学位論文要旨



No 213387
著者(漢字) 松田,建児
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,ケンジ
標題(和) 光により生成するスピン源を基にした分子性磁性体の開発 : ポリカルベンと新しい系について
標題(洋) Exploration of Molecular Magnets Based on Photo-Generated Spin Sources : Polycarbenes and New Systems
報告番号 213387
報告番号 乙13387
学位授与日 1997.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13387号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 助教授 加藤,礼三
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 中村,栄一
内容要旨 1.ジフェニルカルベンをユニットとし記録的に高いスピン多重度をもつ有機分子の設計、合成、および磁気的キャラクタリゼーション1-1.背景および分子設計

 有機分子は一重項を基底状態とすると考えるのが常識であり,二重項のフリーラジカル,三重項のカルベンなどは例外的存在である。従って高いスピン多重度をもつ有機分子を設計し,実験でその限界にせまると共に強い磁性を発現させることは意義深い。カルベン中心をメタフェニレンもしくは1,3,5-ベンゼントリイルユニットで連結してできるオリゴカルベンは,カルベン中心間での軌道のトポロジー的対称性により分子内のすべてのカルベンのスピンが揃い,基底多重項状態をとることが種々の理論的考察により予想されていた。この発想に基づき,直線状オリゴカルベンについての基礎研究が行われてきた。

 

 カルベンは対応するジアゾ化合物を極低温下,光分解することにより生成させることができ,光照射と磁気的性質をカップルさせることの出来る,興味ある新物質となる可能性を秘めている。しかし,一次元のポリカルベンでは,有限温度で強磁性体への転移が起こらないなどのいくつかの難点か指摘されており,次元性を上げることが望まれる。そこで1のような二次元網目状のネットワークを研究の目標とした。

1-2.合成法の開発

 まず理想的二次元高分子1から樹状,環状,その他,様々な部分構造を抽出し,その部分構造に対して合成を試みるという手法をとった。ジアゾ前駆体の合成は,対応するケトンから行った。様々な構造をもつオリゴケトンに対して合成法を開発した。樹状構造の構築の際には,エチニルケトンの環化三量化反応を用い,環状構造はカリックスアレーンを利用した合成を行った。これらの合成法を駆使して2-7の骨格を合成した。

 樹状の構造を構築する際に鍵となるアリールエチニルケトンの環化三量化反応の機構を,異なるアリール基を有するエチニルケトンを用いて解明した。その結果,エチニルケトンと二級アミンがMichael付加してエナミノケトンとなり,そこから反応がサイクリックに進むことを明らかにした。

1-3.直接磁化測定による超高スピン種の磁気的キャラクタリゼーション

 まず三種のヘキサカルベン2,3,4について磁気的キャラクタリゼーションを行なった。磁化の磁場依存を直接測定することによりこれら三種のヘキサカルベンはすべて基底十三重項であることが明らかとなった。

 また,2の上位類縁体であるノナカルベン5は前例のない高いスピン多重度(十九重項)を示し,これは有機分子としてはこれまでで最大の値をもつ。

 ヘキサカルベンよりもさらに分岐を増やしたスターバースト型ポリカルベンについても光分解生成物の磁性についての研究を行った。その結果、ノナジアゾ化合物6の光分解生成物の場合,生成したスピン量及びスピン多重度から,基底十五重項を示し,生成したカルベンが分子内で再結合を起こしていることが強く示唆された。この傾向はドデカジアゾ化合物7の光分解生成物の場合により強く見られ,樹状高分子でのアプローチの限界を示した。また光化学反応で生成する活性種のスピン状態を磁化測定で解析する方法を確立したことは意義深い。

 

 

2.ニトロキシドラジカルを有するジフェニルカルベンの合成と同定

 さらに有効なカルベンのネットワーク形成を試みるためにニトロキシドラジカルを有するジフェニルカルベン8及び9を分子設計,合成した。この化合物は光反応によって生成するスピンと金属への配位能という二重の性質をもち磁性金属イオンを介する自己組織化で高次構造を与える可能性を有する。光分解生成物のESRスペクトルは,四重項種に特徴的なシグナルを示し,その温度依存により基底四重項種であることが明らかとなった。また錯体の磁化率を光分解の前後で測定し,光分解によって生成したカルベンが磁性に影響を与えていることが明らかとなった。

 

3.酸化数およびねじれ角による硫黄原子を通した二個のジフェニルカルベン間の磁気的相互作用の制御

 ヘテロ原子を直接介したスピン間の磁気的相互作用は,交互炭化水素系の磁気的相互作用をうまく説明する単純なスピン分極の考え方では説明できない。硫黄原子は高い酸化数を取ることができるので,スルフィド,スルホキシド,スルホンの3つの状態を系統的に調べることが出来る。ジフェニルカルベンをスピン源とし,これら3つのカップラーを通した磁気的相互作用を調べるために,化合物10-13を合成し、相互作用をESRシグナル強度の温度依存により測定した。その結果,カルベン間の交換相亙作用定数J/Kの値は10-13についてそれぞれ+11,-30,-92,-21Kであることがわかった。このことから,交換相互作用の大きさが符号を含めて硫黄原子の酸化数及び硫黄原子の周りの立体配置によって制御できることが明らかとなった。

 

4.常磁性磁化率測定による基本的非ケクレ炭化水素の基底状態スピン多重度の決定

 2,3-ジメチレンシクロヘキサ-1,4-ジイル(14)はdisjointのジラジカルであるテトラメチレンメタンの類縁体であり,基底状態が三重項であるか,一重項,三重項が縮重しているのか実験および理論両面で議論され,結論が得られていなかった。この分子について,ESRスペクトルおよび磁化測定についての研究を行った。14の前駆体であるアゾアルカン化合物を合成し,ESRキャビティー中で光分解反応を行った。光分解反応の条件を詳細に検討することにより,この光分解反応は用いる光の波長により異なった生成物を与えることが明らかとなった。340nmより長波長の光では反応は起こらず,320nm以上の光では三重項種に特徴的なESRスペクトル(D=0.024cm-1,E=0.0039cm-1)が得られ,300nmより長波長の光を照射すると,第二の三重項種のESRスペクトル(D=0.0059cm-1,E=0.00067cm-1)が得られた。ゼロ磁場分裂定数より前者を14と決定した。この条件で前駆体サンプルに光照射を行い,磁化の磁場依存を測定した。一重項と三重項のエネルギー差が小さいときの磁化の磁場依存の理論式に計算結果をフィットさせることにより,一重項と三重項は縮重に近いことがわかった。この結果は,非ケクレ分子の化学結合論に残された最も重要な論争に終止符を打つものである。

 

5.結論

 光により生成するカルベンを用いて,記録的に高いスピン多重度をもつ有機分子の設計、合成、および磁気的キャラクタリゼーションを行った。その中で,反応中間体として知られるカルベンのスピン状態を,磁化測定で解析する方法を確立した。また,そのカルベンをニトロキシドラジカルと共役系でつなぎ,さらに金属との錯体を合成した。また,硫黄原子を通した相互作用と非ケクレ分子の基底状態の決定の実験を通して,光で生成するスピンを用いて基本的な化学結合論から複合物性に至るまで様々な研究の可能性を示した。

審査要旨

 本論文は序論と結論を含めて8章からなり、光により発生するカルベンをスピン源とした磁性体の構築について様々な角度からアプローチを行った結果について述べたものである。

 第一章の序論では、様々な分子性磁性体の中で本研究の占める位置づけを適切に行い、光で発生するカルベンを用いた磁性体が、今後の発展が期待される機能性磁性体のプロトタイプとして有用であることを述べている。

 第二章から第五章では、ジフェニルカルベンをユニットとし記録的に高いスピン多重度をもつ有機分子の設計、合成、および磁気的キャラクタリゼーションについて述べている。合成法の開発では、まず理想的二次元高分子1から樹状,環状,その他様々な部分構造に対して合成法を開発した。樹状構造の構築の際には,エチニルケトンの環化三量化反応を用い,環状構造はカリックスアレーンを利用した合成を行った。これらの合成法を駆使して2-7の骨格を合成した。

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 第二章では、直接磁化測定によりまず三種のヘキサカルベン2,3,4について磁気的キャラクタリゼーションを行なった。磁化の磁場依存を直接測定することによりこれら三種のヘキサカルベンはすべて基底十三重項であることを明らかにした。

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 また,2の上位類縁体であるノナカルベン5は前例のない高いスピン多重度(十九重項)を示し,これは有機分子としてはこれまでで最大の値をもつ。

 ヘキサカルベンよりもさらに分岐を増やしたスターバースト型ポリカルベンについても光分解生成物の磁性についての研究を行った。その結果、第三章に述べてあるノナジアゾ化合物6の光分解生成物の場合,生成したスピン量及びスピン多重度から,基底十五重項を示し,生成したカルベンが分子内で再結合を起こしていることが強く示唆された。この傾向は第四章のドデカジアゾ化合物7の光分解生成物の場合により強く見られ,樹状高分子でのアプローチの限界を示した。また光化学反応で生成する活性種のスピン状態を磁化測定で解析する方法を確立したことは意義深い。

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 第五章では、樹状の構造を構築する際に鍵となるアリールエチニルケトンの環化三量化反応の機構を,異なるアリール基を有するエチニルケトンを用いて解明した。その結果,エチニルケトンと二級アミンがMichael付加してエナミノケトンとなり,そこから反応がサイクリックに進むことを明らかにした。

 第六章では、酸化数およびねじれ角による硫黄原子を通した二個のジフェニルカルベン間の磁気的相互作用の制御について述べている。

 ヘテロ原子を直接介したスピン間の磁気的相互作用は,交互炭化水素系の磁気的相互作用をうまく説明する単純なスピン分極の考え方では説明できない。硫黄原子は高い酸化数を取ることができるので,スルフィド,スルホキシド,スルホンの3つの状態を系統的に調べることが出来る。ジフェニルカルベンをスピン源とし,これら3つのカップラーを通した磁気的相互作用を調べるために,化合物8-11を合成し、相互作用をESRシグナル強度の温度依存により測定した。その結果,カルベン間の交換相互作用定数j/kの値は8-11についてそれぞれ+11,-30,-92,-21Kであることを見いだした。このことから,交換相互作用の大きさが符号を含めて硫黄原子の酸化数及び硫黄原子の周りの立体配置によって制御できることを明らかにした。

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 第七章では、ニトロキシドラジカルを有するジフェニルカルベンの合成と同定について述べている。

 さらに有効なカルベンのネットワーク形成を試みるためにニトロキシドラジカルを有するジフェニルカルベン12及び13を分子設計,合成した。この化合物は光反応によって生成するスピンと金属への配位能という二重の性質をもち磁性金属イオンを介する自己組織化で高次構造を与える可能性を有する。光分解生成物のESRスペクトルは,四重項種に特徴的なシグナルを示し,その温度依存により基底四重項種であることを明らかにした。また錯体の磁化率を光分解の前後で測定し,光分解によって生成したカルベンが磁性に影響を与えていることを見いだした。

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 なお、本論文は、岩村秀、中村暢男、古賀登、井上克也、山形武広、高橋一志、瀬田智夫、堀憲次氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、測定、考察を行った者で、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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