学位論文要旨



No 213392
著者(漢字) 原田,美貴
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ミキ
標題(和) 色素細胞性皮膚疾患における,臨床病理学的および分子病理学的研究
標題(洋)
報告番号 213392
報告番号 乙13392
学位授与日 1997.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13392号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 廣澤,一成
 東京大学 助教授 村上,俊一
 東京大学 助教授 正井,久雄
内容要旨 1.研究の目的と概要

 悪性黒色腫(Malignant melanoma:MM)の発生や進展に関しては,前癌病変の存在の有無,発生過程,浸潤や転移に関与する因子など,未解決の問題が多く残されている.MMの発生に関しては現在,多段階発生説とde novo発生説が提唱されており,前者が広く支持されている.多段階発生説は,色素細胞母斑(Nevocellular nevus:NCN)を前駆病変として想定し,異形成母斑(Dysplastic nevus:DN)を経て癌化に至るという考えである.しかし,先天性巨大NCNが前癌病変となりうる事が広く受け入れられているのに対して,小型の先天性NCNや後天性NCNがMMに移行しうるか否かについては未だに議論が多い.また,DNなる病態が本当に存在するか否かについても解決に至っていない.NCNとMMとの関係を示唆する根拠としては,臨床的にMMの原発部位にNCN様の色素性病変の先行が認められること,組織学的にMMの病変内にNCNが共存することなどが挙げられている.しかし,臨床的に原発性MMに先行病変が存在する頻度は15〜85%,組織学的に両者が共存する頻度は4〜72%と報告者による差が著しい.

 NCNからMMが生じるか否かが不明確であることの一因として,NCNの本態が不明であることが挙げられる.現在NCNは,腫瘤を形成するという細胞形態や表皮から真皮内へ移動すること等の,正常のメラノサイトとは異なる性質を有するという理由から,曖昧に腫瘍性病変に分類されているのが現状である.

 MMの発生や進展に関しては,幾つかの遺伝子異常の関与が示唆されている.しかし,現在MMで最も高頻度に検出される癌遺伝子であるN-ras,癌抑制遺伝子であるp53でさえ,発現率には報告者の間で著しい差が認められる.

 これまでDNを考慮した色素細胞性皮膚疾患の研究は,欧米人(白人)が主流であり,東洋人では散発的な報告があるに過ぎない.本研究では,組織学的な裏付けを伴なう多数症例の検索よって,本邦におけるNCNやDNの把握,NCNとMMとの関連性の有無などについて検討した.次に,NCNの本態を解明する手段として,NCNのクローナリティーの解析を試みた.このクローナリティーの解析は,女性のX染色体の一方が恒久的に不活性化している現象を利用してX染色体上の遺伝子を用いた方法で,これまで主として婦人科領域からの報告がある.本研究ではこの方法を,phosphoglycerate kinase(PGK)geneと,human androgen receptor gene(HUMARA)を用いて,初めて色素性皮膚疾患における応用を試みた.さらに,MMの発生や進展における遺伝子異常の関与の有無を明らかにするために,p53とN-ras点突然変異の発現頻度についても検討を加えた.

2.検索方法と結果A.NCN,DNおよびMMの臨床・病理学的検討

 関東逓信病院病理診断科において,1979年から1995年までの16年間にNCN,DNおよびMMと診断された症例を対象とし,組織学的に検討した.DNの診断基準にはNIH consensusを用いた.

 1.NCNは1789症例,2132病変,平均年齢は32.0歳で,女性に多く,頭頚部に多発していた.後天性NCNは年齢に伴ない境界型母斑と複合型母斑の割合が減少し,真皮内母斑が増加するが,junctional activityを有する症例が生涯を通じて15%以上の症例に認められた.

 2.DNは20病変14人(NCNの約1%),平均年齢は29.4歳で,男性に多く,大半が体幹(17/20,85%),特に背中に多発していた.2例がMMの患者に発生していた.肉眼的には特徴的な病変の辺縁での赤褐色〜茶褐色の染み出しが見られた.組織学的には構造異型に加え,2例で比較的強い細胞異型も認められた.

 3.MMは23例,平均年齢は52.0歳で,男性に多く,手掌・足底が最も高頻度であった.6例(26.1%)で臨床的に先行性の色素性病変の存在が指摘されていた.1例(4.3%)で組織学的にMMの病変の一部にNCN様の小型細胞が共存していた.

B.NCNおよびMMのクローナリティー

 NCN23例,MM5例の凍結材料からDNAを抽出し,PGK geneとHUMARAに対して,PCR法を利用して検索した.組織学的に病変部の面積が切片上80%以上を占めることを確認した.

I.PGK assay

 1)PGK assayでは,病変部より抽出したDNA量の割合が正常細胞のDNA量の20%以上であれば,モノクローナルであると判定可能であった.

 2)NCN23例中,検索できた10例はすべてポリクローナルであった.

 3)MM5例中,検索できた2例はすべてモノクローナルであった.

II.HUMARA assay

 1)HUMARA assayでは,病変部より抽出したDNA量が正常細胞のDNA量の30%以上であれば,モノクローナルであると判定可能であった.

 2)NCN23例中,検索できた19例はすべてポリクローナルであった.

 3)MM5例中,検索できた3例はすべてモノクローナルであった.

C.遺伝子異常の検討I.N-ras codon 61点突然遺伝子

 凍結材料を用いて,dot bolt hybridization法により検索した.

 NCN1例で,点突然変異(Gln→Arg)が検出された.MMでは変異は認めなかった.

II.p53

 ホルマリン固定材料を用いて,p53ポリクローナル抗体CM-1により免疫組織学的に検索した.

 NCNでは全例陰性,MMでは32%の症例で陽性を示した.MMのうち,原発巣は27%,転移巣は20%,転移巣は36%,リンパ節転移巣は50%の症例で陽性となり,MMの進展につれて陽性率が増加する傾向が見られた.

3.考察

 臨床・病理学的検討により,MMにおいて臨床的に原発部位に以前から色素性病変の存在が指摘されていた患者(26.1%)や,組織学的にMMの病変内にNCN様の異型性の弱い小型細胞が共存している症例(4.3%)の存在が判明した.従って,MMはNCNから発生しうる可能性が示唆された.NCNからMMが発生する過程においてその存在の有無が注目されているDNは,今回2132例のNCN中20例,約1%に病理学的診断基準を満たす病変が存在した.そのうち4例は多発例で,2例はMMと共存していた.臨床的には平均5.2(1.5〜13)mmと大きく,不整形を呈し,辺縁に特有の染み出しを伴なっていた.組織学的には特徴的な構造異型と軽度から中等度の細胞異型を有していた.しかしながら,DNは特異的に体幹(85%),特に背中に多発し,NCNやMMでの発生部位とは統計学上有為な差(<0.05)が認められた.従って,NCNからMMに至る発癌過程におけるDNの位置付けについては更に検討が必要であると考えられた.

 次に,NCNの本態を解明するための臨床・病理学的検討より,相当数の後天性NCNは生涯を通じて表皮内に留まることが判明した.形態学的には大型のメラノサイトが腫瘤を形成する増殖性疾患とみなされた.PGKおよびHUMARA assayを応用したNCNのクローナリティーの検索では,MMがモノクローナルであったのに対し,NCNは先天性/後天性,細胞型に拘わらず,ポリクローナルであった.従ってNCNは恐らく,"非腫瘍性増殖性病変"であろうと推測することができた.

 次に,MMの多段階的発癌では,N-rasやp53などの遺伝子異常が癌化や進展過程に密接に関連すると考えられていたが,今回の検討では,N-rasの点突然変異はMMには認められず,NCNでのみ認められた。また,p53の過剰発現はNCNでは認められず,MMが進展・転移するに従って発現頻度が増加した.従って,これらの遺伝子異常は,少なくともMMの発癌過程において主要な影響を及ぼしうるものではなく,p53は発癌以後の後期のイベントと関与がある事が判明した.

 今回の一連の研究で,欧米人(白人)と同様,日本人においても,まれながらDNの存在が明らかとなり,MMの癌化過程との関連性においては,発生部位による違いを考慮する必要があることが示唆された.さらに,多段階発生における始めのステージとみなされているNCNが,非腫瘍性の増殖性病変である可能性を初めて証明し得た.

 今後は,DNにおけるクローナリティーの検討,日光露出部におけるNCNとMMの間に介在している病変を解明することなどにより,さらにMMの癌化過程や進展起序が解明される可能性がある.

審査要旨

 本研究は,色素細胞性皮膚疾患,特に悪性黒色腫における前癌病変の存在の有無,発生過程や浸潤および転移に関与する因子などを解明するため,臨床・病理学的研究,クローナリティーの検討および遺伝子異常の検討を行い,以下の結果を得ている.

 1.色素細胞母斑1789例,異形成母斑20例および悪性黒色腫23例について臨床病理学的に検討した結果,色素細胞性母斑は女性の頭頚部に多発し,junctional activityが生涯を通じて15%以上の症例に認められた.異形成母斑は色素細胞母斑の約1%に存在し,男性に多く,体幹特に背中に多発していた.肉眼的には染み出しが,組織学的には構造異型が特徴的であった.悪性黒色腫は高齢の男性に多発し,手掌・足底に多発し,6例(26.1%)で臨床的に先行性の色素性病変が指摘されていた.1例(4.3%)で組織学的に母斑が共存していた.

 2.PGK assayとHUMARA assayにより,PCRを用いてモノクローナリティーの検索を行い,病変部より抽出したDNAの割合がPGK assayでは正常細胞のDNA量の20%以上,HUMARA assayでは30%以上であれば,モノクローナルであると判定可能であった.色素細胞母斑23例中,PGK assayで検索可能であった10例,HUMARA assayで検索可能であった19例はすべてポリクローナルであった.悪性黒色腫5例中,PGK assayで検索できた3例,HUMARA assayで検索可能であった3例はすべてモノクローナルであった.

 3.N-ras codon61点突然遺伝子をドットブロットハイブリダイゼーション法によって検討した結果,色素細胞母斑1例で点突然変異(Gln→Arg)が検出された.悪性黒色腫では変異を認めなかった.p53ポリクローナル抗体CM-1により免疫組織学的に検索した結果,色素細胞母斑では全例陰性,悪性黒色腫では32%の症例で陽性を示した.そのうち原発巣は27%,転移巣は29%,リンパ節転移巣は59%で陽性であった.

 以上本論文は,色素細胞性皮膚疾患,特に色素細胞母斑,異形成母斑および悪性黒色腫において,臨床・病理学的解析,モノクローナリティーの解析,遺伝子異常の解析から,母斑,異形成母斑および悪性黒色腫の関連性を明らかにした.本研究では,これまで本邦ではほとんど報告されていなかった異形成母斑の存在を組織学的検索によって明らかにした.また,初めて色素細胞性皮膚疾患におけるクローナリティーの検索を行うことによって,悪性黒色腫が腫瘍性病変であるのに対して,母斑が非腫瘍性病変であることを明らかにした.本研究は,色素細胞性皮膚疾患の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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