学位論文要旨



No 213447
著者(漢字) 大谷,道輝
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,ミチテル
標題(和) オピオイド系鎮痛薬ブプレノルフィンの舌下錠および坐剤の製剤化とその臨床適応に関する研究
標題(洋)
報告番号 213447
報告番号 乙13447
学位授与日 1997.07.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13447号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授  杉山,雄一
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
 東京大学 助教授 佐藤,均
内容要旨 1.序文

 ブプレノルフィン(BN)は長時間作用型の拮抗性鎮痛薬であり、その鎮痛効果はモルヒネに比べて強く、しかも依存性が低いことが示されている。一方、癌末期患者の50〜60%に発生する疼痛は、患者に与える精神的、肉体的苦痛が極めて大きいため、Quality of Lifeの向上を目的として、その除痛対策が治療上重要であり、この疼痛の緩解にBNが繁用されている。

 WHOが公表した「WHO方式がん疼痛治療法」において鎮痛薬の選択順序は、アスピリン等の非オピオイド系鎮痛薬から開始し、十分な効果が得られない場合は、弱オピオイド系であるBNやリン酸コデインを追加処方することを推奨している。更にこの段階で効果が不十分な場合は、強オピオイド系であるモルヒネ等に切り換えるとされている。しかし、中間段階の鎮痛薬のリン酸コデインは我国では麻薬指定のため、管理上の取扱いが難しく使用することが困難である。一方、WHOでは鎮痛薬使用の原則として患者自身が服用でき、癌末期において在宅治療が可能なように経口投与を基本としており、注射薬を用いないように勧めている。中間段階の鎮痛薬として設定されているBNは、その製剤として英国では注射薬と舌下錠が開発され市販されており、それらの臨床的有用性が報告されている。しかし、米国では舌下錠という簡便な投与剤形のため乱用を恐れ、注射薬しか市販されていない。同様の理由で我国でも注射薬しか市販されていないため、在宅で末期癌患者への適応が出来ず、当院麻酔科から薬剤部へ在宅治療に適応できるBN製剤の調製依頼を受けた。しかし経口投与ではBNは初回通過効果が大きいためバイオアベイラビリティーが低くなり、十分な臨床効果が得られない。このため、初回通過効果を回避できる内用剤として舌下錠の製剤化、および舌下投与が不可能な患者にも適応できる坐剤の製剤化を試みた。一方、臨床適用において、BNの有効性と安全性を明かにすることが不可欠であるが、BNの体内動態については不明な点が多く、特にその活性代謝物であるノルブプレノルフィン(NBN)の体内動態については、ほとんど明らかにされていない。そこで、本研究は以下の2つを目的として検討を行った。

 1)在宅末期癌患者が疼痛を自己管理することができ、経口投与可能なBNの製剤化。

 2)BN製剤の安全性と有効性を確立するための、BNと活性代謝物の体内動態と鎮痛効果および副作用との関係の解明。

2.BN舌下錠および坐剤の調製2-1.BN散の調製

 製剤化に際し、BN原末は購入が不可能なため、原料として市販注射液を用いて行った。市販注射液はBNの5%ブドウ糖液であるため、その処理を種々検討した結果、ブドウ糖が83℃でそれ自身のもつ結晶水にとけ、温度を下げると結晶化する性質を利用して加熱濃縮する方法で粉末化することを試みた。その結果、注射液を95℃で4時間加熱濃縮した後、トウモロコシデンプンを加え過剰の水分を吸収させ、混合しながら冷却することによって均一なBN散が調製できた。BN散濃度は0.128%以上では、濃縮液が飴状となり、濃度の変動係数が4〜5%と高くなり、逆に0.110%以下では水分が多く粉末化しにくいことが判った。95℃での加熱濃縮工程において、BN含量の低下は認められず安定であった。

2-2.BN舌下錠の調製

 舌下における錠剤の速やかな崩壊を考慮し、デンプン添加量が最も少なくなるよう0.128%BN散を用い、結合剤にアラビアゴム末を選択し含有量を変えて製剤処方を検討した。5種類の処方に従い、顆粒圧縮法および直接打錠法により、BN舌下錠(0.1mg/含有)を試作した。その結果、直接打錠法により調製した処方5は、重量の変動が他と比較して2〜6倍大きかった。この原因として、電子顕微鏡下での観察の結果、BN散の表面が滑らかではなく、原料の流動性が悪いことが考えられた。顆粒圧縮法により調製した4種類のBN舌下錠の重量、直径、厚さおよび含量は各処方とも有意差は認められなかった。一方、硬度は結合剤の添加量が少くなるのに伴い減少し、0.5%では他と比較して有意に低いことが認められた。これらの結果から、処方3の製剤が重量および含量の均一性、崩壊性および溶出性の優れた舌下錠であると判定した。処方3の舌下錠をポリエチレン-セロファン包装品とした場合、4%程度の吸湿による重量増加が認められたが、保存期間中のBN含量の低下は認められなかった。また、18週間保存後の舌下錠の崩壊性および溶出性は、製造直後と比較して有意な変化は認められなかった。以上から、処方3によって調製した製剤は吸湿による重量の増加も少なく、長期に渡り安定な舌下錠であることが示された。

2-3.BN坐剤の調製

 口腔粘膜切除などにより舌下投与不可能な患者にBNを投与するために、坐剤の調製を試みた。基剤として油脂性基剤であるカカオ脂と3種類のホスコ、および水溶性基剤であるマクロゴールを選択し、7種類の処方によりBNを0.3mg/個含有する坐剤を溶融法で調製した。いずれの処方とも長さ、直径、重量、体積、密度および含量の特性値が均一であった。一方、水溶性基剤の処方5〜7におけるBNの溶出速度は、油脂性基剤の処方1〜4に比べて著しく速かった。以上のことから、マクロゴールの平均分子量が最も大きく、保存時の吸湿性が低いことが予想される処方5の坐剤が優れていると判定した。また、この坐剤は主薬の均等分散性が優れ、長期に渡り安定な製剤であり、臨床において十分使用可能であることが示された。その後、この坐剤は我々の処方に基づいた同一基剤の製剤が市販化され、レペタン坐剤として癌末期患者の疼痛緩和に繁用されている。

3.BN製剤の臨床適応-血中濃度と鎮痛効果-3-1.健常人

 健常人1名にBN舌下錠2錠を投与した後の血漿中BN濃度は、投与2時間目に1.5ng/mlの最高値に達し、その後徐々に低下し、9時間後の血漿中濃度は0.5ng/mlであった。一方、代謝物のNBNは投与後2および3時間に検出され、それらの濃度は各々0.7と0.5ng/mlであった。ペインメーターにより測定した鎮痛効果としての反応潜時延長時間は、血漿中BN濃度との間に良い対応関係が認められた。

3-2.患者

 BN製剤を2週間以上服用し、ペインスコアーにより有用性が認められている患者において、舌下錠あるいは坐剤投与後2時間の血漿中BN濃度は0.2〜1.8ng/mlの範囲であった。一方、NBN濃度は0.2〜4.7ng/mlの範囲で大きく変動した。以上のことから、本研究において開発したBN製剤は、疼痛のコントロールに有用であることが示された。

4.BNの有効性と安全性に対する基礎的検討4-1.血中消失動態の解析

 BNあるいはNBNをラットに静注後のBNおよびNBNの血漿中濃度はいずれも2相性を示して減少した。BN投与後2分に活性代謝物NBNが検出され、その後血漿中濃度は速やかに低下した。BNの分布容積はNBNの2倍であり、全身クリアランスはNBNの1/3であった。

4-2.排泄動態の解析

 BN投与後の24時間までの胆汁中には、投与量の76%がBN抱合体として、19%がNBN抱合体として排泄された。一方、NBN投与では85%がNBN抱合体として排泄された。更に、腸肝循環の有無についての検討も行った。BN0.6mg/kgを単回静注したラットの胆汁を十二指腸に受けたラットの胆汁中には、24時間までにドナーラットの投与量の27%がBN抱合体として、62%がNBN抱合体として排泄され、腸肝循環する際にBNが初回通過効果を大きく受けてNBN抱合体に代謝されることが示唆された。一方、NBNでは72%がNBN抱合体として排泄され、BNとNBNはいずれもその大部分が腸肝循環することが明らかとなった。また、ラットにBNを連続投与すると腸肝循環によりNBNが血漿中に増加することが示された。このことは、前記のヒトにBNを繰り返し投与によりNBNの血漿中濃度がBNよりも高くなる要因として腸肝循環が寄与することを示唆している。

5.薬効と副作用に関する薬力学的基礎検討5-1鎮痛効果

 BN(8g/kg)をラットに静注後の鎮痛効果は、投与後10分に最大反応が得られた。NBN投与の場合、その投与量が100g/kgとBNの約13倍にもかかわらず、鎮痛効果は1/5と小さく、最大反応はBNより遅く30分後に得られた。

 以上より、NBNの鎮痛効果はBNの1/50以下と著しく弱く、ヒトにBN投与後に検出されるNBNの血中濃度範囲では、NBNによる鎮痛効果の寄与は極めて小さいと考えられる。

5-2鎮痛効果と脳内濃度

 BNとNBNのいずれも静注後初期の鎮痛効果のプロフィールと血漿中濃度推移は相関しなかった。この投与時におけるBNの小脳以外の部位内濃度から、オピオイド受容体がほとんど存在しないと言われている小脳内濃度を差し引いて推定した特異的結合部位中BN濃度は投与後10分にピークがあり、薬理効果推移のピークと一致した。NBN投与の場合、脳内濃度のピークは投与後30分にあり、特異的結合部位中NBN濃度は著しく低かった。また、NBN(2および10g/head)脳室内投与により得られた固有鎮痛活性はBNの1/5と小さいことが示された。

 BNの鎮痛効果と血漿中、小脳、小脳以外あるいは受容体への特異的結合部位中濃度との関係は、血漿中、小脳、小脳以外の部位中濃度では反時計回りのヒステリシスが観察されるが、特異的結合部位中濃度ではほとんど見られず、良い相関が得られた。このことから、BNの場合効果コンパートメントとしては受容体への特異的結合部位が考えられることが明かとなった。

5-3血漿中濃度と呼吸抑制発現

 ラットヘBNあるいはNBNを定速静脈内投与後の呼吸数および動脈血中炭酸ガス分圧の変化から、NBNはBNの約20倍呼吸抑制効果が強いことが示唆された。しかし、BNは鎮痛効果と副作用である呼吸抑制との間に大きな乖離があり、ヒトにおけるBNの連用時でのNBN濃度範囲ではその呼吸抑制効果が極めて弱く、ほとんど寄与していないことが示唆された。

 BN舌下錠は在宅治療に繁用されているモルヒネ製剤(MSコンチン錠)が市販された後も、年間約3万錠が東京大学病院で使用されており、その有用性が認められている。さらに我々が開発したBN製剤の調製法を他施設からの依頼により教授しており、院内製剤として他施設においても繁用されている。

6.まとめ

 1.本研究において開発したBN製剤は製剤特性に優れ、臨床において癌末期患者の在宅治療の疼痛寛解に有用であり、Quality of life向上に役立つことが示された。

 2.BN製剤の連用により、NBNがBNよりも高濃度に血漿中に検出されるが、NBNの鎮痛効果への寄与は極めて小さいことを明らかにした。

 3.NBNの鎮痛効果はBNの1/50以下と著しく弱く、この主な原因として脳内移行性および固有活性が低いためであることを明らかにした。

 4.活性代謝物であるNBNはBNよりも強い呼吸抑制効果を示すが、臨床上の寄与はほとんどないことが示唆された。

審査要旨

 オピオイド系鎮痛薬ブプレノルフィンの舌下錠および坐剤の製剤化とその臨床適応に関する研究

 ブプレノルフィン(BN)は長時間作用型の拮抗性鎮痛薬であり、鎮痛効果はモルヒネに比べて強く、依存性が低いことが示されている。一方、癌末期患者に発生する疼痛は、患者に与える精神的、肉体的苦痛が大きいため、Quality of Lifeの向上を目的として、その除痛対策が治療上重要であり、BNが繁用されている。BNは、注射薬しか市販されていないため、在宅治療に適応できるBN製剤の調製を検討し、初回通過効果を回避できる舌下錠および坐剤の開発を試みた。臨床適用において、BNの有効性と安全性を明かにすることが不可欠であるが、BNの体内動態は不明な点が多く、特にその活性代謝物であるノルブプレノルフィン(NBN)の体内動態は、ほとんど明らかにされていない。

 そこで本研究は、在宅癌末期患者が疼痛を自己管理することができ、経口投与可能なBNの製剤化と、調製したBN製剤の安全性と有効性を確かめるための、BNと活性代謝物の体内動態と鎮痛効果および副作用との関係解明を行うことを目的として検討を行った。

1.BN舌下錠および坐剤の調製

 製剤化は、BN原末が購入不可能なため、市販注射液を用いて行った。市販注射液はBNの5%ブドウ糖液であるため、その処理を検討した結果、ブドウ糖が83℃でそれ自身の結晶水にとけ、温度を下げると結晶化する性質を利用して加熱濃縮する方法で粉末化することを試みた。その結果、注射液を加熱濃縮した後、トウモロコシデンプンを加え過剰の水分を吸収させることによりBN散が調製できることを見い出した。このBN散を用いて製剤処方を検討し舌下錠と坐剤を調製した。この舌下錠は年間約3万錠が東京大学病院で使用されており、その有用性が認められている。一方、坐剤は我々の処方に基づいた同一基剤の製剤が市販化され、癌末期患者の疼痛緩和に繁用されている。

2.BN製剤の臨床適応-血中濃度と鎮痛効果-

 健常人1名にBN舌下錠2錠を投与した後の鎮痛効果としての反応潜時延長時間は、血漿中BN濃度との間に良い対応関係が認められた。BN製剤服用患者において血漿中NBN濃度は連用によりBNより高濃度に検出された。また患者全員にペインスコアーの改善が認められたことから、開発したBN製剤は疼痛コントロールに有用であることが示された。

3.BNとNBNの体内動態の基礎的検討

 BNの分布容積および全身クリアランスはそれぞれのNBNの2倍および1/3であった。BNとNBNはいずれもその大部分が腸肝循環することが明らかとなり、ラットにBNを連続投与すると腸肝循環によりNBNが血漿中に増加した。このことはヒトにBNを繰り返し投与により血漿中NBN濃度がBNよりも高くなる要因として腸肝循環が寄与することを示唆している。

4.薬効に関する薬力学的基礎検討

 NBN静注後の鎮痛効果はBNの1/50以下と著しく弱く、ヒトにBN投与後に検出される血中NBN濃度範囲では、NBNによる鎮痛効果の寄与は極めて小さいと考えられる。

 この原因としてNBNの固有鎮痛活性がBNの1/5と小さいこと、および脂溶性が低いことから脳内への移行性が低いことが考えられた。BNの鎮痛効果と特異的結合部位中BN濃度(小脳以外の部位内濃度から小脳内濃度を差し引いて推定した濃度)との関係は、良い相関が得られた。

5.血漿中濃度と副作用である呼吸抑制発現に関する検討

 ラットヘBNあるいはNBNを静注後の呼吸数と動脈血中炭酸ガス分圧の変化から、NBNはBNの約20倍呼吸抑制効果が強いことが示された。しかし、ヒトにおけるBNの連用時での血漿中NBN濃度範囲では、その呼吸抑制効果が極めて弱く、ほとんど寄与していないことが示唆された。

 以上のことから、本研究において活性代謝物NBNの鎮痛効果はBNの1/50と著しく弱いものの、20倍も強い呼吸抑制効果を示すことが示唆された。しかし臨床において、BN製剤の連用により、NBNがBNよりも高濃度に血漿中に検出されるものの、この濃度範囲ではNBNの鎮痛効果および呼吸抑制への寄与は極めて小さいことを明らかにした。

 以上、本研究により開発したBN製剤は優れた製剤特性を有しており、さらに安全性および有効性を基礎および臨床研究に基づいて評価し、在宅癌末期患者の疼痛寛解に有用であることが示された。これはQuality of life向上に寄与することが大であり、よって博士(薬学)の学位に十分に値するものである。

UTokyo Repositoryリンク