実験動物における血圧などの血行動態の測定は、実験動物の循環器系の生理的状態あるいは病態を統合的に把握し、ヒトへの外挿性を考慮する過程において極めて重要であるため、これまでにも様々な測定法が開発されてきた。しかしながら、従来の実験動物の血圧測定法は、動物へのストレス負荷、方法の煩雑さ、データの信頼性等に問題があり適用が制限されていた。特に、医学領域では終日にわたる心電図や血圧の連続測定の重要性が認識されつつあるが、動物における血圧の連続測定については決定的な方法がなく、この分野の研究にとって大きな障害になっていた。そのような背景のもと、近年、実験動物の血圧測定法における飛躍的な進歩をもたらす方法としてテレメトリー法による血圧測定システムが新たに開発され、特に、これまでに長期連続的血圧測定法がなかったラット等の小型実験動物における活用が期待されている。 本研究では、従来の血圧測定法で問題となっていた手術時の侵襲、拘束、実験者の接触等の要因に影響されずに長期間にわたって連続的に信頼性の高いデータを収集できるというテレメトリー法の利点を種々の基礎的検討により確認し(第2〜4章)、従来の測定法と比較するとともに(第5章)、長期にわたる連続測定という利点を最大限に発揮しうる応用例として、ウサギおよびラットにおける血圧および心拍数の日内変動ならびに短期変動の解析におけるテレメトリー法の有用性を明らかにすること(第6章)を研究の目的とした。 まず、第2章および第3章では、テレメトリー送信器埋め込み手術時における外科的侵襲が回復するためにはどの程度の時間を必要とするかについて検討した。4系統のラット(Wistar,F344,SHR,WKY)と1品種のウサギ(JW)を用いて、テレメトリー送信器埋め込み手術後2あるいは3週間にわたって体重、平均血圧および心拍数を測定し、それらの測定値に及ぼす手術の影響とその回復性を調べた。その結果、腹腔内に送信機を埋め込んだ場合、術後初期は体重が減少したが、その後回復し、術後3週目には無処置対照群と同等になった。また、背部皮下に送信機を埋め込んだ場合の方が手術直後の体重減少が少なく、回復も早かった。送信機を埋め込んだ翌日には平均血圧および心拍数が高値を示したが、術後1週以降は明期と暗期毎の平均値は安定した。一方、術後1週間における平均血圧および心拍数の日内変動はラットおよびウサギのいずれにおいても乱れていたが、術後2週間目にはほとんどすべての動物の平均血圧および心拍数が暗期に高値となる夜行性動物特有の日内変動を示すことが確認できた。 以上の結果から、テレメトリー送信機埋め込み手術後、1〜3週間以上の回復期間を設定することにより、埋め込み手術時における外科的侵襲の影響が消失し、実験に供することが可能であることが明らかになった。 第4章では、無拘束状態で観察できる、実験者の接触を最小限に留めることができるといったテレメトリー法の利点を実証するために、拘束あるいは実験者との接触(投与操作)がラットおよびウサギの血行動態に及ぼす影響について検討した。拘束直後よりウサギおよびラットのいずれにおいても血圧や心拍数が上昇したが、拘束中には馴化による回復がみられた。拘束中の反応には種間あるいはパラメータ間で解離がみられ、ウサギの血圧が最も馴化が遅く、高値が持続し、拘束解除後の回復に最も長時間を要した。投与操作の影響を調べた実験では、投与時におけるヒトとの接触により血圧や心拍数が上昇したが、その回復にはSHRの方がWKYよりも長時間を要した。 以上の結果から、拘束あるいは投与操作に対する血圧や心拍数の反応にみられる、SHRやウサギの特異性が明らかとなった。したがって、SHRやウサギのような動物では実験手技によるストレスを最小限にすることが可能なテレメトリー法の利用価値が特に高いと考えられた。 第5章では、テレメトリー法と従来法で得られた測定値を比較し、テレメトリー法の利点を明確にするために、自由行動下のラットにおける安静時および薬物投与時の血圧および心拍数をテレメトリー法とfluid-filledカテーテル法によって測定し、両者の比較を試みた。まず、安静時の測定値における測定法間の比較では、いずれの系統においてもテレメトリー法による測定値と比較して、fluid-filledカテーテル法の方が20〜30%程高い数値を示したことから、テレメトリー法が動物へのストレス負荷の少ない測定法であることが示された。 薬物投与の一例として、カルシウム遮断薬で誘起される頻脈に対するアンジオテンシンII受容体遮断薬、アンジオテンシン変換酵素阻害薬あるいは受容体遮断薬の前処置による抑制効果に注目した。カルシウムチャンネル遮断薬投与後急性期に生じる代償性の交感神経活動亢進により誘発される反射性頻脈をカンデサルタン シレキセチルとエナラプリルは部分的に、プロプラノロールはほぼ完全に抑制することが示された。したがって、アンジオテンシンIIがカルシウムチャンネル遮断薬投与後の交感神経活動亢進に関与している可能性が示唆された。また、外科的侵襲が残存した状態で測定を行わなければならないfluid-filledカテーテル法では、安静時における心拍数の高値が影響し、SHRにおけるカンデサルタン シレキセチルの反射性頻脈抑制作用がテレメトリー法よりも不明瞭であった。 以上の結果から、まず、安静時の測定法間の比較において、fluid-filledカテーテル法による高いストレス負荷の存在が示唆された。さらに、カルシウムチャンネル遮断薬によって誘発される反射性頻脈に対するカンデサルタンシレキセチルの抑制効果をfluid-filledカテーテル法よりもテレメトリー法の方が明瞭に確認することが可能であったことから、テレメトリー法は薬理作用の検出にも優れていることが明らかとなった。 第6章では、長期間連続測定というテレメトリー法の利点に着目し、その利点が最大に発揮されうる応用例をみつけるために、テレメトリー法を用いてウサギの血圧および心拍数における変動プロファイルを明らかにする実験を行った。まず、日内変動をコサイナー法により、1時間以内における変動(短期変動)を変動係数を求めることにより評価し、ラットの場合と比較した。また、日内変動や短期変動を含む複数の周期の変動の構成比率を調べるため、ウサギおよびラットの血圧および心拍数のデータについて最大エントロピー法による周波数解析を行った。さらに、ウサギ血圧にみられる短期変動の原因を調べるために、および受容体遮断薬とアンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬を用いて、変動発生における交感神経系とレニン-アンジオテンシン系の関与について検討した。 その結果、ウサギにおける血圧および心拍数の日内変動はラットと同様、夜行性のパターンを示す一方、ウサギ血圧の短期変動はラットよりも明らかに大きかった。これらの傾向について、最大エントロピー法を用いてより詳細に解析したところ、両種とも、血圧における最大変動領域は1時間未満または1〜6時間の短い周期の領域であったが、心拍数における最大変動領域は日内変動に相当した。また、血圧や心拍数の1時間未満の周波数領域ではラットと比べてウサギの方がパワー比が高値を示した。これらの最大エントロピー法による解析結果はコサイナー法や変動係数による解析結果とよく一致しており、最大エントロピー法を用いることによって日内変動と短期変動の関係をより明瞭に表現することが可能であった。 さらに、受容体遮断薬、受容体遮断薬あるいはACE阻害薬の投与後のウサギの血圧および心拍数の短期変動を変動係数により評価した結果、ウサギ血圧における短期変動は受容体遮断により抑制されたが、受容体遮断やACE阻害により影響を受けなかった。したがって、ウサギ血圧の短期変動が大きい原因には、受容体を介した交感神経機能亢進による散発的な昇圧反応が関与していると考えられた。一方、心拍数の短期変動は受容体遮断薬で増加し、受容体遮断薬で抑制されたが、ACE阻害薬では変化しなかった。 以上のことから、ウサギおよびラットにおける血圧および心拍数の変動はテレメトリー法と最大エントロピー法を用いれば、より明確に観察し、解析することが可能であるものと考えられた。 これら一連の成績より、手術時の侵襲、拘束、投与操作時や動物移動時における実験者の接触等の要因は安静時および薬物投与時の血行動態に多大な影響を及ぼし、その影響には系統差や種差が存在すること、テレメトリー法による血圧測定システムはこれらの要因に影響されずに長期間にわたって連続的に信頼性の高いデータを収集できることが実証された。また、長期連続測定というテレメトリー法の利点を応用すれば、ウサギおよびラットにおける血圧および心拍数の変動プロファイルを明らかにすることが可能であったことから、血行動態の変動解析におけるテレメトリー法の有用性が示された。 |