1992年に出版された、"Bulletin de la cathedrale de Strasbourg"20号(*1)(以下、1992年の報告書と表記)において、はじめて、15世紀のストラスブール大聖堂の建築工匠であったハンス・ハンマーHans Hammerの直筆図面集が紹介された。この図面集については、それまで、その存在があまり知られておらず、また、1992年の報告集においてもほとんど建築史的な分析がなされていない。したがって、論文題目が示すように、論者は、本論文において、この図面集の建築史的紹介ならびに分析を行なう。 そもそも中世ゴシック建築を論ずる際には、各地の大聖堂を初めとする、現在まで残っている建築物が、第一次資料として考えられる。その他に当時の建築図面、会計記録や雇用契約書なども第一次資料として挙げることができる。そして現在、こうした種類の第一次資料を用いて中世ゴシック建築に関する研究が進められている。 もし当時の建築工匠が描き残した第一次資料が存在しているならば、建築自体に対する理解はもちろんのこと、建築物を取り巻く当時の状況についての理解も深めてゆくことができるはずである。しかしながら、大変残念なことに、まとまった形で、こうした建築工匠の描いた図面集が今日まで残っているという例は数少ない。 これまでに建築史的な研究が進んでいる図面集の例を具体的に挙げると、13世紀のヴィラール・ド・オヌクールの画帖(*2)、15世紀のマテス・ロリツァーの小冊子(*3)、16世紀のローレンツ・レヒラーの図面集(*4)といったものである。ここで、特にヴィラール・ド・オヌクールの画帖についての学説史を例に挙げれば、19世紀中葉に、キシュラ(J.QUICHERAT)によってはじめて世に紹介されて以来、膨大な数の研究がなされ、1982年には、これまでの諸研究について、網羅的に批評を加えた文献目録書(*5)が出版され、また、近年においても、1991年、非常に興味深い研究書(*6)が出版されてているほどである。 こうした状況を考えると、本論文で扱うハンス・ハンマーの図面集が、中世ゴシック建築研究において、大変貴重であり、かつきわめて重要な役割を担っていることが理解できる。したがって、いま挙げた三冊の図面集に関する諸研究をふまえて、そして、一見してハンス・ハンマーの図面集から、これらの図面集と多くの共通点を見出だせることから、総合的な比較研究を進めて行かなくてはならないことは言うまでもない。しかしながら、現段階において、ハンス・ハンマーの図面集に関する先行研究がまとまった形でない以上、本論文において、まず、建築工匠ハンス・ハンマー、そして彼の図面集の紹介、そして図面集を代表する図版についての建築史的な考察が、優先されるべきことをここで述べておく。 ハンス・ハンマーの図面集 この図面集は現在、ドイツのヴォルフェンビュッテルにあるアウグスト公図書館(*7)に所蔵されている。貴重本目録(*8)によれば、1657年に、当時この領内のアンケルJ.G.ANCKELというひとが、この図面集をアウグスト公に売却したという。そしてこの売却以来、図面集は、ここにあったと考えられる。 ハンス・ハンマーの図面集は、29葉(29cm×21cm)の羊皮紙からなり、1393年という年号の入った、ストラスブールの羊皮紙に包まれている。図面集には、3〜4、8〜34という丁づけがなされていて、このことからわかるように欠落部分があるようである。1657年のアウグスト公への売却の時点で、すでにこの番号付けがなされていたこと、第5葉、第6葉の欠落部分があったことが、先の貴重本目録から理解できる。 さらに、図面集を包んでいる羊皮紙をあけると、四つ折りの一枚の白い紙が入っており、署名はないけれども、16、17世紀の手になるこの図面集の概略紹介をここに読むことができる。 図面集の具体的内容は、当時の建設工事方法に関する文書による記述と、建設現場に関係する諸々道具類のスケッチ、ならびに細部から教会堂内陣平面図に至る様々な建築的な図面である。これらの建築的なスケッチや図面の数は、150以上に及ぶが、その配列について、何ら秩序性も、順序性も見出だすことはできない。 図面集の建築史的研究 論者は、まず図面集の全体像を把握し、図面集を代表する図を抽出するために、主題別再構成表を作成した。これを以下に示す。 ハンス・ハンマー直筆図面集主題別再構成表 平行して、ハンス・ハンマーの、ストラスブール大聖堂をはじめとするこの地方の建築工匠としての足跡を示す第一次資料、もしくはそれに準ずるものと、この図面集から読み取れることを重ねあわせるという作業を行なう。 そして論者は、これらの作業の結果、抽出されたこの図面集を代表する「起重機関係のスケッチ」、「教会堂内陣平面図」、「ヴォールト天井伏せ図」、「階段平面図」に対しての考察を行なう。 この図面集のなかに描かれた150以上にも及ぶ図をひとつひとつ分析し考察を加えるという、いわば図面集の微視的な理解は、中世建築を理解してゆく上で、もちろん必要かつ重要である。しかしながら、この図面集をみてわかるように、これらの図がほぼ何の脈絡なしに、配置されているという事実から、この150を越え、テーマも様々な分野にわたっている図を、主題別に再構成し、そこからこの図面集を代表するテーマを抽出し、それについて分析し考察を加えるという作業は、図面集の巨視的な把握という意味から、どうしても避けることのできない研究の第一歩と考えられる。 そして、こうした作業を経てこそ、ひとつひとつの図に関しての分析の方向性、動機づけが実感され得るものと考えられる。 註 (*1)La societe des Amis de la Cathedrale de Strasbourg,"Bulletin de la cathedrale de Strasbourg"XX,Strasbourg,1992. (*2)"Carnet de Villard de Honnecourt". (*3)"Fialenbuchlein von Matthaus Roriczer". (*4)"Musterbucher von Lorenz Lacher". (*5)BARNES,Carl F.JR.,"Villard de Honnecourt.The Artiste and His Drawings.a critical bibliography",Boston,1982. (*6)BECHMANN,Roland,"Villard de Honnecourt. La pensee technique au XIIIe siecle et sa communication",Paris,1991. (*7)Wolfenbuttel,Herzog August Bibliothek. n°114.1,Extravagantes. (*8)BUTZMANN,H.,"Die mittelaterlichen Handschriften der Gruppen Extravagantes novi und novissimi",Frankfurt,1972. |