学位論文要旨



No 213354
著者(漢字) 正田,良介
著者(英字)
著者(カナ) ショウダ,リョウスケ
標題(和) 炎症性腸疾患動物モデルにおける経口的N-3系多価不飽和脂肪酸投与の治療効果の検討
標題(洋) Therapeutic efficacy of n-3 polyunsaturated fatty acid in experimental Crohn’s disease
報告番号 213354
報告番号 乙13354
学位授与日 1997.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13354号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨

 成分経腸栄養法は、特発性炎症性腸疾患であるクローン病の有効な治療法であることが知られ、本邦での治療の第一選択となっている。この成分栄養剤の作用機序は、抗原性のある蛋白質が全く含有されていないことに加え、脂肪が微量しか含まれていないことにあると推測されている。他方、慢性関節リウマチ・乾癬など各種特発性炎症性疾患の治療における、N-3系多価不飽和脂肪酸の経口投与の有効性が報告されている。また、クローン病の近年の国内での増加は食事中のn-6系多価不飽和脂肪酸摂取量増加と相関し、完全成分経腸栄養療法施行中のクローン病患者での経口的な-リノレン酸の投与が血漿中の炎症惹起性エイコサノイドを低下させることも筆者らは報告している。

 他方、ラットのトリニトロベンゼンスルフォン酸(TNBS)惹起性大腸炎は、局在し漿膜側まで達する病変・肉芽腫の存在・炎症性細胞の浸潤・慢性化などのクローン病と類似の特徴を備えているため、その動物モデルの一つと考えられている。本研究では、この動物モデルにおけるn-3系多価不飽和脂肪酸の経口投与の治療効果を検討した。

予備実験:投与脂肪量の設定

 ベニバナ油(リノール酸72%含有、n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比=0)とエゴマ油(-リノレン酸56%含有、n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比=3.9)を、各0.6%、2.0%、及び6.0%添加した無脂肪成分栄養剤を2週間投与した。その結果、血清脂肪酸分画では、用量依存性に血清脂肪酸分画に影響を与えた。しかし、TNBS惹起性大腸炎による粘膜障害は、類似の食餌の10日間投与により、2.0%油添加群でも差が出る傾向を示した。そこで、以下の実験では、必須脂肪酸の最小必要量を満たす2.0%油脂添加成分栄養剤を使用した。

実験-1:TNBS大腸炎ラットにおけるn-3及びn-6系多価不飽和脂肪酸投与の影響

 N-3系多価不飽和脂肪酸とn-6系多価不飽和脂肪酸投与のTNBS惹起性大腸炎における治療効果を比較する目的で、2.0%ベニバナ油及び、2.0%エゴマ油を添加した無脂肪成分栄養剤を、TNBS惹起性大腸炎の作成前10日・後21日投与して、血清脂肪酸分画・血漿ロイコトリエンB4濃度・大腸粘膜障害を検討した。エゴマ油添加群では、ベニバナ油添加群に比較して、TNBS惹起性大腸炎ラットにおける血清脂肪酸n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比を有意に上昇させ(0.90±0.31vs.0.04±0.01、p<0.001)、血漿ロイコトリエンB4濃度を有意に低下させ(34.2±12.3vs.63.8±13.2pg/ml、p<0.01)、大腸粘膜障害を有意に抑制した(潰瘍係数:8.8±12.1vs.66.4±33.1、p<0.01)。血清n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比は血漿ロイコトリエンB4濃度と、血漿ロイコトリエンB4濃度は大腸粘膜障害と有意(p<0.05)に相関した。内視鏡的な経過観察では、大腸粘膜障害は急性期(大腸炎作成後1週間)では両群間に有意差は認めなかったが、慢性期(3週間後)ではエゴマ油添加群で有意に軽度となっていた(開放性潰瘍有病率:0%vs.57.1%、p<0.05)。

図1.TNBS大腸炎ラットにおける投与脂質の影響:n-3vs.n-6系多価不飽和脂肪酸(実験-1)エゴマ油(n-3系多価不飽和脂肪酸高濃度)添加成分栄養剤投与群では、ベニバナ油(n-6系多価不飽和脂肪酸高濃度)添加成分栄養剤投与群に比較して、TNBS惹起性大腸炎ラットにおいて、血清n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比は高値で、血漿ロイコトリエンB4濃度及び大腸粘膜潰瘍係数は抑制されていた。*p<0.001、**p<0.05(Mann-Whitney U testによる)。平均±標準偏差。
実験-2:TNBS大腸炎ラットにおける投与n-3系多価不飽和脂肪酸の炭素鎖長の影響

 炭素鎖長の異なるn-3系多価不飽和脂肪酸の治療効果の比較のため、2.0%の植物油(-リノレン酸中心、C18)及び、2.0%の魚油(エイコサペンタエン酸/ドコサヘキサエン酸中心、C20及びC22)を添加した無脂肪成分栄養剤を、TNBS惹起性大腸炎作成後14日間投与して、血清脂肪酸分画・血漿ロイコトリエンB4及びB5濃度・大腸粘膜障害につき検討した。両製剤中のn-3/n-6多価不飽和脂肪酸比は、ともに約2.0であった。

 植物油添加群は魚油添加群に比較して、血清n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比は有意に低値であったが(0.82±0.06vs.1.56±0.10、p<0.05)、血漿ロイコトリエンB4及びB5濃度を有意に低下させた(B4:61.6±10.5vs.85.0±20.9pg/ml、B5:29.9±5.0vs.76.6±23.4pg/ml、p<0.05)。大腸粘膜障害については、植物油添加群では魚油添加群に比較して、潰瘍係数に有意差を認めなかったが、大腸重量は有意に低下させた(0.83±0.13vs.0.96±0.08g、p<0.05)。病理組織学的検討では、両群間に有意の差を認めなかった。

図2.TNBS大腸炎ラットにおける投与n-3系多価不飽和脂肪酸の炭素鎖長の影響(実験-2)植物油(-リノレン酸が主)添加成分栄養剤投与群では、魚油(エイコサペンタエン酸・ドコサヘキサエン酸が主)添加成分栄養剤投与群に比較して、TNBS惹起性大腸炎ラットにおいて、血清n-3/n-6多価不飽和脂肪酸比は低値で、血漿ロイコトリエンB4濃度及び大腸粘膜湿重量は抑制されていた。*p<0.01、**p<0.05(Mann-Whiteney U testによる)。平均±標準偏差。

 N-3系多価不飽和脂肪酸(-リノレン酸)投与は、n-6系多価不飽和脂肪酸(リノール酸)投与に比較して、TNBS惹起性大腸炎ラットにおいて、血清脂肪酸分画の変化に伴い、炎症性メディエーターのロイコトリエンB4を低下させ、大腸粘膜障害を著明に抑制することが示された。今回のような経口的脂肪投与による治療効果の検討では、ロイコトリエンB4とB5の測定時のContaminationが問題であるが、高速液体クロマトグラフィーにより分離測定が可能であった。そして、この血漿中ロイコトリエンB4濃度は、大腸局所での粘膜障害の程度を反映した。また、内視鏡的経過観察の結果からは、異種脂肪の経口的投与の大腸粘膜障害への影響は、急性期の物理化学的粘膜障害ではなく、免疫機構を介するとされている慢性期粘膜障害の抑制によることが示唆された。

 また、n-3系多価不飽和脂肪酸の中では、より短鎖の-リノレン酸(C18)が、より長鎖のエイコサペンタエン酸・ドコサヘキサエン酸(C20/22)に比較して、差は少ないもののより強い抗炎症作用を持つことが示唆された。N-6系多価不飽和脂肪酸からのエイコサノイド産生系のみを阻害するのみならず、その前段階である脂肪酸の炭素鎖延長や不飽和化をも阻害することが理論的には知られており、今回の検討でも炎症惹起性である血漿中ロイコトリエンB4濃度は、より短鎖のn-3系多価不飽和脂肪酸投与群で低値であった。しかし、必ずしもn-3系多価不飽和脂肪酸から産生される炎症惹起性の弱いロイコトリエンB5の血漿中濃度は増加しておらず、競合的抑制によるものではない可能性が示唆された。

 今回の研究では、TNBS惹起性大腸炎ラットにおいて、n-3系多価不飽和脂肪酸、特に-リノレン酸は、重量比2.0%の添加でも、大腸粘膜障害を抑制する可能性が示唆された。今後は、クローン病患者での臨床的研究によるn-3多価不飽和脂肪酸の治療効果の検討が望まれる。

審査要旨

 本研究は、炎症性腸疾患であるクローン病におけるn-3系多価不飽和脂肪酸の治療効果を明らかにする目的で、その動物モデルの一つとされているラットのTrinitrobenzene sulfonic acid惹起性大腸炎における治療効果を検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1.ベニバナ油(18炭素鎖からなるn-6系多価不飽和脂肪酸であるリノール酸72%含有、n-3/n-6系多価不飽和脂肪酸比=0)に比較して、エゴマ油(18炭素鎖からなるN-3系多価不飽和脂肪酸である-リノレン酸を56%含有、n-3/n-6系多価不飽和脂肪酸比=3.9)の2%添加成分栄養剤投与は、血清中n-3/n-6系多価不飽和脂肪酸比を有意に上昇させ、血漿中ロイコトリエンB4濃度を有意に低下させ、さらに大腸粘膜障害を有意に抑制した。この結果からは、エゴマ油投与は、炎症惹起性のロイコトリエンを介して大腸粘膜障害を抑制していることが示された。

 2.このエゴマ油投与による血清中n-3/n-6系多価不飽和脂肪酸比の上昇は、炎症惹起性の血漿中ロイコトリエンB4濃度の低下と有意に相関し、さらに、この血漿中ロイコトリエンB4濃度低下は粘膜障害の抑制の程度と有意に相関した。すなわち、血漿中のロイコトリエンB4濃度は、大腸局所の粘膜障害の程度を反映することが示された。

 3.内視鏡による経過観察では、この大腸粘膜の障害程度の両群間の差は、急性期粘膜障害によるものではなく、エゴマ油による大腸粘膜障害の慢性化抑制が主な作用であることが示された。

 4.魚油(n-3系多価不飽和脂肪酸は20炭素鎖のエイコサペンタエン酸及び22炭素鎖のドコサヘキサエン酸中心に31.3%含有、n-3系多価不飽和脂肪酸=2.1)に比較して、エゴマ油中心の混合植物油(n-3系多価不飽和脂肪酸は18炭素鎖の-リノレン酸が主で31.1%含有、n-3/n-6系多価不飽和脂肪酸比=2.0)の重量比2%添加無脂肪成分栄養剤投与は、血漿中ロイコトリエンB4濃度を有意に低下させ、大腸重量を有意に低下させた。しかし、粘膜障害(肉眼的・組織学的)の程度に両群間の有意差はなかった。すなわち、-リノレン酸の投与は、従来抗炎症作用を持つとされ使用されてきた魚油の投与と、少なくとも同等以上の治療効果をもつことが示された。

 6.混合植物油投与群で血漿中ロイコトリエンB4濃度のみならず、ロイコトリエンB5濃度も有意に低かった。n-3系多価不飽和脂肪酸の抗炎症効果には、ロイコトリエンB5によるB4の競合的産生抑制以外の機序も関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文はラットの炎症性腸疾患モデルにおいて、n-3系多価不飽和脂肪酸(-リノレン酸)投与の粘膜障害抑制の機序について解明すると共に、投与されるn-3系多価不飽和脂肪酸の質による治療効果の差異について明らかにした。本研究は、これまで未知の部分が多かったn-3系多価不飽和脂肪酸の炎症性腸疾患における治療効果の理論的背景の構築に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク