学位論文要旨



No 213458
著者(漢字) 黒河,賢二
著者(英字)
著者(カナ) クロカワ,ケンジ
標題(和) エルビウム添加光ファイバ増幅器におけるフェムト秒光ソリトンの増幅伝搬特性に関する研究
標題(洋) STUDY ON FEMTOSECOND OPTICAL SOLITON AMPLIFICATION AND TRANSMISSION IN AN ERBIUM-DOPED OPTICAL FIBER AMPLIFIER
報告番号 213458
報告番号 乙13458
学位授与日 1997.07.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13458号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久我,隆弘
 東京大学 助教授 黒田,意人
 東京大学 助教授 岡本,裕巳
 東京大学 助教授 山本,育
 東京大学 助教授 五神,真
内容要旨

 ソリトンは,カオス,フラクタル等と並んで非線形現象を特徴づける新しい概念の1つである。ソリトン概念やその手法は,物理学の最先端の研究に応用されるのみならず,数学にも大きな影響を与えるとともに工学的応用とも密接に関連し,学際的な研究分野を形成している。物理現象としてのソリトンは,流体,プラズマ,非線形光学,磁性体,素粒子論,生物物理等,幅広い分野にわたって現れ,それぞれが一連のソリトン方程式と呼ばれる共通の非線形発展方程式によって記述される。ソリトン方程式の1つである非線形シュレーディンガー方程式によって記述される光ファイバ中の光ソリトン(電場の包絡線ソリトン)は,1973年ベル研の長谷川とTappertによりその存在が理論的に示された後,1980年ベル研のMollenauerらの実験により実証された。

 本学位論文に関する研究では,光ソリトンの波長帯である1.5m帯において共鳴媒質となるEr3+イオンを添加した光ファイバ(エルビウム光ファイバ増幅器(EDFA))におけるフェムト秒光ソリトンの増幅伝搬特性について系統的な研究を行った。本研究が対象とするEDFAにおけるフェムト秒光ソリトンの伝搬を記述する系は,Er3+イオンによる吸収あるいは利得という散逸的摂動を含むと同時に,フェムト秒という超短パルスの伝搬ゆえに強く誘起される高次非線形現象,中でもとりわけ顕著なソリトン自己周波数シフト(SSFS:Soliton Self-Frequency Shift)と呼ばれる自己誘導ラマン散乱現象に起因した散逸的摂動を含むため,もはや完全積分可能系を記述する非線形シュレーディンガー方程式では記述できなくなる。本研究では,この系について詳細な実験を系統的に行うことによって,この系が利得(吸収)およびSSFSを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式によりよく記述できることを明らかにした。

 具体的には,EDFAにおけるフェムト秒光ソリトンの増幅伝搬特性に関する研究を行うために,まず近赤外域における波長可変かつ高ピークパワー,高繰り返しフェムト秒パルス光源を新しい方法により実現した。この近赤外フェムト秒パルス光源を用いて,Er3+イオンの添加濃度が高く,数mとファイバ長の短い集中定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトンパルスの増幅特性に関する研究を行うとともに,Er3+イオン添加濃度が低く,長さが18kmにおよぶ分布定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトンパルスの伝搬特性の研究,そして分布定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトンパルス間の相互作用に関する研究を行った。これらの系統的研究により,パルス幅がフェムト秒の領域ではソリトン自己周波数シフト(SSFS)と呼ばれる高次非線形効果がEDFAにおけるソリトンパルスの増幅伝搬特性や相互作用特性に著しい影響を与えることを示すとともに,これらが摂動項を取り入れた非線形シュレーディンガー方程式によりよく記述できることを明らかにした。以下,各章の内容を要約する。

 第1章では,光ソリトンならびにEDFAについてその基本特性などを概観し,以下に続く第3〜5章を展開する上で基礎となる事項を整理するとともに,本学位論文の概要を示した。

 第2章では,フェムト秒ソリトンの伝搬特性を研究するために必要な近赤外フェムト秒パルスを発生する新しい光源を実現した。本光源は,キャビティダンプ同期励起色素レーザからの可視フェムト秒パルスと,色素レーザ励起用のNd:YAGレーザからの波長1.06mのパルスを合波する差周波発生法により,1.4〜1.6mにおいて波長可変かつ高ピークパワー,高繰り返しのフェムト秒パルスを発生するものである。差周波発生用にKTP,LiNbO3,-BaB2O4(BBO)の3種類の非線形結晶を用いたが,フェムト秒差周波発生にはKTP結晶が最も適しており,KTP結晶を用いてパルス幅94fs,ピークパワー8.4 kW,繰り返し3.8 MHz の近赤外フェムト秒パルスを発生できることを示した。

 第3章では,Er3+イオンの添加濃度が高く,数mとファイバ長の短い集中定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトンパルスの増幅特性を示した。増幅特性は,ソリトン固有の周期長であるソリトン周期あたりの利得の大きさによって大きく異なる。ソリトン周期あたりの利得が小さい断熱的増幅過程においては,利得の増加に伴いソリトンの断熱的ナローイング(adiabatic narrowing)に起因して出力ソリトンパルス幅が単調に減少する。その際,中心波長は変化することなくスペクトル幅が広がっていく。さらに利得を増加させた非断熱的増幅過程においては,出力パルス幅が60〜70fsと入力の約1/4に圧縮されると同時に,SSFSに起因して中心波長が大きく長波長側にシフトする。このような領域ではSSFSによりソリトンのスペクトルがEDFAの利得帯域からはずれるため,効果的な増幅ができないことがわかる。これらは,帯域を考慮した利得ならびにSSFSの2つを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式によって実験誤差の範囲内で説明できることを明らかにした。

 第4章では,分布定数型EDFAを伝搬媒質としたフェムト秒ソリトンの長距離伝搬特性を示す。Er3+イオンの添加濃度が0.5ppmの分布定数型EDFAを用いることによりパルス幅450fs,N=0.7〜1.2のソリトンが長さ18kmにわたって伝搬することがわかった。しかしながら,EDFAの利得帯域の有限性によるソリトンスペクトルの利得帯域内へのトラップ効果は弱く,SSFSが強く起こってしまうことが明らかとなった。また,EDFAの励起構成(順方向,逆方向,双方向励起)に依存した長手方向の反転分布の違いに起因して伝搬特性が励起構成に強く依存することを示した。

 第5章では,分布定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトン間の相互作用について示した。パルス幅がフェムト秒の領域では,ソリトンパルス間のわずかな振幅差が,SSFSに起因して大きなパルス間隔の変化をもたらすことが明らかとなった。フェムト秒ソリトン対の相互作用過程において,SSFSによりソリトンパルス対の振幅に非対称性が生じ,その結果,顕著なソリトンパルス間隔の変化をもたらす。こうしてSSFSが相互作用に大きな影響を及ぼし,しかもそれがEDFAの利得により強調されることがわかった。同様に,伝送路上に微小パルスが存在するとこれがソリトンパルス間隔に大きなゆらぎを与えることも示した。また逆に,ソリトン間相互作用がSSFSをより増大させることを明らかにした。以上のように高次の非線形効果であるSSFSがフェムト秒ソリトンパルス対の伝搬特性に著しい影響を与えることを明らかにするとともに,これらが,EDFAの利得およびSSFSを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式によりよく記述できることを示した。

 第6章は以上の成果のまとめである。以上,本研究では,近赤外域でのフェムト秒パルス光源を実現し,それを用いた系統的実験によりEDFAにおけるフェムト秒光ソリトンパルスの増幅伝搬特性を明らかにするとともに,この特性がEDFAの利得およびSSFSを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式によってよく記述できることを明らかにした。本研究の成果は,今後,非線形波動伝搬の研究,特に光導波路における超短パルス伝搬の研究分野で応用展開されていくと予想される。

審査要旨

 ソリトンは、カオス、フラクタルなどとならんで非線形現象を特徴づける新しい概念の一つであり、ソリトンの概念やその手法は、物理学の最先端の研究に応用されるのみならず、工学的な応用、計算機の利用、新しい数学などとも密接に関連し、幅広く研究されている。物理現象としてのソリトンは、流体、プラズマ、非線形光学、磁性体、素粒子論、生物物理など、多くの分野に現われ、それぞれが一連のソリトン方程式呼ばれる共通の非線形方程式で記述される。光ファイバ中のソリトンに関する研究は、1973年にAT&Tベル研究所の長谷川とTappertによりその存在が理論的に示されたあと、1980年に同じベル研究所のMollenauerらの実験で実証された。

 本論文では、光ソリトンの波長帯である1.5m帯において、エルビウムイオンを添加した光ファイバにおけるフェムト秒光ソリトンの増幅伝播特性について系統的な実験を行い、吸収あるいは利得を含む光ファイバ中のソリトン伝播に関して多くの知見を提供している。なかでも、ソリトン間の相互作用に関する研究、フェムト秒領域におけるソリトン自己周波数シフトと呼ばれる高次の非線形効果を、適切な摂動項を取り入れた非線形シュレーディンガー方程式で記述できることを示した点は、物理学的にも重要であると考えられる。

 以下に具体的に審査要旨を記述する。

 本論文は、6章からなる。第1章は序論として、光ソリトンならびにエルビウム添加光ファイバ増幅器(EDFA)についてその基本特性などを概観している。第2章ではフェムト秒ソリトンの伝播特性研究のための光源開発について記述している。同期励起フェムト秒色素レーザーとNd:YAGレーザーの差周波を非線形結晶により発生させ、1.4〜1.6m領域で波長可変な高繰り返しフェムト秒パルスを製作した。これによりパルス幅94fs、ピークパワー8.4kW、繰り返し3.8MHzの赤外パルスを安定に発生させることに成功した。これらは、この手法で得られる過去最高の記録である。

 第3章ではエルビウム濃度が高く長さの短いファイバによるフェムト秒ソリトンの増幅特性を議論している。増幅特性は、ソリトン周期あたりの利得の大きさにより大きく異なることが判明し、ソリトン周期あたりの利得が小さい断熱的増幅過程においては、利得の増加にともない出力パルス幅が単調に減少するが、中心波長は変化せずスペクトル幅のみが広がる。利得を増加させると出力パルス幅はさらに減少し、入力の1/4程度まで減少するが、この時パルスの中心波長は大きく長波長側にシフトし、エルビウムの利得帯域からはずれてしまい、効率的な増幅がおこらなくなる。これらの実験結果を、帯域を考慮した利得ならびに自己周波数シフトを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式により説明した。

 第4章では濃度の低いファイバによるフェムト秒ソリトンの長距離伝播特性について述べている。エルビウムイオンの添加濃度が0.5ppmのファイバを用いることで、パルス幅450fsのソリトンが長さ18kmにわたって安定に伝播することが明らかになった。しかし、利得帯域の有限性によりソリトンスペクトルを利得帯域内にとどめることは難しく、低濃度にもかかわらず自己周波数シフトを起こすことが判明した。ここでも系統的な実験および非線形方程式による解析により、伝播方向の反転分布のわずかな違いに起因して、伝播特性が大きく変化することを明らかにした。

 第5章では分布定数型EDFAにおけるフェムト秒ソリトン間の相互作用について議論している。パルス幅がフェムト秒の領域では、ソリトンパルス間のわずかな振幅の差が、自己周波数シフト量の大きさに敏感に作用し、結果として大きなパルス間隔の変化をもたらす。さらに、自己周波数シフトによる相互作用は、エルビウムの増幅作用により強調されることを明らかにした。このような高次の非線形効果である自己周波数シフトがフェムト秒ソリトンパルス対の伝播特性に著しい影響を与えることを明らかにし、これがやはり、利得ならびに自己周波数シフトを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式により説明できることを確かめた。

 第6章は全体のまとめとなっている。

 以上のように本研究では、利得をもつ光ファイバ内でのフェムト秒ソリトン伝播を実験により系統的に研究し、それを利得ならびに自己周波数シフトを摂動項として取り入れた非線形シュレーディンガー方程式により明快に説明できることを示している。この研究の成果は、物理学的にも興味深い非線形波動の伝播の研究、ソリトン間の相互作用の研究、また、応用的には光導波路における超短パルス伝播の研究にはずみをつけ、今後さらなる発展をもたらすものと期待される。

 なお、本論文は、一部、中沢正隆氏、久保田寛和氏、木村康郎氏、鈴木和宣氏、山田英一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が大部分であると判断する。

 以上の理由により、本論文は、博士(理学)論文として十分に評価できると審査委員全員が認め、合格と判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54033