学位論文要旨



No 213433
著者(漢字) 金内,一
著者(英字)
著者(カナ) カナウチ,ハジメ
標題(和) 外科的侵襲後の体内ナトリウム貯留 : 呼吸性アルカローシスにおける心房性ナトリウム利尿ペプチドとアルドステロンの役割
標題(洋)
報告番号 213433
報告番号 乙13433
学位授与日 1997.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13433号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 河邊,香月
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 斉藤,英昭
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨

 「背景と目的」

 手術や重症感染症などの外科的侵襲は,しばしばrespiratory alkalosisをともなう.また,外科的侵襲後には強力なナトリウム(Na)利尿作用をもつatrial natriuretic peptide(ANP)の血中濃度が上昇する.Mimuraらはラットを用いた実験で,hypocapniaではANPを外因性に投与し血中ANP濃度を上昇させてもANPのNa利尿作用は低下すること,また,この作用がANPの拮抗因子であるrenal nervesの有無に依らないことを報告している.一方,外科的侵襲により生体はNaを体内に貯留させ,Mooreの提唱する侵襲後のearly phaseに一致した乏尿期を迎える.これらのことから,外科的侵襲でその分泌活性を増すANPは,respiratory alkalosisのためにその腎作用が低下し,その結果,外科的侵襲後に体内Na貯留をひきおこす可能性がある.

 ANPのNa利尿作用を抑制する因子にはrenal nerves系とrenin-aldosterone systemとがあり,これらは体内のNaバランスの調節に寄与している.外科的侵襲はrenal nervesの活性を高めるとともにrenin-aldosterone systemを賦活するので,次の仮説を検証した:「外科的侵襲後などのrespiratory alkalosisではaldosterone分泌が亢進し,これによりANPのNa利尿作用が低下するために体内Na貯留がおきる」.

 本研究では,内因性aldosteroneを欠如させた副腎全摘ラットをhypocapniaの状態とし,外因性にANPを投与してNa利尿がおきるかどうかを調べた.

 「方法」

 Wistar系雄性ラットを,ADX施行ラット(ADXラット)とSham手術施行ラット(Shamラット)の2群に分けた.手術後3日目に各群のラットに気管内挿管をして小動物用人工呼吸器に接続し,動脈血二酸化炭酸分圧を調節することによりhypocapniaとnormocapniaの状態とを作成した.定常状態に達してから20分間のコントロールの腎クリアランス・テストをおこなったのち,ANP(humanatrial natriuretic peptide,Sigma chemical,St.Louis,MO)を6g/kg/hで点滴静注しながら20分間の腎クリアランス・テストをおこない,更に2回目のテスト終了後,ANPを12g/kg/hで点滴静注し,同様にして3回目の腎クリアランス・テストをおこない,尿量(V),尿中Na排泄量(UNaV)および尿中Na排泄分画(FENa)を測定した.また,ANPのかわりにsalineを投与した群をタイム・コントロールとした(Table1).血漿aldosterone濃度はradioimmunoassayにてアルドステロン・リアキットII(ダイナボット,松戸)を用いて測定した.

Table1.Animal groups

 「結果」

(1)血漿aldosterone濃度

 Shamラットにおいて,コントロール期の血漿aldosterone濃度はnormocapnia群に比べhypocapnia群で有意に上昇した(Normocapnia群:13.9±2.4ng/dl;Hypocapnia群:23.0±2.5ng/dl).

 一方,ADXラットにおいて,コントロール期の血漿aldosterone濃度は,normocapnia群とhypocapnia群とで有意差がなかった(Normocapnia群:0.9±0.2ng/dl;Hypocapnia群:2.6±0.6ng/dl).

(2)V,UNaVおよびFENa(Fig.1,2)

 ANPを投与したときのV,UNaVおよびFENaのコントロール値からの増加分をそれぞれV,UNaVおよびFENaとした.ANP投与中のV,UNaVおよびFENaはShamラットにおいて,normocapnia群ではANP投与により増加したが,hypocapnia群ではタイム・コントロールと有意差がなかった(Normocapnia群:V:54.4±8.6l/min;UNaV:11.77±1.74Eq/min;FENa:3.95±0.64%)(Hypocapnic+ANP群:V:-16.7±6.6l/min;UNaV:0.12±1.19Eq/min;FENa1.02±0.40%)(T-C群:V:-23.8±8.6l/min;UNaV:-0.76±1.34Eq/min;FENa:0.93±0.62%).

Fig.1:Changes in fractional excresion of sodium(FENa)produced by infusion of atrial natriuretic peptide at 12g/kg/h in sham-operated rats.Data are means±SE;numbers in parentheses are the numbers of animals used;T-C,time-control rats infused with saline;ANP,rats infused with atrial natriuretic peptide;P<0.001,unpaired t test.Fig.2:Changes in fractional excresion of sodium(FENa)produced by infusion of atrial natriuretic peptide at 12g/kg/h in adrenalectomized rats.Data are means±SE;numbers in parentheses are the numbers of animals used;T-C,time-control rats infused with saline;ANP,rats infused with atrial natriuretic peptide;P<0.003,unpaired t test.

 一方,ADXラットにおいては,ANP投与によりhypocapnia群でV,UNaVおよびFENaが増加し,この増加量はnormocapnia群と同程度であった(Hypocapnia+ANP群:△V:27.2±10.5l/min;△UNaV:8.84±1.75Eq/min;△FENa:5.59±1.35%)(Normocapnia群:△V:31.9±14.0l/min;△UNaV:7.92±3.03Eq/min;△FENa:3.32±1.07%).

 「考察」

 外科的侵襲後早期にNaが貯留する時期があるが,この時期は血中ANP濃度が上昇する時期でもある.外科的侵襲により全身の交感神経活性およびrenin-aldosterone systemは賦活化し,Naを保持するように働く.すなわち,交感神経は-および-adrenergic receptorを介して腎近位尿細管および皮質部集合管に作用し,Naの再吸収を増加させる.また,外科的侵襲により-adrenergic receptorを介して賢輸入細動脈のjuxtaglomerular細胞は刺激され,renin分泌が起きる.ReninはangiotensinIIを介して副腎皮質を刺激してaldosteroneを分泌させる.そして,aldosteroneは腎遠位尿細管および皮質部集合管のNa+チャンネルに作用してNaの再吸収を増加させる.これらの体内Na貯留により心房圧は上昇し,結果的に心房は伸展する.心房筋の伸展によりANP分泌は刺激され,血中ANP濃度は上昇する.

 一方,外傷,感染症および手術などの外科的侵襲後にはしばしばrespiratory alkalosisを認める.これはhypoxiaによる一次的なものであったり,metabolic acidosisを代償する二次的なものであったりし,このときhyperventilationによりhypocapniaとなる.

 本研究では,hypocapniaで血漿aldosterone濃度が上昇し,ANPのNa利尿作用は低下した.一方,ADXにより内因性aldosteroneを欠如させると,hypocapniaにより抑制されたANPのNa利尿作用は回復した.したがって,著者は副腎ホルモンのうち,hypocapniaでANPのNa利尿作用を抑制するのはaldosteroneと考える.

 外科的侵襲後にANP分泌が亢進しているにもかかわらず体内Na貯留がおこる原因が,外科的侵襲によるaldosterone分泌の亢進であるとするならば,aldosterone分泌の抑制もしくはaldosteroneの腎作用を阻害することが体内Na貯留の予防および治療となる可能性がある.

 「まとめ」

 (1)Hypocapnia下では血漿aldosterone濃度が上昇し,ANPのNa利尿作用が低下した.

 (2)Hypocapniaで低下したANPのナトリウム利尿作用はADXにより回復した.

 (3)このことから,外科的侵襲後などにおきるrespiratory alkaldosisではaldosterone分泌が亢進し,ANPのNa利尿作用が低下し,その結果として体内Na貯留がおきる可能性がある.

審査要旨

 外科的侵襲により生体はナトリウムを体内に貯留させる.そして,外科的侵襲後にはナトリウム利尿作用をもつatrial natriuretic peptide(ANP)の血中濃度が上昇する.また,外科的侵襲は,しばしばrespiratory alkalosisをともない,hypocapniaとなる.ANPのナトリウム利尿作用を抑制する因子にはrenin-aldosterone systemがあり,外科的侵襲はrenin-aldosterone systemを賦活するので,外科的侵襲後のhypocapniaではaldosterone分泌が亢進し,これによりANPのナトリウム利尿作用が低下するために体内ナトリウム貯留がおきる可能性がある.本研究では,内因性aldosteroneを欠如させた副腎全摘ラットおよびsham手術をおこなったShamラットをhypocapniaもしくはnormocapniaの状態とし,外因性にANPを投与してナトリウム利尿がおきるかどうかを検討し,下記の結果を得た.

 1.ANP投与前の血漿aldosterone濃度は,Shamラットではnormocapnia群に比べhypocapnia群で有意に上昇した.つまり,hypocapniaではaldosterone分泌が亢進した.

 2.ShamラットではhypocapniaでANPのナトリウム利尿作用が低下した.一方,副腎全摘ラットではANP投与によりhypocapniaでnormocapnia群と同程度のナトリウム利尿がおこった.つまり,副腎を摘除すると,hypocapniaにより低下したANPのナトリウム利尿作用が回復した.これらから,外科的侵襲後などにおきるrespiratory alkalosisではaldosterone分泌が亢進し,ANPのナトリウム利尿作用が低下し,その結果として体内ナトリウム貯留がおきる可能性がある.外科的侵襲後早期にナトリウムが体内に貯留する時期があるが,この時期は血中ANP濃度が上昇する時期でもある.外科的侵襲によりrenin-aldosterone systemは賦活化し,ナトリウムを保持するように働く.すなわち,外科的侵襲により副腎皮質からaldosteroneが分泌し,腎遠位尿細管および皮質部集合管のナトリウム・チャンネルに作用してナトリウム再吸収がおこる.体内ナトリウム貯留により心房圧は上昇し,心房筋の伸展によりANP分泌が刺激され,血中ANP濃度は上昇する.また,外傷,感染症および手術などの外科的侵襲後にはしばしばrespiratory alkalosisを認め,このときhyperventilationによりhypocapniaとなる.本研究では,副腎があるとhypocapniaで血漿aldosterone濃度が上昇し,ANPのナトリウム利尿作用は低下した.一方,副腎全摘により内因性aldosteroneを欠如させると,hypocapniaにより抑制されたANPのナトリウム利尿作用は回復した.したがって,著者はhypocapniaでANPのNa利尿作用を抑制するのはaldosteroneと考える.

 外科的侵襲後にANP分泌が亢進しているにもかかわらず体内ナトリウム貯留がおこる原因が,外科的侵襲によるaldosterone分泌の亢進であるとするならば,aldosterone分泌の抑制もしくはaldosteroneの腎作用を阻害することが体内ナトリウム貯留の予防および治療となる可能性がある.外科的侵襲後にANP分泌が亢進しているにもかかわらず体内Na貯留がおこる原因が,外科的侵襲によるaldosterone分泌の亢進であるとするならば,術後のaldosteroneによる腎でのナトリウム再吸収作用を阻害することにより術後の体内ナトリウム貯留を防げる可能性がある.本論文は,術後あるいは重症感染症後などの外科的侵襲後の体内ナトリウム貯留による肺浮腫およびうつ血性心不全などの病態の解明と予防および治療に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク