学位論文要旨



No 213397
著者(漢字) 杉本,雅幸
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,マサユキ
標題(和) 尿路悪性疾患と尿中ポリアミンの意義 : ジアセチル体を中心として
標題(洋)
報告番号 213397
報告番号 乙13397
学位授与日 1997.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13397号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 北村,唯一
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
内容要旨

 ポリアミンが細胞増殖に不可欠の物質である事は良く知られている。また臨床との関連においても、Russellが悪性腫瘍患者の尿中ポリアミンレベルが上昇することを報告して以来、悪性腫瘍と尿中ポリアミン値に関して、さまざまな検討がなされてきた。本研究において著者は、尿中ポリアミン一斉分析法を用い、尿路悪性疾患と尿中ポリアミン画分との関連について検討を行い、いくつかの新たな知見を得た。

【結果】1)ジアセチル体の発見と尿中ポリアミン画分の臨床的意義

 健常人52例、泌尿器良性疾患患者(結石、尿路感染、前立腺肥大症など)43例、同悪性疾患患者25例との比較、さらには悪性疾患治療前後における尿中ポリアミン画分の変動について検討した。測定には蓄尿または早朝随時尿を用い、クレアチニン排泄量あたりのポリアミン量を比較した。なお本研究においては、溶血による遊離体の混入を避けるため、血尿を有する検体は除外した。測定方法は、尿中の妨害物質を除く目的で前処理をした尿検体を、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によって分画し、アセチルポリアミンアミドヒドロラーゼ、ポリアミンオキシダーゼ、およびプトレッシンオキシダーゼによってポリアミンを酸化し、その際に発生した過酸化水素を電気化学検出器にて定量するものであり、検出感度は数ピコモルであった。この方法により、従来より知られている各ポリアミンが、プトレッシン(Put)、アセチルプトレッシン(AcPut)、カダベリン(Cad)、スペルミジン(Spd)、アセチルカダベリン(AcCad)、N1アセチルスペルミジン(N1-AcSpd)、N8アセチルスペルミジン(N8-AcSpd)、スペルミン(Spm)、アセチルスペルミン(AcSpm)の順で明瞭なピークをもって分離された。また健常人尿中には存在しないとされていたN1,N8-ジアセチルスペルミジン(DiAcSpd)、N1N12-ジアセチルスペルミン(DiAcSpm)が、微量ではあるが両者とも健常人の尿に存在することも同時に判明した。

 尿中ポリアミンの画分と悪性疾患との関連については、以下の諸点が明らかになった。AcPutは健常人のあいだにおいてもばらつきが大きく、疾患に関連する臨床的意義は小さいと考えられた。またAcCadは、腸内細菌により産生されるため、便秘がちの人で高い傾向があるなど、その意義も同様に乏しいと考えられた。またPut,Cad,Spd,Spm,AcSpm,に関しては、尿中の含量が極めて低く、また疾患との明かな相関も認められなかった。一方N1-AcSpd,N8-AcSpdについては、前立腺腫瘍、および精巣腫瘍についての検討で、腫瘍寛解とのある程度の相関関係が認められ、両者とも、治療前、高値を示したものが、治療後は低下する傾向を示した。しかし健常人や、良性疾患群においても、高値を示す例があり、また悪性疾患群においても正常域にとどまる例が多数存在したため、病勢を表すという意義は認められるものの、腫瘍マーカーとしての位置付けは困難であると考えられた。これに対してジアセチル体(DiAcSpd,DiAcSpm)については、極めて興味深い結果が得られた。DiAcSpmが悪性疾患のみに認められるとしたvan den Bergらの結果と異なり、これらの成分は、健常人においてもわずかながら認められ、しかもその尿中含量は個人差が小さく、ともに非常に限られた範囲に分布した。両者とも悪性疾患で上昇する傾向が著明でありしかもDiAcSpdは、良性疾患患者で高値を示す例がなく、またDiAcSpmは、悪性疾患において、基準範囲内にとどまる例が特に少ないという著しい特徴を示した。これら各成分の総和よりなる総ポリアミン値は、主成分であるAcPutの影響を強くうけ、意味のある変動は示さなかった。

2)腫瘍マーカーとしてのジアセチル体の意義a:尿路悪性疾患の診断とジアセチルポリアミン

 DiAcSpd値(D)DiAcSpm値(M)のそれぞれについて、健常人の平均値+2SDを境界値にとり、基準値未満を(-)、以上を(+)として、健常人、良性疾患患者、悪性疾患患者の測定値を各々第1群、D(-)/M(-);第2群、D(+)/M(-)またはD(-)/M(+);第3群、D(+)/M(+)の3つの群に分類した。健常人の90%以上は第1群に属し、第3群に属するもの(false positive)はなかった。一方、悪性疾患患者においては、第1群にとどまるもの(false negative)は10%以下であり、50%以上が第3群に分類された。また良性疾患患者のうち、第3群に分類されるものは数%にとどまった。このことは第3群に分類される被検者については、悪性疾患を念頭におく必要があることを示唆している。良性疾患患者と悪性疾患患者のそれぞれ1/3が第2群(境界域)に属したが、これらはいずれも正常域からの逸脱が明らかであった。このことは、境界域のジアセチルポリアミン値が、精査、または経過観察の必要性を示す指標となる可能性を示すものと考えられる。

b:治療前後における尿中ジアセチル体値の変化

 治療効果の早期判定の指標

 精巣腫瘍の症例で、化学療法施行時に経日的に測定した症例で興味深い結果を得た。初回治療時は、精巣に腫瘍が限局、-FPのみがが高値で、各ポリアミンとも低値であった。手術療法のみで-FPが正常化し、臨床的には完全寛解と判断していたところ、約1年半後に腫瘍の再燃を見た。画像診断で肝臓に広範囲の転移病変を認めるものの、-FPは低値にとどまった。すなわち、-FPは、再燃時には腫瘍マーカーとなりえていなかった。ポリアミン分画では尿中N1およびN8-AcSpd、ならびにジアセチル体値が高値を示した。再燃治療時に行った化学療法で、ジアセチル体の変化を調べたところ、DiAcSpd DiAcSpmの両者とも、治療後は急速に低下、4日で正常値に復した後、低い値を維持し続けた。臨床的には数カ月たって肝転移のほぼ完全な消退をみた。ジアセチル体の速やかな低下傾向は、再燃の際のマーカーとしたLDH値と比較しても顕著であり、悪性腫瘍の治療効果判定に意義のある指標となりうる事を示した。またこの症例は、その後2年間、寛解を継続中である。

 予後、経過観察の指標

 腫瘍マーカーの比較的確立されている前立腺腫瘍、および精巣腫瘍において、治療前後の測定値を既知の腫瘍マーカー等と比較したところ、転移を有する病期の進んだ症例のみならず、早期癌の症例においても、腫瘍寛解と判断された時期におけるジアセチル体の値が、既知の腫瘍マーカーや、N1およびN8-AcSpd値と比較して、予後と良く対応していることが注目された。即ち、臨床的に腫瘍寛解と判断された時に、ジアセチル体が正常域に復している症例は、その後腫瘍の再燃をみる事がなく、予後が良いという結果であった。不幸にして再燃をみた症例は、臨床的に腫瘍寛解と判断された時期でもジアセチル体の測定値が正常値まで復さず高値を持続した。さらに、前立腺腫瘍経過観察中に、一時低下していたジアセチル体の再上昇を見た症例では、その後の検査で新たに腎腫瘍の存在が認められた。このことから、寛解中の症例において、ジアセチル体が再上昇した場合には、再燃のみならず、他の悪性疾患も念頭に入れた検査が必要であると考えられた。

【まとめ】

 新しく開発した測定系により、尿中ポリアミンの各分画を、速やかにかつ正確に測定する事ができ、健常人には存在しないとされてきたDiAcSpd DiAcSpmが、わずかながら存在していることが明らかになった。しかも各々の測定値の解析より、これらが従来知られている成分よりも、悪性腫瘍との関連が深いと考えられた。現段階においては、その臨床的意義を以下のように総括することができるであろう。

 1)診断的意義。正常値が限られた範囲内にあるため、それを逸脱しているものは、何らかの疾患を有するものとして考慮する必要があるのではないか。

 2)治療効果の早期判定への応用。化学療法の過程における尿中DiAcSpd,DiAcSpm値は、数日以内にその後半年にわたり徐々に縮小して行く腫瘍の様子を反映する変化を示した。このような迅速かつ著明な尿中レベルの低下は、抗癌剤の選択の可否を決める上で重要なポイントとなるであろう。

 3)予後判定の基準としての有用性。治療開始時にDiAcSpd DiAcSpm値が高値を示し、寛解と判断されてもなお正常値に復さない例は、何らかの治療を含めた経過観察を行う必要があろう。また、正常値付近の値まで低下した症例の予後は比較的良好であると考えられる。

審査要旨

 本研究は細胞増殖に深いかかわりを示すポリアミンに関し、新たな測定系の開発により正確に尿中分画を測定することが可能になった。この測定系を用い、泌尿器科領域の患者尿を測定し下記の結果を得た。

 1.この測定を通じて、ジアセチルスペルミジン、ジアセチルスペルミンが、微量ながら健常者尿中に常に存在することが明らかになった。ジアセチル体の排泄量は、健常者では限られた範囲内に厳密にコントロールされており、また、その排泄量の変動は従来知られていたポリアミンのどの成分よりも、悪性腫瘍との関連が深いと考えられた。

 2.良性及び悪性の種々の疾患について検討した結果、従来より腫瘍マーカーとしての可能性が検討されてきたN1アセチルスペルミジンおよびN8アセチルスペルミジンは、腫瘍マーカーとして位置づけられる可能性は低いと結論された。

 3.ジアセチルポリアミンと悪性腫瘍との関連およびその臨床的意義に関して以下の事実が明らかになった。

a)診断的意義

 ジアセチル体両者の測定値を併用することにより、健常者と悪性腫瘍患者を相互に明確に識別できることが明らかになった。良性疾患患者、悪性疾患患者とも約1/3はジアセチル体のいずれか一方が基準値(健常者の平均値+2SD)を超える疑陽性者であったが、健常者の測定値の分布が基準値内に限局されているため、これらの疑陽性者は、何らかの疾患を有するものとして精査の対象とする必要があると考えられる。ジアセチル体の両者が基準値を超える場合には、特に、悪性疾患を念頭においた検査が必要であると考えられる。これらの事実から、ジアセチル体が診断の補助として有用である可能性が強く示唆された。

b)治療効果の早期判定への応用

 化学療法の過程を詳細に観察する機会を得た精巣腫瘍の症例において、尿中ジアセチル体値は、数日以内に迅速に低下し、定常的なレベルに到達した。このレベルは安定であり、かつ、その後半年にわたり徐々に縮小して行く腫瘍の最終的な様相を反映するものであった。このような迅速かつ著明な応答は、治療効果を早期に判定するための指標として、ジアセチル体値の変動が抗癌剤の選択の可否を判断する際の重要な補助手段となる可能性を示唆している。

c)予後判定の基準としての有用性

 前立腺腫瘍、精巣腫瘍の治療経過における観察から、治療開始時に尿中ジアセチル体値が高値を示し、治療後に正常化する症例は、良好な長期予後を期待することができるが、それに対して、寛解と判断されてもなお正常値に復さない例は予後不良を予測すべきであることが示唆された。このような場合には、追加療法を含めた厳重な経過観察が必要であると考えられる。一方、寛解を継続中の症例については、ジアセチル体の一方が一時的に上昇する症例も認められるが、次第に正常値に復する傾向にあり、長期経過観察中にジアセチル体値が持続的に上昇を示した場合においては、腫瘍の再燃、重複癌などを考慮に入れた、精査および慎重な経過観察が必要である。

 以上、本論文は今まで知られていなかった尿中ポリアミンのジアセチル体を正確に測定することにより、尿路悪性疾患と尿中ジアセチル体との関連を明らかにした。本研究は今まで未知に等しかった、ポリアミンのジアセチル体と悪性疾患との関係に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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