本学位論文は、SS433と呼ばれる特異なジェット天体を宇宙X線衛星「あすか」により繰り返し観測し、ジェットの物理量を決定した、天体物理学の観測的研究である。 SS433は推定距離5kpcにある銀河系内の天体で、コンパクト天体を含む周期13.1日の連星系をなす。SS433は顕著な双対ジェットを吹き出しており、それは電波で見ると、太陽系の数倍の長さのヘリカル構造を示す。ジェットの根元からは光の輝線も放射されており、そこには赤方と青方に偏位した成分が見られる。それらのドップラー偏位は164日の周期で変調されており、ジェットは我々に近づく向きと遠ざかる向きに光速の26%の速度で飛びし、その軸が163日の周期で、開き角〜20°の歳差運動をしていると解釈される。1980年代には、電離した鉄のK輝線がX線で検出されたので、ジェットの最も根元に近い部分は、高温のプラズマであることがわかった。しかしX線では青色偏位した輝線のみが検出できたため、近づく側のジェットは根元まで見えるのに対し、遠ざかる側のジェットの根元は降着円盤などで隠されていると考えられて来た。このような特異性のゆえに、SS433は15年の長きにわたり研究されてはきたが、ジェット源のコンパクト天体の正体やジェットを作る機構は、未解決のままであった。 1993年に打ち上げられた宇宙科学研究所の「あすか」衛星は、優れた検出感度、広いエネルギー帯域、そして高いエネルギー分解能をもち、SS433のX線輝線を調べる最強の手段となる。そこで「あすか」によるSS433の観測は、打ち上げの直後から1996年の4月まで、163日の歳差位相と13.1日の連星位相をほぼ埋め尽くす形で、31回にわたって繰り返して行われ、総計の観測時間は50万秒に達した。明らかにSS433は「あすか」にとって、最重点ターゲットの一つとして認識されたことになる。申請者は、こうした観測を提案し計画する上で主導的な役割を果たすとともに、得られた膨大な量のデータを中心となって解析し、本学位論文として完成させるに至ったものである。 「あすか」によって得られたSS433のX線スペクトルには、硬い連続成分に加え、電離した鉄、カルシウム、アルゴン、イオウ、ケイ素、マグネシウムなどのK輝線が豊富に見られ、輝線の様子は歳差および連星の位相に応じて複雑な変化を示した。観測から直ちに明らかになったように、青色偏位した輝線のみならず、時期によっては赤色偏位した輝線も検出された。したがって遠ざかるジェットの根元は隠されて見えないという従来の描像は、誤りであることが判明した。ただし赤色偏位した輝線は青色偏位した輝線よりも一般に弱く、とくに低エネルギーの輝線では見えにくいことから、遠ざかるジェットは薄いガスの円盤などを透かして見えていることが示唆される。 ついで申請者は、ジェットから発するX線スペクトルのモデルを構築した。これは、高温のプラズマが光速の0.26倍で走りながら円錐状に広がり、放射と断熱膨張で冷えてゆくという物理的な状況を表わしており、我々はそのジェットを分解できないため、温度の異なる各部分からのX線をすべて積分したものが、観測にかかると考えられる。ある距離を越すと、ジェットの温度が0.1keVより下がって急速に放射冷却が効きX線が発生しなくなるので、この点をもってX線ジェットの全長と定義することができる。 実際に「あすか」で得られたX線データを、このモデル計算と比較することにより、ジェットの諸量が定量的に求められた。結果は次のようである。 ◇観測された水素様とヘリウム様の鉄輝線の強度比から、見えているジェットの最も熱い(根元に近い)部分は、20KeV程度の温度をもつと判明した。 ◇こうして求めた温度は、163日の歳差運動につれて変化する。これはジェットに垂直な降着円盤によって、近づく側のジェットの根元も、部分的に隠されるためと解釈でき、そこから円盤のサイズとジェットの長さとの比が求められた。 ◇同様に、連星の食のさいにジェットの根元が主星に部分的に隠される様子から、相手の星の大きさとジェットの全長との比が求められた。 ◇光とX線で決めたジェットの速度は、どちらも光速の0.26倍であり、その差はたかだか光速の4%であることがわかった。 ◇こうしてジェットの形状を決定した上で、観測されたX線の強度とモデルの予言を比べることにより、ジェットの中の電子密度が推定された。 これらの値を光学観測の情報などと結びつけることにより、ジェットのX線を出す部分の長さは従来の推定値より一桁も長く70光秒に達すること、根元での電子密度は約2.5×109m-3であること、そしてプラズマがジェット中を走ることで運び去るエネルギーは、太陽の全放射光度の2百万倍に及ぶことが明らかになった。これらの値は過去の推定値を大幅に塗り替えるものであり、SS433のジェットは、これまで想像されていた以上に巨大なエネルギーを伴う現象であることが明らかになった。これにより直ちにジェットの生成機構が特定されるわけではなく、またコンパクト天体の正体も不明のままではあが、ジェットの物理量がこのような高い精度で決定されたことは、ジェットに関する理論モデルの良し悪しを判断する上できわめて重要である。また全世界の研究者の期待に基づいた「あすか」の重点項目の一つが、完結したことを意味する。よって本論文は、宇宙物理学の研究に重要な寄与をなすと判断される。 もとより「あすか」ミッションの全体は多数の研究者および大学院生の協力の上に成り立っており、SS433の観測も多くのメンバーとの共同研究であるが、本論文に述べられたデータ解析、モデルの計算、および議論は、いずれも論文提出者が中心となって行った独創的なものであり、その寄与は十分であると判断される。 以上により、博士(理学)の学位を授与に値すると認定される。 |