学位論文要旨



No 213401
著者(漢字) 佐々木,愼
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,シン
標題(和) 2次元DNAタイピング法を用いたhMLH1遺伝子の変異解析
標題(洋)
報告番号 213401
報告番号 乙13401
学位授与日 1997.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13401号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
 東京大学 助教授 稲澤,讓治
内容要旨 1.研究の背景と目的

 ある疾患遺伝子に対して、個人個人の遺伝子異常を検索することは、その疾患に対する発症リスクを推定したり、疾患の病態を解明する上で非常に重要であると考えられる。そこで現在までに、いろいろな変異検出手段が、検出率、簡便性、経済性などさまざまな観点から改良されてきた。変異の検出率の点に関しては変性剤(urea、formamideなど)の濃度勾配を用いたDenaturing Gradient Gel Electrophoresis (DGGE)法が優れた方法である。DGGE法は塩基配列の違いにより生じる融解温度の差を利用したもので、GCクランプのプライマーを用いることでほぼ100%に近い検出率が得られる。理論的には、条件次第で1塩基の置換を含め、あらゆる種類の変異を検出することができ、これまでにもDGGE法を用いた数多くの変異解析が報告されている。2次元DNAタイピング法はDGGEを応用し、まず第一にpolyacrylamideによる泳動で、単にサイズの違いに応じてサンプルを分離した後にDGGEを行うことによってサンプルを2次元に展開し、サイズの異なるフラグメントごとに変異を検索する方法である。この原理に基づく2次元の泳動は既に行われているが、2つの泳動は完全に別々のもの、すなわちサイズにより分離した後にゲルを切り出して変性剤濃度勾配をもつゲルの上にのせて第2の泳動を行うもので、決して簡便とはいえず、しかも再現性が低かった。ところが、1993年、E.Mullaartらは従来の2次元DNAタイピング法を改良し、ボタン操作のみで自動的に2つの泳動を切り替えられるようにしたため、手技上の繁雑さが克服された。そこで、本法を疾患遺伝子の変異解析における非常に有力な方法として利用できないかと考え、本法の条件設定の方法について検討し、これを基にミスマッチ修復遺伝子の変異の有無を実際の臨床例を対象に解析を行った。

II.hMLH1遺伝子の変異を検出するための、2次元DNAタイピング法の条件設定1.対象

 条件設定のために、Single Strand Conformation Polymorphism (SSCP)法により既にhMLH1遺伝子に変異を有することが判明しているサンプル群を選択した。その内訳は遺伝性非腺腫性大腸癌(HNPCC)6家系にみられた5つの胚細胞変異、1人のreplication error(RER)陽性散発性子宮体癌にみられた2種類の体細胞変異である。HNPCC家系からは血液より、RER陽性散発性子宮体癌患者からは腫瘍部の凍結切片よりDNAを抽出した。

2.方法と結果

 exon13、16は変異の効率を上げるために2つのフラグメントに分割し、hMLH1遺伝子の全コーディング領域を21のフラグメントでカバーするようにした。MELT95によりおのおののフラグメントの融解温度を推定し、相対的に融解温度の高い方のプライマーに次の40塩基からなるGCクランプを付加した。

 5’-CGCCCGCCGCGCCCCGCGCCCGTCCCGCCGCCCCCGCCCG-3’

 GCクランプを付加していない方のプライマーをラベルし、94℃30秒、55℃30秒、72℃60秒の35サイクルのPCR反応によりおのおののフラグメントを増幅し、99℃10分、60℃1時間によりヘテロデュープレックスを形成させるようにした後、混合して2次元DNAタイピング法のサンプルとして用いた。

 2次元DNAタイピング装置はE.Mullaartらにより作製されたINGENY社の装置を使用した。まず、1次元目の泳動に対するpolyacrylamideの濃度については、Exon12の459bpを除くとすべてのフラグメントが141〜288bpの間に存在するため、ゲルの大きさ(約20×16cm)を考慮して、8%が効率良く分離可能であると考えられた。旧式の2次元DNAタイピング法を乳癌の遺伝子診断に応用したVerwestらに準じて200Vで泳動し、bromophenolblue、xylenecyanolの移動度を参考に2時間で泳動を終えたところ、十分明確に分離されることが判明し、この条件に設定することにした。

 次に、2次元目の泳動(DGGE)に対する変性剤濃度勾配の条件設定については、7.0M urea、40%formamideの変性剤濃度変化が32℃の温度変化に相当すると推定したVerwestらの理論に従い、MELT95により推定されたフラグメントごとの融解温度から、7.0M urea、40%formamideの変性剤濃度を100%とした際にDNA二重鎖の解離が起こる変性剤濃度を求めた。この結果、hMLH1遺伝子のフラグメントは13〜75%と広い範囲に及ぶことが判明した。そこで、試験的に10〜65%の濃度勾配をもつgradient gelを作製し、垂直方向の泳動(DGGE)において、泳動の電圧、時間を変えた幾通りかの組み合わせで試行を繰り返した。そして、8%polyacrylamideに10-65%の変性剤濃度勾配(7.0M urea、40%formamideを100%とした)をもつgradient gelにて150V、7時間30分の泳動で、変異が既知の症7例に対して異常バンドを検出することが判明した。更に以上の条件にて、2次元に泳動し、再現性良く異常なスポットとして同定し得ることを確認した。

III.2次元DNAタイピング法を用いたスクリーニングおよびhMLH1遺伝子の変異検出における本法の有用性の検討1.対象と方法

 本法の有用性を検討するために、hMLH1遺伝子に変異がある可能性を持った症例で、かつ、まだ実際に変異検索をしていない症例を対象として、IIで求めた条件で変異検索を行った。まず、過去5年間に癌研究会附属病院において手術された散発性大腸癌129例に対しD2S123、D3S1067、D5S644、TP53の4つのマイクロサテライトマーカーを用いてRERを検索し、2ヵ所以上でRER陽性の症例8例を選択した。これに新たにアムステルダムの診断基準を満たすHNPCC2家系、診断基準を満たさないが、HNPCCに近いと考えられるHNPCC-like4家系さらに4人の多重癌患者を加えhMLH1遺伝子の変異を検索した(計18症例)。HNPCCおよびHNPCC-like家系からは血液より、それ以外は腫瘍部あるいは正常部組織の凍結切片よりDNAを抽出した。

2.結果

 HNPCC家系JPN-28、RER陽性の散発性大腸癌患者CRC11、HNPCC-like家系HNL-1、HNL-2の4症例で異常なスポットを認めた。そこでこれらに対し、ダイレクトシークエンスを施行したところ、JPN-28はexon2のcodon67にGlyからArgへの変化を生じるGからAへの1塩基置換を有することが判明し、制限酵素により正常者50人にこの変化を認めないことから変異であると考えられた。CRC11はexon13のcodon495に1塩基挿入が起こっており、フレームシフトの結果、蛋白の合成が途中で中断される可能性が示された。この変化は患者の正常組織においても観察され、しかも腫瘍組織では正常なアレルが失われており両方のアレルが不活化されていることがわかった。HNL-1、HNL-2にみられた変化は、シークエンスの結果exon8のcodon219にみられるAからGへのポリモルフィズムであることがわかった。

IV.考察

 遺伝子変異を検出する手段としては現在のところ、簡便でありしかも検出率が比較的高いことからSSCP法が広く使われている。しかしSSCP法は、特に少数のサンプルを対象にする場合、必ずしも経済的とはいえない。また、検出率だけをみればDGGE法の方が優れており、GCクランプを付加したPCRを利用すれば条件次第で非常に高い検出率を得られる。今回変異解析に用いた2次元DNAタイピング法は、サイズの違いによる分離を行った後にDGGEを行いサンプルを2次元に展開し、おのおののフラグメントをスポットとしてとらえて変異をみる方法である。装置の改良にともない、2次元の展開が簡便に扱えられるようになった。条件設定に繰り返しの試行を要するが、ひとたび条件を設定できればSSCP法により既に判明していた変異すべてを容易に検出しうることが明らかになった。更に同じ条件を用い、hMLH1遺伝子の遺伝子変化が未知の新たな症例18例をスクリーニングした結果、hMLH1遺伝子の新規の変異を2つ、ポリモルフィズムを1つ同定し得たことでhMLH1遺伝子に対しては変異検索の条件設定が確立したと考えられる。更に本法は全コーディング領域をたった1枚のゲルの上に展開できる上に、スポットのパターンから変異の存在する領域さらには変異の種類までをある程度推定することが可能である。あらゆる疾患遺伝子に対しても応用可能であり、今後幅広い臨床応用が期待できる。逆に現時点における本法の欠点としては、装置自体が高価であること、条件設定の確立に幾分の試行錯誤が必要であることなどが挙げられる。

V.まとめ

 今回の研究により次のような結果、考察が得られた。

 (1)hMLH1遺伝子の変異が既知の8症例を対象に、これらの変異をすべて検出し得る2次元DNAタイピング法の条件を設定した。

 (2)(1)で設定した条件にて、18症例(HNPCC2家系、HNPCC-like4家系、多重癌患者4人、RER陽性の散発性大腸癌患者8人)に対してhMLH1遺伝子の変異を検索したところ、2種類の新規の変異および1種類のポリモルフィズムを同定した。

 (3)本法は再現性が良い上に、1回の泳動でhMLH1遺伝子の全コーディング領域における変異を検索可能であり経済的な方法であると考えられた。

 (4)しかもDGGE法の原理を応用した方法なので、条件設定次第では非常に高い検出率が期待される。

 (5)任意の疾患遺伝子に対して適応し得るので、本法を用いた幅広く有効な遺伝子診断および臨床応用が期待できる。

審査要旨

 本研究は、DGGE法の変法である2次元DNAタイピング法を用いて、DNA修復酵素遺伝子の一つであるhMLH1遺伝子を対象とし、遺伝子変異検索における本法の操作の標準化を試みた上で、本法の臨床応用の可能性および有用性を探ることを目的として検討されたものであり、下記の結果を得ている。

 1.既に他の方法(SSCP法)によりhMLH1遺伝子の変異が明かな8症例を対象にし、これら全ての変異を検出し得る2次元DNAタイピング法の条件設定を行った。19のエクソンからなるhMLH1遺伝子の全コーディング領域を21に分割し、おのおののフラグメントをPCR法により増幅し、全てを混合して泳動した。数回の試行により全ての変異検出が可能であるゲルの組成、泳動の電圧・時間を決定し得た。本法は1回の泳動で、21の領域がおのおのスポットとして同定され、正常のパターンと比較することにより、変異の有無が容易に同定可能であるばかりでなく変異の存在部位をある程度推測することも可能であった。また繰り返しの実験により、本法は再現性においても優れた方法であることが判明した。本法はSSCP法に比べて検出率の高いDGGE法を応用しており、今回設定した条件下で8症例全ての変異を実際に検出可能であったことから検出率は2次元の展開が自動的に行えられ、その操作性は容易かつ簡便であった。

 2.1で設定した条件を用いて、DNA修復酵素遺伝子異常を持つ可能性のある患者18例を対象に胚細胞または腫瘍細胞でhMLH1遺伝子の変異を検索した。患者の選定に際して、129例の散発性大腸癌のReplication error(RER)を検索し、4箇所のマイクロサテライトのうち2箇所以上でRER(+)を示す8症例を選択して症例として加えている。18例のうち4例において正常の2次元泳動パターンとは異なる泳動結果が得られた。おのおのの症例において変異の疑われる領域に対してダイレクトシークエンスを施行し、その結果、2種類の新規の変異および1種類のポリモルフィズムを同定した。

 3.DNA修復酵素遺伝子の中でも特に東洋諸国において最も変異が多いと考えられるhMLH1遺伝子の変異は、現在まで約35種類の報告しかみられず、本研究において2種類の新規の変異を同定し得たことにより、本法の有用性が示された。

 以上、本論文は2次元DNAタイピング法という新しい方法を用いたhMLH1遺伝子の変異検索の方法を標準化し、更に実際の症例を用いて変異を検索し、変異検出手段としての有用性を示している。方法論的見地からみるとhMLH1遺伝子に特異的な手法でなく、任意の疾患遺伝子に応用可能である。また、経済性、簡便性、鋭敏性のすべての点において、既存の変異検出手段を凌駕し得る可能性を示しており、基礎的研究はもとより臨床の場における疾患遺伝子の異常の解明に重要な貢献をなすと考えられ、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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