学位論文要旨



No 213345
著者(漢字) 長尾,芳朗
著者(英字)
著者(カナ) ナガオ,ヨシロウ
標題(和) ミトコンドリア炭酸脱水酵素の研究
標題(洋)
報告番号 213345
報告番号 乙13345
学位授与日 1997.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13345号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 助教授 中堀,豊
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
内容要旨

 炭酸脱水酵素Carbonic Anhydrase(以下CA)は水溶液中で二酸化炭素と水分子が反応して重炭酸イオンと水素イオンへと変化する可逆反応を触媒する酵素で、その活性中心には亜鉛イオンが結合している。CAは生理学的に体液のpHのホメオスタシスに欠かせない酵素としてよく知られており、現在までにCAにはI型からVII型までのアイソザイム(CA I-VII)が存在することが知られている。それぞれのアイソザイムは細胞内の局在部位及び組織分布が異なっている。このうちCA Vはミトコンドリアのマトリックスに存在し、肝臓、腎臓などに存在が確認されている。CAの生理学的機能はそれぞれのアイソザイムによって異なると考えられるが、ミトコンドリアの酵素であるCA Vは、酵素阻害剤を用いた薬理学的実験から、尿素合成および糖新生に関与していることが示されている。即ち尿素合成の第一段階、アンモニアと重炭酸イオンからカルバモイルリン酸を合成する反応と、糖新生の第一段階、ピルビン酸と重炭酸イオンからオキサロ酢酸を合成する反応はいずれもミトコンドリア内で重炭酸を必要とするが、これを供給しているのがCA Vだと考えられている。現在までにモルモットおよびラットの肝臓のCA Vが精製され、これらの酵素を用いた研究が行われているがヒトのCA Vについては未だ研究が行われていない。臨床的には、ヒトではI型酵素及びII型酵素の先天性欠損が報告されており、これらの酵素の重要性が議論されている。このうちCA I欠損が無症状なのに対し、CA II欠損は骨の大理石病、腎尿細管性アシドーシス、脳内石灰化、精神発達遅延などの症状を呈し、常染色体劣性の遺伝疾患である。現在までにCA Vの先天性欠損症の報告は無いが、既に述べたようにCA Vの阻害によって尿素サイクルの異常及び糖新生の異常が惹起されることから、臨床的に高アンモニア血症あるいは低血糖症を呈する患者の中にCA Vの先天性欠損が存在する可能性が考えられる。そこでヒトにおけるCA Vの生理学的意義を明らかにすることとCA Vの先天性欠損症の発見を目的として本研究を行った。

 ヒト及びラットの肝臓のcDNAライブラリーをスクリーニングして、ヒト及びラットのCA VのcDNAをクローニングした。ヒトCA V cDNAは全長1123bpで、最初に出現する翻訳開始コドンATGより始まる915bpの翻訳領域と55bpの5’非翻訳領域及び153bpの3’非翻訳領域より構成され、3’非翻訳領域にはポリアデニン配列の上流17bpの場所にポリアデニル化シグナルが存在していた。翻訳領域から予想される酵素蛋白質は305個のアミノ酸より構成されていた。このCA V cDNAをCOS-7細胞で発現させて酵素活性を確認した。CA Vは34kDaの前駆体として翻訳され、30kDaの成熟体にプロセッシングを受けるが、その際N-末端の38個のアミノ酸が切断される。この部分はミトコンドリアへ標的されるためのシグナルペプチドと考えられ、実際に成熟体がCOS-7細胞中でも、またヒトの肝臓でもミトコンドリア分画に検出された。ラットのCA Vに関しては抗体を作成して各組織のウェスターンブロットを行い、肝臓以外に心臓、肺、腎臓、脾臓、小腸にCA Vの発現を確認した。次にヒトの肺線維芽細胞由来のゲノムライブラリー及びヒトの臍帯由来のゲノムライブラリーをスクリーニングしてCA V遺伝子(CA5)の構造を決定した。CA5は他のアイソザイムの遺伝子と同じ様に7つのエクソンから構成され全長は50kbに及んだ。CA5のプロモーター部分には典型的なCAAT配列やTATA配列がみられなかったが、TATA配列の代わりにTTTAAという塩基配列が存在していた。またCA5のスクリーニングの過程でCA V偽遺伝子(pCA5)の存在が確認された。これらの遺伝子についてFISHを行いCA5を16番染色体の長腕上の16q24.3に、pCA5を短腕上の16p11.2-12にそれぞれ同定した。

 翻訳後のアミノ酸配列がCAに特異的であること、細胞中で発現した蛋白が酵素活性を有したこと、酵素が前駆体として翻訳され、成熟体がミトコンドリア分画に見い出されたこと、シグナルペプチドの部分の38個のアミノ酸の配列がミトコンドリアに標的を受ける酵素のシグナルペプチドに特徴的なことなどから考えて、本研究で単離したcDNAはヒトのCA VのcDNAであると考えられる。発現実験でのCA Vの活性はCAIIに比較して低値であったが、現在までにモルモットの肝臓のCA VがヒトのCA IIに比較して活性が低いという報告がなされており、またマウスのCA V cDNAを大腸菌中で発現させた実験で、その特異活性はCA IIに比較して低値であったという報告もなされていることから考えて、ヒトのCA Vも比活性が(CA IIに比較して)低値のCAであると考えられる。CA V遺伝子(CA5)は7つのエクソンから構成され、これは他のアイソザイムの遺伝子の構造と基本的に同じである。CA5のプロモーター領域には典型的なCAAT配列やTATA配列がみられなかったが、TATA配列の代わりにTTTAAという塩基配列が存在していた。FISHの結果はCA5を16番染色体の長腕上の16q24.3に、pCA5を短腕上の16p11.2-12にそれぞれ同定した。CA5は16p11.2-12にもクロスハイブリダイズしたが、CA5とpCA5の相同性を考慮するとこれは当然の結果であると思われる。

 最初に述べたように、薬理学的にはCA Vの阻害によって尿素サイクルの異常及び糖新生の阻害が惹起されることが報告されている。そのほか肝硬変の患者にサイアザイド系の利尿剤を使用した際に高アンモニア血症の出現することがあるが、これはサイアザイド系の利尿剤にも弱いながら炭酸脱水酵素の阻害作用があり、ミトコンドリア炭酸脱水酵素の阻害によって高アンモニア血症の出現している可能性があるという報告や、また炭酸脱水酵素阻害剤であるエトキシゾールアミドがラットの肝臓におけるグリコーゲンの合成を阻害するという報告がなされており、CA Vが窒素代謝や糖代謝に重要な役割を演じているということが明らかになっている。以上のことからCA Vの先天性欠損症が存在すると仮定すると、予想される症状は高アンモニア血症あるいは空腹時低血糖症と考えられる。CA Vの欠損症の候補としては新生児における一過性高アンモニア血症あるいは低血糖症、幼児におけるケトン性低血糖症およびライ症候群などがあげられるが、患者の解析は今後の研究の課題としたい。

審査要旨

 本研究では、ミトコンドリアのマトリックスに存在し尿素合成および糖新生に関与すると考えられるV型炭酸脱水酵素(以下CA V)について、cDNAのクローニングとゲノム構造の解析を行い、以下の知見を得た。

 1.ヒト及びラットの肝臓のcDNAライブラリーをスクリーニングして、それぞれのCA VのcDNAをクローニングした。翻訳後のヒト及びラットのCA Vのアミノ酸配列は他のCAのアイソザイムのアミノ酸配列と相同性があり、また既に報告されているモルモットのCA Vのアミノ酸配列とも高い相同性を示した。

 2.単離されたヒト及びラットのCA V cDNAをCOS-7細胞で発現させてCAの酵素活性を確認した。CA Vは前駆体として翻訳され、ミトコンドリアに標的を受けた後に成熟体にプロセッシングを受けるが、N-末端にはミトコンドリアへ標的されるためのシグナルペプチドと考えられるアミノ酸配列が存在していた。トランスフェクションを行った実験ではCA Vの前駆体及び成熟体をCOS-7細胞中に確認したが、成熟体はCOS-7細胞中のミトコンドリア分画に検出された。更にヒト及びラットの肝臓でもCA Vの成熟体がミトコンドリア分画に検出された。以上のことから得られたcDNAはミトコンドリアに存在するCAのアイソザイム、即ちCA VのcDNAであると考えられた。

 3.ラットのCA Vに関して各組織のウェスターンブロットを行い、肝臓以外に心臓、肺、腎臓、脾臓、小腸にCA Vの発現を確認した。

 4.ヒトの肺線維芽細胞由来のゲノムライブラリー及びヒトの臍帯由来のゲノムライブラリーをスクリーニングしてCA V遺伝子(以下CA5)の構造を決定した。CA5は他のアイソザイムの遺伝子と同様に7つのエクソンから構成され、全長は50kbに及んだ。またCA5のスクリーニングの過程でCA V偽遺伝子(pCA5)の存在が確認された。これらの遺伝子についてFISHを行いCA5を16番染色体の長腕上の16q24.3に、pCA5を短腕上の16p11.2-12にそれぞれ同定した。

 以上、本論文はヒト及びラットのCA VのcDNAを初めて報告し、発現実験を行って酵素活性を確認し、酵素の動態、細胞内局在、組織分布を解析した。更にヒトCA V遺伝子のゲノム構造を解析して、染色体上の位置を同定し、CAのアイソザイムとして初めて偽遺伝子の存在を報告した。本研究はCA Vという酵素について現在用いうる分子生物学的方法、細胞生物学的方法を駆使して様々な側面からの解析を試みており、多くの知見を得ている。本研究は学位の授与に値するものと思われる。

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