学位論文要旨



No 213351
著者(漢字) 宮地,鑑
著者(英字)
著者(カナ) ミヤジ,カガミ
標題(和) 触覚センサー(tactile sensor)を用いた心筋stiffnessの計測 : 局所心筋機能評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 213351
報告番号 乙13351
学位授与日 1997.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13351号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,瞭
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 講師 松下,隆
内容要旨 [はじめに]

 虚血性心疾患などの心室全体の収縮能は均一ではない場合、心機能の評価法として局所心筋機能を評価することは臨床的に極めて重要であり、その評価方法として様々な研究が報告されてきた。特に従来より心臓の収縮性の評価方法として収縮期末の心筋のstiffnessが提唱されている。また心筋壁応力の評価法として、垂直方向の心筋の硬さstiffnessの有用性も報告されているが、測定方法の煩雑さにより、in situで直接、拍動心の心筋の硬さstiffnessを計測した報告はない。今回、局所心筋の硬さstiffnessを計測することを目的として、触覚センサー(tactile sensor)に改良を加え、心拍動に追随、心収縮拡張周期における心筋stiffnessの経時的変化を測定可能なシステムを開発した。このシステムによって計測されたstiffnessの局所心筋機能評価法としての有用性を検討した。

[触覚センサー(tactile sensor)の原理]

 触覚センサーの原理は以下の通りである。物体はすべて固有の振動数(固有振動周波数)を有している。一定の共振周波数f0で振動している物体がある別の物体Xに接触すると、周波数が変化し新たな共振周波数fxで振動する。この変化はf(Hz)として表現され、音響工学上、物質の硬さと密接な関係を持つとされる。我々の開発した触覚センサーはこの共振周波数の変化f(Hz)を測定しており、以下の較正直線式により絶対値であるstiffness(gram/mm2)に変換される。

 stiffness(gram/mm2)=10{(f(Hz)+991.24)/13344.21}

 センサーは、直径7mm、長さ5.5cm、重さ2.1gの筒状で、径3mmの圧電セラミックと検出素子が一体化してセンサーを構成している。本センサーの計測可能深度は約10mmで、f(Hz)をfrequency counterによって毎秒148回、計測することが可能である。計測方法は、直径9mm、長さ3cmのプラスチック製のチューブを架台に固定し、その中にセンサーを通して心臓面に垂直に接触させる。センサーが拍動する心臓に追随して、チューブの中で上下に滑らかにスライドするように、チューブの位置を調節する。

[対象と方法]1.実験1.

 実験動物として雑種成犬10頭を用い、左開胸下に心嚢を切開し、心膜をつり上げて心臓を露出した。心尖部より左室圧測定用の4F micromanometer-tippedカテーテルと左心室容積測定用の7F volume conductanceカテーテルを挿入し、左心室内に留置した。センサーを左心室表面、左冠状動脈第一対角枝と第二対角枝の間の一定点に接触させた。心筋stiffnessの心拍周期における変化を記録するとともに左室圧および左室容積と心筋stiffnessの関係を検討した。また、心筋stiffnessと左室容積との関係をプロットしたStiffness-Volume loop(S-V loop)を求めた。

2.実験2.

 実験1.で使用した雑種成犬10頭を用い、胸腔内下大静脈に閉塞用バルーンを留置した。下大静脈閉塞により左室容積を変化させたところ、心筋stiffnessは容積の減少に伴い減少した。S-V loopは左室容積減少により、左下方へ移動し、左室容積減少に伴う収縮末期stiffnessの変化はほぼ直線を形成した。この直線の傾きをSmax(gram/mm2/mL)と定義した。SmaxとEmaxとの相関を検討することでSmaxと局所elastanceとの関係を明らかにすることとした。10頭中5頭では、正常状態で計測後、propranololの総投与量0.25、0.5、0.75、1.0、1.5mg/kgの各条件下で、EmaxとSmaxを求めた。残りの5頭では、正常状態で計測後、dobutamine1.0、3.0、5.0g/kg/minの持続静注下でEmaxとSmaxを求めた。dobutamine投与中止後、propranolol総投与量0.25、0.5、0.75、1.0mg/kgの各条件下でEmaxとSmaxを求めた。これら10頭の成犬について、各条件下でのEmaxとSmaxの相関を検討した。

3.実験3.

 雑種成犬5頭を用い、実験1.および2.と同様に麻酔、開胸を行った。正常状態で計測後、dobutamineを5.0g/kg/minで投与し、左室圧と左室容積とともにstiffnessを経時的に計測した。dobutamineの持続静注中止後、propranolol0.25mg/kgを緩徐に静注し、同様に計測した。

4.実験4.

 雑種成犬6頭を用い、冠状動脈左前下行枝の第一対角枝を分枝する末梢側で狭窄を作製した。センサーを左冠状動脈前下行枝と第2対角枝の間の左前下行枝支配領域に接触させた。虚血作製前後での経時的な心筋stiffnessの変化を計測し、虚血作製前後の収縮期末と拡張期末のstiffnessを比較検討した。

[結果]1.実験1.

 stiffnessは収縮期に上昇し、拡張期に低下するが、収縮期末に大きくなる傾向を示した(図1.)。心筋stiffnessと左室容積との関係をプロットしたS-V loopはPressure-Volume Loopと同様に矩形を示した。正常状態での収縮期末stiffnessは2.38+/-0.22gram/mm2で、拡張期末stiffnessは1.30+/-0.16gram/mm2であった。

図1.心筋stiffnessと左室圧の経時的変化 stiffnessと左室容積の関係(S-V loop)
2.実験2.

 成犬10頭のEmaxとSmaxの相関は、各々相関係数0.982、0.985、0.986、0.986、0.973、0.955、0.976、0.983、0.934、0.930といずれも高い相関が得られた。10例全体のEmaxとSmaxの相関関係では相関係数0.889(p<0.0001)と高い相関が得られた(図2.)。

図2.全例のSmaxとEmaxの相関関係
3.実験3.

 正常状態での収縮期末stiffnessは2.43+/-0.20gram/mm2で、拡張期末は1.32+/-0.17gram/mm2であった。dobutamine5.0g/kg/min投与での収縮末期stiffnessは3.36+/-0.15gram/mm2で正常状態に比して有意に増大した(p<0.01)。拡張末期stiffnessは1.20+/-0.25gram/mm2で有意差は認めなかった。propranolol2.5mg/kg投与下の収縮末期stiffnessは1.96+/-0.18gram/mm2で正常状態に比して有意に減少した(p<0.01)。拡張末期stiffnessは1.35+/-0.19gram/mm2で有意差は認めなかった。

4.実験4.

 虚血前後の左室圧はほとんど変化しなかったが、収縮末期stiffnessは、虚血前が2.74+/-0.49gram/mm2に対して、虚血後が2.18+/-0.46gram/mm2で有意に減少していた(p<0.01)。拡張末期stiffnessは、虚血前が1.03+/-0.25gram/mm2に対して、虚血後が1.28+/-0.26gram/mm2で有意に増大していた(p<0.01)。

[考察]

 従来より、局所心筋機能を正確に評価するため様々な指標が報告されてきた。1987年に、Halperinらは犬の摘出心室中隔を用いて、transverse stiffness即ち、垂直方向のstiffnessを計測する装置を開発し、心筋stiffnessが心筋壁応力に直線的に相関することを明らかにした。さらに心筋を能動的に収縮させた場合と受動的に伸展させた場合のstiffnessの検討で、能動的に収縮した方が受動的に伸展されたものよりstiffnessは明らかに大きくなることを示し、心筋stiffnessの計測は局所心筋収縮能の有効な評価法であることを証明した。今回、われわれは、stiffnessを絶対値であるgram/mm2で表現するとともに、心拍動に追随して、毎秒148回計測可能なセンサーと計測システムを開発し、in situで心拍動下の心筋stiffnessの計測に成功した。心筋stiffnessの経時的変化は、左室圧とほぼ同時相で変化しており、収縮期に心筋stiffnessは増大し、拡張期に減少することが示された。同時に計測した左室容積の変化よりS-V loopを得たが、Pressure-Volume loopと同様に矩形を示した。局所心筋収縮能の評価法として、収縮期末圧-局所長関係や収縮期末圧-壁厚関係や収縮期末壁張力-局所面積関係などが提唱されているが、局所心筋stiffness-容積関係を用いて局所心筋収縮機能の評価法として心筋stiffnessは有用であるかを検討した。左室容積変化時ににおける心筋stiffnessの変化では、容積の減少に伴いstiffnessも減少し、S-V loopも左室容積減少により左下方へ次第に移動した。左室容積減少に伴う収縮末期stiffnessの変化は今回の実験的研究では生理的範囲内でいずれもほぼ直線を形成していることが見出され、この直線の傾きをSmax(gram/mm2/mL)と定義した。心筋の硬さstiffnessが心筋の壁応力(壁張力)と直線的に相関するならば、心室容積(局所心筋長)の変化で、心筋stiffnessの変化を除したSmaxは局所心筋のelastanceを反映する。また心臓が均一な弾性体であると仮定した可変弾性モデルでは、局所心筋elastanceは心室全体のelastanceを反映する。10例の成犬におけるSmaxとEmaxとの相関は相関係数0.889(p<0.0001)できわめて良好な相関を示していた。カテコールアミンを投与すると収縮末期心筋stiffnessは増大し、遮断剤の投与で減少した。また左冠状動脈前下行枝末梢側に狭窄を作製急性虚血モデルにおいても、虚血により収縮期心筋stiffnessは低下することが示された。従来より提唱されている心臓収縮性の評価方法としての収縮期末心筋stiffnessは局所心筋elastanceを表したものである。elastanceは前負荷や後負荷に影響されない概念で、今回、計測した心筋stiffnessは心室容積の変化に伴って変化したことより、elastanceを直接表現しているものではなく、むしろHalperinらが提唱したtransverse stiffnessに近いものと考えられる。触覚センサーで計測した心筋stiffnessは局所心筋壁張力を反映しており、局所心筋収縮能を正確に定量化できる有用な評価法であると思われる。一方、心筋拡張能に関しては、拡張末期心筋stiffnessを検討したが、遮断剤を投与した心機能低下モデルでは、正常状態に比して有意差は認めなかった。急性虚血モデルにおいては、拡張末期心筋stiffnessは増大していることが示され、虚血心筋の拡張能評価法として、拡張末期stiffness計測は有用な指標であることが示された。今後は臨床応用にむけて、さらにセンサーの計測システムの改良が必要であろうが、将来的には、冠動脈疾患に対する血行再建の術中評価や心カテーテル検査における局所心筋機能の評価などの臨床応用が期待される。

[結語]

 触覚センサーによりin situで心拍動下に心筋stiffnessの計測に成功し、絶対値(gram/mm2)として表現した。計測された心筋stiffnessは従来より提唱されている収縮期末stiffnessの概念と異なり、局所壁応力(張力)を反映していることが示された。触覚センサーで計測した収縮末期stiffnessは局所心筋収縮能の評価方法として有効で、特に心筋収縮能が均一でない虚血性心疾患において有用である。局所心筋拡張機能の評価に関して、拡張末期stiffnessの計測は虚血心筋では評価方法として有用であることが示された。

審査要旨

 局所心筋機能の評価方法として様々な研究が報告されているが、本研究は触覚センサー(tactile sensor)を用いて、局所心筋の硬さstiffnessを経時的にin situで計測し、心筋stiffnessの局所心筋機能評価法としての有用性を検討したもので、下記の結果を得ている。

 1. 心筋stiffnessの心拍周期における変化を記録するとともに左室圧および左室容積と心筋stiffnessの関係を検討したところ、stiffnessは収縮期に上昇し拡張期に低下するが、収縮期末に大きくなることが示された。

 2. 下大静脈閉塞により左室容積を変化させたところ、心筋stiffnessは容積の減少に伴い減少し、Stiffness-Volume loopは左下方へ移動し、左室容積減少に伴う収縮末期stiffnessの変化はほぼ直線を形成することが示された。この直線の傾きをSmax(gram/mm2/mL)と定義した。dobutamineおよびpropranolol投与によって心収縮能を変化させた条件下で、EmaxとSmaxの相関を検討したが、各々相関係数0.982、0.985、0.986、0.986、0.973、0.955、0.976、0.983、0.934、0.930といずれも高い相関が得られた。10例全体のEmaxとSmaxの相関関係でも相関係数0.889(p<0.0001)と高い相関が得られた。心室容積(局所心筋長)の変化で、心筋stiffnessの変化を除したSmaxは局所心筋のelastanceを反映し、触覚センサーで計測した心筋stiffnessは局所心筋壁張力を反映していることが示された。以上より、心筋stiffnessの計測は局所心筋収縮能を正確に定量化できる有用な評価法であると思われる。

 3. dobutamineおよびpropranololなどの薬剤投与による心筋stiffnessの変化の検討では、dobutamine投与での収縮末期stiffnessは正常状態に比して有意に増大することが示されたが、拡張末期stiffnessは減少する傾向があるものの有意差は認めなかった。propranolol投与では、収縮末期stiffnessは正常状態に比して有意に減少することが示されたが、拡張末期stiffnessは増大する傾向があるものの有意差は認めなかった。

 4. 冠状動脈左前下行枝の第一対角枝を分枝する末梢側で狭窄を作製した急性心筋虚血モデルでは、虚血前後の左室圧はほとんど変化していないにもかかわらず、虚血作製後収縮末期stiffnessは有意に減少し、拡張末期stiffnessは、有意に増大することが示された。

 以上、本論文は、触覚センサーによる心筋stiffnessの計測が局所心筋機能の評価方法として有用であることを示すとともに、冠動脈疾患に対する血行再建の術中評価や心カテーテル検査における局所心筋機能の評価などの臨床応用の可能性を提示している。また本論文は、局所心筋機能の評価法としてこれまでにない斬新な方法を用いて、新たな知見を提供するものであり、今後の心機能評価法に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54026