学位論文要旨



No 213442
著者(漢字) 佐藤,信
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マコト
標題(和) 日本古代の宮都と木簡
標題(洋)
報告番号 213442
報告番号 乙13442
学位授与日 1997.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13442号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 尾形,勇
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 石上,英一
内容要旨

 本論は、日本古代の宮都とそれを支えた財政における中央集権的なあり方、そして地方社会の実態を、新しい出土文字資料である木簡などの検討を通して解明しようとしたものである。文献史料によって明らかになる日本古代国家の諸制度と、木簡などの出土文字資料や遺跡によって明らかになる多様な実態とをつき合わせて検討する方法をとるが、その際、恣意的に木簡や遺跡を利用・評価するのではなく、それぞれについて考古学的な手続きをふまえた上で検討することを心掛けた。

 第I部「古代宮都の構造」では、平城宮・平城京など古代宮都が果たした支配の装置としてのあり方を、宮都の儀礼的構造やその階層性、そしてそこに住んだ貴族・民衆の生活の実態などを通して明らかにした。

 まず、古代の宮都・国府・郡家における儀礼(政務・儀式・饗宴)の場のあり方を史料・遺跡の両面からさぐり、支配装置としての宮都の構造や、国府における国庁から国司館への政治中枢の移行などの歴史的意義を跡づけた。そして、宮都に住んだ下級官人や貴族の生活の実態を、史料・文学作品や長屋王家木簡などの検討を通して提示し、宮都生活における階層性の存在を照射した。また、在地民衆と接する地方行政組織末端である里について、制度・実態の両面から検討し、里長や「里家」が果たした機能を考察するとともに、律令的な文書主義が早くから里長レベルまで浸透していた様相を地方出土の木簡から明らかにした。宮都における宅地構成については、条坊における宅地の階層的な分布と宅地の区画施設の様相に見通しをつけ、また平城京内における古代庭園遺跡をめぐっては、古代の庭園とくに園池がもつ構造的特徴を指摘した。さらに、宮都の経済を支えた平城京東西市の位置・機能と実態を分析した。

 また、長岡京から平安京への遷都の過程を検討し、桓武天皇による新王朝確立への志向により政治的な遷都が実現したが、膨大な国家財政や民衆への負担から、やがて桓武天皇自らによる軍事と造作の停止、そして平安京への宮都の固定化へと向かった経緯を解明した。

 第II部「律令国家と財政」では、宮都を支えた古代の国家財政のうち、とくに地方から中央に輪貢される米の貢進制をめぐって、その実態と変質を解明して、古代国家財政の中央集権的構造とその変質を明らかにした。

 古代の国家財政は、重貨である米を宮都にわざわざ貢進させる税制をもっており、この米の貢進制が貴族・官人たちの食料や宮都の造営に動員された労働力への食料を確保して、宮都や中央国家組織を維持する上で不可欠な役割を果たしていた実態を明らかにした。その際、平城宮跡から大量に出土した米の貢進物荷札木簡によって、実際に諸国の人々が米の貢進を負担していた様相を提示し、米の貢進制が実物貢納経済といわれる古代国家財政の特質をよく示すことを確認した。さらに、こうした米の貢進制が八世紀後半以降未進となる状況が進んでいき次第に機能しなくなること、それに対して国家側がいかに対策を講じたかを跡づけた。そして、雑米や調庸の未進が進展する過程で、太政官を中心に集約されていた国家財政の構造が、それぞれの官司が独自の財源をもつ方向へと進んでいった様相を指摘した。

 第III部「木簡と古代社会」では、古代史の実態を究明する資料としてすでに地位を確立している木簡について、その歴史資料としての特質を明らかにするとともに、木簡からうかがえる様々な古代社会像を提示した。

 まず木簡が、出土文字資料であり日常生活の歴史情報に富む同時代資料であるという史料的特徴を明らかにし、木簡を出土状況・形態・書式・内容の諸側面から総合的に把握する必要を説いた。そして、現段階における木簡研究の成果と課題を、木簡が果たした機能に注目しながら整理した。

 次に、文書木簡をめぐって、地方遺跡から出土しつつある狭義の文書木簡・郡符木簡・封緘木簡や、中央で出土した告知札・過所木簡といった、木の特徴を活かした多様な木簡の諸機能を明らかにした。その際とくに木簡学の立場から、木簡の形態的特徴と利用の際の機能との関係について注目した。たとえば郡符木簡では、各地の郡司が管下の里長らを召喚する際に、使者による口頭ではなく「郡(司)符」と書き出す文書木簡を頻繁に利用していたこと、また封緘木簡では、羽子板の柄状の柄をもつ長方形の封緘木簡二枚で紙に書かれた書状をはさみ、ひもでくくって上から「封」字で封緘するという機能をもったことなどを明らかにした。

 また貢進物荷札木簡をめぐっては、古代の隠伎国や安房国の木簡を総合的に検討した。隠伎国・安房国ともに、古代国家によって海藻・鰒などの食料供給にあたる御食国として位置づけられていたことを明らかにし、また両国内が奈良時代にはきめ細かく多くの郷・里に区分されていた様相を新たに指摘した。そして古代国家が、御食国である諸国から特産物を現物で収集する財政体系を実現していることと、御食国に対して地方行政組織の細かな網の目をかぶせて掌握していることとが一体となっている状況を確認した。さらに、これらの貢進物荷札木簡から知られる部民制・屯倉制・貢納制などと関係した人名・地名・物品名によって、中央の旧伴造氏族の氏族伝承をも合わせて、かつてのヤマト王権による地方統合過程を推測することもできるのである。

 習書・落書についても、木・紙・土器などを書写材料とした多様な習書・落書を分類・整理し、古代において文字文化が迅速かつ広範に地方に普及していた実態を指摘するとともに、習書・落書の全体像の解明につとめた。

 以上、文献史料とともに木簡などの出土文字資料や遺跡を用いて、古代の宮都とそれを支えた国家財政、そして在地社会の様相などを検討し、古代国家の中央集権的な構造の実態と、それが変質していく過程について明らかにした。

審査要旨

 日本の古代国家は中央集権の国家といわれて久しいが、その根拠とされるのは、中国からもたらされ、日本的に改変された律令とそれに基づく行政のシステムとにあった。しかし前者の法解釈を始めとする研究は大きく前進してきたものの、後者の行政システムに関する研究は史料の不足もあって、停滞していた。

 本論文はそうした研究の現状において、考古学の発掘の成果に学びつつ、具体的な中央集権の様相を跡づけ、古代国家の構造を明らかにしたものである。

 全体は三部から構成されており、第一部の「古代宮都の構造」では、平城京の官衙やそこにおける儀礼・生活などを復元し、さらに地方の国府・郡家などとの関連を扱う。第二部の「律令国家と財政」では、中央への米の貢進の問題に触れて、律令国家の財政の特質を論じ、第三部の「木簡と古代社会」では、遺跡から発掘された木簡を通じて、古代社会の実態を活写する。

 本書を貫く関心は、文献によって知られる制度と、出土資料からの情報とをつき合わせ、そこから古代社会の制度と秩序とを明らかにすることにあり、その厳密な分析によって、多くの成果が得られた。それは次の三点にまとめられよう。

 第一に、宮都に住む下級官人の儀礼や生活が実態の上ではどのようであったのかを、発掘成果や文献資料を駆使して、明快に論じ、律令国家の特質としての文書主義が広く在地社会にまで及んでいたことを指摘した点にある。

 第二に、律令財政においては、これまで軽貨の貢進制度が究明されていたが、これに対して重貨の米の貢進はいかなるものであり、それが国家においてどのような意味をもっていたのか、その特質を明らかにした点にある。米を機軸とする日本社会の特徴に迫るものである。

 第三に、古代史理解において重要な史料である木簡の特質を様々な面から明らかにした点にある。木簡はその出土状況に始まって、形態や書式・内容など諸側面から総合的に把握することが重要であることを指摘し、具体的には紙の文書と一体になって使用された封緘木簡の形態と機能を初めて本格的に考究するなど、今後の研究の基礎を築いた。

 こうして本論文は古代の宮都を中心とした中央集権の構造を具体的に明らかにするとともに、木簡の史料としての性格を位置づけた点で大きな成果をもたらしたのであった。これまでの研究が見逃してきた問題に光をあて、今後の研究を進める上での基礎的な事実を発掘して、大きな足跡を残したものと評価されよう。

 しかし問題がないわけではない。緻密な論証に徹したこともあってか、ややもすると論としての構築において物足りない部分が残されている。しかしそれはこの基礎的な研究の上に立って、今後の研究で補われてゆくであろう。

 かくして本論文は、今後の日本古代の政治・文化史の分野において基礎を築き、新たな研究の道を開いた点において、博士(文学)論文として妥当であると判断するものである。

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