学位論文要旨



No 213382
著者(漢字) 三末,和男
著者(英字)
著者(カナ) ミスエ,カズオ
標題(和) ダイアグラム・プロセッサの構築 : 領域連結図を用いる思考支援システムへの応用を中心として
標題(洋)
報告番号 213382
報告番号 乙13382
学位授与日 1997.05.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13382号
研究科 工学系研究科
専攻 情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堀,浩一
 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 助教授 寺田,実
内容要旨

 従来の情報処理は言語化あるいは形式化された情報を処理の対象とすることが多く,数値計算,記号推論などの自動化や対話的支援を行うことを中心に発展してきた.しかし,本来情報処理というものは,人間の頭の中から始まる一連の処理の流れとして捉えられるべきものであろう.その意味において,上流工程の支援が下流工程の支援に比して不十分であり,情報処理のネックとなってきたといえよう.情報処理の上流では,しばしば,断片的な情報が頭の中で未整理な状態にある.そのような状態では,テキストのような逐次的で厳密性が高いメディアよりも,断片情報を要素としてそれらの間の関係を可視化した図の方が,要素間の関係を全体的かつ直截に表現し操作できるため,便利な場合が多い.本論文で扱う領域連結複合系は,2種類の関係を連結線と領域の包含により同時に表現する図のクラスであり,図の視覚的形式として一般的なものである.領域連結複合系の図は思考過程で求められる複雑な関係の表現に適した高い表現力を備えていると言えるが,その反面,編集や作成が困難であるという問題があり,そのため計算機による支援が望まれる.

 「ダイアグラム・プロセッサ(DP)」は図を利用して人間の思考過程を計算機により支援するシステムである.DPは,直接的に上流工程の情報処理を行うものではないが,上流工程で有用と考えられる図の編集,作成を支援するものである.DPを利用することにより図の編集,作成が効率化され,上流工程における情報処理の改善が期待できる.すなわち,DPを構築することの意義は,「情報処理上流工程のための基盤システムの提供」にあると言える.

 本研究の応用領域は「思考支援」であり,そこで用いる情報技術は「情報の可視化技術」である.人間の思考過程を支援する計算機システムの開発を目標とする研究を,Youngは,計算機の果す役割によって,「生成」レベル,「枠組パラダイム」レベル,「秘書」レベルの3レベルに分類している.秘書レベルの支援システムは計算機が文房具など従来の道具から発展した道具として利用されるものであり,ワード・プロセッサ(WP)が代表的である.DPはテキストを処理するWPに対するものとして図を処理するシステムであり,WPと同様に秘書レベルとして位置付けられる.DPの構築は秘書レベルにおいて図を対象とする新しいアプローチと言える.一方,情報の可視化技術という研究分野は対象となる情報によって分類できる.本研究における対象は関係情報,つまり頂点とそれらの間の関係として表現できるような情報である.ただし,DPでは編集を行なうため,操作も考慮した対話的な可視化技術が必要である.このような分野において,本研究で開発する技術は「領域連結複合系」の図を対象とするという点で新しいと言える.

 本研究では,情報の可視化技術を思考支援に応用することでDPを構築する.先に述べたような位置付けにおいて,DPの構築に関する課題は,(1)DPに必要とされる基礎技術(情報の可視化技術)の開発,(2)基礎技術の統合による試用可能なシステムの実現,(3)システムの評価である.さらに,本研究では図を扱う上で最も重要と考えられる描画機能(図の可視化機能)の高度化に焦点を合わせる.本研究において領域連結複合系を対象とした理由としては,複雑な関係の表現に適した高い表現力を備えている,編集や作成が困難であるため計算機による支援が望まれる,さらに,実際に思考過程で用いる応用手法があることなどがあげられる.領域連結複合系の図に関しては自動描画技術がこれまで全く開発されていなかったため,新しく開発する必要がある.具体的な課題としては,まず描画技術として配置技術,装飾技術,表示技術などの基礎技術を開発する.さらにそれらの基礎技術を統合してシステムを実現し,評価することである.

 図を利用した思考支援という問題は,人間の視覚,認識,認知,思考,心理といった,まだ十分に解明されていない大変難しい問題に密接に関係している.したがって,科学的な研究対象として本質的な解明がなされるためには,今後も多大な研究努力が必要であることは明らかである.現段階における本研究の貢献は,強力な視覚表現形式の図の自動描画技術を開発し,それを基に自動描画機能を備えたDPを実現することで,情報処理の上流工程で有効と考えられる図の編集,作成のプロセスを改善した点にある.より具体的には以下の通りである.

 図の配置技術に関しては,まず領域連結複合系の図を,有向グラフの拡張であり,辺が「隣接」と「包含」の2種類の型を持つ「複合グラフ」によって定式化した.また,図の美しさ見さすさの基準として,描画規約,描画規則,規則間の優先順位を定めた.そして,その基準を満足する自動描画アルゴリズムを開発した.そのアルゴリズムは有向グラフの自動描画アルゴリズムとして有名なSugiyamaアルゴリズムを基礎とするもので,複合階層化,正規化,順序決定,座標決定の四つのフェーズからなる.隣接辺の交差数最小化などの描画規則を満足する最適解を求めることはNP完全であることが知られているが,開発したアルゴリズムでは発見的解法を用いることで高速化を達成している.

 図の装飾技術に関しては,図の「見方」に関するユーザの要求を色や形のような視覚属性に関して整理し,視覚属性の決定のために使われる情報およびその決定の仕方を,「重要度」と呼ばれる数値によって表現した.そして,領域連結複合系の図の装飾技術の一つとして,重要度を利用して視覚属性を図の応用情報,論理情報,およびユーザの視点から自動的に決定する方式「図ドレッシング」を開発した.図ドレッシングは各幾何的オブジェクトの重要度を計算する「重要度関数」と,重要度を基に視覚属性を決定する「自動図ドレッサ」から構成される.

 図の表示技術に関しては,ユーザの立場から表示方式への要求を整理し,限られた領域内で全体的な情報と詳細な情報をいかに組み合わせて表示するかという問題「全体視・詳細視問題」を明確にした.その全体視・詳細視問題を表示方式に対する要求に基づいて解決するために,非線形な写像を用いて,ユーザの視点付近を拡大しそれ以外の部分を縮小しながらも図の全体を一つの画面内に表示する方式「多視点遠近画法」を開発した.多視点遠近画法の具体例として3種類の写像を与え,それらの性質を整理した.

 システムへの統合としては,領域連結複合系の図に対する基礎技術を,編集機能やそれらを包括するユーザ・インタフェース機能などと組み合わせてDPとして実現した.そのDPは強力な図の処理能力を提供することを特徴とし,領域連結複合系の図を扱えること,さらに作業を効率化するための高度な機能を備える点で新しい.DPの実現に際しては,発想法として広く知られているKJ法を「図を描き替えながら思考を展開する過程」としてとらえ参考にした.そのためDPは「図的発想支援システムD-ABDUCTOR(DA)」と呼ばれている.システムの特徴としては,(1)図を用いた思考過程の対話型支援システムである,(2)図の自動描画技術を利用した高機能図インタフェースに最も重点を置いている,(3)直接操作環境とアニメーション環境によりユーザの手間と認知的負担を軽減している,(4)通信機能やマルチメディア機能などにより新しい可能性を目指している,などをあげることができる.

 システムの評価としては,アンケートと実験という二つの異なる手法を試みた.アンケートでは,まず10人のユーザに実際的な作業に対して自由に使用してもらい,システムおよびシステムが提供する各機能に対するユーザの使用感や満足度について調査した.その結果,筆者らがシステムの応用として想定した思考作業に関しては総合的に5段階の4という評価を得た.また,実験においては,KJ法のような思考作業に含まれる「操作」をどう支援できるかという観点から思考支援システムを客観的かつ定量的に評価することを目指して,まず評価実験のための厳密な作業を設計した.その作業は,(1)時や人によって作業内容が変わらない,(2)実際的な一連の作業全体を基にしている,(3)作業を中断なく連続的に進められる,(4)必要な思考の量や質が可変である,といった特徴を持つ.その作業を基にDAで使える機能をいろいろと制限した五つのモードにおいて実験を行なった.被験者5名,のべ245回の作業時間の分析によって,手作業に比べて約6倍,また汎用の作図システムに比べても約5倍効率が良いという結果が得られた.

審査要旨

 本論文は、「ダイアグラム・プロセッサの構築-領域連結図を用いる思考支援システムへの応用を中心として-」と題し、本文9章、付録1章からなる。

 一般に、人間が知的活動を行う時、図の果たす役割は大きい。頭の中で考えていることを表出しようとする時、多くの場合、言語と同時に図が併用される。従って、これまでに、図を描くという作業を支援するためのコンピュータシステムについて、さまざまな研究開発が行われてきた。ところが、従来の図描写システムは、設計支援システムなどのように使用目的が極度に限定されたものにおいては目的に応じた高度な描写機能を備えているものの、汎用の図描写システム(いわゆるお絵書きツール)においては、一度描いた図の中に新たに図を挿入し以前の図の位置を調整するというような、図を自由に描き変えるための機能をもっていなかった。本論文においては、人間が図を描き変えながら思考を行うような状況を想定し、そこで必要とされる機能を備えたダイアグラムプロセッサと称する図編集システムを提案している。

 第1章は序論であり、研究の目的、研究の背景と位置づけ、および論文の構成について述べている。

 第2章では、本論文で提案するダイアグラム・プロセッサの構想を述べている。まず、主たる応用目的として思考支援システムをとりあげることを述べ、思考支援システムとは何かを説明し、そこで必要とされる図編集機能を考察している。従来のさまざまな情報可視化技術を踏まえた上で、領域と領域がリンクで結合されたような領域連結図を編集する機能の重要性を指摘している。

 第3章では、第2章で述べた構想を実現するために、図を描写するための技術として、従来、どのような研究がなされてきたかを、調べている。図を配置するための技術、図を装飾するための技術、およびユーザインタフェースを含めたシステム統合のそれぞれについて、従来研究を調査した結果、ノードとリンクからなるグラフに限定した図の取扱いについては多くの研究がなされてきているものの、領域連結図については、ほとんど研究がなされていないことを指摘している。

 第4章では、本研究の目的に沿った図の配置技術について提案を行っている。複数の領域の間に複雑にリンクが張られている時、それを2次元の空間に最もわかりやすく配置するためのアルゴリズムを与えている。図の構造に対して規則(たとえば、リンクの交差は少ないほうが望ましいというような規則)を与えることにより、見やすい図を出力する。

 第5章では、図の装飾技術について述べている。図の重要な部分とそうでない部分を区別し、重要な部分は詳細に表現し、そうでない部分はおおざっぱに表現する、というような図に対する装飾を行うための方法を、図の視覚属性、構造属性、意味属性、視点属性などを定義することにより、定式化している。

 第6章では、4章と5章で与えたアルゴリズムにより出力された図を、コンピュータの限られた面積のディスプレイ上に効果的に表示するための図表示技術について述べている。大きな図を限られた面積に表示するための技術としてちょうど魚眼レンズを通して図をみるような魚眼表示方式が従来から知られていたが、ここではそれを領域連結図に適した形に改良した多視点遠近画法を提案している。

 第7章では、4章から6章において提案した技術を統合したD-ABDUCTORと称するシステムについて述べている。D-ABDUCTORは、従来から発想支援法のひとつとしてよく知られているKJ法におけるカード操作をコンピュータ上で効率的に行うことを第1の目標として構築されたシステムである。短い文章を入れたカード数多く作成し、関連の深いカードどうしをグループ化し、グループ間の関連を図解する、という作業をコンピュータ上で行うことができる。

 第8章では、7章で説明したシステムD-ABDUCTORの評価を行っている。紙と鉛筆を用いてカードの操作を行うのに比べて、システムを用いると何がどれだけ改善されるかを、実験によりできるだけ定量的に評価している。システムを用いることにより思考が変化するかどうかの実験は難しいため、ここでは、主としてカードの操作が効率化されるかどうかを、作業時間を測ることにより評価している。その結果、4章から6章で提案した技術が有効に働いていることを、示している。

 第9章は、結論であり、本研究の成果をまとめ、今後の課題を述べている。

 付録では、構築したシステムを幅広い応用目的に利用するために汎用化する試みを述べ、いくつかの応用例を示している。

 以上を要するに、本論文は、図を編集するための新しい方式をいくつか提案し、思考支援を主目的としたシステムとして統合し、その有用性を実験により示したものであり、今後の計算機利用の新しい領域を開拓しており、情報工学上、寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51047