学位論文要旨



No 213359
著者(漢字) 加藤,直人
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ナオト
標題(和) 鉱さいケイ酸質肥料の水田土壌中での溶解過程の解明と可給態ケイ酸量の評価法に関する研究
標題(洋)
報告番号 213359
報告番号 乙13359
学位授与日 1997.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13359号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨

 鉱さいケイ酸質肥料の適正な施用基準を策定し,効率的な施用法を確立するためには,鉱さいや土壌に含まれる可給態ケイ酸量を従来よりも正確に評価する必要がある。そこで本研究では,まず鉱さいの水中あるいは土壌中での溶解性に影響を及ぼす要因について検討し,鉱さいの水田土壌中での溶解過程を解析した。次に,これらの知見に基づいて,鉱さい中の可給態ケイ酸量の評価法を開発した。また,鉱さいの施用に伴う土壌のケイ酸供給能やケイ酸吸着能の変化をアイソトープ手法を用いて解析した。

(1)鉱さいの溶解性に影響を及ぼす要因の解明

 製銑鉱さい徐冷品(AB),水砕品(WB),シリコマンガン鉱さい(S)と転炉さい(C)の水中での溶解性を検討した。同一pH条件下で鉱さいの溶解性を比較するために,自動滴定装置で塩酸を加えることにより溶液pHを4,5,6,7に調節した。その結果,鉱さいの溶解はpHが低いほど促進された。この溶液pHの影響の程度は鉱さいの種類により異なり,各鉱さいのケイ素溶出率は,pH6〜7ではWB<AB<S<Cの順に高くなったが,pH4ではS<C<AB=WBの順となった。これらの結果は,水田土壌中での鉱さいの溶解性を酸性溶液に対する溶解性から予測することが極めて困難であることを示している。鉱さいの可給態ケイ酸量を抽出法で評価するためは,抽出液のpHを6〜7にする必要があると考えられた。

 鉱さいAB,WBとSでは,溶出したカルシウムやマグネシウムのケイ素に対するモル比(Ca/Si,Mg/Siモル比)が経時的に低下したことから,ケイ酸に先立ってカルシウムやマグネシウムが溶出したと考えられた。一方,Cではカルシウムと同時にケイ酸も溶出した。

 塩化カルシウム溶液中での溶解性を検討した結果,溶液中のカルシウム濃度が高いほど鉱さいの溶解に伴うpHの上昇が抑制され,また鉱さいからのケイ素溶出量も減少した。

 以上の結果から,鉱さいの水中での溶解は,(i)水中の水素イオンとのイオン交換反応によるアルカリ分の溶出(第一段階),(ii)ぜい弱となった網目構造の崩壊(第二段階)により進行するものと推察された。但し,-ケイ酸二石灰を主成分とする転炉さいの場合には,第二段階の反応はケイ酸の溶出に関与しないと考えられた。

(2)土壌中における鉱さいの溶解過程

 鉱さいの灰色低地土(Eutric Gleysols,富士見土壌,鴻巣土壌)中での溶解性を検討するために,鉱さい施用土壌の湛水静置試験を行った。その結果,土壌溶液のpHとカルシウム濃度は鉱さいの施用によって上昇し,施用した鉱さいのA/Si比(アルカリ分/0.5M塩酸可溶性ケイ酸含有率)と正の相関関係が認められた。一方,土壌溶液のケイ素濃度は,鉱さいの施用によってpHが大きく上昇する場合には無施用区よりも低下し,A/Si比との間に負の相関関係が認められた。これは,pHとカルシウム濃度の上昇により鉱さいの持続的な溶解が抑制されたこと,および土壌のケイ酸吸着能が増大したことによると推察された。

 富士見土壌を使用した試験では,土壌の水洗浄(土壌溶液を蒸留水で置換),グルコースやセルロースの添加,あるいは二酸化炭素の土中への吹き込みを行って,溶脱による土壌溶液中の各成分濃度の低下と有機物の分解による二酸化炭素の発生が鉱さいや土壌からのケイ酸溶出に及ぼす影響を検討した。その結果,土壌溶液のケイ素濃度は水洗浄により低下したが,その後のグルコースやセルロースの添加によって上昇した。その上昇程度は無施用区よりも鉱さい施用区,特にA/Si比の高い鉱さい区で大きかった。このためA/Si比とケイ素濃度との相関性が負から正に転じた。これらの結果は,水洗浄によるカルシウム濃度の低下と有機物の分解により発生した二酸化炭素の中和効果により,鉱さいの溶解性が増加したこと,およびA/Si比の高い鉱さい区では,pHの低下により土壌のケイ酸吸着能が低下したことによると推察された。鉱さい施用土壌では,二酸化炭素の通気により土壌溶液のpHが低下し,ケイ素,カルシウム,マグネシウム濃度が増加した。一方,鉱さい無施用区では,二酸化炭素の通気による各成分濃度やpHの変化は認められなかった。

 鉱さい中のケイ酸の水稲に対する有効性や鉱さいの溶解性に及ぼす水稲根の影響を調べるために,富士見土壌を用いてポット栽培試験を行った。水稲の生育初期では,水稲無栽培下(湛水静置試験)と同様に,鉱さいの施用によって土壌溶液のケイ素濃度が無施用区よりも低くなる場合が多く認められ,A/Si比とケイ素濃度との間には負の相関関係が認められた。一方,生育後期やセルロースを湛水前に施用した場合には,土壌溶液のケイ素濃度は鉱さい施用区で無施用区よりも高く,A/Si比と正相関(栽培試験),あるいは無相関(セルロース添加区)であった。これらの結果は,セルロースの分解あるいは水稲根の呼吸や根圏微生物の活動によって発生した二酸化炭素により,鉱さいの溶解に伴うpHの上昇が抑制されたこと,また溶脱や養分吸収によって土壌溶液のケイ素やカルシウム濃度が低下したことにより,鉱さいや土壌からのケイ酸溶出が促進されたためと考えられた。

 成熟期の水稲のケイ素吸収量は,分げつ期以降の土壌溶液のケイ素濃度と正の相関性が認められたが,生育初期の土壌溶液のケイ素濃度とは無相関であった。従って,生育初期の土壌溶液のケイ素濃度よりも,土壌固相から土壌溶液への持続的なケイ酸供給能が水稲のケイ素吸収量を決定する重要な要因であると考えられた。

(3)鉱さい施用土壌のケイ酸溶出・吸着特性

 富士見土壌と鴻巣土壌について,土壌固相からのケイ酸の溶出に及ぼす土壌溶液のpHとカルシウム濃度の影響を湛水条件下で調査した。その結果,ケイ素溶出量は,土壌溶液pHが8〜9以下では,pHが高いほど減少した。従って,一般的な水田でみられるpHの範囲内では,pHが高いほどケイ素溶出量が減少すると考えられた。土壌溶液のカルシウム濃度は,土壌からのケイ素溶出量にほとんど影響を及ぼさなかった。

 鉱さいの施用が富士見土壌のケイ酸吸着能に及ぼす影響を調べるために,30Si標識ケイ酸溶液を湛水保温静置後の土壌に添加した。その結果,標識ケイ酸の土壌による吸着保持率は,鉱さいの施用によって増加し,また上澄液のpHとの間に正の相関関係が認められた。このことから,鉱さいの施用によって土壌pHが上昇する場合には土壌のケイ酸吸着能が増大することが明らかになった。また,吸着に伴って,土壌固相からケイ酸が脱着あるいは溶出し,添加した30Siは溶液中のケイ酸だけではなく,固相から溶出したケイ酸によっても希釈された。同位体希釈法に基づいて求めた土壌の活性ケイ酸量(D60値,1時間以内に同位体希釈に関与した土壌のケイ素量)は,鉱さいの施用,特にA/Si比の高い鉱さいの施用によって増加した。この結果から,A/Si比の高い鉱さいほど土壌中での溶解性が高いこと,並びに鉱さいから溶出した後に土壌の固相によって保持されたケイ酸の少なくとも一部は活性ケイ酸として残存することが明らかとなった。また,D60値は水稲のケイ素吸収量と正の相関性を示し,鉱さい施用土壌の可給態ケイ酸量の指標として使用できる可能性が示された。一方,湛水状態で土壌溶液に溶出したケイ素量は水稲による吸収量と相関が認められなかった。以上の結果から,土壌の可給態ケイ酸量を正確に評価するためには,土壌溶液のケイ酸濃度のような強度因子だけではなく,D60値のような容量因子を考慮する必要があると考えられた。土壌のケイ酸緩衝能(ケイ酸が土壌に添加,あるいは土壌から除去された場合に,土壌溶液のケイ酸濃度を一定に保とうとする土壌の性質の指標で,D60値を溶液中のケイ素濃度で除した値)は,鉱さいの施用によって増加し,A/Si比や水稲のケイ素吸収量との間に正の相関関係が認められた。また,鉱さいの相対効率(D60値の増加量を施用量で除した値)も,水稲による吸収利用率と正の相関が認められた。

(4)鉱さい中の可給態ケイ酸の評価

 水田土壌中での鉱さいの溶解過程に関する知見に基づいて,鉱さい中の可給態ケイ酸量を評価する新しい抽出法を開発した。この方法では,鉱さいの肥効を示す指標として,鉱さいを弱酸性陽イオン交換樹脂(Amberlite IRC-50,pK6.1,H型)の存在下で水に溶解させたときのケイ素溶出率を用いた。ケイ素の抽出量に及ぼす鉱さい/水比,イオン交換樹脂の添加量,抽出温度の影響を調べて抽出条件を決定した。その結果,イオン交換樹脂の添加により,抽出液のpHは6〜7の間に維持され,鉱さいから抽出されるケイ素量が増加した。一部の鉱さいを除き,本抽出法で求めたケイ素溶出率は水稲による利用率とほぼ同じ値となり,また正の相関関係が認められた。一方,0.5M塩酸や酢酸緩衝液を用いる従来の抽出法では,ケイ素溶出率が水稲による利用率よりも著しく高く,また両者間には全く相関性がなかった。これらの結果から,提案した方法は,鉱さい中の可給態ケイ酸量を従来法よりも正確に評価できると考えられた。

審査要旨

 水稲栽培ではケイ酸質肥料は不可欠であるが、ケイ酸質肥料のなかでも重要な地位を占める鉱さいケイ酸質肥料は未だに適正な施用基準が確立されておらず、効率的な施用法が適用できないままの状態にある。本研究は鉱さい中の水中あるいは土壌中での溶解性に及ぼす要因について検討し、鉱さいの水田土壌中での溶解過程を解析したのち、これらの知見に基づいて、鉱さい中の可給態ケイ酸量の評価法を開発し、鉱さいの施用に伴う土壌のケイ酸供給能やケイ酸吸着能の変化をアイソトープ手法を用いて解析したもので6章よりなる。

 研究の背景を述べた第1章に続いて第2章では、鉱さいの溶解性に影響を及ぼす要因の解析を行っている。製銑鉱さい徐冷品(AB)、水砕品(WB)、シリコマンガン鉱さい(S)および転炉さい(C)の水中での溶解性を同一pH条件下の溶液中で検討した結果、鉱さいの溶解はpHが低いほど促進され、この溶液pHの影響の程度は鉱さいの種類により異なり、各鉱さいのケイ素溶出率は、pH6〜7ではWB<AB<S<Cの順に高くなったが、pH4ではS<C<AB=WBの順になった。したがって、水田土壌中での鉱さいの溶解性を酸性溶液に対する溶解性から予測することは困難であり、鉱さいの可給態ケイ酸量を抽出法で評価するためには、抽出液のpHを6〜7にする必要があるとした。更に、溶出したカルシウムやマグネシウムのケイ素に対するモル比から、鉱さいの水中での溶解は、(i)水中の水素イオンとのイオン交換反応によるアルカリ分の溶出(第一段階)、(ii)脆弱となった網目構造の崩壊(第二段階)により進行すると推察した。

 第3章では土壌中における鉱さいの溶解過程を検討している。鉱さいの灰色低地土(Eutric Gleysols)中での溶解性を検討するため、鉱さい施用土壌の湛水静置試験を行った結果、土壌溶液のpHとカルシウム濃度は鉱さいの施用によって上昇し、施用した鉱さいのアルカリ分/0.5M塩酸可溶性ケイ酸(以下A/Si比と略す)と正の相関を認めた。一方、土壌溶液のケイ素濃度は、鉱さいの施用によってpHが大きく上昇する場合には無施用区よりも低下し、A/Si比との間に負の相関を認めた。また、土壌の水洗浄、グルコースやセルロースの添加、あるいはCO2の土中への吹き込みを行って、溶脱による土壌溶液中の各種成分濃度の低下と有機物の分解によるCO2の発生が鉱さいや土壌からのケイ酸溶出に及ぼす影響を検討した結果、土壌溶液のケイ素濃度は水洗浄により低下したが、その後のグルコースやセルロースの添加により上昇すること、その上昇の程度は無施用よりも鉱さい施用区、とくに、A/Si比の高い鉱さい区で大きく、そのため、A/Si比とケイ素濃度との相関が負から正に転じることを認めた。さらに、鉱さい中のケイ酸の水稲に対する有効性や鉱さいの溶解性に及ぼす水稲根の影響を調べるために、先の土壌を用いてポット栽培試験を行った結果、水稲の生育初期では、水稲無栽培区と同様に、鉱さいの施用によって土壌溶液中のケイ素濃度が無施用区よりも低くなる場合が多く見られ、A/Si比とケイ素濃度との間には負の相関が認められた。一方、生育後期やセルロースを湛水前に施用した場合には、土壌溶液のケイ素濃度は鉱さい施用区で無施用区よりも高く、A/Si比と栽培試験では正の相関をセルロース添加区では負の相関を示した。以上から、セルロースの分解または水稲根の呼吸や根圏微生物の活動により発生したCO2が、鉱さいの溶解に伴うpHの上昇を抑制したこと、また溶脱や養分吸収により土壌溶液のケイ素やカルシウム濃度が低下したことにより、鉱さいや土壌からのケイ酸溶出が促進されたためと推察した。

 第4章では鉱さい施用土壌のケイ酸溶出・吸着特性を検討している。鉱さいの施用が土壌のケイ酸吸着量に及ぼす影響を調べるため、30Si標識ケイ酸溶液を湛水保温静置後の土壌に添加して検討した結果、標識ケイ酸の土壌による吸着保持率は、鉱さいの施用によって増加し、上澄液のpHとの間に正の相関関係を認め、鉱さいの施用により、土壌pHが上昇する場合には土壌のケイ酸吸着能が増大することを明らかにした。同位体希釈法に基づいて求めた土壌の活性ケイ酸量(1時間以内に同位体希釈に関与した土壌のケイ素量、以下D60値と略称)は、鉱さいの施用、とくにA/Si比の高い鉱さいの施用によって増加したことから、A/Si比の高い鉱さいほど土壌中での溶解性は高いこと、並びに鉱さいから溶出した後に土壌の固相によって保持されたケイ酸の一部は活性ケイ酸として残存することを明らかにし、D60値は水稲のケイ素吸収量と強い正の相関を示すことから、鉱さい施用土壌の可給態ケイ酸量の指標として利用できることを示した。

 第5章では鉱さい溶解過程に関する以上の知見に基づき、鉱さい中の可給態ケイ酸量を評価する新しい抽出法を開発している。本法は鉱さいの肥効を示す指標として、鉱さいを弱酸性陽イオン交換樹脂の存在下で水に溶解させたときのケイ素溶出率を用いるもので、イオン交換樹脂を添加することにより、抽出液のpHを6〜7に維持し、鉱さいから抽出されるケイ素量が増加した。本法で求めたケイ素溶出率は水稲による利用率とほとんど同じ値となり、また、強い正の相関を認めた。従来の0.5M塩酸や酢酸緩衝液を用いる抽出法ではケイ素溶出率が水稲による利用率よりも著しく高くなり、また両者には相関性が低いことから、本論文で提出した新しい方法は鉱さい中の可給態ケイ酸量を従来法よりも正確に評価できるとした。

 以上を要するに本論文は、鉱さいの水中および土壌中での溶解性に及ぼす要因を詳細に検討し、鉱さいの水田土壌中での溶解過程を解析するとともに、鉱さい中の可給態ケイ酸量の新しい評価法を開発したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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