学位論文要旨



No 213456
著者(漢字) 芝池,成人
著者(英字)
著者(カナ) シバイケ,ナリト
標題(和) 環境調和性を考慮した設計に関する研究
標題(洋)
報告番号 213456
報告番号 乙13456
学位授与日 1997.07.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13456号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩田,修一
 東京大学 教授 中島,尚正
 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 助教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 桐山,孝司
内容要旨

 工業製品を製造し使用すれば必ず環境に影響を与える。従ってこの影響を最小限に抑えることを設計目的の1つとしなければならないという認識が高まって来ている。その工業製品の環境に対する優しさの度合いを、定性的ではあるが「環境調和性」と呼ぶならば、「環境調和性」に劣る製品は間違いなく今後受け入れられなくなる。従来は「コスト・パフォーマンス」のみで設計の良し悪しを評価してきた製造側としても、これからはこの新しい評価基準とも言える「環境調和性」を同時に評価する必要が出てきた。そのためには視覚的かつインタラクティブな新しい設計手法や評価手法を導入して、「環境調和性」を十分に考慮した設計を行うように努めなければならない。

 しかしながら、環境問題に対する設計解など今のところまだ望むべくもない。現状の正確な把握にも膨大なデータが必要とされるが、その収集にも非常な困難が予想される。またその解決策やトレード・オフを見いだす合理的な方法論についても早急に検討する価値がある。最終的な解決に到達するのには時間を要するとしても、まず現時点で不断の改善プロセスの基礎を確立することが重要である。そのためには多方面にわたる多くの努力が必要であり、将来に予想される様々な変化に柔軟に対応できるような、まさに領域を越えた進化の可能なアプローチが求められている。「環境調和性」を考慮した設計に関する研究はまだ緒についたばかりであるが、設計と環境といった多様な変化を前提としての、柔らかい工学への挑戦を開始したのだと考える。

 製品の設計においては、基本性能の確立、使い勝手の向上、付加価値の創造によって、競合製品との差別化がはかられてきたが、今後はこれに「環境との共生」というキーワードが追加されることになる。しかしコストは相変わらず重要である。基本性能はもちろん、使い勝手や付加価値についても、適正な製品価格の範囲が設定されるのであり、この範囲を逸脱しては産業として成立しない。これは「環境との共生」とて同様である。公害問題に代表されるように、設計が悪ければ結局トータルのコストがかさむことになるので、環境調和性の向上のためにはある程度の製品価格の上昇はやむを得ないという考え方もあるだろうが、それでも適正価格は存在する。あくまでも適正なコストの範囲で、可能な限り「環境との共生」を達成しなければならないのであり、いかなる観点であっても設計の最適化をコストなしに論ずることは不可能である。もちろん消費者や利用者側の姿勢も問われる。価格の上昇よりも環境調和性の向上を重視するという態度が望ましいことは事実であるが、現実としてそれは殆ど不可能に近い。かなり限定された不自然な状況下においてのみ期待し得るのであり、むしろそれは危険であるともいえる。自由経済のもとでの健全な社会を形成するためには、どんなに環境に優しい製品であっても消費者の購買意欲をかき立て得る価格設定が求められる。

 本論文では、製品設計において地球環境との調和をどう考慮し、具体的にどのように設計プロセスを進めて行くべきか、といった視点で筆者の考えと設計事例を示し、その後新しい設計手法の一つとして構築した材料選択方法論を提案する。また、ケーススタディを行ってこの方法論の有効性を検証する。

 ここで重要な課題は、まず「環境調和性」という概念の導入である。設計対象の多様化に伴って設計解の探索には領域を越えたアプローチが必要になってきている現実をふまえた上で、従来の「コスト・パフォーマンス」に匹敵する新しい評価基準として「環境調和性」を提示する。この「環境調和性」を考慮した設計がグリーン・デザインであるが、グリーン・デザインは設計あるいは評価の1項目として他の要素と並列に存在するものではなく、形状、材料、製造プロセスといった設計要素のすべてにおいて新しい方法論を必要とする。また、現実的な設計においてはコストを度外視することはできず、何らかの合理的な手法を用いてトレード・オフを見い出さなくてはならないが、その時点で入手できるデータを用いて、そこから有効で価値のある結果を生み出すことのできる方法論の構築が求められる。「環境調和性」を考慮する設計方法論があってこそ、それを支援する「環境負荷」データベースの価値も生まれる。

 従って本研究では、与えられたデータの集合としてのデータベースの完成を待つことなく、「環境調和性」を扱う方法論の構築を目標とする。本論文はその実践報告であり、各章では以下のような研究成果が明らかにされる。

 第1章は総論であり、第2章以降に展開される各論の位置づけを行う目的を有する。

 第2章では、まずマイクロメカニズムの設計を例に領域を越えたアプローチについての理解を述べる。次に環境問題に対する一般的な状況とLCAの現状、そして工業材料に関する各種の研究例などを紹介して、環境問題と設計との関わりについて考察する。

 第3章では、第2章での分析をふまえ、グリーン・デザインの実現に向けた筆者による設計事例を紹介する。すなわち、VTRのテープ走行系の設計を例にとって「耐久性の向上」によるゴミの削減について考察し、実際の設計における「環境調和性」を考慮した例を示す。この事例は、第1章において提示したグリーン・デザインの概念における「形状の最適化」に属する取り組みである。ここでは、材料等の他の要因に依存することなく、幾何学的な形状設計において最適化を追求することが、「環境調和性」に優れた設計につながりえることを示す。

 第4章では、第3章と同様の事例紹介として、電子スチルカメラ用FDDメカニズムの設計を例にとって「小型軽量化・省エネルギー化」による地球資源の有効利用について述べる。これもグリーン・デザインにおける「形状の最適化」に属する取り組みであるが、ここでは、従来から性能の一項目として考えられてきた小型軽量化や省エネルギー化が、今後いかに重要なファクターになるのかを考察する。

 第5章では、同様にマイクロアクチュエータの設計を例にとって「製造工程の削減」による環境汚染の防止について述べるが、これはグリーン・デザインにおける「製造プロセスの評価」に属する取り組みであり、ここでは、新しい製造手法を取り入れたマイクロアクチュエータがもたらす環境負荷低減への影響を論じる。

 第6章では、第3章から第5章までで紹介した実際の設計事例を一歩進めた形で、グリーン・デザインを実現するための「材料の選択」に関する取り組みである「環境調和性を考慮した材料選択方法論」の提案を行う。すなわち、ケンブリッジ大学においてすでに完成されていた「材料選択方法論」を応用し、基準材料との相対評価、コスト・パフォーマンスと環境調和性の定義と材料選択チャートでの同時分析、その両者をコストで統一する関数の導入、そして領域分類による総合評価といった一連の手順をルール化することによって、実際の設計作業に直接適用できるものとする。そして、現存するソフトウェア(ケンブリッジ・マテリアルズ・セレクター)を利用してのケーススタディを行ってその効果を検証するとともに、早期ソフトウェア化の可能性も明らかにする。さらには、この新しい材料選択方法論が必要とするデータベースと、選択基準の多様化について考察する。

 第7章では、本論文の結論として以下のようにまとめる。

 本研究で得られた重要な結論は、従来の「コスト・パフォーマンス」のみの評価に「環境調和性」という異質な評価基準を具体的に組み込み、設計現場での支援ツールとして提示したことにある。例えば各材料が定量的なデータとして持っている「環境負荷」が最小であっても、その材料を用いて設計された製品の最終的な「環境調和性」が最大になるとは限らない。そこには「設計」という作業が介在しているからであり、「環境調和性」を考慮した設計は、新しい評価基準の導入とそれを適切に扱う方法論を提供することによって進化する。従って本研究においては、「環境調和性」というものを、先験的に定義できるものではなく人工物に関する工学の実践を通して提示改善していくプロセスとして捉え、これを支援するためのツールの事例と新たな概念を提示した。

審査要旨

 本論文は、製品設計における機能、コスト、価格等の従前の評価基準に加えて環境調和性という新たな基準を導入し、製品設計に具体的に反映するための手法について述べたものである。

 論文では、人工物と環境との調和の実現を論文提出者本人の製品開発事例の解析を通して再考し、環境調和性を製品の設計、保全、廃棄、リサイクル等の工学的実践の過程で逐次改善されてゆくダイナミックな概念としてとらえ、環境調和性の実現のため製品設計の段階からそのダイナミズムを駆動することを考え、具体的方策として材料選択支援ツールを開発し、生産現場での設計事例への適用によりその有効性を検証し、新たな設計方法論として提案している。

 第1章は総論であり、設計対象の多様化に伴って設計解の探索には領域を越えたアプローチが必要になってきている現実をふまえた上で、従来の「コスト・パフォーマンス」に匹敵する新しい評価基準として「環境調和性」という概念の導入をおこない、グリーン・デザインを形状、材料、製造プロセスのすべてに関わる環境調和性実現のための行為とし、第2章以降に展開される各論の位置づけを行っている。

 第2章では、まずマイクロメカニズムの設計を例に領域を越えたアプローチについての理解を述べ、次に環境問題に対する一般的な状況とLCAの現状、そして工業材料に関する各種の研究例などを紹介して、環境問題と設計との関わりについて考察している。

 第3章では、第2章での分析をふまえ、グリーン・デザインの実現に向けた筆者による設計事例を紹介している。すなわち、VTRのテープ走行系の設計を例にとって「耐久性の向上」によるゴミの削減について考察し、実際の設計における「環境調和性」を考慮した例を示している。この事例は、第1章において提示したグリーン・デザインの概念における「形状の最適化」に属する取り組みである。ここでは、材料等の他の要因に依存することなく、幾何学的な形状設計において最適化を追求することが、 「環境調和性」に優れた設計につながりえることを示している。

 第4章では、第3章と同様の事例紹介として、電子スチルカメラ用FDDメカニズムの設計を例にとって「小型軽量化・省エネルギー化」による地球資源の有効利用について述べている。これもグリーン・デザインにおける「形状の最適化」に属する取り組みであるが、ここでは、従来から性能の一項目として考えられてきた小型軽量化や省エネルギー化が、結果的に製品性能の実現と地球資源の有効利用とを併せて実現するための範例として参照できることを指摘している。

 第5章では、既往の豊富な製造経験に依拠した再設計あるいは経験駆動型の設計ではなく、機能要求を具現するための設計解の探索を理論を基台に進める理論駆動型の設計事例であるマイクロアクチュエータの設計を例にとって「製造工程の削減」による環境汚染の防止について述べている。これはグリーン・デザインにおける「製造プロセスの評価」に属する取り組みであり、ここでは、新しい製造手法を取り入れたマイクロアクチュエータがもたらす環境負荷低減への影響を論じている。

 第6章では、第3章から第5章までで紹介した実際の設計事例を一歩進めた形で、「環境調和性を考慮した材料選択方法論」の提案をし、製品設計の現場においてグリーン・デザインを実現するための方法論を提示している。すなわち、ケンブリッジ大学のM.F.Ashbyによって提案されている概念設計レベルでの「材料選択方法論」を応用し、参照材料との相対評価、コスト・パフォーマンスと環境調和性の定義と材料選択チャートでの同時分析、その両者をコストで統一する関数の導入、そして領域分類による総合評価といった一連の手順をルール化し、実際の設計作業に直接適用可能な材料選択支援ツールとしてのインターフェイスの仕様を設計し、必要なデータベースを構築し、現存するソフトウェア(ケンブリッジ・マテリアルズ・セレクター)に実装したものである。

 適用事例としては、マイクロモータのロータシャフト、冷蔵庫の断熱材料、全自動洗濯機のタンク等を紹介し、消費者の嗜好構造との関連で、その有用性を検討し、併せて早期ソフトウェア化の可能性、この新しい材料選択方法論が必要とするデータベースと、選択基準の多様化についての考察と提案も行っている。すなわち、本来、目的、機能、価値、用途や環境調和性など多元的な基準によって求められる設計解を、材料データベース、評価関数と対話的なインターフェイスを組み合わせることにより二元的なチャートの中に閉じ込め、一般的には材料あるいは環境については非専門家である設計者が容易に作品としての人工物に環境調和性を含意させ環境との共生を計ることができる情報環境の実現への一歩である。

 第7章は結論である。本研究で得られた最も重要な成果は、従来の「コスト・パフォーマンス」のみの評価体系に「環境調和性」という異質な評価基準を導入し、これを視覚的かつインタラクティブな新しいインターフェイスとして設計し、相互運用可能性を意識して既往のソフトウエアに具体的に組み込み、設計現場での材料選択支援ツールとして提示したことにある。そこでは、それぞれの人工物に関わる環境との共生、製品価格、機能・価値、市場競争力、その他の属性を総合的に理解し、「設計」という不断の進化のプロセスに組み込まれたもの、すなわち先験的に定義できるものではなく人工物に関する工学の実践を通して提示改善していく動的規範として「環境調和性」を捉え、将来的にも様々な製造現場に容易に適用可能な一般性を具備している、と結論づけている。

 以上のように本研究は、環境調和性を考慮した設計について、概念と実現方策について検討事例を基台に検討して、生産現場での適用可能性を示したものであり、人工物工学に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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