戦後の日本の急成長は日本人の栄養状態を改善し、医療技術の向上と相俟って疾病の様相に大きな変化をもたらした。すなわち、終戦直後に死因の第1位であった結核が減少し、現在は悪性新生物が第1位となっている。一方で、高齢者が他の疾患の治療を経て虚弱状態が継続したうえで肺炎や気管支炎を併発して死に至るケースや、日和見感染の増加、抗生物質耐性菌の出現等、感染症に関わる問題が増加している。また、ストレスが免疫活性を低下させるとの報告もあり、ストレスを多く受けていると言われる現代人や過密な飼育をされている家畜や養殖魚にとって、免疫活性を高く維持して感染症への防御力を維持することは抗生物質の使用量低減のためにも重要な課題である。以上のような背景から、本研究は日常の食事によって人の健康を維持できるような機能性食品素材を開発することを目的に行った。この目的を達成できれば、本素材を家畜や養殖魚の飼料用にも利用可能と考えた。 研究対象には日本で食用に用いられている大型海藻を選定し、マウスの食細胞系活性化作用を示す多糖画分を探索してその有用性を評価すると共に、食細胞系活性化の作用機序について一考察を行い、5章からなる論文にまとめた。 第1章では、食用海藻10種より食細胞系賦活物質の検索を行った結果について述べた。活性の評価は、in vivoでの食細胞系の活性評価法であるカーボンクリアランス活性を指標にし、海藻から多糖をターゲットにした試料調製を行い、得られた試料をマウスに腹腔内投与して行った。その結果、2種の紅藻から得られた3画分、スサビノリ(Porphyra yezoensis)の熱水抽出エタノール不溶画分(PWSF)と熱水抽出残渣の酸抽出画分から得られたエタノール不溶画分(PASF)、オゴノリ(Gracilaria verrucosa)の熱水抽出エタノール不溶画分(GWS)に食細胞系活性化作用が認められた。 第2章ではこれら3画分の主成分とマクロファージ活性化作用の特徴について述べた。3画分はいずれもアガロースを基本骨格とする硫酸化ガラクタンを共通に含んでおり、その糖含量はそれぞれ61.4%、93.7%、93.7%であった。PWSFとPASFの主成分はいずれもポルフィランと呼ばれる硫酸化ガラクタンで、ともにin vitroでプロテオースペプトン誘導マウス腹腔マクロファージのグルコース消費及び腫瘍壊死因子(TNF-)産生を亢進し、PWSFでより強い活性が認められた。PWSFは、亜硝酸イオン産生やインターロイキン-1(IL-1)の分泌も亢進した。 一方、PWSFより強いカーボンクリアランス活性を示したPASFの本活性は用量に依存して上昇し、PASFの腹腔内投与で肝臓や脾臓の食細胞系の貪食能が活性化されることが確認された。さらに、PASFの腹腔内投与で誘導される腹腔マクロファージも貪食能を亢進していることが確認された。 硫酸化ガラクタンを主成分に持つGWSは、in vitroでグルコース消費、亜硝酸イオン産生、TNF-産生を亢進した。また腹腔内投与で検出されたカーボンクリアランス亢進活性や腹腔滲出細胞の貪食能は用量に依存した変動を示し、最適投与量があることが明かとなった。 アマノリに含まれるポルフィランとオゴノリに含まれる硫酸化ガラクタンは主要な構造が類似しており、この類似構造、特にアガロース骨格の構成糖である3,6-アンヒドロ-L-ガラクトース(3,6-ALG)の一部がL-ガラクトース-6-硫酸(L-Gal-S)に置き換わった構造が活性発現に関与しているのではないかと推察された。 第3章では強いカーボンクリアランス活性を示したPASFをモデルに用い、活性の向上と食品素材としての適性の向上のための試みとして、化学修飾や分画、酵素分解を行い、同時に活性発現に重要な構造について考察した結果を述べた。活性の評価はin vitroのマクロファージ活性化作用を指標に行った。多糖中の硫酸基の活性への関与を予測して、より多くの硫酸基の化学的導入と逆にアルカリ処理による硫酸基の脱離を試みたところ、硫酸基を導入しても活性に変化は見られず、硫酸基を脱離すると活性は低下した。この結果から、活性発現には天然型の硫酸多糖構造が重要と考えられた。そこでPASFを極性の差で分画して、天然型の硫酸多糖構造を持ち、しかも硫酸基含量の異なる画分を得、活性を評価したところ、硫酸基含量の高い画分に強い活性が見られたが、硫酸基含量のより低い画分でも活性が強くなる傾向が見られ、活性が硫酸基の含量のみに依存するのではないことが示された。 PASFの水溶液は高い粘性を示すことから、粘度を低下させて食品素材として取り扱いやすくすることを目的に-アガラーゼ分解も試みた。その結果は、-アガラーゼ分解が進むに伴い活性がわずかに低下し、さらに分解が進むと活性は未分解の試料に比べて強くなった。この結果から、分解の進行に伴うPASFのコンフォメーションの変化が、活性部位のマクロファージへの接近を容易にすると推察され、活性の発現にはポルフィラン構造に見られる天然型の硫酸エステル基の存在と、その多糖中での偏在の仕方による特定のコンフォメーションが重要ではないかと推察された。 PASFを酵素分解すると活性が向上した他、水に易溶性で水溶液の粘度も低下したことから、酵素分解は食品素材としての利用の範囲を広げるために有効な手段と考えられた。また酵素分解反応を調製の工程に組み入れて粘度を低下させることによって抽出液の取り扱いを容易にすることができ、製造工程を設計する上でも有効な手段と考えられた。 第4章では食品素材としての実用化を目的に、原料がより安価なオゴノリを用いた食品素材の開発に焦点を絞り、検討を行った。GWSは高分子、高粘性で、そのアルカリ処理物は寒天となりその物性を利用した食品素材として使われているが、食品素材としての汎用性を求める場合にはこれらの物性はマイナスとなる。そこで本研究では工業的に利用可能な-アガラーゼI様の特異性を持つ新規なGWS分解酵素を用いてGWSの分解を行い、活性を保持したまま低分子化することに成功した。得られたGWS酵素分解物(GWS-E)は腹腔内投与、単回胃内投与のいずれの投与経路でもマウスの腹腔や脾臓のマクロファージを活性化して活性酸素の産生を亢進することが確認された。経口投与してから活性が発現するまでの所要時間を腹腔内投与の場合と比較すると、経口投与された試料は吸収されて血流を介して作用部位に到達するのではなく、腸管免疫系を介して刺激が伝達すると推察され、腸管の管腔内で作用するのでも血中に吸収されて作用するのでもない、新たな食品の機能発現機序が存在する可能性が示唆された。 さらに、GWS-Eを飲水としてマウスに10日間給水すると、投与開始8日目には脾臓のT細胞の比率が上昇する結果も得られており、経口投与した試料によって活性化されたマクロファージがT細胞を活性化し、活性化されたT細胞の分泌するインターフェロンを介してマクロファージの活性化が長期間維持される可能性が示唆された。 オゴノリの多糖は古くから食経験のある素材であることから安全性の問題はないと考えられる。さらにGWS-E水溶液は無味でかすかな磯の香がする以外は飲用した際に問題となる食味は感じられず、嗜好性の面からも問題のない食品素材と考えている。 第5章ではGWS-Eの活性成分の構造を考察するため、水溶液をエタノール処理して沈殿しない低分子画分と沈殿する高分子画分に分画し、さらに低分子画分を陰イオン交換クロマトグラフィーで硫酸基含量によって分画してin vitroの活性を評価した。その結果、硫酸基含量の高い高分子画分と低分子画分のうちクロマト分離で溶出しにくい硫酸基を1分子中に2つ以上含む画分が強い活性を示し、これらの画分がin vivoでも同様に活性を発現することが示された。さらに酵素の特異性から、非還元末端にL-Cal-Sが、還元末端側にネオアガロテトラオース残基が存在することが活性発現に重要な因子ではないかと推察された。このような強い活性を持つ成分の含量が高いGWS-Eを得るためには、含有多糖の硫酸基含量が高い原藻を利用し、-アガラーゼI様分解様式を示す特異性の高い酵素を利用することで可能となるであろう。 以上の検討結果から、GWS-Eは生体防御能活性化という三次機能を有する新たな機能性食品素材として利用できる可能性が示された。このような研究を進めることは、高齢化社会における健康増進に貢献すると共に、生体防御系の活性と食品との複雑な係わりに関する研究発展の一助になるものと考えている。 |