学位論文要旨



No 213444
著者(漢字) 荒金,久美
著者(英字)
著者(カナ) アラカネ,クミ
標題(和) 近赤外領域発光に基づく一重項酸素の検出とその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 213444
報告番号 乙13444
学位授与日 1997.07.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13444号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 佐藤,能雅
内容要旨 1.序文

 活性酸素による皮膚障害には、活性酸素種の中でも光増感反応により容易に発生する一重項酸素(1O2)が深く関与していると考えられる。一重項酸素は、その高い反応性と毒性から、生体への光化学的ダメージの主要な活性中間体と推定される場合が多く、例えばポルフィリアの光過敏症、テトラサイクリンによる光毒性などの活性種として同定されている。さらに一重項酸素は、ヒドロキシラジカル、スーパーオキシド、過酸化水素などの他の活性酸素種とは異なる反応性を示すため、生体内で発生すると他の活性酸素種では見られない特異的な障害を引き起こすと考えられる。

 したがって、活性酸素による皮膚障害の機序の解明には、一重項酸素の生体内での発生と反応性を明らかにすることが重要な研究課題となっている。

 しかし、他の活性酸素種に比べ一重項酸素に関しては、その生体内での発生や反応性について明確に指摘した報告は殆どない。わずかに前述のポルフィリアの光過敏症、テトラサイクリンによる光毒性などの特殊な例があるのみである。これまで一重項酸素の検出は化学発光法や消去剤を用いた間接的な方法で行われており、一重項酸素を検出するための特異性と信頼性を兼ね備えた検出方法が確立していなかったことが、この分野における研究の進展の妨げとなっていた。

 これに対し私は、一重項酸素に特異的な1g3g-遷移に伴う1268nmの発光に着目し、この1268nmの発光を直接検出できる近赤外発光検出装置を開発した。この装置により、まず化粧品や食品に汎用される色素やフラーレンへの光照射により発生した一重項酸素の直接的検出を試みた。次いで、皮膚の主常在菌であるPropionibacterium acnes(P.acnes)が代謝産物として排出するポルフィリンが、紫外線照射のもとで一重項酸素を発生することを見いだした。これは、ポルフィリア等の特殊な場合のみならず、健常人の皮膚においても一重項酸素を発生しうる光増感物質が存在することをはじめて明らかにした結果であり、一重項酸素が皮膚を反応の場とする様々な事象や皮膚障害に関与していることを強く示唆するものである。更に、皮膚の重要な構成成分であるスクワレン、コラーゲン及びメラニン前駆体と一重項酸素との反応性について検討した。以下、これらの知見について報告する。

2.一重項酸素の検出装置の開発

 光増感剤溶液にレーザー光を照射すると一重項励起状態(S1,1g(0))になる。その一部は系間交差により三重項励起状態(T1)になり、基底状態の三重項酸素(3()2)にエネルギーを移動させ一重項酸素を発生させる。一重項酸素はすぐに安定な基底状態に戻るが、このときに発する光を直接検出するのが開発した装置の原理である。

 一重項酸素の発光には種々の波長の光があるが、その中でも比較的強度が高く他の生体成分由来の発光との区別が可能な1268nmの発光をゲルマニウムダイオードを用いた検出器で検出した。本原理に基づく装置は、これまでわずかにKhanらの研究グループでのみ可視部のレーザー光を光源として使用されていたが、本装置では光源のレーザーを紫外部領域の光まで発信できるように設計しているのが特徴であり、紫外部領域の光照射に伴う一重項酸素の発生を検出できるのは世界で本装置のみである。

3.各種化合物からの一重項酸素の直接的検出

 私はまず、開発した一重項酸素の近赤外発光検出装置を用いて化粧品及び食品に使用されている主な色素からの一重項酸素由来1268nmの発光スペクトルを測定し、一重項酸素発生の有無を調べた。更に、一重項酸素の発生が認められたローズベンガル系の色素については、その発生量と構造に関する考察を行った結果、ハロゲン置換基の種類と密接な関係があることがわかった。すなわち、一重項酸素の発生効率はrose bengal erythrosine B>phloxine B>eosin YS≫uranineの順で、三重項励起状態が安定なものほど強力な一重項酸素発生剤となり得ることが判明した。また、これらの色素はアゾ色素と共存すると、光照射下アゾ色素の褪色を引き起こすが、アゾ色素(orange II)の褪色の反応速度定数(day-1)と各色素の一重項酸素発生効率(l/)には極めて高い相関が見られたことより、光照射下の各色素からの一重項酸素の発生が褪色を加速する上で重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 また近年そのユニークな構造から多方面での検討が進められているC60についても一重項酸素発生の有無について検討した。その結果、C60からの一重項酸素発生効率(l/)はeosin YSの12倍、rose bengalの4.8倍と極めて高く、C60が一重項酸素の強力な発生源と成り得ることがわかった。

4.P.acnes由来ポルフィリンからの一重項酸素の直接的検出

 前述のように光増感反応により効率よく発生する一重項酸素は他の活性酸素に比べ、皮膚障害に深く関与していると考えられるが、果たして皮膚に一重項酸素を発生しうる光増感物質が存在しうるかどうかについてはこれまで不明確であった。

 私は、皮膚の主常在菌であるP.acnesが代謝産物として排出するポルフィリンが、紫外線照射のもとで一重項酸素を発生しうることを初めて明らかにした。P.acnes由来のポルフィリンは皮脂の分泌とともに、皮膚表面へ移動する。実際に健常人顔面に暗室下で紫外線ランプを照射すると、ポルフィリン由来の蛍光が観察されその存在が確認できた。

 皮膚から採取したP.acnes由来のポルフィリン溶液を一重項酸素の測定試料とし、この溶液に紫外部のレーザー光を照射したところ、一重項酸素由来の1268nmにおける発光が検出され、その発光強度は主ポルフィリンであるコプロポルフィリンの濃度に依存していた。

 更にコプロポルフィリンの紫外線領域におけるその発光強度は、光増感剤としてよく用いられているリボフラビンや前述のローズベンガルより極めて高く、一重項酸素発生能が極めて高い光増感剤が皮膚表面に存在していることが明らかになった。

 これまでポルフィリア等の特殊な場合にのみ一重項酸素の関与が証明されてきたが、本結果は生理的条件下の健常人皮膚においてもかなりの一重項酸素が発生しうることを初めて示唆するものである。

5.一重項酸素による皮表脂質の過酸化

 過酸化脂質の生成は、紫外線照射や老化に伴って増え、蓄積することが知られている。皮膚表面での過酸化脂質の生成や、過酸化脂質と疾病との関連を示唆する報告は古くからあるが、その生成メカニズムに関する報告はほとんど見られない。私は、スクワレンの過酸化反応が紫外線照射のみでは進行せず、P.acnes由来のコプロポルフィリン存在下、濃度依存的に進行することを見い出した。更に開発した装置を用い、スクワレンと一重項酸素との反応速度定数をStern-Volmer式に従って求めたところ、他の皮表脂質成分に比べて極めて高い反応速度定数を持つことが判明した。

 皮膚表面ではスクワレンをはじめとした皮表脂質とP.acnes由来のコプロポルフィリンが共存している。これらのことより、皮膚上での紫外線による皮表脂質の過酸化反応には活性種として一重項酸素が関与していることが明らかになった。

6.一重項酸素によるコラーゲンの架橋形成

 コラーゲンは皮膚の弾力性や柔軟性に関与している真皮の重要な構成成分である。しかし、コラーゲンは生体内での代謝回転が遅いため、様々な化学修飾を受けやすく、加齢と共に形成される後天的な架橋が老化現象の一因と考えられている。私は、一重項酸素がコラーゲンのヒスチジン残基と反応し、既知の老化架橋とは異なる架橋を速やかに形成させることを見い出した。この一重項酸素によるコラーゲンの架橋形成は他のサブユニット構造をもつタンパクで見られる架橋形成と比較しても非常に速く進行した。

 スーパーオキシドやヒドロキシラジカル等の他の活性酸素種はコラーゲンを断片化し、一重項酸素のような架橋は形成しない。加齢に伴う皮膚コラーゲンの変化は、断片化よりもむしろ後天的な重合や架橋形成によるものが主であり、一重項酸素によってコラーゲンが速やかに架橋するという本知見は皮膚コラーゲンの加齢変化における一重項酸素の重要性を明示するものである。

7.メラニン前駆体の光酸化における一重項酸素の関与

 紫外線照射時に起こる皮膚の即時型黒化や遅延型黒化の反応にはメラニン前駆体の光酸化が関与し、紫外線がこれらの反応を加速することは知られているが、その際、どのような活性酸素種が関与しているかについてはこれまで詳細な検討は行われていない。メラニン前駆体のチロシン及びL-ドーパと一重項酸素との反応速度定数をStern-Volmer式に従って求めたところ、各々3.69×106M-1s-1、6.77×108M-1s-1であり、特にL-ドーパとの高い反応性が認められた。紫外線照射時の皮膚黒化現象の解析とともに、そこでの一重項酸素の果たす役割をさらに明確にすることが、今後生体の防御機構を解明するために必要不可欠であると考える。

8.総括

 以上、本研究の成果を要約すれば、まず一重項酸素に特異的な1268nmの発光を直接検出できる近赤外発光検出装置を開発し、化粧品や食品に汎用される色素やフラーレンへの光照射により発生した一重項酸素の直接的検出に初めて応用することで、一重項酸素の発生量と構造との関連性を明確にした。また、皮膚の主常在菌であるP.acnesが代謝産物として排出するポルフィリンが紫外線照射のもとで一重項酸素を発生することを実証し、健常人皮膚に一重項酸素を発生しうる光増感物質が存在することを明らかにした。更には、皮膚の重要な構成成分であるスクワレン、コラーゲン及びメラニン前駆体と一重項酸素との反応性について本装置を用いて解明した。

 本研究を基盤に、生体における一重項酸素の反応性をより明確にすることが今後の生体障害の機序解明に重要な役割を果たすと考えられる。

審査要旨

 一重項酸素は生体への光化学的障害の主要な活性種と推定される場合が多く,例えばポルフィリアの光過敏症,テトラサイクリンによる光毒性などの活性本体であると示唆されてきた.しかし一重項酸素は短寿命であり特異的にこれを検出することが難しく,そのためその作用を定量的に解析することはほとんど行われてこなかった.また一重項酸素はヒドロキシラジカル,スーパーオキシド,過酸化水素などの他の活性酸素種とは異なる反応性を示すため,生体内で発生する他の活性酸素種では見られない特異的な障害を引き起こすと考えられるが,その作用の実体は混沌とした状態にあった.その原因として,これまでの一重項酸素の検出は化学発光法や消去剤を用いた間接的な方法で行われており,特異的に一重項酸素を検出・定量する方法が確立していなかったことに起因している.

 これに対し本研究者荒金は,一重項酸素に特異的な1g→3g-遷移に伴う1268nmの発光に着目し,この1268nmの発光を直接検出できる近赤外発光検出装置を開発した.そしてこの装置を用いて化粧品や食品に汎用される色素やフラーレンへの光照射により発生した一重項酸素の直接的検出を行った.次いで,皮膚の主常在菌であるP.acnesが代謝産物として排出するポルフィリンが,紫外線照射のもとで一重項酸素を発生することを見いだした.これはポルフィリア等の特殊な場合のみならず,健常人の皮膚においても一重項酸素を発生しうる光増感物質が存在することをはじめて明らかにしたものである.更に,皮膚の重要な構成成分であるスクワレン,コラーゲン及びメラニン前駆体と一重項酸素との反応性についても検討を行った.以下,項目別に解説する.

一重項酸素の検出装置の開発

 一重項酸素は種々の波長領域の発光を生じるが,その中でも比較的強度があり他の生体成分由来の発光との区別が可能な1268nmの発光をゲルマニウムダイオードを用いた検出器で測定する装置を作製した.本原理に基づく装置はこれまでわずかにKhanらの研究グループで可視部のレーザー光を光源としたものが作製されたが,本装置では紫外部領域の励起光の使用も可能とし,更に分光器をとりつけ波長スキャンにより信頼性のある近赤外領域の発光を測定できるようにした.紫外部領域の光照射に伴う一重項酸素の発生を検出できるのは世界で本装置のみである.

各種化合物からの一重項酸素の直接的検出

 開発した一重項酸素の近赤外発光検出装置を用いて化粧品及び食品に使用されている主な色素からの一重項酸素由来1268nmの発光スペクトルを測定し,一重項酸素発生の有無を調べた.一例を示すと,ローズベンガル系色素の一重項酸素発生効率はrose bengal>erythrosineB>phloxine B>eosin YS≫uranineの順で,三重項励起状態が安定なものほど強力な一重項酸素発生剤となり得ることを明らかにした.

P.acnes由来ポルフィリンからの一重項酸素の直接的検出

 光増感反応により効率よく発生する一重項酸素は他の活性酸素に比べ,皮膚障害に深く関与していると考えられるが,皮膚に一重項酸素を発生しうる光増感物質が存在しうるかどうかについてはこれまで明らかではなかった.荒金は皮膚の主常在菌であるP.acnesが代謝産物として排出するコプロポルフィリンが,紫外線照射のもとで一重項酸素を発生しうることを初めて明らかにした.P.acnes由来のポルフィリンは皮脂の分泌とともに,皮膚表面へ移動する.実際に健常人顔面に暗室下で紫外線ランプを照射すると,ポルフィリン由来の蛍光が観察されその存在が確認できた.

 更にポルフィリンの紫外領域における発光強度は,光増感剤としてよく用いられているリボフラビンや前述のローズベンガルより極めて高く,一重項酸素発生能の極めて高い光増感剤が皮膚表面に存在していることを明らかにした.

一重項酸素によるコラーゲンの架橋形成

 コラーゲンは皮膚の弾力性や柔軟性に関与している真皮の重要な構成成分である.しかし,コラーゲンは生体内での代謝回転が遅いため,様々な化学修飾を受けやすく,加齢と共に形成される後天的な架橋が老化現象の一因と考えられている.本研究においては一重項酸素がコラーゲンのヒスチジン残基と反応し,他の活性酸素種による断片化を伴う酸化障害とは異なる重合的架橋を速やかに形成することを見い出した.加齢に伴う皮膚コラーゲンの変化は,断片化よりもむしろ後天的な重合や架橋形成によるものが主である点から,この結果は注目される.

 これらの一重項酸素に関する知見は生物有機化学,特に光生物化学における注目すべき研究と位置づけられ,本研究は医薬化学の分野に貢献するところ大なるものがあり,博士(薬学)の学位に値するものと認定した.

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