学位論文要旨



No 213462
著者(漢字) 伊藤,渉
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ワタル
標題(和) 人工抗体ライブラリーの試作とその解析
標題(洋)
報告番号 213462
報告番号 乙13462
学位授与日 1997.07.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13462号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 田之倉,優
内容要旨

 理想的な人工抗体ライブラリーを開発するための基礎データを蓄積するために小規模な大腸菌を利用した抗体ライブラリーを試作し、そのライブラリーの評価および、個々のクローンの詳細な解析を行った。

 我々は抗ニワトリリゾチームモノクローナル抗体D1.3を基本に、512種類のクローンからなる人工抗体ライブラリーを構築した。このライブラリーでは、H鎖CDR(Complementarity-Determining Region)の9箇所のアミノ酸残基を類縁アミノ酸にランダムに置換してある。80%以上のクローンが大腸菌によりFvフラグメントを分泌生産していた。2種類の野生型Fvと13種の変異Fvを大量調製し、滴定型カロリーメータによる抗原抗体反応の熱力学的解析を行った。合計15種のFvとリゾチームの結合定数は0.12X107から1.59X108M-1に分布した。この変化はH0、-TS0の変化とはあまり相関は無かった。同じアミノ酸置換でも、異なった変異との組み合わせの場合ではKAH0、-TS0の変化は異なった。1アミノ酸残基置換による(G0)の値は-0.56〜1.56kcal/molとなり、一方で、(H0)、(-TS0)の変化はそれぞれ、-3.5〜3.4kcal/mol、-3.8〜3.4kcal/molとなった。1アミノ酸残基置換でenthalpy的に結合エネルギーを稼ぎ出す場合は、entropy的にロスをするという相殺効果が観察された(entropy enthalpy compensation)。

 さらに、ストップドフローによる速度論的解析を行い、上記のデータと総合する事により活性化状態の前反応および後反応の熱力学的パラメータを求めた。活性複合体形成の前反応では、アミノ酸残基置換により、エントロピーとエンタルピーの変化の間により強いCompensationが観測された。よって、アミノ酸置換が、最終的な抗原抗体反応のKAに影響を与えるのは、前反応ではなく後反応であると結論した。

 上記2つの詳細な変異Fvのエネルギー解析の結果から、有用な高親和性の抗体を得る為には、ピンポイント的な変異よりは今回試作したライブラリーをより押し進め、一般化した人工抗体ライブラリーを開発し、スクリーニングを繰り返すのが有効であると判断した。

 その際利用するベクターとして、大腸菌で産生された抗体フラグメントを擬似的に多価にし結合力を増すシステムを開発した。抗原抗体反応では、高親和性と結合部位を複数持つ事により抗体の最終的な結合力を上昇させている。FvフラグメントにプロテインAのFc結合ドメインを一つないしは2つ融合した産物(Fv-P,Fv-PP)を大腸菌に分泌産生させた。これらの産物の物理的性状を調べたところ、抗原結合能は元々のFvと変わりなく、プロテインAのドメインもIgGと結合する事が出来た。Fv-PをIgGと混合した際、2:1の複合体が形成されるが、Fv-PPとIgGの場合には、3:2の割合の複合体が主要に形成された。BIAcoreを使用して表面プラズモン共鳴(surface plasmon resonance)を測定したところ、これらの複合体は多価の結合性を持つ事が確認された。Fv-PPとIgGとの複合体を形成すると、Fv-PP単独の場合より、解離定数が3.5倍小さくなった。この複合体をELISAやウエスタンブロットの試薬として用いた際、より強いシグナルを与えた。

 上記の結果を元に、理想的な人工抗体ライブラリーのデザインを考察した。併せて、現在までの他のグループが提唱している抗体ライブラリーとの比較を行った。

審査要旨

 本論文は、理想的な人工抗体ライブラリーを開発するための基礎データを蓄積する目的で、大腸菌を利用した小規模な抗体ライブラリーを試作し、そのライブラリーの評価および個々のクローンの詳細な解析を行ったものである。論文は4章からなり、第1章では人工抗体ライブラリーの作成とその応用につき、主として理論的な面からの考察と研究の現状分析がなされ、研究の方向性が提起されている。第2章では作成した小規模なモデル抗体ライブラリーについて、抗原抗体複合体接触面部位での類縁アミノ酸置換の熱力学的解析を行い、人工抗体の示す基礎的な熱力学的性質を解析した。第3章ではFv-Protein A融合タンパク質を利用した、多価結合能を持った人工抗体の開発のための新ベクターとその産物の性質が解析され、第4章では相補性決定部位(CDR)に導入した変異が抗原抗体複合体の活性化状態形成の自由エネルギーに影響を与えないことを示す解析結果が述べられている。

 論文提出者は本研究において、まず抗ニワトリリゾチームモノクローナル抗体D1.3を基本に、512種類のクローンからなる人工抗体ライブラリーを構築した。このライブラリーでは、H鎖CDRの9箇所のアミノ酸残基を類縁アミノ酸にランダムに置換してある。80%以上のクローンが大腸菌によりFvフラグメントを分泌生産していた。2種類の野生型Fvと13種の変異Fvを大量調製し、滴定型カロリーメータによる抗原抗体反応の熱力学的解析を行ったところ、合計15種のFvとリゾチームの結合定数は0.12X107から1.59X108M-1に分布した。この変化はH0、-TS0の変化とは大きな相関は無かった。同じアミノ酸置換でも、異なった変異との組み合わせの場合ではKAH0、-TS0の変化は異なった。1アミノ酸残基置換による(G0)の値は-0.56〜1.56kcal/molとなり、一方で(H0)、(-TS0)の変化はそれぞれ、-3.5〜3.4kcal/mol、-3.8〜3.4kcal/molとなった。1アミノ酸残基置換でエンタルピー的に結合エネルギーを稼ぎ出す場合は、エントロピー的にロスをするという相殺効果が観察された。

 さらに、ストップドフローによる速度論的解析を行い、上記のデータと総合する事により活性化状態の前反応および後反応の熱力学的パラメータを求めた。活性複合体形成の前反応では、アミノ酸残基置換により、エントロピーとエンタルピーの変化の間により強い相殺効果が観測された。よって、アミノ酸置換が、最終的な抗原抗体反応のKAに影響を与えるのは、前反応ではなく後反応であると結論した。

 上記2つの詳細な変異Fvのエネルギー解析の結果から、有用な高親和性の抗体を得る為には、ピンポイント的な変異よりも、今回試作したライブラリーを押し進めて一般化した人工抗体ライブラリーを開発し、スクリーニングを繰り返すのが有効であると判断した。

 論文提出者はまた、ライブラリー作成の際に利用するベクターとして、大腸菌で産生された抗体フラグメントを擬似的に多価にし結合力を増すシステムを開発した。抗原抗体反応では、高親和性と結合部位を複数持つ事により抗体の最終的な結合力を上昇させている。FvフラグメントにプロテインAのFc結合ドメインを1ないし2つ融合した産物(Fv-P,Fv-PP)を大腸菌に分泌産生させた。これらの産物の抗原結合能は元々のFvと変わりなく、プロテインAのドメインもIgGと結合する事が出来た。Fv-PをIgGと混合した際は2:1の割合の複合体が、Fv-PPとIgGの場合には、3:2の複合体が主要に形成された。BIAcoreを使用した表面プラズモン共鳴の測定で、これらの複合体は多価の結合性を持つ事が確認された。Fv-PPはIgGと複合体を形成すると、単独の場合より解離定数が3.5倍小さくなった。この複合体は抗原検出試薬としてより強いシグナルを与えた。

 論文提出者は上記の結果を元に、現在までに提唱された他の抗体ライブラリーとも比較しつつ、理想的な人工抗体ライブラリーのデザインを考察した。

 審査委員会は、論文提出者の行った抗原抗体反応の熱力学解析が、同反応の基礎的なデータを与える重要な貢献であると判断した。また、それらのデータの上に論文提出者が提起する抗体ライブラリー作成法は、現状において評価さるべきものであると判定した。これらは論文提出者が博士(理学)の学位を受ける十分な資格を持つことを示している。なお本論文は全章を通じて黒沢良和氏との、また第1章は伊庭善孝氏、第4章は安井久司氏との共著であるが、論文提出者が主体となって分析および検証をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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