学位論文要旨



No 213346
著者(漢字) 牛島,俊和
著者(英字)
著者(カナ) ウシジマ,トシカズ
標題(和) 食品中の発ガン物質へラロサイクリックアミンにより誘発された腫瘍での遺伝子変化の解析とMutational Fingerprintとしての応用
標題(洋)
報告番号 213346
報告番号 乙13346
学位授与日 1997.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13346号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 谷,憲三郎
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨

 ヒト腫瘍の発生に関与する因子は、従来、疫学的方法により、ウイルスや紫外線などが解明されてきた。しかし、観察人口中での関与の割合が低い発がん因子の解明や、個別の腫瘍についての発がん因子の同定は、疫学的方法では不可能に近い。一方、実験動物を用いたras,neu等の癌遺伝子の突然変異の解析により、発がん因子に特徴的な突然変異が認められる場合があることが知られている。また、近年のヒト腫瘍でのp53癌抑制遺伝子の突然変異の研究から、p53遺伝子の突然変異は、各臓器の腫瘍毎に特徴があることが判明している。そこで、発がん因子が腫瘍に残した、その因子に特徴的な突然変異をmutational fingerprintとして利用し、ヒト発がんに関与する環境因子を同定する試みがある。

 ヘテロサイクリックアミン(HCA)は、ヒト食品から分離同定された発がん物質である。一部のHCAは、実験動物での発がん用量の1/400程度が、ヒト食品中に含有されるが、未だ、HCAのヒト発がんにおける役割は明確ではない。HCAにより誘発された腫瘍がどのような遺伝子変化によるのかを解明し、更に、それぞれの発がん物質のmutational fingerprintを解明するため、(a)2-amino-1-methyl-6-phenylimidazo[4,5-b]pyridine(PhIP)によりF344ラットに誘発した乳癌、(b)PhIP,2-amino-3-methylimidazo[4;5-f]quinoline(IQ)または2-amino-6-methyldipyrido[1,2-a:3’,2’-d]imidazole(Glu-P-1)によりF344ラットに誘発した大腸癌、(c)IQによりF344ラットに誘発したZymbal腺腫瘍、(d)2-amino-3,4-dimethylimidazo[4,5-f]quinoline(MeIQ)によりCDF1マウスに誘発した前胃腫瘍で、ras群遺伝子とp53遺伝子の変化を検索した。

1 腫瘍での遺伝子変化a) PhIPにより誘発されたラット乳癌

 100ppmのPhIPの経口投与により誘発された乳癌10個のうち2個と、400ppmのPhIPにより誘発された乳癌7個のうち1個で、Ha-rasのコドン12の2番目の位置に、GからAへの変異を認めた。Ha-rasのexon2,exon3,Ki-及びN-rasでは、突然変異は認められなかった。p53遺伝子に関しては、解析した乳癌10個のうち1個で、コドン130の3番目の位置にGからTへの変異が確認された。

 そこで、本研究に引き続き、(SDxF344)F1ラットに同様にして誘発した乳癌を用いてLOHを解析したところ、乳癌15個中4個(27%)で、染色体10番Ppy付近でのLOHを見いだした。この付近はヒト染色体17qのBRCA1よりもさらにtelomere側にsyntenyをもち、ヒト乳癌でもLOHが認められる。更に、これら15個の乳癌では、低率(1.9%)のmicrosatellite instability(MI)が認められることも見いだした。PhIPにより誘発されたラット乳癌は、17qBRCA1より遠位にLOHをもち、低率のMIを認めるヒト乳癌の良いモデルになると期待される。

b) PhIP,IQ及びGlu-P-1により誘発されたラット大腸癌

 400ppmのPhIPの経口投与により誘発された大腸癌9個、300ppmのIQの経口投与により誘発された大腸癌11個と大腸腺腫2個、500ppmのGlu-P-1の経口投与により誘発された大腸癌7個について解析した。ras群遺伝子では、Glu-P-1により誘発された大腸癌7例のうち1例で、Ki-rasのコドン12の2番目の位置にGからTへの変異が認められた。p53の突然変異は、PhIP,IQ,Glu-P-1の何れの腫瘍においても突然変異は認められなかった。これらは、ヒト大腸癌の40-50%でKi-rasの突然変異が、約70%でp53の突然変異が認められることと対照的であった。

 そこで、本研究に引き続き、ラットのApc遺伝子をクローニングし、PhIP及びIQにより誘発された大腸癌での関与を検討した。PhIPにより誘発された大腸癌8個のうち、4個の腫瘍で、合計5個の突然変異が検出された。5個すべてが、5’-GGGA-3’配列でのGの欠失で、5個のうち4個については、5’-GTGGGAT-3’と7塩基の配列が共通であった。一方、IQにより誘発された合計13個の腫瘍うち2個でApc遺伝子の突然変異が検出されたが、特徴的な配列はなく、PhIPによる突然変異は極めて特徴的と考えられた。

 さらに、PhIPにより誘発された大腸癌では低率(1.6%)のMIが認めらたのに対し、IQにより誘発された大腸腫瘍では、全くmicrosatelliteの変化は認められなかった。PhIPによる大腸癌で認められたMIは、PhIPによる乳癌でのMIと同様に低率であり、PhIPに特異的な低率のMI誘発機構が存在するのではないかと考えられた。

c)IQにより誘発されたラットZymbal腺腫瘍

 乳頭腫2個、扁平上皮癌13個について、Ha-,Ki-,N-rasの突然変異をPCR-SSCP法により解析した。Ha-rasのexon1に7個(コドン12の2番目の位置のG to A:6個、コドン13の1番目の位置のG to C:1個)、exon2に4個(コドン61の1番目の位置のC to A)、Ki-rasのexon1に2個(コドン12の1番目の位置のG to T)の突然変異を認めた。合計すると、乳頭腫2/2、扁平上皮癌11/13、という極めて高い頻度でras群遺伝子の突然変異が認められ、IQによるラットZymbal腺腫瘍には、ras群遺伝子の関与が大きいと考えられた。本研究と並行して、同一の腫瘍に関してp53の突然変異を解析したところ、解析した扁平上皮癌13個のうち4個でp53の突然変異が認められたが、特に特徴的な突然変異は認められなかった。

d)MeIQにより誘発されたマウス前胃腫瘍

 MeIQによりCDF1マウスに誘発された前胃腫瘍4個と、それらとは別の前胃腫瘍を培養細胞株としたもの4個についてp53遺伝子の突然変異を検索した。前胃腫瘍2個(F12,F14)と、細胞株4個全部(M33,M40,F34,F35)で、突然変異を認めた。F12,M33,M40では、LOHを伴う点突然変異を、F14では、LOHを伴わない点突然変異を、認めた。F34とF35では、それぞれ2箇所に突然変異を認め、それぞれの細胞株の2つの突然変異は、原則的には異なるalleleにのっているものの、突然変異を両方持つクローンや、どちらも持たないクローンがあり、gene conversionによる可能性が考えられた。

2 突然変異の発がん物質による特異性a)PhIP

 PhIPによる大腸癌でのApc遺伝子の突然変異は、検出された5個の突然変異全てが5’-GGGA-3’配列でのGの欠失と、極めて特徴的であった。lacI遺伝子のトランスジェニックマウスであるBig Blueマウス及びラットを用いて、PhIPが正常大腸粘膜で誘発する突然変異を解析したところ、PhIPはGの1塩基欠失を起こしやすく、その配列として5’-GGGA-3’配列が多いことが確認された。PhIPが正常大腸粘膜で誘発しやすい突然変異は、腫瘍のApc遺伝子で検出される突然変異とよく一致し、PhIPのmutational fingerprintとして、大いに役立つことが期待される。ヒトの大腸がんでも、5’-GGGA-3’でのGの1塩基欠失が認められている。

 更に、PhIPのもう1つの特徴として、低率のMIを誘発することがあり、この低率のMIもPhIPのmutational fingerprintとして役立つ可能性がある。

b)MeIQ

 MeIQによるマウス前胃腫瘍で検出されたHa-rasの突然変異は、すべて、コドン13のGGCからGTCへの変異であった。また、MeIQにより誘発されたラットのZymbal腺での解析でも、Ha-rasコドン13のGGCからGTCへの変異が多いことが報告されている。

 本研究に続き、Big Blueマウスを用いたin vivoでの解析により、MeIQが突然変異を誘発する塩基配列の多くは、5’-GC-3’のGであることを証明した。ラット及びマウスのHa-rasのコドン12はGGA、13はGGCである。コドン13に選択的に突然変異が誘発された理由は、5’-GC-3’のGがMeIQのhot spotであることによると考えられた。

3 まとめ

 本研究では、様々なHCAで誘発された腫瘍について、ras及びp53遺伝子の突然変異を解析した。MeIQにる前胃扁平上皮癌、IQによるZymbal腺腫瘍など、扁平上皮腫瘍ではras及びp53遺伝子の突然変異が比較的高頻度で認められたのに対し、PhIPによる乳癌、PhIP,IQ,Glu-P-1による大腸癌では、ras及びp53遺伝子の突然変異は、ほとんど認められなかった。

 本研究に引き続き、PhIPによる乳癌でのLOH、PhIPによる乳癌・大腸がんでの低率のMI、PhIPによる大腸癌でのApc遺伝子の極めて特徴的な突然変異なども見いだした。特に、大腸がんでのApc遺伝子の突然変異は、発がん物質によるmutational fingerprintが明確に示された好例であり、今後、種を越えたmutational fingerprintの応用が、どの様な場合に可能なのかを検討していきたい。

審査要旨

 ヘテロサイクリックアミン(HCA)は、ヒト食品中から同定された発がん物質であるが、ヒト発がんにおける役割は未だ不明である。本研究は、(1)HCAにより誘発された腫瘍での遺伝子変化を解明すること、(2)HCAに特異的な突然変異を解明し、mutational fingerprintとして利用することで、HCAのヒト発がんにおける役割を推定することを目的とし、下記の結果を得ている。

 1. 2-Amino-1-methyl-6-phenylimidazo[4,5-b]pyridine(PhIP)の経口投与により雌F344ラットに誘発された乳癌の解析により、17個の乳癌のうち3個でHa-rasの突然変異を、10個の乳癌のうち1個でp53遺伝子の突然変異を同定した。

 2. 400ppmのPhIPの経口投与により雄F344ラットに誘発された大腸癌9個、300ppmの2-amino-3-methylimidazo[4;5-f]quinoline(IQ)の経口投与により誘発された大腸癌11個と大腸腺腫2個、500ppmの2-amino-6-methyldipyrido[1,2-a:3’,2’-d]imidazole(Glu-P-1)の経口投与により誘発された大腸癌7個について、ras遺伝子及びp53遺伝子の突然変異を解析した。Glu-P-1により誘発された大腸癌1例で、Ki-rasの変異を認めるのみで、ras群遺伝子及びp53遺伝子の突然変異は、これらの大腸癌の発生にはほとんど関与していないことを示した。

 3. 300ppmのIQの経口投与により雄F344ラットに誘発したZymbal腺の乳頭腫2個、扁平上皮癌13個について、ras群遺伝子の突然変異を解析した。Ha-rasのexon1と2に7個と4個、Ki-rasのexon1に2個の突然変異を認めた。合計すると、乳頭腫2/2、扁平上皮癌11/13であり、IQによるラットZymbal腺腫瘍には、ras群遺伝子の関与が大きいことを示した。

 4. 2-Amino-3,4-dimethylimidazo[4,5-f]quinoline(MeIQ)により雌雄のCDF1マウスに誘発した前胃腫瘍4個と、この4個とは別の前胃腫瘍から樹立した培養細胞株4個についてp53遺伝子の突然変異を検索した。前胃腫瘍2個(loss of heterozygosity(LOH)あり1個、なし1個)と、細胞株4個全部(LOHあり2個)で、突然変異を証明した。LOHを認めなかった細胞株では、両方のalleleに突然変異を認めた。

 以上、本論文は、ヘテロサイクリックアミンにより誘発された腫瘍でのras群及びp53遺伝子の変化を解析し、乳癌・大腸癌などの腺癌ではこれらの遺伝子の関与が少なく、Zymbal腺・前胃など扁平上皮癌では多いことを明らかにした。また、本論文の成果に基づき進めた研究により、申請者らは、PhIPにより誘発された大腸癌8個のうち4個で、5個のApc遺伝子の突然変異を同定した。5個の突然変異全てが5’-GGGA-3’配列でのGの欠失であり、PhIPのmutational fingerprintとして、ヒト腫瘍でのPhIPの関与の推定に有用であることを示した。さらに、本論文の成果は、その後の、乳癌・大腸癌でのmicrosatellie instabilityの発見や、乳癌での染色体10番(BRCA1近傍)のLOHの発見に繋がっている。

 本研究の成果が、ヘテロサイクリックアミンによる腫瘍の遺伝子変化の解明と、mutational fingerprintの導入・実用化に果たした役割は重要であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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