学位論文要旨



No 213384
著者(漢字) 小谷,太郎
著者(英字)
著者(カナ) コタニ,タロウ
標題(和) ジェット天体SS433のX線観測
標題(洋) X-ray Observations of a Galactic Jet System SS433 with ASCA
報告番号 213384
報告番号 乙13384
学位授与日 1997.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13384号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 木舟,正
 宇宙科学研究所 教授 井上,一
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 助教授 須藤,靖
内容要旨 1 背景

 SS433はプラズマをジェットとして吹き出す謎の天体である。そのジェットは光速のl/4という相対論的な速度を持ち、約163日の周期で歳差している。図1、2に歳差の様子を示す。この天体は発見以来15年にわたって研究されてきたが、いまだにその性質の多くが未知のままである。どうやってプラズマを加速しているのか、どうしてジェットが歳差するのか、中心にあるのは中性子星なのかそれともブラック・ホールなのか、どれもはっきりしたことはわかっていない。

 このような特異な系はこれまで他に見つかっていないが、ジェット自体は原始星から活動銀河核まであまねく見られる現象であり、何か普遍的な生成機構があるのではないかと想像される。SS433の謎を解けばジェットの生成機構の理解も深まり、宇宙ジェットの統一理論にもつながるのではないかと期待される。

 X線は高エネルギー現象によって放射されるので、X線観測をすればSS433の激しく活動している領域、すなわちジェットの根本、降着円盤の内縁、中心核といった、ジェットのまさに生成される場所の様子がわかるはずである。したがってX線観測はSS433の謎を解く鍵になりうる。しかし過去のX線観測装置はどれも、エネルギー分解能が不足だったり有効面積が狭かったりして、X線放射に寄与しているのが1本のジェットなのか2本なのかもよくわからなかった。

図1:系の想像図コンパクト・オブジェクトと普通の恒星が互いの周りを回っている。伴星から物質が流れ込み、コンパクト・オブジェクトの周りに降着円盤を作っている。降着円盤の中心から、2本のジェットが反対方向に伸びている。図2:ジェットの歳差=19.85°はジェットの歳差の開き角。i=78.83°は歳差軸のinclination。

 1993年、X線天文衛星あすかが打ち上げられると、こうした状況は劇的に変わった。あすかの撮ったX線スペクトラムには、2本のジェット中のさまざまな元素(Si、S、Ar、Ca、Fe、Ni)のイオンの輝線がドップラー・シフトして分かれている様子がはっきり現れていた(Kotani T.et al.,1994,PASJ46,L147)このデータはそれまで広く受け入れられてきたEXOSATドグマ「あちら向きジェットのX線放射領域は、降着円盤に隠されて見えない」を覆すものであり、ジェットの性質の今までの推定値(質量放出率、長さ、密度、温度など)は改訂を迫られることになった。この発見を受けて、あすかを用いる4年にわたる観測計画が立てられた。これはこの系のあらゆる歳差位相、軌道運動位相のデータを集めるというもので、1996年1月現在まだ継続中である。この論文はこれまで3年にわたって蓄積されたデータの解析結果である。

2 スペクトラム

 SS433のX線スペクトラムの例を図3に示す。高エネルギー側にはドップラー・シフトした顕著なFe輝線が見えている。ここから引き出せる情報には

 ・ Fe XXVとFe XXVIの輝線強度比-→ジェットの温度の初期値

 ・ レッドとブルーの輝線強度比-→系のジオメトリ

 ・ 輝線の絶対強度-→ジェットの質量放出率など

 などがある。またドップラー・シフトしていない中性Fe輝線も見えており、ここから

 ・ 中性Fe輝線の絶対強度-→蛍光物質の分布についてわかる。

図3:あすかSISによるSS433のスペクトラム

 28/10/94に撮られたスペクトラム。左は1-4keV(低エネルギー側)、右は5-9keV(高エネルギー側)。レッド・シフトした輝線は"rd"、ブルー・シフトしたものは"bl"、シフトしていないものは"rst"としてその位置を示してある。見えない輝線についても、その位置を推定して示した。

 低エネルギー側にもさまざまな輝線が密集しているが、高エネルギー側と違って、レッド・シフトした輝線が検出されていない。これは放射が2×1022cm-2<NH<3×1023cm-2程度のガスによって吸収されていることを意味する。レッド・ジェットのみが吸収されていることは、降着円盤平面内にガスが局在していると考えると説明できる。これは降着円盤がジェットとともに歳差していることを示唆する。

3解析手法

 輝線の乱立する複雑なスペクトラムから定量的な情報を引き出すため、数値計算との比較を手法として用いた。すなわちジェットを円錐形のプラズマと見倣してモデル化し、放射と膨張によって以下のような式に従って冷却されるとした。

 

 放射率∧(T)は衝突電離平衡のコードを用いた(Masai K.,1983,Astrophys.Sp.Sc.98,367)。ここから放射されるX線を積分して求め、それが観測と合うようなパラメータの組合せを探した。まず輝線強度比Fe XXVI/Fe XXVはジェットの根本の温度T0に敏感であることがわかったので、観測値と照らし合わせることによってと求められた。これによってT0が初めて精度よく測られたことになる。輝線強度比の計算結果を図4に示す。また、輝線強度は質量放出率と初期電子密度の関数として求め、これとジェットが光学的に薄くなる条件から

 ・ 質量放出率:

 ・ 初期電子密度:ne0<5×1015cm-3

 ・ ジェットの根本の太さ:R0>3×109cm

 ・ X線ジェットの長さ:lXmax>1010cm

 と制限がついた。輝線強度の計算値を図5に示す。

図4:輝線強度比Fe XXV/Fe XXVIの計算値破線は観測値。これよりジェットの根本の温度が20keVと求められる。質量放出率、初期電子密度ne0=5×1013cm-3、開き角=2.5°とした。図5:Fe XXV輝線の絶対強度破曲線は観測値7.2×10-4ph s-1cm-2。破直線より下の領域でジェットは光学的に薄くなる。
4 まとめ

 あすかの高精度のデータはこれまでにない手法での解析を可能にし、ジェットの性質に強い制限がつけられた。ジェットの加速機構としてこれまでline locking mechanismなどが提唱されているが、この解析で得られた数値はそうしたradiative accelerationから予想される値(Katz J.I.,1987,ApJ317,264)と大きく食い違った。また、ジェットと共に降着円盤も歳差している兆候が見られた。これは歳差の機構としてslaved disk scenarioを示唆するものである。

審査要旨

 本学位論文は、SS433と呼ばれる特異なジェット天体を宇宙X線衛星「あすか」により繰り返し観測し、ジェットの物理量を決定した、天体物理学の観測的研究である。

 SS433は推定距離5kpcにある銀河系内の天体で、コンパクト天体を含む周期13.1日の連星系をなす。SS433は顕著な双対ジェットを吹き出しており、それは電波で見ると、太陽系の数倍の長さのヘリカル構造を示す。ジェットの根元からは光の輝線も放射されており、そこには赤方と青方に偏位した成分が見られる。それらのドップラー偏位は164日の周期で変調されており、ジェットは我々に近づく向きと遠ざかる向きに光速の26%の速度で飛びし、その軸が163日の周期で、開き角〜20°の歳差運動をしていると解釈される。1980年代には、電離した鉄のK輝線がX線で検出されたので、ジェットの最も根元に近い部分は、高温のプラズマであることがわかった。しかしX線では青色偏位した輝線のみが検出できたため、近づく側のジェットは根元まで見えるのに対し、遠ざかる側のジェットの根元は降着円盤などで隠されていると考えられて来た。このような特異性のゆえに、SS433は15年の長きにわたり研究されてはきたが、ジェット源のコンパクト天体の正体やジェットを作る機構は、未解決のままであった。

 1993年に打ち上げられた宇宙科学研究所の「あすか」衛星は、優れた検出感度、広いエネルギー帯域、そして高いエネルギー分解能をもち、SS433のX線輝線を調べる最強の手段となる。そこで「あすか」によるSS433の観測は、打ち上げの直後から1996年の4月まで、163日の歳差位相と13.1日の連星位相をほぼ埋め尽くす形で、31回にわたって繰り返して行われ、総計の観測時間は50万秒に達した。明らかにSS433は「あすか」にとって、最重点ターゲットの一つとして認識されたことになる。申請者は、こうした観測を提案し計画する上で主導的な役割を果たすとともに、得られた膨大な量のデータを中心となって解析し、本学位論文として完成させるに至ったものである。

 「あすか」によって得られたSS433のX線スペクトルには、硬い連続成分に加え、電離した鉄、カルシウム、アルゴン、イオウ、ケイ素、マグネシウムなどのK輝線が豊富に見られ、輝線の様子は歳差および連星の位相に応じて複雑な変化を示した。観測から直ちに明らかになったように、青色偏位した輝線のみならず、時期によっては赤色偏位した輝線も検出された。したがって遠ざかるジェットの根元は隠されて見えないという従来の描像は、誤りであることが判明した。ただし赤色偏位した輝線は青色偏位した輝線よりも一般に弱く、とくに低エネルギーの輝線では見えにくいことから、遠ざかるジェットは薄いガスの円盤などを透かして見えていることが示唆される。

 ついで申請者は、ジェットから発するX線スペクトルのモデルを構築した。これは、高温のプラズマが光速の0.26倍で走りながら円錐状に広がり、放射と断熱膨張で冷えてゆくという物理的な状況を表わしており、我々はそのジェットを分解できないため、温度の異なる各部分からのX線をすべて積分したものが、観測にかかると考えられる。ある距離を越すと、ジェットの温度が0.1keVより下がって急速に放射冷却が効きX線が発生しなくなるので、この点をもってX線ジェットの全長と定義することができる。

 実際に「あすか」で得られたX線データを、このモデル計算と比較することにより、ジェットの諸量が定量的に求められた。結果は次のようである。

 ◇観測された水素様とヘリウム様の鉄輝線の強度比から、見えているジェットの最も熱い(根元に近い)部分は、20KeV程度の温度をもつと判明した。

 ◇こうして求めた温度は、163日の歳差運動につれて変化する。これはジェットに垂直な降着円盤によって、近づく側のジェットの根元も、部分的に隠されるためと解釈でき、そこから円盤のサイズとジェットの長さとの比が求められた。

 ◇同様に、連星の食のさいにジェットの根元が主星に部分的に隠される様子から、相手の星の大きさとジェットの全長との比が求められた。

 ◇光とX線で決めたジェットの速度は、どちらも光速の0.26倍であり、その差はたかだか光速の4%であることがわかった。

 ◇こうしてジェットの形状を決定した上で、観測されたX線の強度とモデルの予言を比べることにより、ジェットの中の電子密度が推定された。

 これらの値を光学観測の情報などと結びつけることにより、ジェットのX線を出す部分の長さは従来の推定値より一桁も長く70光秒に達すること、根元での電子密度は約2.5×109m-3であること、そしてプラズマがジェット中を走ることで運び去るエネルギーは、太陽の全放射光度の2百万倍に及ぶことが明らかになった。これらの値は過去の推定値を大幅に塗り替えるものであり、SS433のジェットは、これまで想像されていた以上に巨大なエネルギーを伴う現象であることが明らかになった。これにより直ちにジェットの生成機構が特定されるわけではなく、またコンパクト天体の正体も不明のままではあが、ジェットの物理量がこのような高い精度で決定されたことは、ジェットに関する理論モデルの良し悪しを判断する上できわめて重要である。また全世界の研究者の期待に基づいた「あすか」の重点項目の一つが、完結したことを意味する。よって本論文は、宇宙物理学の研究に重要な寄与をなすと判断される。

 もとより「あすか」ミッションの全体は多数の研究者および大学院生の協力の上に成り立っており、SS433の観測も多くのメンバーとの共同研究であるが、本論文に述べられたデータ解析、モデルの計算、および議論は、いずれも論文提出者が中心となって行った独創的なものであり、その寄与は十分であると判断される。

 以上により、博士(理学)の学位を授与に値すると認定される。

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