学位論文要旨



No 213435
著者(漢字) 馳澤,憲二
著者(英字)
著者(カナ) ハセザワ,ケンジ
標題(和) 癌細胞特有の転写に関与するマウス腫瘍抗原遺伝子のエンハンサー構造の研究
標題(洋)
報告番号 213435
報告番号 乙13435
学位授与日 1997.06.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13435号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉倉,廣
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 助教授 市村,恵一
 東京大学 助教授 平井,久丸
内容要旨

 マウスの実験癌細胞系の多くに、Qa-2特有のモノクローナル抗体で標識される細胞表面分子が発現していることは既に報告されている。Qa-2抗原はnon-classicalな組織適合class I抗原であり、幾つかのマウスの系で正常なリンパ球に発現していることが知られているが、上記のマウス実験癌細胞に発現する表面分子はQa-2抗原とは異なり、その重鎖は実は同一染色体上のQ5遺伝子の産物であった。このことは1992年に明らかになった。

 このマウスの第17番染色体上のQa/Tla領域に存在するnon-classicalな組織適合class I抗原遺伝子の一つであるQ5遺伝子が担癌マウスでの色々な免疫応答を引き起こし、Q5に特異的な感作をおこなうことで実験マウスに腫瘍免疫を獲得させることができる。通常実験系マウスはQ5抗原に寛容ではなく、Q5抗原の発現は腫瘍細胞特有のものであることも証明されている。またこの発現は転写レベルでの調節であることも明らかにされており、このQ5遺伝子の産物は腫瘍の担体である宿主の動物に腫瘍特異抗原として認識される。現在のところまでの実験ではこのQ5の転写は悪性腫瘍細胞の総てにみられ、正常細胞では観察されない。いま仮にQ5遺伝子が悪性腫瘍細胞でのみ発現するとするとQ5のエンハンサー・プロモーター領域を取り出し、この下流に細胞障害性の因子や強い抗原を発現する遺伝子を組み込み、それをウイルスベクター等を利用して生体に取り込ませることで生体内で悪性腫瘍細胞のみをコントロールすることが可能である。また免疫機構の類似からヒトでも相同の遺伝子の存在が予想され、これを利用して同様の遺伝子治療を行う可能性が開ける。

 この論文ではH-2kのみならずH-2bでも悪性腫瘍細胞特異的にQ5の転写がおこることを確認し、T抗原に温度感受性の変異を持つSV40を用いて形質転換したマウスの繊維芽細胞系を使用してQ5の発現と悪性転化との間に密接な関係のあること、つまり悪性腫瘍様の増殖を示す細胞でのみQ5の転写がおこることを証明した。更に悪性腫瘍細胞特異的な腫瘍抗原発現の分子レベルでの基礎を明らかにするためにQ5の5’端末に近接した約3.5kbpのDNAをクローン化し、核酸の塩基配列を決定した。この構造と更にこの部分の色々な遺伝子断片をルシフェラーゼを発現するベクターに組み込んだベクターのエンハンサー・プロモーター活性の考察により悪性腫瘍特異的なエンハンサーの活性はGGGGAGという6個の塩基配列に関係が深く、この配列を含む上記3.5kbp領域に依存していることが明らかになった。更にモビリティーシフトアッセイの結果によりこのGGGGAGの配列を含む-3,311から-3,286に相当するDNA断片に配列特異的に結合する核内物質が存在することが判明した。この物質が悪性腫瘍細胞のみに特異的に検出されることは先のDNA配列にこの核内物質が結合してQ5抗原遺伝子の悪性腫瘍特異的な転写を引き起こすことを示唆している。

 Q5転写物質の検出

1)H-2bマウスにおけるQ5遺伝子の転写

 H-2b腫瘍細胞としてはC57BL/6(B6)マウス由来のEL-4リンパ腫を使用した。EL-4細胞、B6胸腺細胞およびAKR胸腺細胞(H-2k,Qa-2-)のmRNAからcDNAの合成をおこなった。Q5とQ7に対応するプライマーを用いた実験の結果はQ5遺伝子とQ7遺伝子の転写産物はH-2bリンパ腫細胞にみられるが、Q5転写産物はH-2b正常胸腺細胞ではみられないことを示している。

2)悪性変化に伴ったQ5の転写

 まずC3H2Kマウス繊維芽細胞系とそのSV40での形質転換細胞であるW-2KでQ5抗原の細胞表面での発現の違いを比較した。C3H2KはC3H(H-2k,Qa-2-)マウス由来のものである。141-15.8やその他のQa-2特異的なmAbはQ5抗原と交差反応するのに対し、Qa-2特異的なmAb34-1.2は反応しない。そこでこのmAb141-15.8と34-1.2反応性の違いを利用して、これらのH-2k細胞のQ5抗原の発現をイムノフローレッセンス法を用いて検証した。C3H2K細胞はどちらのmAbでも染まらず、細胞表面にはQa-2抗原もQ5抗原も検出されない。これに対してW-2K細胞はmAb141-15.8では染まるがmAb34-1.2では染まらない。W-2K細胞は悪性腫瘍細胞様の増殖を示すがC3H2K細胞は接触阻止の正常細胞様の増殖を示す。これら結果はQ5抗原の発現が細胞の癌化と密接に関係していることを示唆している。次にこの結果を更に確実にするために、900-2K細胞でのQ5抗原の発現を調べた。この900-2K細胞系はts変異をT抗原上にもったSV40によるC3H2Kの変異細胞系で、低温(33℃)で培養すれば悪性腫瘍細胞様の異常増殖を示し、高温(39.5℃)で培養すれば正常細胞様の増殖を示す細胞系である。この細胞を33℃で培養すると細胞表面でQ5抗原が検出され、39.5℃で培養すると殆どみられない。この結果はQ5抗原発現がこのT抗原活性と正の相関のあることを顕している。発癌ウイルスのみでなく化学発癌物質を含む色々な手段で癌化した腫瘍細胞が総て共通してQ5抗原を発現していることからも、Q5の発現はT抗原により直接ひきおこされるのではなく、T抗原により引き起こされた悪性化に伴い下流域で引き起こされると考えられ、そしてそれは形質転換した細胞の様態と密接な関係があると思われる。

 Q5遺伝子の5’端上流域における腫瘍特異的なエンハンサー活性

1)Q5上流の塩基配列

 腫瘍に特異的なQ5遺伝子の転写の分子レベルでの基礎を明らかにするために、Q4とQ5の遺伝子領域を含むコスミドクローンB25からQ5の5’端に近接した遺伝子を再度クローン化した。このプラスミドから更に上流域3.5kbpを含むQ5上流プラスミドが得られ、これらのプラスミドを元にして、色々なQ5上流断片を含むプラスミドを作り-3,478から+110の塩基配列を決定した。

2)エンハンサー部位と活性

 H-2Kb,H-2Kk,そしてH-2Dk遺伝子の転写開始部位との類似からTATA box下流のAで始まる19塩基が転写開始部位であると推定した。

 5’端近傍のエンハンサー・プロモーター活性を調べる為、3.5kbpのBamHI-Sal I断片が単離され、PGL2-Basicルシフェラーゼ発現ベクターのBglIIサイトに挿入したクローンがつくられた。プライマー伸長法によりこの融合遺伝子の転写は予想通りの位置でおこることが確認された。

 このプラスミドから色々な欠失変異プラスミドを創り、C3H2K、W-2K及び900-2K細胞に導入した。導入後C3H2KとW-2Kは37℃で培養し、900-2Kは33℃及び39.5℃で培養をおこなった。2日間培養した後細胞は取り出されルシフェラーゼ活性が測定された。その結果からエンハンサー活性はQ5上流3.5kbpDNAの色々な場所にあり、主なものは-3,478から-2,761と-1,980から-901の区域にあると推測された。

 エンハンサー部位の更なる特徴

 Q5上流の塩基配列をみて行くとGGGGAGという6個の塩基配列が繰り返し出てくる。構造の解析からこのGGGGAGが悪性腫瘍特異的な核内物質の結合部位であり、エンハンサー成分としての働きを果たしていると推測されたが、実際の結合部位であるか等を調べるために、この配列を含むDNA断片と、C3H2KとW-2K細胞の核抽出物及び競合阻害物質等を用いてモビリティー・シフトアッセイをおこなった。実験の結果から推定して悪性化した細胞はある核内物質をつくり、この悪性腫瘍特有の核内物質が先のGGGGAGの塩基配列を含む悪性腫瘍抗原遺伝子(Q5遺伝子)の5’端の近接部位、特に-3,478から-2,761と-1,980から-901に働いて悪性腫瘍特有な遺伝子の転写を引き起こしていると考えられる。

 これら一連の実験において悪性腫瘍特有の転写を分子レベルで解析することでその機構をかなり明らかにし、悪性腫瘍細胞でのみ特異的に発現する可能性のあるベクターを得ることが出来た。

 研究の結果を応用してこのようなベクターを利用することでリンフォカインや強力な抗原や細胞障害物質等を生体内で悪性腫瘍部位のみに発現させる可能性が開け、更に免疫機構の類似から同じ哺乳類のヒトでの癌における遺伝子治療への応用も期待出来ることから、この先悪性腫瘍の制御において極めて有効な道具となる可能性が高いと思われる。

審査要旨

 本研究はマウスの癌細胞特異的に転写される腫瘍抗原遺伝子とそのエンハンサー構造の研究をおこなったもので下記の結果を得ている。

 1.C3H2KとそのSV40による形質転換細胞W-2Kを用いてQ5抗原の細胞表面での発現の違いをイムノフローレッセンス法で比較し、Q5抗原の発現がW-2Kでのみ認められ、癌化と密接な関係のあることを示した。更にts変異をT抗原上に持つSV40の温度感受性変異体によるC3H2Kの形質転換細胞900-2Kを使って同様の実験をおこない、Q5の発現は900-2Kが癌細胞の性質を示す低温下で観察され高温下では殆ど観察ないことを示し上記の結果を裏づけた。他の方法で癌化した細胞にもQ5抗原の発現がみられることからQ5の発現はT抗原により直接ひきおこされるのではなく、T抗原による癌化に伴い癌化過程の下流域でおこると規定した。

 2.Q5遺伝子転写を分子レベルで解明するためにQ4とQ5の遺伝子領域を含むコスミドからハイブリダイゼーションによってQ5上流約3.5kbpの遺伝子をクローン化してプラスミドを作製し、これを元にして更に種々のプラスミドを作製しこの領域の全塩基配列を同定した。

 3.上記のプラスミドをルシフェラーゼを発現するベクターに挿入し、これをC3H2K,W-2K,900-2Kに導入することでエンハンサー・プロモーター活性の存在領域を調べこの活性が主に-3,478から-2,761と-1,980から-901の区域にあると推定した。同時にこの活性領域は腫瘍細胞にのみ機能することを確認した。

 4.Q5エンハンサー領域の構造の特徴からGGGGAGの配列を含む特定の部位が核蛋白の結合部位ではないかと推定し、この配列を含むDNA断片と、C3H2KとW-2K細胞の核抽出物及び競合阻害物質等を用いてモビリティー・シフトアッセイをおこなった。実験の結果から推定して悪性化した細胞はある核内物質をつくり、この悪性腫瘍特有の核内物質が先のGGGGAGの塩基配列を含む悪性腫瘍抗原遺伝子(Q5遺伝子)の5’端の近接部位、特に-3,478から-2,761と-1,980から-901に結合し悪性腫瘍特有な遺伝子の転写を引き起こしていると規定した。

 以上本論文は悪性腫瘍特有のQ5遺伝子の転写を分子レベルで解析することでその機構を明らかにし、更にその調節部位を同定したことにより悪性腫瘍細胞でのみ特異的に発現する可能性のあるベクターを得る可能性を示した。本研究はリンフォカインや強力な抗原や細胞障害物質等を生体内で悪性腫瘍部位のみに発現させる可能性を開き、更に免疫機構の類似から同じ哺乳類のヒトでの癌における遺伝子治療への応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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