学位論文要旨



No 213434
著者(漢字) 山田,一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ハジメ
標題(和) エンドトキシン投与ラットにおける新しいエネルギー基質-セバシン酸-の代謝と栄養学的意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 213434
報告番号 乙13434
学位授与日 1997.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13434号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 齋藤,英昭
 東京大学 助教授 山川,満
内容要旨 【緒言】

 重症感染症時における外因性脂肪の代謝については未だ一定の見解が得られておらず,脂肪乳剤の生体内投与が,肺拡散能低下・シャント率増加・酸素化能低下といった肺への悪影響や,細網内皮系の抑制を起こすという報告がなされ,乳剤としての脂肪投与について疑問視する意見もある.したがって,重症感染症時のエネルギー基質として脂質基質の検討は,いまだ検討の余地があると考え,今回ジカルボン酸の一つであるセバシン酸に着目した.

 セバシン酸は,炭素鎖数8のメチル基の直鎖から成り,両端にカルボキシル基がついたもので,化学式はC10H18O4となるが,これは動物およびヒトにおいてミトコンドリアおよびペルオキシソームにおいて酸化を受ける.セバシン酸の経静脈的投与にあたっては,従来の脂質基質と異なり,トリグリセライドの乳剤の形ではなく2価の金属塩として投与することが可能であり比較的簡便に調整が可能である.以上の特徴を有するセバシン酸は,重症感染症や臓器不全を呈している状態でも,安全,かつ有効なエネルギー基質として期待できる.

 今回,著者は,重症感染症時のセバシン酸の生体内分布・酸化速度,薬物動態,そしてセバシン酸投与の栄養学的効果を検討した.

【対象と方法】実験1

 体重200g〜250gのWistar雄性ラットに,右外頚静脈よりシリコンカテーテルを挿入した.腹腔内に,8mg/kgのlipopolysaccharide(以下LPS)(W.E.Coli055:B5BACTOR)を投与した群(LPS群)と生理的食塩水を投与した群(Control群)の2群に分け,直ちに中心静脈栄養を開始した.静脈栄養の組成は,セバシン酸が非蛋白熱量の10%となるように調整した.投与エネルギー量,および投与水分量は,それぞれ,175kcal/kg/day,250ml/kg/dayとした.静脈栄養開始24時間後にカテーテルより,[1,10-14C]セバシン酸Na50Ci/kgをbolusに投与し,以下の項目について測定し,2群間で比較検討した.

1.14Cの組織分布

 [1,10-14C]セバシン酸を投与後,20分,1時間の時点で各群4頭ずつ,断頭・採血し血漿を分離した.同時に下大静脈,および門脈より冷生理的食塩水で灌流した後,脳,肺,肝臓,腎臓,膵臓,精巣,小腸,筋肉(左大腿部),皮膚(臀部)を採取し,これらの全湿重量を秤量した.採取した組織の200mgを精秤し,サンプルオキシダイザーによる燃焼法で処理したものに,18mlのシンチレータを加え,液体シンチレーションアナライザーで放射能を測定し,各臓器の単位重量当たりの14Cの濃度に換算した.そして,各臓器の重量を乗じた後,臓器への14C分布率を計算した.

2.14Cの呼気中排泄率,および14Cの尿中排泄率

 LPS群,およびControl群のラット各6頭を,[1,10-14C]セバシン酸を投与後,ゲージで拘束し,このゲージごとアクリル製の容器にいれた.CO2トラップを通して,5l/minの速さで空気を吸引し,14C投与後3時間まで呼気を回収した.[1,10-14C]セバシン酸を投与後,10分,20分,30分,40分,50分,1時間,2時間,3時間時にモノエタノールアミンの入ったCO2トラップを交換し,交換したモノエタノールアミンの全量を秤量した後,そのうち1gを秤量し,トルエン系シンチレーター15mlを加え液体シンチレーションアナライザーで放射能を測定し,投与した14Cの放射能に対する割合を算出した.さらに,3時間までの自然排泄尿を全量採取・秤量し,そのうちの500mgを精秤し,18mlのシンチレーターを加え,液体シンチレーションアナライザーで放射能を測定し,投与した14Cの放射能に対する割合を算出し尿中排泄率とした.

実験2

 Wistar系雄性ラット8頭に,18時間絶食(水は自由摂取)の後,頸静脈へカテーテルカニュレーションを行い,250g/kgのLPSをTPNカテーテルよりbolusに投与した群(LPS群)と生理的食塩水をカテーテルから投与した群(Control群)の2群に分け,セバシン酸が非蛋白熱量の10%となるように調整した組成の静脈栄養を行った(各群4頭)TPNは250ml/kg/dayで24時間投与し,静脈栄養を24時間投与した後,頸動脈へもカテーテルカニュレーションを行って,[1,10-14C]セバシン酸NaをTPNカテーテルより急速投与し,投与後5,15,30,60,120分時に頸動脈カテーテルから200l採血し,遠心分離により血漿を採取し,血漿50lに蒸留水を0.5mlと13mlのシンチレータ加え,液体シンチレーションアナライザーで14C放射能を測定し,血中の[1,10-14C]セバシン酸の血中薬物動態について検討した.

実験3

 体重約250gのWistar系ラット23頭を用い,12時間の絶食後エーテル麻酔下に,右外頚静脈よりシリコンカテーテルを挿入した.250g/kgのLPSをカテーテルより投与し,直ちに,250ml/kg/day(0.260kcal/kg/h;4.26kcal/N)の輸液を行った.輸液組成によってラットを2群に分けた.Standard群として,輸液組成が,ブドウ糖濃度6.25%,アミノ酸濃度3.75%としたもの用い,Seb群は,Standard群と同じ非蛋白熱量を有し,その50%をセバシン酸としたものとした.LPS投与後,12時間後,24時間後に大動脈より採血し,acetoacetate,3-ハイドロキシ酪酸(3-hydroxybutyrate:3OHB),遊離脂肪酸(FFA:free fatty acid)濃度を測定した.また,ケトン体分画から動脈血中ケトン体比(AKBR:acetoacetate/3-hydroxybutyrate)を算出した.

実験4

 体重約250gのWistar系雄性ラットに12時間の絶食後,エーテル麻酔下に,右外頚静脈よりシリコンカテーテルを挿入した.250g/kgのLPSをカテーテルより投与し,直ちに,250ml/kg/day,250kcal/kg/day,6.96gN/kg/dayの輸液を行った.輸液組成によってラットを3群に分けた.Standard群の輸液組成は,非蛋白エネルギーとしてグルコースのみを,Fat群は,非蛋白エネルギーの10%を脂肪乳剤として投与する形で調整し,Seb群は,セバシン酸が非蛋白熱量の10%となるように調整した.これらの3群について,24時間までの生存個数が5となるまで行い.それぞれの24時間生存率をKaplan-Meier法で計算した.

【結果】実験11.14Cの組織分布

 20分時における各臓器の14C分布率は,両群とも,肝臓,腎臓の順に高かった.各臓器の単位重量当たりの14C濃度は,両群間で差を認めなかった.60分時点において14Cの臓器分布は,20分時点と同様な傾向を示したが,各臓器における14C分布率は20分時点に比べて低下していた.

2.14Cの呼気中排泄率,および14Cの尿中排泄率

 3時間の14CO2累積呼気中排泄率は,LPS群,Control群において,それぞれ30.7±3.4%,34.9±2.8%であり,両群間に有意差は認めなかった.3時間の14C累積尿中排泄率は,LPS群,Control群において,両群間に有意差を認めなかった.

実験2

 [1,10-14C]セバシン酸投与後の血漿中14C濃度は,LPS投与群とControl群で同様に推移し,統計学的有意差を認めなかった.薬物動態パラメーターは2-コンパートメントモデルを用いて算出した.V1,およびCLについては両群で同等の値を示したが,V2はLPS投与群でControl群の約3倍となり有意に高値を示した(p<0.05).t1/2()は両群ともに約5分と速く消失していったが,t1/2()はControl群では約90分であるのに対し,LPS投与群においては約500分と有意に延長した(p<0.001).

実験3

 LPS投与後12時間の時点における総ケトン体濃度は,Seb群で183±40.7mol/l,Standard群で111.8±27.7mol/lであり,Seb群で有意に高値であった.FFA濃度は,両群間に差を認めなかった.AKBR値は,Seb群で0.41±0.08,Standard群で0.45±0.09であり,有意差を認めなかった.

 LPS投与後24時間の時点における,FFA濃度および総ケトン体濃度は,両群間に差を認めなかった.AKBR値は,Seb群で1.08±0.32,Standard群で0.70±0.20であり,Seb群で有意に高値であった(p<0.05).

実験4

 250g/kgの量のエンドトキシンをラットに投与し,3種類の静脈栄養を行いエンドトキシン投与後24時間時点での生存率を求めた.24時間生存率は,Standard群で63.6%(5/11),Fat群では,85.7%(5/7),Seb群では,100%(5/5)とSeb群,Fat群,Standard群の順に良好であり,Seb群とStandard群の間に有意差を認めた.

【考察】セバシン酸の酸化速度,および組織分布

 実験1の結果より,セバシン酸はエンドトキシン血症時においても,非侵襲時と同様に迅速に代謝されて蓄積性が少ないこと,主な代謝部位は肝臓であることが示され,重症感染症時におけるエネルギー基質として有用である可能性が示唆された.

セバシン酸の血中薬物動態

 実験2の結果より,セバシン酸の組織中への移行の程度の差は,LPS投与の影響を受けないと考えられた.t1/2()の延長とあわせてV2の変化は,侵襲による異化の亢進に伴う体蛋白の喪失とエネルギー需要亢進に有効に対応する目的で,消失の遅いタンパク質が多く生成しているためと考えられ,セバシン酸が有効な蛋白合成に寄与する可能性が示唆された.

動脈血中ケトン体比等からみたセバシン酸の栄養学的効果

 実験3の検討より,肝に取り込まれて代謝されたセバシン酸がTCAサイクルの回転の抑制を軽減させ,有効なエネルギー基質として用いられたと考えられた.

セバシン酸のエンドトキシン投与ラットの生存率に与える影響

 AKBR値は肝臓のミトコンドリア内のTCA回路の回転状況を反映するとされる.また,生体とってTCA回路の長時間にわたる阻害は,生命活動を脅かすものである.セバシン酸は,実験3により肝臓のTCA回路の阻害を抑制する可能性があることが示された.そこで,エンドトキシン投与ラットにおいて,セバシン酸の投与が生存率改善することを期待して,実験4を行った.その結果,生存率の改善が認められた.

【結語】

 1)セバシン酸の酸化された結果生じるCO2の呼気中への排泄は,エンドトキシン血症下においても抑制されなかった.

 2)セバシン酸の主な分布臓器は,肝臓と腎臓であった.

 3)セバシン酸の利用率は,エンドトキシン投与においてもControl群と同等であった.

 4)セバシン酸は,侵襲による異化の亢進に伴う体蛋白の喪失とエネルギー需要亢進に有効に対応する可能性が示唆された.

 5)エンドトキシン投与ラットにおいて,セバシン酸投与は動脈血中ケトン体比(AKBR)を,有意に上昇させた.

 6)エンドトキシン投与24時間時点での生存率は,Seb群,Fat群,Standard群の順に良好であり,Seb群とStandard群との間に有意差を認めた.

 以上の結果より,重症感染症時における肝のエネルギー基質として,セバシン酸は有用であることが示され,このことは実際の臨床においても意義深い結果と考えられた.

審査要旨

 本研究はセバシン酸が重症感染症時の栄養基質になりうるかどうかを明らかにするため,エンドトキシン投与ラットのモデルで[1,10-14C]セバシン酸を用いてその代謝状態を検討し,さらにその栄養学的効果を動脈血中ケトン体比および生存率で検討したものであり,下記の結果を得ている.

 1.[1,10-14C]セバシン酸を用いたセバシン酸の酸化速度,および組織分布の結果では,セバシン酸はエンドトキシン血症時においても,非侵襲時と同様に迅速に代謝されて蓄積性が少ないこと,主な代謝部位は肝臓であることが示され,重症感染症時におけるエネルギー基質として有用である可能性が示唆された.

 2.[1,10-14C]セバシン酸を用いたセバシン酸の血中薬物動態の結果では,セバシン酸の組織中への移行の程度の差は,エンドトキシン投与の影響を受けないと考えられた.分布相の半減期の延長とあわせて末梢compartmentの変化は,侵襲による異化の亢進に伴う体蛋白の喪失とエネルギー需要亢進に有効に対応する目的で,消失の遅いタンパク質が多く生成しているためと考えられ,セバシン酸が有効な蛋白合成に寄与する可能性が示唆された.

 3.エンドトキシン投与ラットにおける動脈血中ケトン体比(AKBR)等からみたセバシン酸の栄養学的効果の検討より,肝に取り込まれて代謝されたセバシン酸がTCAサイクルの回転の抑制を軽減させ,有効なエネルギー基質として用いられたと考えられた.

 4.AKBR値は肝臓のミトコンドリア内のTCA回路の回転状況を反映するとされる.また,生体とってTCA回路の長時間にわたる阻害は,生命活動を脅かすものである.セバシン酸は,結果3により肝臓のTCA回路の阻害を抑制する可能性があることが示された.そこで,エンドトキシン投与ラットにおいて,セバシン酸の投与が生存率改善することを期待して,静脈栄養の組成をセバシン酸を配合したもの,脂肪乳剤を配合したもの,グルコースのみのものの3群について生存率を検討した結果,セバシン酸配合の群の生存率が良好であった.

 以上,本論文はエンドトキシン投与ラットモデルにおいて,セバシン酸は肝のエネルギー基質として,有用であることが示され,また,セバシン酸の投与によってエンドトキシン投与ラットの生存率が改善することを明らかにした.本研究はこれまで未知に等しかった重症感染症時のセバシン酸の代謝状態とその栄養学的効果の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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