近年の半導体微細加工技術の進歩によって極めて微細な構造が作製可能となり、微小領域(量子構造)に閉じ込められた電子の振舞いが、新たな研究対象として注目を集めている。マクロの物性と原子寸法以下のミクロな物性の間に、メソスコピックな寸法構造での物性が期待され、このような寸法構造での電子の相関効果は極めて興味深い。また微小領域での電子物性が、将来の電子デバイスへ応用される可能性も指摘されており、物理学的のみならず工学への応用も含めた観点からの研究が広く行われてきている。また一方で、半導体量子構造は、典型的量子系を実現する実験場でもある。化合物半導体のヘテロ接合を用いると、井戸型ポテンシャルの量子系を材料として実現でき、近年、ゼロ次元的に電子を閉じ込める構造-量子ドット-が作製されてきている。本学位論文は、上述の研究指針のもと著者により行われた数値的研究によって構成されている。 二次元空間上の正方形に閉じ込められた電子系は、井戸型ポテンシャルの量子系としても、最も単純なもののひとつである。この正方形量子ドットに閉じ込められた三電子系は、1/r-相互作用する量子多体系であり、著者により大規模なメモリを用いた数値解析によって厳密な解が求められた。この数値解析より得られたエネルギー準位を用いて、量子ドット中の多体電子系が量子準位統計の観点から解析された。例えば、DysonとMehtaにより定義された統計量デルタ3は、量子ドットが大きくなるにつれ、Poisson分布的振舞いからGOE分布的振舞いへと変化している事が判明した。これは、量子ドットが大きくなるにつれて、電子間相互作用の効果がより重要になり、非常に小さな量子ドット中の電子系が持っている可積分系に近い性質が失われてゆくことを表していると解釈できる。電子間相互作用の効果によって、対応する古典力学系ならばカオス的振舞いが見られるのに対応して、量子ドット中の多電子系の量子準位統計はGOE分布的振舞い、すなわち量子カオスへと変化することになる。 そのほかの重要な統計量である、最近接準位間隔分布の振舞いはより興味深く著者により詳細に計算された。大きな量子ドットでのGOE分布的振舞いとともに、このような低電子密度の系で期待されるWigner格子状態からのフォノン・モードが、最近接準位間隔分布へ影響を及ぼすことが新たに発見された。この効果は、量子ドットの大きさの変化にともなうフォノン・モードの基本振動数の変化が、平均の最近接準位間隔の変化とは異なることに起因する。従って、本論文で議論された強相関多電子系の量子準位統計は、GOE分布の統計に類似している一方、典型的GOE分布との違いも存在していることが著者により明らかにされた。 これらの電子間相関効果は光学的性質へ影響を及ぼすので、この効果を光学的実験によって検出することが可能であり、得られている数値解から計算された結果によると、電子間相互作用によって引き起こされる数々の光学遷移が存在する。これらの電子間相互作用によって引き起こされる光学遷移の起源が、Wigner格子状態を基礎にして説明された。電磁場下の光学遷移も物性として興味深く、数値的にこの論文で計算された。電場下の量子ドットにおいて、電場と電子間相互作用の共存によって生じる光学遷移が存在し、この効果は、相関電子系へのStark効果として考察された。また磁場下でも電子間相互作用によって引き起こされる光学遷移が存在し、磁場下の二次元電子系の性質を基に考察された。これらの光学的性質は種々の応用可能性を秘めており、そのひとつは、光学吸収スペクトルによる量子ドット中の電子数検出であり、この論文でその可能性が議論された。 正方形が二分され、トンネル障壁で結合された結合量子ドットでは、より多彩な相関電子系が期待される。単独量子ドットの解析において重要なWigner格子状態とともに、結合量子ドットでは各量子ドットに電子が局在するモット絶縁体的状態も重要になる。特に、障壁を介したトンネル効果と電子間相互作用の効果が共存する場合、興味深い光学的共鳴吸収が存在し、この吸収の起源が多粒子状態間の共鳴という観点から議論された。 以上の様に、この論文は量子ドットの物理の本質を極めて明快に描き出し、その統計性をランダム行列理論に合う場合と、それからのずれが存在する場合を研究した点で大きな功績があると判定され、論文審査に合格するものとする。 |