学位論文要旨



No 213448
著者(漢字) 徳岡,研三
著者(英字)
著者(カナ) トクオカ,ケンゾウ
標題(和) 温度変化環境下の標準軌道構造における列車運転の安全に関する総合的な研究
標題(洋)
報告番号 213448
報告番号 乙13448
学位授与日 1997.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13448号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 龍岡,文夫
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 小長井,一男
 東京大学 助教授 山崎,文雄
内容要旨

 列車走行安全に直接関わる機能として,概ね最高60℃まで変化するレール温度に対応しなければならないという条件がある。この機能を満足させるため,レール継ぎ目部に設けた適当なギャップ(遊間)でレールを伸縮させることにより発生する軸力を軽減させ,それでも生じる軸力に対して耐え得る軌道構造となっているが,これらに対しては比較的余裕の少ない構造である。

 初期に設定した遊間量は列車の走行等によりレールが徐々に移動(ふく進)し,その値が変化する。これが,過小となる場合にはレール温度上昇時の軸力が限度以上に蓄えられ軌道座屈を,過大となる場合には継ぎ目板ボルトの曲がり・折損等軌道材料の損傷が生じることになる。このため,レール遊間量が適正な範囲内に維持されているか否かを判定する「遊間管理」と称される手法が必要となる。管理手法は,個々の遊間状態の計測,その評価及び判定の各要素から成り立っており,この手法の適正化と効率化,実測データに基づく適用範囲の拡大,さらにはレール発生軸力のシミュレーション手法開発による統計的危険度分布の算定とその評価などが本研究の目的である。

 本論文は,第1章から第8章までで構成されている。

 まず,第1章では鉄道の軌道構造において,走行安全面からどのような機能が要求され,その機能強化に関してどのような取り組みがなされてきたかを概説し,この中にあって標準的な軌道における遊間管理がいかなる状態であったかについて述べた。即ち列車走行安全に直接関わる機能としては,「著大な列車荷重により急激な構造破壊を生じない」,「繰り返しの列車荷重により軌道部材が疲労破壊を生じない」,「温度変化により発生するレール軸力により,軌道の座屈,継ぎ目板ボルトの破断を生じない」等がある。この内,温度変化により発生するレール軸力に対しては十分な機能向上がなされてこなかったため,レール張り出しと称する軌道座屈が時として生じ,列車の走行安全に大きな危惧を与えてきたという状況があった。

 第2章では新しい手法が開発,適用される以前の遊間管理の状況について述べ,そこには種々の問題点があったことを振り返った。即ち,遊間の2回測定法と呼ばれる「レール温度上昇に伴い遊間が縮小しつつあるとき及びレール温度下降に伴い遊間が拡大しつつあるとき」の両測定値によって遊間状態の適否を判定する方法は,現場実務上の問題があり,正確な測定がなし得ていなかったこと,並びに国鉄における労使問題から遊間整正と呼ばれる正規の状態に遊間を復する作業が十分実行できなかったことについて述べ,これが本研究を始めた動機となっていることを説明した。

 第3章では,第2章で述べた状況を踏まえ遊間の1回測定法と呼ばれる「レール温度上昇に伴い遊間が縮小しつつあるとき」のみの測定値によって遊間状態の適否を判定する方法の適用範囲拡大と,レール軸力算定式を活用した危険度による遊間整正作業対象区間の抽出及び順位付け手法を開発・適用した経緯について説明した。この手法は,後に国鉄が多発するレール張り出し事故防止対策として打ち出した「施設局法」と呼ばれる方法のベースとなったものであり,筆者の「KT法」が全国に適用されることとなった。その後「KT法」に対しては,種々の改善が加えられてきており,その主なものを挙げると以下のとおりである。

 (1)不良判定限度値は従来,規定遊間からの離れ(差)が2mmとなる時として定めていたが,これではレール種別によってその安全度が異なってしまうので,最低座屈強さの65%に設定し直した。

 (2)「レール温度下降に伴い遊間が拡大しつつあるとき」のみの測定値を用いる1回測定法を導入し,夜間の保守間合いを活用した機械による遊間測定を行えるようにした。

 (3)従来の管理手法は,長さ25m以下のレールを対象としていたが,長さ50mのレールに対しても管理手法が必要となったためこれを追加した。

 (4)継ぎ目板ボルト破断側の評価手法を導入するとともに,ボルトの破断実験を行い曲げ抵抗力の値を見直すことにより,その評価基準の適正化を図った。

 現在適用されている方法は,この順次レベルアップされてきた「KT改善法」であり,ここまでにいたる経緯について詳しく説明した。

 第4章では,この手法が実務においてどのような使命と成果を果たし得たかについて,遊間整正作業量,経費並びに軌道座屈による列車脱線事故件数等の面から適用時期毎にその実態を説明した。即ち,遊間整正作業量については,「施設局法」の導入以来急増することとなったが,「KT改善法」への転換によってその数量は1/2〜1/3へと大幅に減少した。しかもこのことによる安全性の低下は一切見られない。なぜならば,軌道座屈及びこれによる列車脱線事故発生件数は「施設局法」導入以来徐々に減少し,「KT改善法」適用以後はほぼ0件で推移しているからである。

 第5章から第7章までは,レール発生軸力のシミュレーション手法(モンテカルロ法)の適用とその結果について述べた。「施設局法」や「KT改善法」では,長年の経験をベースとして,レール発生軸力の算定に際し各影響因子が必然的に有するバラツキを無視し,安全率を見込んだ数値を大胆に割り切って用いるという考え方で構築されている。したがって,決定論的に算出した危険度が統計的見地で見て,どの程度正確に実態をとらまえているのかを知らなければならない。このため,まず第5章においては統計確率論を用いて,軌道座屈に対する危険度判定モデルを構築し,第6章においては前章のモデルに必要な各影響因子について統計的な分析を行い,各々の確率分布を求めた。第7章では,第5及び第6章の検討結果を用いてシミュレーションを行い,バラツキを有する各因子が組み合わされた場合の危険度を確率的分布で表現した。この結果から,「KT改善法」の有している危険度は,危険度が大きい,即ち軌道座屈の安全性の観点では危険領域である部分で,十分な信頼性を持っていることが定量的に確認された。このことは「KT改善法」の導入以来,軌道座屈による鉄道事故がほとんど発生していないことを理論的に証明するものである。また,本研究で用いたモンテカルロ法によるシミュレーションは,実態に即しており,軌道座屈の危険度評価に際して十分活用できるものと考える。

 第8章では,以上の研究により得られた結論,現行の手法に対する評価と改善及び今後の研究課題について述べた。まず,現行の手法に対する評価と改善については,

 (1)現行の手法で最も危険度が高いCランクについてはシミュレーションで見ても危険度が高く,遊間整正対象箇所とすることは極めて妥当である。Cランクより危険度が低いB,Aランクについても,これを遊間整正対象箇所または作業制限対象箇所とすることが同じく妥当であることは,容易に類推できる。

 (2)木まくらぎ(ふるい)の場合,「KT改善法」によって求めた危険度がシミュレーション結果の最大値を大きく上回っていることから,その評価を大幅に改善できる。

 (3)レールふく進を三角分布で与えた条件では,規定遊間であっても危険度が高く,こういった箇所ではふく進防止対策が極めて重要である。ふく進の状況が現場できちんと把握できている場合は,ランク判定を高い側に見直すことも必要と考えられる。

 (4)3継ぎ目連続無遊間の場合,現行Cランクに判定しているが,シミュレーションによる危険度から判断して妥当である。

 などが主なものである。また,今後の研究課題としては,

 (1)B,Aランク箇所に対して,同じくシミュレーションを行い,その統計的特徴を把握して,遊間整正対象箇所に指定する危険度の下限の検証を行うこと。

 (2)危険度65%を判定線とすることについての妥当性を検証すること。また,判定線を超過する継ぎ目数が,5継ぎ目より少ない場合や,かなり多数になる場合の危険度の変化について把握すること。

 (3)判定線超過の状態,例えば丘陵状に超過している場合と高い山状になっている場合の危険度の差について,シミュレーションと「KT改善法」の比較を行うこと。

 (4)シミュレーション手法をさらに簡略化し,ランク発生の全箇所に適用できるようにして,順位付けを一層正確なものとすること。

 などが挙げられる。

 本研究は,数値のバラツキをそのまま用いて危険度を算出するという,これまでにはない方向に遊間管理手法を展開していくための端緒を開いたものであり,今後各種データのさらなる蓄積,コンピュータプログラムの改修等を実施していけば,なお一層効率的かつ高信頼性を有する手法に改良できるものと考える。

審査要旨

 徳岡研三氏が提出した「温度変化環境下の標準軌道構造における列車運転の安全に関する総合的な研究」は、列車脱線など重大な事故の原因となる、夏季の温度上昇時における有道床軌道のレール座屈を防止するため、独自の軌道管理手法を開発し、その理論面、実証面での有効性を検証した極めて実用性の高い研究である。

 列車走行安全に直接関わる機能として,夏季には最高60℃、冬季には-20℃まで変化するレール温度に対応しなければならないという条件がある。この機能を満足させるため,レール継ぎ目部に設けた適当なギャップ(遊間)でレールを伸縮させることにより発生する軸力を軽減させ,それでも生じる軸力に対して耐え得る軌道構造とするか、新幹線をはじめとして幹線系で採用されている頑健な軌道構造を持ったロングレール(多数のレールを溶接で接合)を採用するか、などが必要である。ところが、種々のメリットの多いロングレールにも急曲線での座屈耐力に課題が残るため、線形の悪いわが国の在来線では幹線系・支線系ともに、レール間にギャップを持たせた「定尺レール」と呼ばれる軌道を少なからず採用せざるを得ない状況にある。この伝統的な「定尺レール」は、明治以来、経済性が追求された結果、座屈に対して比較的余裕が少ない軌道構造が採用され、その結果、非常に緻密な軌道管理が必要とされてきた。

 遊間管理と呼ばれる、座屈防止のための軌道管理手法とは、個々の遊間や温度の計測,その評価及び判定の各要素から成っている。しかし、明治以来、行われてきた伝統的な管理手法は、極めて煩雑な計測を前提とするため、必ずしも実務の実状に適合しておらず、1980年代初頭には、列車の高速化、高密度化、マルティプルタイタンパーによる軌道狂い整正作業の充実に伴う道床肩バラストの緩み傾向、などと相待って、遊間管理が不徹底が目立ち、それによって生じた軌道座屈による特急列車も含めた列車脱線が頻発した。

 このような緊急事態の中で、遊間管理手法そのものを実務的にも「使える」手法として新たに開発するニーズが高まり、国鉄本社では、徳岡氏がすでに大阪在勤時代にローカルな手法として開発し、現地の実務者の間で同氏のイニシャルをとって「KT法」と名づけられていた管理方法を全国的に採用した。この管理手法は、以後今日にいたるまで遊間管理の標準手法となっている。

 本研究では、この新たな遊間管理手法の開発時における理論面での分析、実務へ適用した結果の実証的分析、及びその後改善された手法の効果などが述べられる。さらに、基本的な部分では理論に支えられつつも、種々の変動要素についてはヒューリスティックに開発された側面の強い同管理手法の安全性を、ランダム変数を用いた確率的シミュレーションを用いて改めて分析し、今後の改善方策についてまとめている。

 以下に本論文の構成の概略を述べる。本論文は,第1章から第8章までで構成されている。

 第1章では、鉄道の軌道構造において,走行安全面からどのような機能が要求され,その機能強化に関してどのような取り組みがなされてきたかを概説し,この中にあって標準的な軌道における遊間管理がいかなる状態であったかについて述べられた。

 第2章では、新しい手法が開発,適用される以前の遊間管理の状況について述べ,そこには、測定作業の実行可能性、遊間整正作業の有効性など種々の問題点があったことが示される。

 第3章では,第2章で述べた状況を踏まえ、遊間の1回測定法と呼ばれる「レール温度上昇に伴い遊間が縮小しつつあるとき」のみの測定値によって遊間状態の適否を判定する方法の適用範囲拡大と,レール軸力算定式を活用した危険度による遊間整正作業対象区間の抽出及び順位付け手法を開発・適用した経緯について説明される。この手法は,後に国鉄が多発するレール張り出し事故防止対策として打ち出した「施設局法」と呼ばれる方法のベースとなったものであり,徳岡氏の「KT法」が全国に適用されることとなった。その後「KT法」に対しては,種々の改善が加えられ、現在適用されている「KT改善法」に至る。ここまでにいたる経緯について、理論面・実務面で詳しく説明される。

 第4章では,この手法を実務に適用した結果が実証的に述べられる。即ち,遊間整正作業量については,「施設局法」の導入以来急増することとなったが,「KT改善法」への転換によってその数量は1/2〜1/3へと大幅に減少した。しかもこのことによる安全性の低下は一切見られない。

 第5章から第7章までは,計算機シミュレーション手法の適用とその結果について述べられる。まず第5章においては統計確率論を用いて,軌道座屈に対する危険度判定モデルを構築し,第6章においては前章のモデルに必要な各影響因子について統計的な分析を行い,各々の確率分布が求められた。第7章では,第5及び第6章の検討結果を用いてシミュレーションが行われ,バラツキを有する各因子が組み合わされた場合の危険度が確率的分布で表現された。この結果から,「KT改善法」の有している危険度は,危険度が大きい,即ち軌道座屈の安全性の観点では危険領域である部分で,十分な信頼性を持っていることが定量的に確認された。このことは「KT改善法」の導入以来,軌道座屈による鉄道事故がほとんど発生していないことを理論的に証明するものである。

 第8章では,以上の研究により得られた結論,現行の手法に対する評価と改善及び今後の研究課題が検討されるた。

 本論文は、工学的にみて、研究面・実用面ともに完成度の高い論文である。その理由は、次のとおりである。第一に極めて社会的・実務的ニーズの高い列車運転の安全性確保の分野について、理論的ベースに立脚しながらも実務作業で実行の可能な有効性の高いプラグマティックな遊間管理手法を開発したこと。第二にそれを全国的に実務に適用し、その実績・効果をモニターすることによって有効性を実証したこと。第三には、はじめに開発された手法にとどまることなくさらに工学的な改良を行っていること。第四に事後的ではあるが、計算機シミュレーションによって、新たな管理手法の確率的な危険性を従来手法と比較し、その優位性を検証していること。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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