【研究の背景・目的】 終末的肺・心肺疾患に対する治療として肺・心肺移植は諸先進国では既に確立された治療法となっているが、症例数の増加に伴いドナー臓器の不足が深刻な問題と成りつつある。 異種動物からの臓器移植はこのようなドナー不足の問題を解決し得る方法として期待されており、殊にブタをドナーとして用いるdiscordant異種移植はその最終的な到達点と考えられるが、超急性拒絶反応の機序と抑制法の解明が大きな障壁となっており、現時点で臨床応用できる可能性はほとんどない。これに対し近縁の霊長類をドナーとして用いるconcordant異種移植はdiscordant移植に比べ現時点での臨床応用の可能性は遥かに高いと考えられ、既に腎臓・心臓・肝臓については臨床応用が試みられている。しかし、異種肺移植については実験を含めても報告は殆どみられていず、またconcordant移植においても拒絶反応の機序は未だ解明されざる点が多く免疫抑制法についても十分に確立された方法はみられないのが現状である。このような同種肺移植・異種臓器移植に於ける問題点を踏まえ、(1)近縁霊長類をドナーとする肺移植の臨床応用可能性の検討及び(2)concordant異種移植における拒絶機序の解明と(3)FK506(tacrolimus)・methotrexateを主体とする免疫抑制法の効果並びにmethotrexateの投与方法の検討を目的として、霊長類間同所性左片肺移植実験を行った。 【対象・方法】 血液型B型のニホンザルをドナー、BまたはAB型のヒヒをレシピエントとして同所性左片肺移植を行った。実験群として3群に大別し、免疫抑制法を行わないA群(n=3)、及び以下の抑制法を行ったB群(n=4),C群(n=8)について検討した。 B群 (1)脾摘;移植前4日(2)FK506;脾摘以後連日1mg/kg/日筋注(3)methylprednisolone;0〜2病日10mg/kg/日点滴静注(4)methotrexate;7病日以降0.5mg/kg、週2回点滴静注。 C群 (1)脾摘(2)FK506(3)methylprednisolone;B群に同じ(4)methotrexate;4病日以降初回0.05mg/kgから開始して以降0.6mg/kgまで漸増、週2〜3回点滴静注。 移植後、連日胸部X線写真を撮影し、その浸潤陰影により拒絶の進行を判断する一助とした。また、レシピエント末梢血中のリンパ球の各サブセット及び抗種抗体価を測定し、その変化を検討した。組織学的検討として第4病日の生検組織と死亡時の剖検組織を採取し、hematoxylin-eosin染色による病理組織学的検討及び抗CD4、抗CD8、抗CD20抗体を用いたSAB-PO又はSAB-GO法による免疫組織染色を行った。 【結果】 (1)移植成績及び胸部X線写真所見;A群では1例を対側気胸のため1病日に失い、他の2例は移植直後から胸部X線写真上の浸潤影が急激に増悪し3〜4病日までに移植肺は完全に不透明化したため6,8病日に犠牲死せしめた。B群では、移植後急速に増悪した浸潤影が2例においてメソトレキセート投与開始後明らかな改善がみられた。2例を対側肺炎のため6病日に失い、他の2例は17,18病日に嘔吐・摂食低下・下痢・体重減少のため死亡した。C群では移植後一旦増悪した胸部X線写真上の浸潤影はメソトレキセート開始後軽快するかまたは緩徐に進行するのみとなった。レシピエントの生存期間は6,10,10,12,13,23.35,48日、平均19.6±13.8日で、死因はB群と同様のるいそう3、感染5(肺炎2、開胸創感染・し開3例)であった。 (2)病理組織所見;A群では、著明な好中球浸潤と肺胞組織の破壊と出血・壊死がみられた。B群の剖検組織では炎症細胞浸潤が小動静脈周囲にみられmoderate gradeの拒絶反応像に相当していた。C群では、第4病日の生検組織では全例mild-moderate gradeの炎症性細胞浸潤が出現したが、methotrexate開始後の剖検組織では生検組織と比し細胞浸潤は軽快しているか、または同程度の浸潤に留まっていた。最長48病日生存した症例C8では著明な間質の肥厚・線維化とmoderate gradeの細胞浸潤がみられた。 (3)末梢血リンパ球サブセットの変動;移植前脾摘とFK506投与によりT細胞総数は脾摘前値の51.2%に、CD20(+)細胞数は64.7%に減少した。移植直後4病日前後までにリンパ球の各サブセットは急増したが、methotrexate開始後速やかに減少した。 (4)免疫組織染色所見;C群では、SAB-PO法では顆粒球に対する非特異的な染色が強くみられ、モノクローナル抗体に特異的に染色されたリンパ球は極少数が散在して確認されるのみであった。SAB-GO法では生検組織では全体にCD20(+)細胞の浸潤がみられ、剖検組織で増加する傾向を認めた。またCD20(+)細胞に比べ極少数のCD8(+)細胞の散在がみられたが、生検組織と剖検組織を比較すると増加する傾向はみられなかった。CD4(+)細胞は生検・剖検組織とも染色性を確認できなかった。 (5)抗種抗体価の推移;移植直後にはIgG,IgM抗体ともに有意な変化は見られなかった。生存期間の長い2例においてIgM抗体は移植後5から12病日に前値の10から30倍に増加し以後漸減した。内1例においてはIgG抗体も移植後5病日以降100倍以上に急増した。 【考察】 concordant異種移植の免疫抑制法としては、既に臨床で行われた肝移植、心移植では種々の免疫抑制剤を組み合わせた治療法が試みられているが、未だ十分に確立された免疫抑制法はみられない。 本研究では、FK506を主体に、脾摘による移植前治療並びにrescue therapyとしてmethotrexateを併用する方法を行い、以下の所見が得られた。 (1)移植前治療により、末梢血中リンパ球数を有意に抑制し得た。(2)FK506のみの投与下では炎症性細胞浸潤は急速に進行しており、免疫抑制効果としては不十分であった。(3)methotrexateを併用することで免疫担当細胞数を速やかに減少させ、炎症細胞浸潤を軽快させることができた。しかし、抗種抗体価の上昇は十分には抑制できず、拒絶反応を完全には消失させることはできなかった。(4)methotrexateの投与方法としてはB群では胸部X線写真上の著明な改善が見られたものの、免疫抑制法の副作用による致命的な全身状態の悪化が見られた。C群では初回投与量を少なくし早期から投与を行うことによりこれらの副作用は軽減しレシピエントの生存期間は延長した。 同種移植においては細胞性免疫が主体となり、またdiscordant異種移植においては既存の自然抗体と補体系の活性化が超急性拒絶反応の中心となるのに対し、concordant異種移植の急性拒絶反応は細胞性免疫と液性免疫両者の複合したものと考えられているが、近年の報告ではconcordant移植における拒絶の重要な機序として移植後の急激な抗種抗体産生が強調された報告が多くみられている。 本研究では移植組織及び末梢血液の所見から以下のような機序が考えられた。 (1)無治療群では拒絶された移植組織に著明な好中球浸潤と肺胞組織の破壊と出血・壊死を認めたが、これらはdiscordant移植後の超急性拒絶反応の組織像に類似していた。(2)治療群において、移植組織に浸潤する炎症性細胞は大半が好中球であり少数のB cellの浸潤がみられるもののT cellは極少数が確認されただけであった。これらの所見は、T cellの浸潤が主体となる同種移植の拒絶像と対称的であった。(3)C群において、拒絶反応はmethotrexate開始後軽快する傾向にはあるものの、死亡時に全例でmild-moderate gradeの炎症細胞浸潤は残存しており拒絶反応は完全には抑制されずに緩徐に進行していると考えられる。この間、抗種抗体価は生存期間の比較的長い2例で急増しており、また移植組織中の浸潤B cellも増加する傾向にあったことから、この間の拒絶反応の進行には抗種抗体を介する液性免疫が主な役割を果たしていることが考えられた。 今回の治療法では、methotrexateを併用することで、抗種抗体の抑制は十分ではないものの炎症細胞浸潤を抑制することができ、有効な免疫抑制効果が示されたと考えられた。C群においてもレシピエントの死因は免疫抑制剤の副作用によるものと考えられ治療法に関してはさらに改善する余地があると考えられるが、今後異種臓器の完全な拒絶反応抑制及び長期生着を探求する上での端緒となりうるものと考えられ、既存の免疫抑制剤の併用により過去に報告例のないconcordant異種肺移植が臨床応用可能となりうることが示されたと考えられる。 |