アレルギー疾患である気管支喘息の患者は、工業化や居住環境の変化等の社会的要因が複雑化するに従い、世界的に増加の傾向にある。 気管支喘息の治療には主に抗炎症作用を持つステロイド剤と気管支拡張作用を有する刺激剤やテオフィリン剤が重視されているが、ステロイド剤やテオフィリン剤には種々の副作用が伴う事から、効果と作用機序が明確で副作用の少ない抗喘息薬の開発が望まれている。 1986年、Barnesが、喘息は気道系に分布している求心性無髄知覚神経線維(C-fiber)から過剰に遊離される、一群の生理活性ペプチドであるニューロキニン(NK)によって発症するという新しい仮説を発表した[図1]。即ち、正常な状態では、刺激を感知するC-fiberは気道上皮に覆われており、通常の刺激には反応しないようになっているが、喘息患者では気道上皮が障害を受けて脱落し、C-fiber末端が露出しており、塵埃、冷気や抗原等の種々の刺激に対して感受性が亢進した状態(気道過敏性)になっている。C-fiber末端で受けた刺激は求心的に中枢側に伝達されると同時に、軸索反射によって軸索途中で分岐している神経線維から再び末梢側へ伝達され、気道の平滑筋や粘膜下腺及び血管に分布しているC-fiber末端を刺激する。その結果、C-fiber末端から2種類のNK、即ち、サブスタンスP(SP)及びニューロキニンA(NKA)が放出され、それぞれ親和性の高い受容体を介して喘息の三大症状を引き起こす。即ち、SPはNK-1受容体を介して血漿漏出による気道浮腫や粘液の過剰分泌を引き起こし、NKAはNK-2受容体を介して気道の収縮を引き起こす。又、放出されたSPによりC-fiber末端に接している肥満細胞が活性化し、ヒスタミン等の化学伝達物質の遊離が亢進する。この事が血漿漏出と共に、炎症反応の引き金となり、気道の上皮や粘膜の傷害を増大させ、その結果、気道過敏性が著しく亢進するという悪循環を繰り返す。Barnesの仮説に従えば、NK拮抗物質は抗喘息薬となり得ると期待できる。 図1:喘息におけるBarnesの作業仮説図2 Neurokinins(Mammalian Tachykinins) 現在までNK拮抗物質としてはSpantide[図2]をはじめとしたNKを化学修飾して得られた一連の化合物が知られているが、いずれも作用の弱いペプチド化合物であり抗喘息薬とは成り得ない。そこで、著者はNK拮抗作用という新規作用機序を有する抗喘息薬の開発を目指し、(1)家兎血小板の凝集作用を指標にする方法、(2)摘出モルモット気管筋の収縮作用を指標とする方法、(3)受容体結合試験を指標にする方法を用いて、微生物培養液中からNK拮抗物質の探索を試みた。 第一の探索方法として、in vitroにおいてSPが血小板凝集を引き起こすという、著者によって初めて見出された現象に着目し、SP誘発家兎血小板凝集を特異的に阻害する物質を探索した。その結果、カビの培養液からWF3484を見出した。WF3484は構造解析の結果、サイクロスポリンC(CsC)と同定された。CsCの免疫抑制作用は良く知られているが、この物質のSP拮抗作用に関する報告は初めてである。CsCは摘出モルモット回腸のSP誘発収縮を用量依存的に阻害したが、摘出モルモット気管筋のSP誘発収縮に対しては阻害作用を示さなかった。又、in vivoにおいてSP誘発モルモット気道収縮に対する阻害作用を検討したが、CsC単独でも気道収縮を引き起こした為、これ以上の検討は中止した。尚、CsCの気道収縮作用がどのような作用機序によるのかは今のところ不明である。 次に、第二の探索方法として、NKAによる摘出モルモット気管筋の収縮作用を指標とし、その阻害物質を探索した。その結果、放線菌の培養液からWS8686を見出した。WS8686は構造解析の結果、抗癌物質として知られているアクチノマイシンD(ACD)と同定された。ACDはin vitroでのNKA誘発気管筋収縮を用量依存的に阻害したが、SP誘発気管筋収縮に対しては全く作用を示さなかった。又、ACDの誘導体研究の結果から、ACDのペプチド部分にNKA誘発気管筋収縮に対する阻害作用が認められたが、細胞毒性を伴う為、これ以上の検討は中止した。 そこで新たに、第三の探索方法として、特異性、アッセイの検出感度、定量性、操作の簡便性等で優れていると考えられる受容体結合試験を用いてNK拮抗物質の探索を行った。即ち、モルモット肺膜標品を用い、[3H]-SPの結合反応阻害作用を指標として探索した結果、放線菌Streptomyces violaceusniger No.9326株の培養液から新規物質WS9326Aを発見した。構造解析により、WS9326Aは分子量1036、アミノ酸7個を含む環状ペプチドラクトンであり[図3]、新規構造を有するSP拮抗物質である事が判明した。 図3 創薬においては常に実験動物とヒトでの種差による薬効の違いが問題になる。そこで臨床効果の予測と作用機序を明確にするために、各探索方法で得られたCsC、ACD、WS9326Aのヒトの受容体拮抗作用について検討した。まず、チャイニーズハムスターの卵母細胞(CHO)にヒトNK-1あるいはNK-2受容体のcDNAを導入し、それぞれの受容体を単一に安定的に発現する細胞系を確立した。この細胞の細胞膜を用いて受容体結合試験を行い、これら微生物由来NK拮抗物質のヒトNK受容体サブタイプに対する特異性と親和性を調べた。その結果、CsC及びWS9326AはヒトNK-1及びNK-2両受容体に強い親和性を示した。ACDはヒトNK-2受容体に特異的に作用した。又、WS9326Aはモルモットとヒトの受容体に対して同程度の作用強度を示し、モルモット-ヒト間で種差のない事が判明した。以上、ヒト受容体結合試験の結果、3種類のNK拮抗物質の作用機序はいずれも受容体拮抗である事が判明した。 これら3種類のNK受容体拮抗物質の内、WS9326Aは新規構造を有し、細胞毒性等が認められず、更にNK-1及びNK-2両受容体拮抗物質であるという点から特に有用であると考え、種々のin vitro及びin vivoにおける薬理作用について詳細に検討を行った。 摘出モルモット気管筋を用いてWS9326Aの作用をマグヌス法で調べた結果、SP及びNKA誘発気管筋収縮に対して、WS9326Aは用量依存的な阻害作用を示した。一方、ヒスタミンやアセチルコリン誘発気管筋収縮に対しては阻害作用を示さず、気管筋収縮反応においてもWS9326Aは受容体結合試験と同様、NK-1及びNK-2両受容体に対する特異的な拮抗物質である事が判明した。 続いて、モルモットを用いてin vivoにおけるWS9326Aの作用を調べた。まず、NKA惹起気道収縮に対する作用をKonzetto & Rossler法により検討した。静脈内投与(i.v.)あるいは気管内投与(i.t.)されたWS9326AはNKA(1nmol/kg)で惹起される気道収縮を用量依存的に抑制し、そのED50値は各々6.5mg/kg、0.3mg/kgであった。一方、ヒスタミン惹起気道収縮に対しては無作用であった。 次に、SP惹起気道浮腫に対する作用をエバンスブルー色素の漏出を指標にして検討した。WS9326A(i.t.)は、SP(1nmol/kg)惹起気道浮腫を用量依存的に抑制し、そのED50値は0.87mg/kgであった。一方、ヒスタミン惹起気道浮腫には無作用であった。これらの事からWS9326Aはin vivoにおいても特異的かつ強力なNK拮抗物質である事が判明した。 更に、内因性のNKに対する拮抗作用を調べるため、カプサイシン(CPS)を使用した。CPSは唐辛子の辛味成分でC-fiberを選択的に変性障害し、C-fiber末端よりSP、NKAを遊離させることが知られている。CPS(10nmol/kg)惹起の気道収縮を指標にして調べた結果、WS9326Aは内因性NK惹起気道収縮を抑制し、そのED50値は10mg/kg(i.v.)であった。以上、新規NK拮抗物質WS9326Aの薬理学的検討から、WS9326Aは喘息におけるSPやNKAの役割を研究する上で有益なツールとなり得るのみならず、臨床的に有効な治療薬に成る可能性があると考えられた。 これらの結果を踏まえ、更にWS9326Aの誘導体について検討を行った。モルモット肺膜標品での受容体結合試験を指標として探索した結果、WS9326Aより約40倍強力な誘導体Tetrahydro-WS9326A(FK224)[図3]を見出した。FK224はWS9326Aの側鎖部分を還元して得られた化合物であった事から、FK224の被還元部分が受容体拮抗作用に重要な役割を果たしている事が示唆された。又、FK224はCHO細胞に発現させたヒトNK-1受容体で約20倍、ヒトNK-2受容体で約3倍、WS9326Aより強い拮抗作用を示した。この事からFK224は強力な特異的NK-1及びNK-2両受容体拮抗物質である事が示された。更に、in vivoでのFK224(i.t.)のモルモットNKA惹起気道収縮抑制作用はWS9326Aより10倍強力で、ED50値は0.03mg/kgであった。又、SP惹起気道浮腫抑制作用は約40倍強力で、ED50値は0.024mg/kgであった。更に、CPS惹起による気道収縮及び気道浮腫にもFK224(i.t.)は有効性を示し、それぞれのED50値は0.45mg/kg及び0.35mg/kgであり、FK224はin vitro及びin vivoにおいてWS9326Aより強力なNK-1及びNK-2両受容体拮抗物質である事が判明した。 以上、本研究において、著者は微生物由来のNK拮抗物質を探索した結果、SPによる血小板凝集作用を指標として、CsCにNK拮抗作用がある事を見出した。又、NKA誘発摘出気管筋収縮阻害作用を指標としてACDを見出した。更に、著者はモルモット肺膜の受容体結合試験により、新規のNK拮抗物質WS9326Aを発見し、その誘導体研究によりFK224を見出した。又、ヒトNK受容体を発現させたCHO細胞を用いたNK受容体結合試験でCsC、ACD、WS9326A及びFK224のヒト受容体サブタイプ選択性を確認した。そこで有用性の認められたWS9326A及びFK224の抗喘息薬としての開発の可能性を探るため、in vitro及びin vivoでのNK拮抗作用を検討した結果、両化合物共にin vitro及びin vivoにおいてNK-1及びNK-2両受容体特異的拮抗物質である事が判明した。FK224は世界で最初の特異的NK-1及びNK-2両受容体拮抗作用を有する抗喘息薬として臨床試験(Phase II)が実施され、気道知覚神経を刺激してNKを遊離させるブラジキニン誘発気道収縮試験において有効性が報告された。 |