学位論文要旨



No 213407
著者(漢字) 大野田,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) オオノダ,ヒデキ
標題(和) 新しい血糖降下剤KAD-1229の薬理作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 213407
報告番号 乙13407
学位授与日 1997.06.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13407号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 糖尿病における治療薬として現在最も広く使用されているのは、インスリン分泌を主作用とするスルフォニルウレア(SU)剤である。II型糖尿病患者(NIDDM)においては、食後のインスリン分泌の量的不足および時間的遅延が報告されているが、現在のSU剤ではインスリン分泌作用の発現までに比較的時間がかかるために、食直後の血糖上昇は抑制せず、食間に不必要な血糖低下作用を引き起こしてしまい、ときには重篤な低血糖症を引き起こす場合もある。われわれは、この欠点を改善するために、即効性で短時間作用型のインスリン分泌作用薬KAD-1229(KAD)を開発した。この化合物は、SU剤の共通構造であるスルフォニルウレア基を有していないという特徴がある。

 まず、正常動物および病態モデル動物に於ける血糖降下作用の発現パターンが市販のSU剤とどのように異なるのかについて検討した。SD系ラットに、KADおよびSU剤であるグリクラジドを投与した場合、KAD投与群では、0.1から3.0mg/kgまで用量依存的な血糖降下作用を示し、その作用は、投与後30分でピークに達した後、急速に回復し、2時間でほぼ消失した。一方、グリクラジドでは、KADに比べてゆっくり長く作用する傾向が認められた。また、ビーグル犬にKADおよびグリクラジドを経口投与し、血糖降下作用の発現を検討すると、KADでは0.3から3mg/kgで用量依存的な血糖降下作用を示し、その作用は投与後1時間をピークとし、その後急速に回復するというパターンをとった。それに対しグリクラジドは、投与後2から3時間で最大の効果を発現し、その作用は投与後少なくとも7時間まで持続した。このときの血中インスリンは、KADを投与された群では、投与後30分をピークとした一過性の上昇が認められ、グリクラジド投与群では、投与後1から2時間をピークとした緩やかな上昇が認められた。これらのことから、KADは、従来より使用されているどの血糖降下剤よりも迅速で短時間の血糖降下作用を発現し、その作用は血中インスリン濃度の上昇に基づくものであることが明らかとなった。

 次に、この即効性短時間作用型の薬剤が、実際の糖尿病動物において、食後高血糖を効果的に抑制し、かつ、現在臨床的にも問題となっている低血糖の誘発が起こりにくいかどうかについて検討した。生後3日のSDラットに、60mg/kgのストレプトゾトシ(STZ)を腹腔内投与し、NIDDMラットモデルを作製した。このNIDDMラットに、液体流動食を薬物と共に経口投与して経時的な血糖値の変化について検討した。KADは、1、3、10mg/kgで用量依存的な血糖降下作用を示し、1および3mg/kgでは、正常ラットが液体流動食を摂取したときのパターンにほぼ等しい血糖値の推移が認められた。その他のSU剤では、食後30分から1時間の血糖上昇に対してよりも、2時間以降での作用が顕著であり、食直後の高血糖を完全に抑制しようとすると、どうしても食後2時間以降で正常ラットよりも低い血糖値(低血糖)になってしまうことが明らかとなった。臨床応用において、たとえば食前一時間に服薬するような事はきわめて困難であることを考えれば、KADは、食後の高血糖を適切に抑制できるという点で、画期的な新薬であると考えられる。この即効性で短時間持続型の薬効発現は、現在のところ、主として、薬剤の迅速な吸収と、生体内での薬物の効率的な不活化に由来するものと考えられている。

 続いて、このような血糖降下剤が、実際に糖尿病性合併症に対して治療効果を示すかどうかについて検討した。NIDDMモデル動物に於けるインスリン分泌作用薬の合併症治療効果については、現在まで報告がない。インスリン分泌作用薬であるKADの糖尿病性合併症に対する効果を明らかにする目的で、STZ誘発の重症NIDDMラットに対する連投試験を行った。重症NIDDMラットの空腹時血糖ならびにHbA1c値は、生後5週令では正常ラットと同程度であったが、9週令以降急速に悪化した。KAD投与群ではこの血糖コントロールの悪化が抑制された。また、尿中アルブミン量を測定したところ、重症NIDDMラットでは、糖尿病性腎症の初期に認められる尿中へのアルブミン排泄が有意に増大していた。KAD投与群では、有意差はないものの、尿中アルブミン排泄が抑制される傾向が認められた。さらに、重症NIDDMラットの病理組織学的な変化についての検討を行ったところ、この重症ラットでは、膵細胞の変性の他に、糖尿病性の白内障ならびに腎糸球体基底膜の肥厚が認められた。KAD投与群では、糖尿病性白内障の発現が有意に改善された。その他の所見では、薬物投与による効果は認められなかった。以上のことから、インスリン分泌作用薬であるKADが、短時間作用型の血糖降下作用であるにもかかわらず、重症NIDDMラットにおいて、慢性投与した場合、合併症を抑制することが明らかとなった。このことはまた、NIDDM動物において、合併症発現に対するインスリン分泌型の血糖降下薬の治療効果を、はじめて明らかにしたという点でも意義があると考えられる。

 次に、ハムスターの株化細胞(HIT T15)を用いて、KADによるインスリン分泌の促進機構を解析した。HIT T15細胞において、KADは10-8Mより有意なインスリン分泌促進作用を示した。また、86Rb+をカリウムイオンのトレーサーとして用い、HIT T15細胞からのカリウムイオン流出に及ぼすKADの影響を検討したところ、KADは、3x10-9Mより濃度依存的に86Rb+の流出を抑制した。つぎに、HIT T15細胞のミクロソーム画分を常法に従って調製し、[3H]グリベンクラミドの膜画分への結合に及ぼすKADの影響について検討した。KADおよびグリクラジドは、[3H]グリベンクラミドの結合を濃度依存的に抑制し、Kiは、KADで1.3x10-8Mであった。以上のことから、KAD-1229は、SU構造は有していないものの、SU剤の作用部位であると考えられているATP感受性カリウムチャンネル(K+ATP)の修飾分子(SUR)に作用することが明らかになった。非SU構造でSURに作用するものとして、グリベンクラミドの部分構造であるHB699がよく知られているが、KAD-1229とHB699が類似の立体構造を取るという報告もあり[1]、KADの標的蛋白への結合部位は、グリベンクラミドの結合部位の一部(HB699に相当する部分)と重なっていると考えられる。

 最後に、KAD-1229を用いた、膵ホルモン分泌におけるATP感受性カリウムチャンネルの役割に関する検討をラット膵灌流標本を用いて行った。初めに、インスリン分泌に関して検討した。KADは2.8mMブドウ糖存在下で一相性、5.6mMブドウ糖の存在下では二相性のインスリン分泌パターンを示した。このことから、ブドウ糖の刺激が全くない条件下では、K+ATPの閉鎖で一相性のインスリン分泌が惹起されることが明らかとなった。さらに、16.7mMブドウ糖の存在下で、KADを作用させた場合、第二相のインスリン分泌が増強された。この現象は、従来のSU剤をはじめとするK+ATPを閉鎖する薬剤では考えにくいことである。というのは、パッチクランプなどの結果では、16.7mMブドウ糖存在下では、膵細胞上のK+ATPは完全に閉鎖されていると考えられているからである。HIT T15細胞を用いた解析結果では、KADは、インスリン分泌促進作用、86Rb+流出抑制作用および[125I]グリベンクラミドの膜画分への結合抑制作用のすべてにおいて、ED50あるいはKi値でほぼ一致した値を示すことから、K+ATP以外の作用点の存在は考えにくく、膵細胞では、高濃度ブドウ糖存在下でもK+ATPが開口しているという可能性が強く示唆される。高濃度ブドウ糖刺激下では、膵細胞は脱分極と再分極を繰り返していると考えられ、この脱分極、再分極のサイクルにK+ATPの活性化が関与しているのではないかと考えられる。次に、ソマトスタチン分泌に及ぼす影響について検討した。KADは、すべてのブドウ糖濃度において、ソマトスタチン分泌を促進した。この作用に関しては、ブドウ糖依存性は認められなかった。ソマトスタチンに関しては、従来のSU剤を用いた報告[2]と同様の結果が得られた。最後に、KADのグルカゴン分泌に及ぼす影響似ついて検討した。KADは2.8mMブドウ糖によって誘発されるグルカゴン分泌を完全に抑制した。この作用がインスリンを介した間接的なグルカゴン放出の抑制作用であるかどうかを、STZ処理してインスリン分泌がほとんど認められないラット膵を用いて検討したところ、この様な膵では、KADは、一過性のグルカゴン放出の促進に引き続いて、持続的な抑制作用を示した。SU剤のグルカゴン分泌に及ぼす影響についても、低濃度でのみ分泌を促進するという報告[3]や抑制するという報告[2]、[4]があるが、KADでは、一過性の分泌促進後抑制するというbiphasicな効果を示し、その作用はグルカゴン分泌細胞に対する直接作用であると考えられた。

まとめ

 1.KAD-1229は、従来報告されているどの血糖降下剤よりも迅速で短時間に作用することで、食後高血糖を効果的に抑制し、長期投与で合併症の発現も抑制した。

 2.生後すぐストレプトゾトシンを投与して作製するNIDDMラットモデルは、血糖降下剤の有効性を評価する目的で使用した場合、きわめて有用性の高い動物モデルであることが明らかとなった。

 3.KAD-1229は、膵細胞のATP感受性カリウムチャンネルのsubunitであるSURに作用して、インスリン分泌を促進し、低濃度のブドウ糖存在下では、第一相、高濃度のブドウ糖存在下では、第2相のインスリン分泌を増強した。このことから、ブドウ糖の誘発する二相性のインスリン分泌におけるATP感受性カリウムチャンネルの役割が明らかとなった。

 4.KAD-1229はソマトスタチンの分泌促進およびグルカゴンの分泌抑制作用を有しており、および細胞におけるATP感受性カリウムチャンネルの存在が示唆された。

[1]Lins,L.et al.Biochem.Pharmacol.50:1879-1884.[2]Efendic,S.et al.Proc.Natl.Acad.Sci.USA 76:5901-5904,1979.[3]Grodsky,G.M.et al.Fed.Proc.36:2714-2719,1977.[4]Ostenson,C.-G.et al.Diabetologia 29:861-867,1986.
審査要旨

 糖尿病治療薬として現在広く使用されているスルフォニルウレア(SU)製剤は、食直後の血糖上昇は抑制せず、食間に不必要な血糖低下作用を引き起こすことがある。この研究は、即効性で短時間作用型のインスリン分泌作用薬KAD-1229の開発過程で行った研究をまとめたものである。

KAD-1229の化学構造

 (1)まず正常動物、ついで病態モデル動物を使ってこの化合物の効果を検討した。その結果、KAD-1229は従来報告されているどの血糖降下剤よりも迅速で短時間に作用することで、食後高血糖を効果的に抑制し、長期投与で合併症の発現も抑制することが分かった。

 (2)次に、作用機構を検討した。ハムスターの株化細胞のミクロゾーム分画を用いた結合実験から、KAD-1229はアイソトープ標識したSU剤グリベンクラミドの結合を競合的に抑制することが分かった。SU剤の作用部位はATP感受性カリウムチャンネルの修飾分子(SUR)と考えられているので、この物質はSUとは構造が異なるものの標的部位は同じであることが判明した。

 (3)そこで、KAD-1229のインスリン分泌に及ぼす効果を、ラット膵かん流標本を用いて検討した。その結果、KAD-1229は低濃度のブドウ糖存在下には第一相性、高濃度ブドウ糖存在下では第二相性のインスリン分泌を増強することが分かった。このパターンはSU剤とは異なるものであった。

 これらの知見にもとずき、ブドウトウの誘発する二相性のインスリン分泌におけるATP感受性カリウムチャンネルの役割について、新しい考察を加えることが出来た。これは、糖尿病治療薬の開発に重要な情報を与えるもので、博士(薬学)の学位に相当する研究と判断した。

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