学位論文要旨



No 213406
著者(漢字) 上杉,和彦
著者(英字)
著者(カナ) ウエスギ,カズヒコ
標題(和) 日本中世法体系成立史論
標題(洋)
報告番号 213406
報告番号 乙13406
学位授与日 1997.06.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13406号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 桜井,万里子
 東京大学 教授 尾形,勇
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 義江,彰夫
内容要旨

 本論文の目的は,日本中世法の特質を,その成立過程もしくは日本古代法体系の変質過程の観察より究明する事にある。

 序章において,「法史における古代から中世への移行」というテーマに関わる戦後日本史学の研究の展開の総括から,(1)古代法体系の中核たる律令法の法理・運用形態の展開過程を,少なくとも鎌倉前期まで詳細に観察し,中世諸法の成文法としての存在形態・効力や機能との歴史的系譜関係(もしくは絶縁関係)を明らかにし,成文法レベルでの,古代から中世への移行の様相を把握する事(2)継受された成文法と慣習法・固有法の相克が,古代法体系を変質させ,新たな法体系の成立へ至らしめる様相を具体的事象に即して把握し,古代法から中世法への移行のダイナミズムを明確にする事,という二つの考察課題を導いた。以下,本論第一部では(1)に関する考察を,第二部では(2)における犯罪刑罰に関する考察を,第三部では(2)における文書システムに関する考察を行った。

 第一部の内容は以下の通りである。第一章「摂関院政期の明法家と朝廷」は、朝廷の法曹技能官人である明法家の機能の古代から中世にかけての展開の実態をその規定要因とともに考察したものであり、院政期に顕著となった朝廷訴訟裁定プロセスにおける明法家機能の拡大が中世公家訴訟制度の一つの原形を生み出した事を説いた。同章でも言及した、院政期朝廷支配層の基本成文法に対する認識が摂関期に比してより充実している事実を、さらに詳細に検討したのが第二章「王朝貴族の律令認識」である。第三章「平安時代の技能官人」は、第一・二章の叙述を補う意味から、朝政実務官僚機構の全体像を概観したものである。次に、鎌倉幕府成立後の状況に議論を発展させ、第四章「訴訟当事者から見た鎌倉幕府法」では、鎌倉期の訴訟当事者による鎌倉幕府法へのアプローチのあり方が、基本的に院政期の法曹法と訴訟当事者の関係を引き継ぐものであり、同時にその関係が法制定者としての幕府の存在を規定し、普遍的公権力への転化を促した事を論じた。同時に、幕府権力の本質には、公正な法の制定者である面及び将軍家人の利害の擁護者の面相互の矛盾が孕まれていた事をも指摘した。第五章「鎌倉幕府法の効力について」は、鎌倉幕府法の効力に関して、その成立当初より制定者の認識と受容者の認識に乖離が存在する事を、訴訟上申文書中の法令引用事例分析より確認し、第四章の考察の補強を試みたものである。第六章「鎌倉初期の守護職権について」は、鎌倉初期の御家人・院近臣大内惟義の守護職権のあり方を考察し、そこに見られる、平安期の法制度の影響を強く受けつつも、後に体系化する幕府守護職権のあり方と異なる特殊な性格を検討した。第七章「鎌倉幕府と官職制度」は、成功制という古代末期から中世にかけての官職制度上の重要問題をめぐる鎌倉幕府の政策対応を分析し、平安期朝廷の統制策を幕府が継承し、鎌倉中期以降はむしろ幕府が主体的にその維持を担った事を論じた。

 第二部の内容は以下の通りである。第八章「京中獄所の構造と特質」は、律令法の規定する刑罰体系の中での京中獄所の中世的変容を考察したもので、平安中期の検非違使管轄下の獄所が、貴族層の肉刑忌避の志向ともあいまって、密閉性を低下させた、犯罪者の集住地の中核としての要素を持ち始める事を結論付けた。また、幕府という検断を専掌する権門が存在する時代においても、京中獄所が、王権に直属する検非違使官人の特殊な知行地として、その属性を喪失しなかった事を指摘した。第九章「摂関政治期における拘禁処分について」・第十章「中世成立期刑罰論ノート」はいずれも第八章の補論的考察を試みたものであり、前者では、古代から中世への拘禁刑構造の転換の過渡期として摂関期が位置付けられる事を、家政機構における拘禁の問題を含めて論じ、後者では、検断における身体拘束行為全般を含めて、院政期における古代から中世への移行を検証した。第十一章「中世の贓物について」は、盗犯の検断行為における贓物(盗犯行為の対象とされた物)の意味が古代から中世にかけてどのような変化を遂げるかを考察したものであり、(1)量刑決定の根拠としての役割(2)物証という二つの性格の中で、(1)の希薄化及び(2)の側面の肥大化の様相を観察し、贓物を保持する事が盗犯検断行為の必要十分条件とされる中世固有の慣行の存在を推測した。

 第三部では、古代法の体系の中に含まれていた文書システムが、いかなる過程を経て中世のそれへ変容したかを、個別の事象に即して考察した。第十二章「中世的文書主義成立に関する一試論」は、国司庁宣とその副状の機能に注目し、文書の存在自体が物権化するという中世固有の現象の発生過程が、同文書において顕著に見られる事を論じた。第十三章「中世の文書をめぐる意識と行動」は、平安鎌倉期の文書をめぐる、同時代人の意識と行動の様相を、諸史料より検討したものである。第十四章「中世的荘園絵図「成立」についての試論」では、大嘗会御禊行幸点地という即位儀礼中の一過程で、院政期に絵図作成行為が現れる事に注目し、これを中世的荘園領域絵図の出現に関連づける展望を示した。

 本論文における考察によって,非体系的な外観を示す中世法の「体系」の成立を,均質に社会を統制した古代の法体系の秩序崩壊の結果ではなく,むしろ多種多様な要因と契機によって,古代法の様々な要素が、一定程度個別に政治・社会の秩序の中に定着した結果と杷握すべきであるという見通しを提示しえたものと考える。今後,本論文の考察結果を足掛りに,日本中世法の歴史的性格の究明に向けた検討を継続して行きたい。

審査要旨

 日本の古代法と中世法との関係の研究は、最近になって広く進められてきつつある分野であるが、多くの研究は概括的なものや局限された対象に関するものであって、広く時代の幅をとって古代法と中世法との関係を具体的に探る研究は生まれてこなかった。それは古代史研究と中世史研究の分断という状況も一因にあろう。

 これに対して、本論文は古代から中世の鎌倉時代までを対象として、両者の法の関連を考察しており、これまでの論文にない広がりを有するものである。

 全体として、法の運用に関わる法曹技能官人である明法家の機能とその存在形態に注目し、刑罰体系の変化を明らかにしつつ、文書システムの変化にも注目することによって、古代法から中世法への転換、ないしは移行の問題に迫っている。

 その結果、明らかにされたのは以下の諸点である。第一は、朝廷の訴訟裁定プロセスにおける明法家の機能の拡大があってこそ、中世の公家訴訟や鎌倉幕府の法が整備されていった点。第二は、盗犯や科刑の在り方を獄所の検断の慣行を通じて古代から中世にかけての緩やかな移行の実態を明らかにした点。さらに第三は、文書の存在その物が物権化する中世の在り方は古代にまで溯ることを見通した点などである。

 総じて、これまでに指摘されてきたような、古代法と中世法と間に断絶を認めるのではなく、古代法の様々な要素が政治・社会の動きや展開のなかで定着してきたのが中世法であり、非体系的な中世法の体系の根幹には古代法があったことを論じている。

 本論文はこのように従来にはない見通しを提示し、中世法の在り方に一石を投じたことを始めとして、さらにはクリアな問題設定による明快な分析、個別の問題に関する着眼点の鋭さなどにおいて、高く評価されるものである。

 ただ全体の見通しを個々の論点が必ずしも十分に明らかにしているのではない点に問題はやや残されているが、日本の古代法と中世法との関連について考察する上で大きな基礎を築いた点において、審査委員会は博士(文学)論文として認めるものと判断した。

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