた。治療効果の判定は,患者の訴え等により主治医が著効,有効,無効,悪化の4段階に分類した。著効は症状がほとんど消失したもの,有効は症状が軽度改善したもの,無効は症状が改善しなかったもの,悪化は症状が悪化したものとした。そして,DIST時のジアゼパム投与量と臨床効果の関係を調べた。対象は,「患者」92名である。さらに,ジアゼパム投与量とCornell MedicaL Index(CMI)との関係も調べた。対象は「患者」79名である。また,副作用調査のために,DIST前後のvital signについても調査した。対象は「患者」44名で,vital sign(血圧,脈拍,呼吸数)を,直前,睡眠点,30分後の3点において測定した。

 研究2では,DISTの奏効機序の一端を解明するために,自律神経機能を心拍変動から評価し,MASも施行した。対象は男性6例女性8例の「患者」である。自律神経機能の評価は,治療当日,翌日さらに6日後の3回施行した。呼吸を0.25Hzと一定に保ち,仰臥位安静時の心電図を収録し,RR間隔を1msecの精度で測定した。データの分析は自己回帰スペクトル分析法に依り,得られた特性関数に波素分析を行い,個々の変動成分の中心周波数とパワーを計算した。0.25Hzの中心周波数を持つものを高周波数(high frequency;HF)成分,0.08〜0.15Hzを低周波数(low frequency;LF)成分とした。HF成分の大きさを早野の提唱したCCV値(component coefficient of variance値)で表し,心臓迷走神経活動の指標とした。CCV(%)=100×HF成分パワー1/2/平均RR間隔。一方,交感神経活動の副交感神経活動に対する優位性の指標としてPaganiらの提唱するLF成分とHF成分のパワーの比(LF/HF;%)を採用した。また,原則として,各「患者」群には重複はなく,それぞれ独立の集団である。

 研究1の結果であるが,DISTの有効疾患は,恐慌性障害,気分変調症,自律神経失調症,全般性不安障害などで,無効のものは,大うつ病,神経性食思不振症,境界型人格障害,脳梗塞後遺症などであった。

 臨床症状とDISTの臨床効果との関係であるが,感覚鈍麻・熱感・冷感・耳鳴・胸部圧迫感・頭痛・微熱・胸やけ・動悸・不安・不眠などに有効で,倦怠感・食思不振・妄想などには,無効でむしろ悪化傾向すらあるので注意を要する。

 DISTに要したジアゼパム投与量と臨床効果との関係においては,各効果ごとのジアゼパムの平均投与量は無効群;0.45±0.286mg,有効群;0.68±0.384mg,著効群;0.79±0.384mgであり,3群の平均値には有意な差を認め,有効群,著効群により多くのジアゼパムを必要とした(p<0.05)。なお,悪化群は,0であった。

 CMIの各領域ごとのDIST時のジアゼパム平均投与量は,I領域;0.42±0.165mgII領域;0.48±0.180mg,III領域;0.56±0.244mg,IV領域;0.85±0.436mgであり,各領域間で有意差を認め,IV領域でより多くのジアゼパムを必要とした(p<0.05)。

 次に,vital signについては,収縮期および拡張期の血圧は,睡眠点と30分後で有意に減少した。脈拍と呼吸数は,睡眠点で有意に増加した。治療的処置は要しなかった。

 研究2の結果であるが,自律神経機能については,CCV値において,直前は1.78±1.12,直後は2.08±1.35,6日後は1.98±1.55と,有意差はなかったが,LF/HFにおいては,直前は85.3±35.0,直後は56.8±22.0,6日後は55.8±19.8と有意な減少を示し,MASスコアにおいても,直前は30.0±10.3で,6日後は26.5±10.8となり有意な減少を示した(p<0.05)。

 研究1の考察であるが,西園らは,精神科領域におけるジアゼパム注射の臨床効果を発表している。その方法は,ジアゼパム注射液を寝込まない程度にゆるやかに注入し,ジアゼパム10〜40mg静注を毎日(または隔日で)症状が改善するまで続け,好成績をあげている。著効例は,全例ジアゼパム20mg以上投与の症例であった。不安・緊張には個人差があり,この西園の寝込まない程度に注入する方法では,十分鎮静されない症例も出てくることが予想される。しかし,我々のDISTでは,寝込むまで持続投与するため,必要かつ十分な鎮静が得られ,治療効果をより高めることになると考えられる。他に,ジアゼパム等を用いた睡眠療法の研究は,内外の論文ではみあたらず,当研究が初めてと思われる。

 臨床効果との検討では無効群よりも有効群,さらに著効群にジアゼパム投与量が多いという結果であった。すなわち,DISTにより入眠するまでの時間が長いほど,著効を示したということになる。つまり,大量のジアゼパムで不安・緊張をしっかりと鎮静化したものほど有効であったということになる。不安・緊張の強い群ほど,より大量のジアゼパムが入眠までに必要で,大量のジアゼパムは不安・緊張を鎮静化し,症状をとると考えられる。無効群は,少量のジアゼパムで眠ってしまう人が多く,ヒステリーや強迫傾向及び疾病利得等の心因が深く関与している神経症圏の症例や人格障害が含まれ,心理療法などが必要になる群と思われる。

 CMIの4つの領域とジアゼパム投与量の関係も検討したところ,CMIのIV領域の患者において,より多くのジアゼパムを必要とすることが確認された。

 なお,DISTの安全性であるが,まず眠気・ふらつきは多少認められるものの,翌朝の目覚めはすっきりすると答える例が多かった。次に,循環器系への影響は,有意に血圧下降と脈拍上昇を認めたが,特に処置を必要とする例はなかった。さらに,呼吸器系への影響であるが,呼吸数は有意に上昇したが,普通は処置を必要とすることはない。ジアゼパム静注の川澄らの論文では,血圧がわずか下降し,呼吸数は増加傾向を示すと述べ,我々の結果と同様の報告をしている。静注時の血管痛は時に出現するが,いずれも注入を続ける間に痛みは消失し,後遺症は何も残さなかった。小児および65歳以上の老人へのDISTの適応は,まだ安全性が確認されておらず,見合わせておいた方がよいと思われる。

 研究2の考察であるが,DIST前後における自律神経機能を検討した。ヒトの心拍変動には少なくとも2つの周波数成分が観察される。1つは呼吸に一致した周波数をもつ成分で呼吸性洞性不整脈(RSA)成分またはHF成分と呼ばれる。もう1つは約0.1Hzの周波数をもつ成分で血圧のMayer waveと関連することからMayer wave sinus arrhythmia(MWSA)成分またはLF成分と呼ばれる。早野らは,propranololとatropineを組み合わせて心臓副交感神経活動レベルを薬理学的に測定し,HF成分の大きさとの関係を分析しCCV値(%)で表すと,心臓副交感神経活動レベルと直線的な比例関係を示すことを見いだした。

 一方,交感神経活動にはMayer waveに一致したリズムがあることが知られており,MWSAはこのリズムによって発生すると考えられる。しかし,MWSAは,遮断薬で消失せず,むしろatropineで著明に減少する。従って,MWSAの発現機序は,交感神経自体による直接的媒介よりも,動脈圧のMayer waveが迷走神経性(副交感神経性)の圧受容体反射を介して間接的に心拍変動に現れるという機序が主であると考えられる。よって,MWSAの大きさは,動脈圧のMayer waveの大きさ(交感神経性)と圧受容体感受性(副交感神経性)の積に比例すると考えられる。そこで,Paganiらが考案したLF/HFを,心臓の交感神経の副交感神経活動に対する優位性の指標として採用した。LF/HFにおいて,直前の値に比較して,DIST施行の翌日と6日後の両方において,有意な減少を認めた。このことは,DISTが,交感神経活動の副交感神経活動に対する優位性を,減少せしめていることを示していると思われる。ジアゼパムの健康成人の平均消失半減期は35時間であることから,ジアゼパムがほぼ代謝されている6日後にも,その効果が持続していることになる。臨床的にも,6日後まで,その効果は持続しているようである。

 DISTの効果は,ジアゼパムがwash outされた後も持続すると推察される。何故に,ジアゼパムがほぼ代謝された後にも,効果が持続するのか,そのメカニズムは不明である。今後の研究に委ねられると考える。

審査要旨

 本研究はジアゼパム注入睡眠療法(Diazepam Infusion Sleeping Therapy;DIST)という新しい治療法についての臨床効果の研究(研究1)とDISTの奏功機序の一端を探る目的でDIST前後の自律神経機能およびManifest Anxiety Scale(MAS)について基礎的検討(研究2)が施行され下記の結果を得ている。

 研究1

 1.DISTの有効疾患は、恐慌性障害、気分変調症、自律神経失調症、全般性不安障害などで、無効のものは、大うつ病、神経性食思不振症、境界型人格障害、脳梗塞後遺症などである事が示された。

 2.DISTは感覚鈍麻・熱感・冷感・耳鳴・胸部圧迫感・頭痛・微熱・胸やけ・動悸・不安・不眠などに有効で、倦怠感・食思不振・妄想などには無効である事が示された。

 3.DIST時のジアゼパムの平均投与量は無効群;0.45±0.286mg、有効群;0.68±0.384mg、著効群;0.79±0.384mgであり、3群の平均値には有意な差が認められ(p<0.05)、有効群,著効群により多くのジアゼパムが必要とされる事が示された。

 4.DIST時のジアゼパム平均投与量は、CMIのI領域;0.42±0.165mgII領域;0.48±0.180mg、III領域;0.56±0.244mg、IV領域;0.85±0.436mgであり、各領域間で有意差を認め(p<0.05)、IV領域でより多くのジアゼパムがを必要とされる事が示された。

 5.DIST前後のvital signについては、収縮期および拡張期の血圧は、睡眠点と30分後で有意に減少し、脈拍と呼吸数は、睡眠点で有意に増加し、何ら治療的処置を要しない事が示された。

 研究2

 1.自律神経機能については、CCV値において、DIST直前は1.78±1.12、直後は2.08±1.35、6日後は1.98±1.55と、有意差はなかったが、LF/HFにおいては、直前は85.3±35.0、直後は56.8±22.0、6日後は55.8±19.8有意な減少(p<0.05)を示す事が示された。Paganiらが考案した心臓の交感神経の副交感神経活動に対する優位性の指標のLF/HFにおいて、直前の値に比較して、DIST施行の翌日と6日後の両方において、有意な減少を認めたことは、DISTが,交感神経活動の副交感神経活動に対する優位性を、減少せしめ、ジアゼパムがほぼ代謝されている6日後にも、その効果が持続している事を示していると考えられる。

 2.MASスコアにおいても、DIST直前は30.0±10.3で、6日後は26.5±10.8となり有意な減少(p<0.05)を示す事が示された。

 以上、本論文はジアゼパム注入睡眠療法という新しい治療法の研究で、ジアゼパムを用いた睡眠療法の研究は、内外においても、当研究が初めてで、その臨床効果の研究データは貴重であり、さらに、DIST前後の自律神経機能において、DISTが交感神経活動の副交感神経活動に対する優位性を減少せしめるという奏功機序の一端が解明されたことは、ジアゼパムを用いた睡眠療法の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54024