学位論文要旨



No 213390
著者(漢字) 長野,宏一朗
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,コウイチロウ
標題(和) バゾプレッシンの血管作用及びmRNAの発現に関する基礎的・臨床的研究
標題(洋)
報告番号 213390
報告番号 乙13390
学位授与日 1997.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13390号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 堤,治
内容要旨

 抗利尿ホルモンArginine Vasopressin(AVP)は最も強力な血管収縮物質の一つであり、血管作動性物質としての役割は極めて重要である。本研究は血管作動性物質としてのAVPの作用、その機序、及びAVPの血管における局所発現について検討した。

 生体におけるAVPの血管収縮作用は全身の血管に均等ではなく血管部位により作用強度が異なる。AVPは局所血流の調節因子であり、血流の再配分作用を有する。即ち、外因性に投与されたAVPは生理的非昇圧濃度において末梢血管の収縮をもたらし、血流減少作用は主要臓器より皮膚・筋肉において著しい。そこでこの背景をもとに【研究I】として、末梢微小循環障害である閉塞性動脈硬化症(ASO)にAVPの関与があるとすれば、AVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)により微小循環障害が改善する可能性があり、この点について検討した。[目的]ASOに対するAVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)による皮膚温度・皮膚血流量の改善作用を急性及び慢性効果で検討した。[対象・方法]対象はASOの症例6名(平均年齢:70.8±3.6歳、Fontaine分類:Grade I:1名、Grade II:2名、Grade III:3名)。急性効果のプロトコール;OPC21268 100mgを経口投与し、サーモグラフィーにより皮膚温度、レーザー血流計により皮膚血流量を経時的に50分間測定し、投薬前後におけるAnkle Pressure Index(API)を計測した。慢性効果のプロトコール;プラセボ投与7日間の後、OPC21268を漸増的に75mg/day、150mg/day、300mg/day各々4日間投与し、プラセボ投与最終日、及びOPC21268 300mg/day投与最終日に皮膚温度、APIを測定した。血漿AVP濃度等も測定した。また、安静時痛、間歇性跛行などの症状の変化や血圧・脈拍数・尿量等も日々測定し記録した。[結果]急性効果;患側においてAPIは0.64±0.14から0.79±0.12に増加し、皮膚温度は平均1.6℃上昇(p<0.05)、皮膚血流量も有意に増加した(p<0.01)。慢性効果;血圧・脈拍数に変化を認めなかった。プラセボ投与期と比較し、皮膚温度は平均1.9℃上昇、安静時痛は3名から1名に減少、間歇性跛行出現までの歩行距離は250±67mから1514±567mに延長した(p<0.01)。また血漿AVP濃度は正常範囲内で有意な変化は認められなかった。[結論]AVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)は末梢微小血管の拡張作用によりASOにおける微小循環改善作用を有すると考えられた。

 次にAVPの血管作動性物質としての役割に細胞の増殖に関する作用がある。血管中膜平滑筋細胞の増殖は内膜肥厚を促進し、動脈硬化の進展に大きく関与している。一般に血管収縮物質は細胞増殖促進作用を有することが知られている。しかしながら、AVPの培養血管平滑筋細胞の増殖作用に関しては、細胞の種、培養条件等により増殖促進、増殖抑制、増殖作用に影響を与えない等の種々の異なる報告があり、機序も含め不明な点が多い。そこで【研究II】として、AVPよる培養血管平滑筋細胞の増殖に関する作用を検討した。[目的]ラット大動脈培養血管平滑筋細胞(RASMC)、胎児ラット由来培養血管平滑筋細胞株(A10)についてAVPの細胞増殖作用、及びその機序を検討した。[方法]RASMC、A10を用いAVP(10-9M〜10-6M)による細胞の増殖を細胞数、[3H]-thymidineの取り込みによるDNA合成を測定し評価した。プロスタノイドの関与を、Indomethacin(IND)処理により検討した。また培養溶液中のProstaglandin E2(PGE2)、Prostaglandin I2(PGI2)の代謝産物6-keto-Prostaglandin (6-keto-PG )、Thromboxythane A2(TX A2)の代謝産物Thromboxythane B2(TX B2)の濃度も測定した。また各プロスタノイドの作用を検討するために内因性プロスタノイドの産生をIND処理で阻害し、外因性に各プロスタノイド又はそのアナログを添加することにより評価した。Nitric Oxide(NO)の関与は、L-NMMA処理により検討した。受容体については、AVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)、AVPV2受容体拮抗剤(OPC31260)処理により検討した。[結果]RASMCは、AVP濃度依存的に有意な増殖促進を示したが、A10では有意な増殖抑制を示した。A10をIND(10-5M)処理したところ一転してAVP濃度依存的に有意な増殖促進へ変化した。L-NMMA処理ではA10の増殖抑制に変化は認められなかった。培養溶液中のPG E2、6-keto-PG 、TX B2の濃度は、A10では0RASMCに比べ著明に高く、かつAVP濃度依存的に有意な増加を示した。特に、6-keto-PG の濃度はPG E2、TX B2に比べ著明に高値であった。各プロスタノイドのアナログを用いた細胞増殖に関する作用は、PG E2、PG I2は増殖抑制、TX A2は増殖促進を示し、その作用程度はほぼ同等であった。これよりA10における増殖抑制効果はPGI2によるものと考えられた。OPC21268は用量依存的に、AVPによる上記の全ての作用を阻害したが、OPC31260の関与はなく、V1受容体を介する作用と考えられた。A10はAVPにより増殖抑制を示したが、培養時間を経時的に観察したところ、長時間の培養では増殖抑制から増殖促進へと転ずることが認められた。長時間の培養ではPGI2等による増殖抑制作用が減少すると考え、長時間培養後の培養溶液中の各プロスタノイドの濃度を測定した結果、短時間培養溶液中の濃度に比べ、著明に低値であった。また、この現象は培養溶液中の血清濃度の影響を受け、それが高濃度なほど増殖促進へ転じるまでの時間が延長した。これより長時間培養によるAVP及び血清刺激の低下が原因と考え、培養溶液を日々交換したところ、増殖抑制が持続した。[結論]AVPはV1受容体を介し、RASMCで増殖を促進したがA10では逆に抑制した。AVPは本来、細胞増殖促進作用を有するが、同時にプロスタノイド産生作用も併せ持ち、RASMCでは前者が優位な為、細胞増殖促進効果を示し、A10では後者(特にPGI2)が優位な為、細胞増殖抑制効果をもたらすと考えられた。また、A10は短時間培養では増殖抑制、長時間培養では増殖促進を示したが、これはAVP及び血清刺激の低下による増殖抑制作用の減少が原因として示唆された。

 AVPは視床下部のmagnocellular neuronesで産生され下垂体後葉より分泌されることが知られている。視床下部以外の組織、副腎髄質、卵巣、睾丸、肺動脈・腎動脈・腸管膜動脈の内皮等からのAVPの産生も近年報告されている。更にラット大動脈組織よりAVPmRNAの発現も確認されたが、血管における局在は明確ではない。一方、多くの血管作動性物質・サイトカインの血管における局所発現も確認されている。そこでこれらの報告より【研究III】として、AVPの血管における局所発現について検討した。[目的]AVP mRNAの血管中膜平滑筋細胞における局所発現を検討した。[方法]ホモジナイズしたラットの脳(視床下部近傍)、RASMC、A10より、total RNA、poly(A)+RNAを抽出し、Reverse transcription-polymerase chain reaction法(RT-PCR法)、サザンブロット法、ノーザンブロット法により検討した。[結果]RT-PCR法では、設定したプライマーに一致した単一バンドを脳、RASMC、A10に検出した。サザンブロット解析ではRT-PCRで検出した単一バンドに一致してハイブリダイズしたバンドが確認された。ノーザンブロット解析では、RASMC、A10においてtotal RNA(40g)では認められなかったものの、poly(A)+RNA(15g)において脳のtotal RNAのバンドの位置に一致したAVPのシグナルが検出された。[結論]血管中膜平滑筋細胞においてAVP mRNAが同定され、局所発現が強く示唆された。

 研究IIIにおいて血管中膜平滑筋細胞におけるAVP mRNAの局所発現が確認された。研究Iでは血漿AVP濃度は正常なものの末梢血管の拡張が認められた。その機序としてV1受容体の分布、また動脈硬化巣、虚血によるV1受容体の発現調節等の関与も一因となりえる。また、AVPは血管内皮のV2受容体を介して、NOを産生し血管拡張作用を持つと報告されている。V1受容体拮抗剤(OPC21268)によりV2作用が増強された可能性もある。しかしながら、AVPの局所発現が示唆され、これによるオートクリン、パラクリン作用がAVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)により阻害された効果とも考えられる。研究IIでは、RASMCはAVPにより細胞増殖促進作用を示したが、AVP濃度は薬理的高濃度であった。この点についてもAVPの局所発現が、オートクリン、パラクリン的に細胞増殖に作用する可能性が示唆される。AVPは動脈硬化促進因子として生理的に重要な役割を持つ可能性があると考えられた。

審査要旨

 本研究は血管作動性物質として重要な役割を演じていると考えられるArginine Vasopressin(AVP)の血管に対する様々な作用、その機序を明らかにするために、動脈硬化性疾患である閉塞性動脈硬化症(ASO)に対するAVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)の効果、培養血管平滑筋細胞を用いたAVPの細胞増殖作用、また作用機序の解明に重要と考えられるAVPの血管における局所発現について検討し、下記の結果を得た。

 1. 閉塞性動脈硬化症(ASO)の症例にAVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)100mgを投与し約1時間後に評価する急性効果においては、患側のAnkle Pressure Indexは0.64±0.14から0.79±0.12に増加、皮膚温度は平均1.6℃上昇(p<0.05)、皮膚血流量も有意に増加した(p<0.01)。プラセボ投与7日間の後、OPC21268を漸増的に75mg/day、150mg/day、300mg/day各々4日間投与する慢性効果においても皮膚温度は平均1.9℃上昇、安静時痛は3名から1名に減少、間歇性跛行出現までの歩行距離は250±67mから1514±567mに延長した(p<0.01)。また血漿AVP濃度は正常範囲内で有意な変化はなく、血圧・脈拍数にも変化は認められなかった。AVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)はASOにおける末梢微小循環障害の改善作用を有することが示された。

 2. AVPは薬理的濃度において、ラット大動脈培養血管平滑筋細胞(RASMC)の増殖を濃度依存的、かつ有意に促進させた。胎児ラット由来培養血管平滑筋細胞株(A10)では逆に抑制の結果となった。この増殖抑制はインドメタシン処理により増殖促進に一転した。プロスタノイドによる作用が示唆され、培養溶液中の数種のプロスタノイドの濃度測定によりプロスタサイクリンによる作用であることが示された。Nitric Oxideの関与は否定的であった。AVPは本来、細胞増殖促進作用を有するが、同時にプロスタノイド産生作用も併せ持ち、RASMCでは前者が優位な為、細胞増殖促進効果を示し、A10では後者(特にプロスタサイクリン)が優位な為、細胞増殖抑制効果をもたらすことが明らかにされた。AVP V1受容体拮抗剤(OPC21268)は用量依存的に、AVPによる上記の全ての作用を阻害したが、V2受容体拮抗剤の関与はなく、V1受容体を介する作用であることが示された。また、A10のAVPによる増殖抑制は短時間の培養期間においてのみ観察され、長時間の培養では増殖促進へと転ずることが認められた。長時間の培養ではプロスタサイクリンの濃度が、短時間培養に比べ著明に低下していた。また、この現象は培養溶液中の血清濃度の影響を受け、それが高濃度なほど増殖促進へ転じるまでの時間が延長した。これより長時間培養によるAVPまたは血清刺激の低下が原因と考え、培養溶液を日々交換したところ、増殖抑制が持続した。AVPまたは血清刺激の低下によるプロスタサイクリンの増殖抑制作用の減少が原因として示唆された。

 3. AVPの血管中膜平滑筋細胞における産生の有無は未知であったが、Reverse transcription-polymerase chain reaction法、サザンブロット法、ノーザンブロット法により血管中膜平滑筋細胞においてAVP mRNAが同定され、血管における局所発現が強く示唆された。

 以上、本論文において血管中膜平滑筋細胞におけるAVP mRNAの局所発現が確認され、オートクリン、パラクリン作用によるAVPの新たな血管作用の存在が示された。閉塞性動脈硬化症(ASO)にV1受容体拮抗剤(OPC21268)が奏功した機序の一つとも考えられ、OPC21268が新たな治療薬として臨床の場で有益となり得ることも示された。また、異論の多かったAVPの血管平滑筋細胞の増殖作用に関してプロスタノイドが重要な要因となっていること、薬理的濃度で認められたAVPの細胞増殖作用がAVPの局所発現により生理的に意味を持つ可能性が示され、AVPの血管作用の解明に重要な貢献をなすと考えられた。これらの知見より本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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