学位論文要旨



No 213385
著者(漢字) 石渡,正樹
著者(英字)
著者(カナ) イシワタリ,マサキ
標題(和) 大気構造の太陽定数依存性 : 暴走限界の決定と暴走温室状態の数値計算
標題(洋)
報告番号 213385
報告番号 乙13385
学位授与日 1997.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13385号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 阿部,豊
 東京大学 助教授 和方,吉信
 東京大学 助教授 高橋,正明
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 助教授 松田,佳久
内容要旨

 1次元放射対流平衡モデルを用いた計算により,惑星へ入射する放射量がある臨界値を越えてしまうと大気海洋系の平衡状態は存在しなくなることが知られている(Nakajima et al.,1992).臨界値を越えた放射エネルギーが供給されたとすると,大気は平衡状態に達することができずに温度が際限なく増加していくものと想像され,暴走温室状態の発生と呼ばれている.暴走温室状態については,これまで惑星進化の観点から主に1次元の平衡モデルを用いて研究されてきた.本研究は次の問題を考察するために暴走温室状態へ至る過程を計算できる大気モデルの設計・数値実験を行なったものである.

 1.南北温度差,循環が存在する3次元系においても暴走温室状態が発生するのか?

 2.暴走温室状態が発生するとしたら,その臨界値(暴走限界)はいくつになるか?あるいはその値はどのようにして決まるのか?

 3.入射放射量が増大した場合に循環構造はどのように変わるのか?

 暴走温室状態を3次元の時間発展問題として扱った研究は過去にはなく,本研究が最初の一歩ということになる.

 用いるモデルはNakajima et al.(1992)の系に運動を組み込んだものである.大気中の吸収物質は水蒸気だけであるとし,太陽放射に対しては透明・長波放射に対しては灰色とする.基礎方程式としてはプリミティブ方程式を用いる.乱流拡散・湿潤過程(対流調節)なども考慮する.地表面は常に熱バランスしているものとする.これに加えて,上層にスポンジ層,全層に水平風及び温度の鉛直フィルターを導入する.入射放射量を増加させた場合に生じる鉛直2-grid noiseを消去するためである.

 上記のモデルを用いてパラメータスタディを行なったところ,3次元系においても太陽定数Sが1600W/m2を越えると暴走温室状態が発生することがわかった.暴走温室状態が発生すると,入射放射量のほとんど全てが蒸発フラックスに変換される.このうち大部分が凝結し大気を加熱し,残りの3割弱が大気中に蓄積される.S=1800W/m2を与えた場合1000日の段階で大気量は表面気圧にして1230Paまで増加する.循環形態に関しては,ハドレー循環の背が高くなる(上端は約50km)ことが特徴的である.ハドレー循環の緯度幅はほとんど変化しない.

 S1600W/m2の平衡状態に達することができる場合については,太陽定数が増加するに従い南北温度差が減少することが示された.この理由は,太陽定数が大きいほど南北方向の潜熱エネルギー輸送量及び中高緯度における凝結加熱が増加し,高緯度の大気を加熱するためである.循環強度は太陽定数が増加するに従い弱くなるが,ハドレー循環の幅はほとんど変わらず緯度にして30°のまま保たれる.

 暴走限界の決まり方については以下のように解釈される.入射放射量が増加すると低緯度のOLR(大気上端における長波放射)の値は約400W/m2で抑えられるようになる.この値は対流圏が射出できる放射フラックスの上限値によって決まっており,相対湿度を考慮した1次元平衡解によって記述される.上で述べたように太陽定数が増加すると南北エネルギー輸送のうち潜熱輸送が卓越し,高緯度における凝結加熱が増大する.その結果,温度及びOLRの南北差は減少し高緯度においてもOLRの値は400W/m2に漸近する.結局,暴走状態が発生するか否かは,全球平均入射放射量が平衡解のOLRの上限値を越えるかどうかで決められることになる.ただし,暴走限界の値そのものは相対湿度分布に依存するので3次元計算を実行しなければわからない.

審査要旨

 本研究は地球型惑星に入射する太陽放射が増大した場合の大気状態を、3次元的な大気運動の効果も考慮に入れた大気大循環モデルを用いて検討したものである。太陽放射を増加させたときの大気の応答は、従来、鉛直方向一次元の、大気運動の効果を含まない、比較的な簡単な大気モデルを用いて検討されてきた。従来の研究では、惑星に入射する太陽放射がある値よりも大きくなると、惑星表面にどれほど多くの量の水が存在したとしても全て蒸発してしまって、地表面に液相の水が存在できなくなる状態が発生することが示されている。この状態は「暴走温室状態」と呼ばれ、強い温室効果気体である水蒸気量が気温とともに増加するために発生する。暴走温室状態の発生は、惑星の表面に海洋が形成され得る条件と密接に関連しているために、地球型惑星の表層環境を理解する上で大変重要である。暴走温室状態の発生条件は鉛直一次元の比較的単純な大気モデルでは良く調べられている。しかし、現実の惑星大気にその発生条件を完全に満足しているものがないために、観測はされていない。また、大気運動、特に惑星が球体である効果を考慮した理論的研究は今までなされていなかった。本論文は暴走温室状態の発生を大気大循環モデルを用いて大気運動を考慮しながら検討したはじめての論文である。

 本論文は本文7章とAからFまでの付録からなる。第1章では本研究の目的が着想の背景とともに述べられている。第2章と第3章ではこの研究で用いられた数値モデルの概要と計算結果の概要がそれぞれ述べられる。続く第4章、第5章、第6章では計算結果が更に詳しく解析される。第7章では本研究で得られた結論と今後の課題が述べられる。付録は主に数値モデルで用いられた方法・計算法に対する補足である。

 この研究で用いられた大気大循環モデルの解説が第2章である。大気大循環モデルは論文提出者が初めから開発したものではなく、過去の研究の蓄積に多くを負っている。しかし、既存の大循環モデルは基本的に現在の地球の環境に近い環境を再現するように設計されているため、太陽放射を増大させるという研究を行う上では不十分なものであった。そのため、論文提出者は既存のモデルに大幅に手を加え、太陽放射が増大した場合にも計算可能なようにモデルを新たに改良した。付録A-Fはこのための変更点について詳しく解説している。

 第3章では、大循環モデルを用いた場合でも、太陽放射の増大によって暴走温室状態が発生することが示される。つまり、惑星が球体であり、3次元的に複雑な大気運動をしている場合でも暴走温室状態が発生することが確認された

 第4章では暴走温室状態が発生する直前まで太陽放射を大きくしていった場合の大気状態の変化が検討されている。太陽放射を大きくしていくと、惑星表面の平均温度が上がるだけではなく、極と赤道の温度差が小さくなることが示される。このことは南北方向の熱輸送効率が良くなることを意味する。この熱輸送効率の増大は、熱輸送機構の解析から、大気中の非定常擾乱の増加によるものであることが明らかにされる。さらに、この非定常擾乱の増加は台風の増加によるものではないかということが示唆される。

 第5章は本論文における理論的解析の中核をなす部分である。ここでは大循環モデルにおける暴走温室状態の発生条件と、従来の鉛直一次元モデルにおける条件の対応が検討される。暴走温室状態の発生条件は、惑星全体の平均的な太陽入射が鉛直一次元モデルの場合の暴走温室状態の発生条件を満足した場合であることが示される。また、大気中の水蒸気量に温室効果が依存しないモデルで太陽放射を増大させた場合、暴走温室状態は発生しないが、この場合には極と赤道の温度差が太陽放射の増大とともに著しく減少することはないことが示される。このことは南北熱輸送効率の増大が暴走温室効果の存在と密接に関係していることを示唆する。

 第6章では暴走温室状態が発生したときの温度上昇の様子が検討される。入射した太陽放射の殆ど全部が大気中の水蒸気量の増大に用いられていることが示される。第7章では今後の課題が簡潔に触れられる。最も重要な問題は、このモデルでは雲が含まれていないことである。

 この論文は、暴走温室状態発生の問題について、はじめて大気大循環モデルを用いて検討したものである。とりわけ暴走に至るまでの大気の南北熱輸送の変化は大循環モデルを用いたこの研究ではじめて明らかにされたものであり、重要な成果である。

 本論文は全体として林祥介氏、中島健介氏、竹広真一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値モデルの開発・数値実験および結果の解析を行ったものであって、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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