学位論文要旨



No 213402
著者(漢字) 石井,聡
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,サトシ
標題(和) 発生工学による血小板活性化因子受容体の機能の解析
標題(洋)
報告番号 213402
報告番号 乙13402
学位授与日 1997.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13402号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 序論

 血小板活性化因子(1-O-アルキル-2-アセチル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン、platelet-activating factor、以下PAF)は、好塩基球由来の血小板凝集因子および腎髄質に存在する降圧物質として発見されたリン脂質である。その後の研究でPAFは多彩な生物活性を持つメディエーターであることが明らかになった。PAFは白血球をはじめ種々の細胞から刺激に応じて産生される。細胞のPAFへの反応は全て細胞膜上の特異的受容体を介すると考えられている。PAF受容体cDNAはアフリカツメガエルの卵母細胞を用いた発現クローニング法によりモルモットから初めて得られ、塩基配列の解析からPAF受容体はGタンパク質共役型7回膜貫通の構造を持つと予想されている。PAF受容体にはサブタイプは存在しないと考えられているが、複数のGタンパク質と共役することができ、多彩な細胞内情報伝達系の活性化が可能である。

 種々の細胞で作られ、微量で強力な生物活性をもたらすPAFは、in vivoで生理学的、病態生理学的に多様な働きを担っていると考えられてきた。本研究ではin vivoでのPAFの機能を解析することを目的として、発生工学の手法を用いた。すなわち、PAF受容体を過剰に発現するトランスジェニックマウスとPAF受容体を欠損するノックアウトマウスを樹立し、これらマウスに現れる変化を解析することでin vivoにおけるPAFの生理学的、病態生理学的役割を明確に示そうという試みである。本論文の第一章はノックアウトマウス作製のために必要なマウスPAF受容体遺伝子のクローニングとその諸性質の解析、第二章はPAF受容体を過剰に発現するトランスジェニックマウスの作製と解析、第三章はPAF受容体を欠損するノックアウトマウス作製と解析についてまとめたものである。

方法マウスPAF受容体遺伝子のクローニング

 マウスゲノムライブラリーよりモルモットPAF受容体cDNAをプローブにしてスクリーニングした。

蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)

 マウスPAF受容体遺伝子の染色体上のマッピングには直接Rバンド蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)法を用いた。スライドガラス上に展開した染色体DNAを熱処理してガラスに固着させ、変成させた。ビオチン16-dUTPを用いてラベルしたプローブとハイブリダイゼーション後、続いて蛍光化アビジンを結合させた。プロピジウムイオダイドで染色体を染め、励起光を用いて観察した。

連鎖解析

 野生型マウスMus spretusの雄と実験用近交系マウスC57BL/6Jの雌を交配して得られたF1雌マウスに対し、Mus spretusの雄と戻し交雑をかけて雑種F2マウス146匹を得た。これらのマウスの母親由来のPAF受容体遺伝子がMus spretusタイプかC57BL/6Jタイプかのタイピングをサザンハイブリダイゼーションで行った。またこの遺伝子に連鎖しているマイクロサテライトDNAマーカーについてもPCRでタイピングした。

PAF受容体過剰発現(トランスジェニック)マウスの作製

 サイトメガロウイルスIE(immediate early)エンハンサー、チキン-アクチンプロモーターの下流にモルモットPAF受容体cDNAを連結し受精卵の前核へマイクロインジェクションした。マウスの遺伝子型はゲノムDNAを鋳型にPCRで決定した。トランスジェニックマウス系統は雄のトランスジェニックマウスを雌のBDF1マウスと交配して継代した。

PAF受容体欠損マウスの作製

 ホスホグルコキナーゼプロモーターにネオマイシン耐性遺伝子を連結したDNA断片をマウスPAF受容体遺伝子のエクソン中にあるPstIサイトに挿入した。MClプロモーターにチミジンキナーゼ遺伝子を連結したDNA断片と組み合わせて、ターゲティングベクターを構築した。薬剤耐性形質転換ES細胞株の中から相同組換え細胞を、サザンブロット解析によってスクリーニングした。相同組換え体ES細胞をC57BL/6Jの胚盤胞に注入してキメラマウスを作った。雄のキメラマウスの子孫からヘテロザイゴートマウスをサザンブロット解析で同定し、それらを交配させて実験に使用した野生型(PAFR+/+)とPAF受容体ホモ欠損(PAFR+)マウスを得た。

肺抵抗の測定

 マウスを麻酔後、気管切開した気管に金属製のカニューレを挿入し、人工換気下においた。胸郭を開き、麻痺剤で自発呼吸を止めた。実験中は酸素ガスを供給した。気道内圧と気道流量を圧トランスデューサーと呼吸流速計でそれぞれ測定した。これらの測定値を基に肺抵抗を計算した。気道抵抗の基線を測定後、PAF(10g/kg)を頸静脈から注射した。メサコリンエアゾールはカニューレから投与した。

平均動脈圧の測定

 マウスを麻酔後、右大腿動脈にカニュレーションした。チューブはヘパリンを含む生理食塩水で満たし、圧トランスデューサーに接続した。血圧の信号をアンプで増幅し、テープレコーダーに記録した。このデータをコンピューターに取り込み、平均血圧を求めた。心拍数は心電図を基にタコメーターで計算した。

能動免疫

 マウスに100gの卵白アルブミンと1mgの水酸化アルミニウムゲル、300ngの百日咳毒素の混合液を腹腔内に投与した。18〜21日後、卵白アルブミンを静脈投与して全身アナフィラキシーを惹起した。

肺浮腫の測定

 卵白アルブミン投与して10分後のマウスより肺を取り出した。湿重量を測定後、対流式オーブンで乾燥させた。乾燥重量を測定し、湿重量/乾燥重量比を計算した。

エンドトキシンショックの惹起

 マウスにエンドトキシンを尾静脈から投与し、その生死を3日間観察した。または頸静脈から投与し、平均血圧の変化を測定した。

結果と考察第一章

 プラークハイブリダイゼーション法によりマウスPAF受容体遺伝子をクローニングした。この遺伝子は蛍光in situハイブリダイゼーションと分子生物学的連鎖解析によって、マウス4番染色体のD2.2バンドの領域にマッピングされた。ノーザンブロット解析によりPAF受容体mRNAの高い発現が腹腔マクロファージで確認できた。C3H/HeNマウスのマクロファージをエンドトキシンまたは合成リピドAで処理すると、PAF受容体mRNAレベルが上昇した。またリポ多糖非反応性マウスであるC3H/HeJのマクロファージは、合成リピドAには反応しなかったがエンドトキシン中の混入物に反応した。以上のPAF受容体遺伝子の発現誘導パターンは腫瘍壊死因子(TNF-)のものと似ていた。エンドトキシンは遺伝子発現の誘導によりPAF受容体タンパク質のマクロファージ上の発現量を増加させ、それによって細胞や個体のPAFへの反応性を上昇させていると考えられた。

第二章

 PAFは単離した細胞や組織に多彩な影響を及ぼすが、in vivoで重要な病態生理学的役割を果たしているかどうかについては依然として議論がある。この疑問に答えるため、-アクチンプロモーターの制御でモルモットPAF受容体を過剰に発現するマウスを作製した。このトランスジェニックマウスは生殖能力に異常があった。PAF受容体mRNAの過剰に発現は心臓、骨格筋、気管、皮膚、眼、大動脈などで観察され、実際に心臓や気道はPAFに敏感に反応した。さらにメサコリンに対して気道過敏性を、またエンドトキシンに対しては致死率の上昇を示した。皮膚ではメラニン形成と細胞増殖に異常が観察された。また一部のトランスジェニックマウスには高齢になると自然にメラノサイト腫瘍が現れた。したがってPAF受容体トランスジェニックマウスは、気管支喘息やエンドトキシンショック、不妊症の基礎的な病態生理を研究したり、これら疾患の治療法をスクリーニングするための有用なモデルとなることがわかった。さらにこのトランスジェニックマウスから皮膚組織の形態形成や細胞分裂活性という新しいPAFの作用に関しても示唆が得られた。

第三章

 次にPAFの作用を生来欠損させた時に現れる病態を明らかにすることを目的として、マウス胚幹細胞内で相同組換えによりPAF受容体遺伝子を破壊した。この細胞より樹立したPAF受容体欠損マウスは雌雄ともに生殖能力に異常はなかった。また血圧も正常だった。能動免疫したPAF受容体欠損マウスに全身アナフィラキシーを惹起したところ、野生型マウスに比べ気道収縮、肺浮腫、低血圧、致死性が顕著に減弱していた。したがってアナフィラキシーショック時にPAFは、気管支肺系や心血管系の機能不全に主要な役割を果たすだけでなく、致死性のメディエーターとしても機能することが明らかになった。一方、PAF受容体欠損マウスにエンドトキシンを投与しても野生型マウスに比べ、致死率と血圧低下反応に差は認められなかったことから、PAFはエンドトキシンショックの必須のメディエーターではないことも明らかになった。

結語

 本研究で得られた結果よりPAFは病態生理学的に、喘息をはじめとするアレルギー疾患やエンドトキシンショックの重要なメディエーターとして働くことが示された。さらにPAFの作用が過剰に及ぶと生殖や皮膚組織の形態形成に異常をもたらすことも示された。

審査要旨

 本研究はマウス発生工学の手法を用いて血小板活性化因子(PAF)受容体のin vivoにおける生理学的、病態生理学的機能を解析するため、1)マウスPAF受容体遺伝子のクローニング及び諸性質の解析、2)PAF受容体過剰発現トランスジェニックマウスの作製と解析、3)PAF受容体欠損マウスの作製と解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1-1 プラークハイブリダイゼーション法によりマウスPAF受容体遺伝子をクローニングした。

 1-2 蛍光in situハイブリダイゼーションと分子生物学的連鎖解析によって、マウスPAF受容体遺伝子を4番染色体のD2.2バンドの領域にマッピングした。

 1-3 ノーザンブロット解析によりPAF受容体mRNAの高い発現がマウス腹腔マクロファージで確認できた。

 1-4 C3H/HeNマウスのマクロファージはエンドトキシンまたは合成リピドAに反応してPAF受容体mRNAレベルが上昇した。またリポ多糖非反応性マウスであるC3H/HeJのマクロファージは、合成リピドAには全く反応しなかったがエンドトキシン中の混入物に反応してPAF受容体mRNAレベルが上昇した。

 2-1 -アクチンプロモーターの制御でモルモットPAF受容体を過剰に発現するトランスジェニックマウスを作製した。

 2-2 モルモットPAF受容体mRNAの過剰発現は心臓、骨格筋、気管、皮膚、眼、大動脈などで観察され、心臓や気道はPAFに過敏に反応した。

 2-3 生殖能力に異常が認められた。

 2-4 メサコリンに対して気道過敏性を示し、これはPAF受容体アンタゴニストで抑制された。

 2-5 エンドトキシンに対する致死率の上昇を示し、これはPAF受容体アンタゴニストで抑制された。

 2-6 皮膚でメラニン形成と細胞増殖に異常が観察された。また一部のトランスジェニックマウスには高齢になるとメラノサイト腫瘍が自然に現れた。

 3-1 1-1で示したマウスPAF受容体遺伝子を基にPAF受容体欠損マウスを作製した。

 3-2 生殖能力は正常だった。

 3-3 平常時血圧は正常だった。

 3-4 能動免疫後に全身アナフィラキシーを惹起したところ、アナフィラキシーショックの症状(気道収縮、肺浮腫、低血圧、致死性)が顕著に減弱していた。

 3-5 エンドトキシンを投与した時のエンドトキシンショックの症状(低血圧、致死性)には異常が認められなかった。

 以上、本論文はエンドトキシンが遺伝子発現の誘導を介してPAF受容体タンパク質のマクロファージ上の発現量を増加させ、それによって細胞や個体のPAFへの反応性を上昇させている機構の存在を示唆した。また新規に作製したPAF受容体トランスジェニックマウスが、気管支喘息やエンドトキシンショック、不妊症の基礎的な病態生理を研究したり、これら疾患の治療法をスクリーニングするための有用なモデルとなることを示した。さらにこのPAF受容体トランスジェニックマウスからは、皮膚組織の形態形成や細胞分裂への関与という新しいPAFの作用の示唆が得られた。PAF受容体欠損マウスの解析からは、PAFがアナフィラキシーショック時に気管支肺系や心血管系の機能不全に主要な役割果たすだけでなく致死性のメディエーターとしても機能すること、またエンドトキシンショックのメディエーターとしてPAFが必須ではないこと、が示された。本研究はPAF受容体の機能ならびにPAFと疾患との関わりを解明するのに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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