学位論文要旨



No 213428
著者(漢字) 中西,幸二
著者(英字)
著者(カナ) ナカニシ,コウジ
標題(和) インスリン依存型糖尿病における残存細胞機能の多様性とその遺伝的背景および臨床的意義についての研究
標題(洋)
報告番号 213428
報告番号 乙13428
学位授与日 1997.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13428号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 講師 橋本,佳明
内容要旨

 インスリン依存型糖尿病(insulin-dependent diabetes mellitus:IDDM)は自己免疫機序による膵細胞の破壊により起こるとされているが、その細胞破壊の程度には多様性が存在する。しかし、どういう因子がIDDMにおける細胞障害の多様性に影響を及ぼしているのかは不明である。IDDMの疾患感受性を規定している因子の一つとして主要組織適合性抗原があり、human leukocyte antigen(HLA)class II抗原が疾患感受性に寄与することが明らかになっている。またHLA class I抗原の関与も示唆されており、IDDMでは膵ランゲルハンス氏島にHLA class I抗原の過剰発現がみられる。本研究ではIDDMにおける細胞障害の程度とHLA class Iおよびclass II抗原との関係について検討を行った。また、IDDMにおける微小な残存細胞機能がもつ臨床的意義を明らかにするため、残存細胞機能の程度と長期にわたる血糖コントロール、および糖尿病性網膜症の出現、進展との関係につき検討した。

 継続して外来に通院中のIDDM患者128名[男72名、女56名、発症年齢:32.5±14.5歳(mean±SD)、罹病期間:14.4±8.4年]を対象とした。まず、IDDMにおける微小な残存細胞機能を反映し得る高感度なC-peptideのアッセイ系を確立し、残存細胞機能の評価は100g経口ブドウ糖負荷に対する血清C-peptide immunoreactivity(CPR)の反応(CPR)で行った。HLA-A,-B,-C,-DR抗原のタイピングはmicrocytotoxicity testにて行い、HLA-DQA1,-DQB1抗原のタイピングはpolymerase chain reaction-restriction fragment length polymorphism(PCR-RFLP)法にて行った。さらに、一次元等電点電気泳動法でHLA class I抗原のサブタイプのタイピングを行った。経過中のHbAlc値の平均値と空腹時血糖値の平均値を長期の血糖コントロールの指標とした。糖尿病性網膜症については、毛細血管瘤、点状出血、硬性白斑のいずれかが出現すれば単純性網膜症の発症とした。綿花状白斑、あるいは網膜内最小血管異常(intraretinal microvascular abnormality)をみとめ、光凝固が開始された時点を前増殖性網膜症の発症とした。その後光凝固にもかかわらず新生血管が出現した場合、その時を増殖性網膜症の発症とした。

 我々のCPR radioimmunoassayの最小検出濃度は0.017nmol/lでIDDM患者の空腹時血清CPR値は2例を除く全例で測定可能であった。128名のIDDM患者におけるCPRは0.12±0.15nmol/l(範囲:0-0.60nmol/l)であった。CPRと糖尿病罹病期間には相関はみとめられなかった(r=-0.052,p=0.56)。CPRが0.033nmol/l未満の者を残存細胞機能が廃絶した群(CPR nonresponders,group1,n=50)とし、CPRが0.033nmol/l以上の者を残存細胞機能を有する群(CPR responders,n=78)とし、さらに後者をCPRが0.033nmol/l以上0.1nmol/l未満の群(group2,n=38)とCPRが0.1nmol/l以上の群(group3,n=40)に分けて解析をおこなった。

 group1-3において頻度に最も著明な差を示したHLA抗原はHLA class II抗原ではなくHLA-A24であった。group1は89.6%(43/48)の患者がHLA-A24を有していたが、group2では50.0%(19/38)、group3では43.6%(17/39)しかHLA-A24を有しておらず(p<0.0001)、group2、group3のHLA-A24の頻度は正常対照(55.6%)と差がなかった。また逆に、HLA-A24をもつ患者のCPRは0.09±0.17nmol/lで、HLA-A24をもたない患者のCPR(0.19±0.18nmol/l)に比し低値を示した(p<5.0x10-5,Fig.1)。この関係は、HLA-DQ抗原を揃えて比較してもみとめられた(Fig.1)。

Figure 1.Presence or absence of HLA-A24 and serum CPR response after a 100-g oral glucose load in all IDDM patients studied and those with HLA-DQA1*0301,HLA-DQB1*0401,and HLA-DQB1*0303.The distribution of the serum CPR response in patients with HLA-A24 differed significantly from that in those without HLA-A24 in each comparison.(-),mean values.

 HLA-A24をもつ18例のIDDM患者[6例はCPR nonresponders(group1)、12例はCPR responders(group2あるいはgroup3)]と7例の正常対照を無作為に選び、一次元等電点電気泳動によりタイピングすると、HLA-A24蛋白の等電点(pI)はCPR nonresponders6例全例、CPR responders12例中11例、正常対照7例全例で等しくpI6.32でこれはA24.1に相当した。残り1例はpI6.18でこれはA24.2に相当した。

 平均のHbAlcの値はgroup1,2,3の順で10.6±2.1%、9.8±2.0%、8.7±2.1%と高かった(p<0.0001)。平均空腹時血糖値もまたgroup1,2,3の順で10.6±2.1mmol/l、9.8±2.0mmol/l、8.7±2.1mmol/lと高かった(p=0.0008)。3群間には性差、発症年令、発症年次、糖尿病罹病期間(観察期間)、body mass index、インスリン投与量、蛋白尿出現前の高血圧の頻度には差がなかった。

 単純性網膜症の累積発症率は、CPRが低いgroupほど高く、発症率はgroup1では6.5/100patient-years、group2では4.7/100patient-years、group3では3.5/100patient-yearsであった(p=0.032)。group2とgroup3をCPR respondersとしてCPR nonresponders(group1)と比較すると両者の単純性網膜症の累積発症率の違いは更に大きくなった(p=0.014)。前増殖性網膜症の累積発症率は、3群間で異なる傾向にあり(p=0.064)、発症率はgroup1では2.8/100patient-years、group2、group3では2.0/100patient-yearsであった。CPR responders(group2とgroup3)とCPR nonresponders(group1)とを比較すると後者において前増殖性網膜症の累積発症率が高かった(p=0.028)。増殖性網膜症は3群間では累積発症率に差はなかったが、CPR responders(group2とgroup3)とCPR nonresponders(group1)を比べると後者の累積発症率のほうが高い傾向があった(p=0.083)。

 Coxの比例ハザードモデルに、生存時間変数として糖尿病発症から単純性網膜症発症まで、あるいは最終の眼底検査までの期間を、共変数として性差、糖尿病発症年齢、body mass index、高血圧の有無、血清のCPR反応(CPR)、平均のHbAlcの値、抗ランゲルハンス氏島抗体の有無、HLA-A24の有無を入れそれぞれの変数の独立した糖尿病性網膜症発症への寄与を検討した。このモデルにおいては網膜症発症に対する独立した危険因子は平均のHbAlcの値[Relative hazard,1.91 per 1%change;95%confidence interval(CI),1.19-3.09;p=0.008]、血清のCPR反応(CPR)(Relative hazard,0.54 per0.1nmol/l change;95%CI,0.32-0.92 ;p=0.023)と糖尿病発症年齢(Relative hazard,0.96 per year;95%CI,0.93-0.98;p=0.002)であった。HLA-A24は独立した危険因子としては寄与していなかった。

 IDDMの残存細胞機能の評価により、IDDMの細胞残存の程度には多様性があり約40%の例では細胞機能が完全に廃絶してしまうのに対して、約60%の例では僅かながらも細胞機能が残存することが明らかになった。これらの患者の免疫遺伝学的な背景をHLA抗原のタイピングにより検討したところCPR nonrespondersではほぼ90%の人がHLA-A24を有していたのに対し、CPR respondersではHLA-A24の頻度は正常対照と差はなかった。IDDMと正常対照で有意差のあるHLA class II抗原はIDDMの疾患感受性、すなわち発症そのものに寄与していると考えられている。HLA-A24はIDDMにおける細胞の廃絶と残存を分けるHLA抗原であった。故に、HLA-A24はIDDM感受性のHLA抗原(HLA class II)をもつIDDM患者において更に相加的に細胞破壊を促進させる因子であると考えられた。HLA-A24抗原蛋白の一次元等電点電気泳動による検討では正常対照、CPR responders、CPR nonrespondersともHLA-A24抗原蛋白の等電点は等しかった。これは特殊なサブタイプではなく通常のHLA-A24抗原が細胞の廃絶に関与することを示している。

 次に、臨床的にはこのような微小な残存細胞機能の存在は長期にわたる血糖コントロールの良化をもたらし、糖尿病性網膜症の発症および進展を遅らせることが明らかになった。Coxの比例ハザードモデルでは、平均のHbAlc値と血清CPR反応が網膜症の発症の独立した危険因子であった。これはたとえHbAlc値が平均として同じであっても、血清CPR反応が血糖の安定性、言い換えれば高血糖にさらされる割合に影響を与えるためかもしれない。HLA-A24は網膜症の発症については細胞の廃絶、長期の血糖コントロールを通じての間接的に関与する因子になるものと思われた。

審査要旨

 本研究はインスリン依存型糖尿病(IDDM)における膵細胞障害の多様性に影響を及ぼす遺伝因子とその臨床的意義を明らかにするため、IDDM患者における残存細胞機能とHLA class Iおよびclass II抗原との関係につき解析し、さらに残存細胞機能の程度と長期にわたる血糖コントロールおよび糖尿病性網膜症の発症、進展との関係につき検討したもので、下記の結果を得ている。

 1.IDDMの微小な残存細胞機能を評価するため最小検出濃度0.017nmol/lの高感度なC-peptide immunoreactivity(CPR)のradioimmunoassay(RIA)を開発した。このRIAでは血清CPRの反応(CPR)が0.033nmol/l以上が有意な血清CPRの上昇とみなせ、対象のIDDM患者128例のうち、50例はCPRが0.033nmol/l未満で残存細胞機能を有しておらず、78例はCPRが0.033nmol/l以上で僅かながらも残存細胞機能を有していると考えられた。両者の間には糖尿病の罹病期間には差がなく、IDDMには膵細胞障害の程度には多様性があることが示された。

 2.対象者のHLA-A,-B,-C,-DR,-DQ抗原をタイピングしたところ、HLA-A24がIDDMの細胞機能廃絶と最も強い相関を示した。すなわち、IDDMを残存細胞機能の程度によって、group1(CPR<0.033nmol/l,n=50)、group2(0.033nmol/lCPR<0.1nmol/l,n=38)、group3(CPR0.1nmol/l,n=40)に分けると、group1では89.6%がHLA-A24を有していたが、group2では50.0%、group3では43.6%しかHLA-A24を有していなかった。この関係はHLA-DQ抗原を揃えた対象で比較しても同様であった。また逆にHLA-A24を有する患者のCPRはHLA-A24を有しない患者のCPRに比し低値であった。IDDMにおいてはHLA-A24がHLA class II抗原とは独立して、強度な膵細胞障害をもたらすことが示された。

 3.強度な膵細胞障害をもたらすHLA-A24が特殊なサブタイプかどうかをみるためさらにHLA-A24を一次元等電点電気泳動にてタイピングした。HLA-A24を有する、細胞機能が廃絶したIDDM患者6例全例、細胞機能が残存しているIDDM患者12例中11例、正常対象7例全例で、HLA-A24蛋白の等電点(pI)は等しくpI6.32(A24.1)で、強度な膵細胞障害をもたらすHLA-A24は特殊なサブタイプではなく通常のHLA-A24抗原であった。

 4.残存細胞機能の程度が長期の血糖コントロールに及ぼす影響をみると、group3、2、1の順でHbAlcの平均値は低く、微小な残存細胞機能の存在は長期にわたる血糖コントロールの良化に寄与することが示された。

 5.さらに、残存細胞機能の程度が糖尿病性網膜症の発症、進展に与える影響をみると、単純性網膜症はCPRが低いgroup順にその発症率が高かった。前増殖性網膜症への進展は細胞機能が廃絶したIDDM患者のほうが細胞機能が残存しているIDDM患者より早く、増殖性網膜症への進展についても同様の傾向がみられた。Coxの比例ハザードモデルを用いた検討では血清CPR反応、平均のHbAlcが網膜症発症の独立した危険因子であった。微小な残存細胞機能の存在が長期の血糖コントロールの良化を通じて網膜症の発症を遅らせることが示された。

 以上、本論文は、インスリン依存型糖尿病の細胞障害には多様性が存在すること、細胞の完全な廃絶にはHLA-A24が強く相関すること、細胞の完全な廃絶は長期にわたる血糖コントロールの悪化をまねき早期の糖尿病性網膜症の出現、進展をもたらすことを明らかにした。特定のHLA class I抗原がインスリン依存型糖尿病の細胞障害に関与することはこれまで知られておらず、インスリン依存型糖尿病の成因解明に重要な貢献をなすと考えられる。またインスリン依存型糖尿病の微小な残存細胞機能がもつ臨床的意義を明らかにしたことは糖尿病臨床の進歩に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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